花嫁の姿
509. 聖書を用いて、神の油注がれた御言葉を得る方法(「聖書の約束」の使い方)
聖書を用いて、神の油注がれた御言葉を得る方法(「聖書の約束」の使い方)
聖書の約束 使用法
私たちは、くじ引きのような方法で聖書の御言葉を分別することを紹介しました。聖書や、聖書の縮小版である「聖書の約束」を使用したいと考えています。分別が必要な状況について、もっと深く扱い、実際に役に立つことについて分かち合うよう、聖霊様が私を導いてくださいました。
分別はとても重要です。まず、あなたの全心と全力を尽くして主を愛し、自分自身を愛するように隣人を愛することが重要ですが、その次に重要なのが分別です。
分別できないと、あなたは自分の目的を達成することもできませんし、主に従うこともできません。分別のため、他の人に頼ることもできません。なぜなら、彼らが私の靴を履いて歩いているのではないからです。人々は、神が私自身の人生の中でどのようなことを行っておられるか、知りません。人々は、神があなたを創造なさった時、どのようなタラントをお与えになったのか、理解できないからです。そして、分別が必要な瞬間、主が与えようとしておられる恵みが何であるか、理解できません。ですから、私たちは、私たち自身に対する神の意志を分別するために、他の人のところへ行くことができないのです。少なくとも、私はそうです。私は生涯、分別のため人を探しましたが、本当に出会うことができませんでした。夫以外は、本当に出会うことができませんでした。夫は本当に、私が主の御声を分別するのに役立っています。主は、このような関係をお作りになり、天国へ向かって進む私たちを準備させ、特別な活力を与えてくださいました。天国へ向かって主に従う過程を通して、私たちは互いを準備させています。私たちに対する主の意志を分別することは、必ず行わなければならないことであり、このことのために、他の人のところへ行ってはなりません。彼らは彼らの考えを持っているだけです。
まず第一に、聖書を用いて主の意志を分別することは、神聖な信頼に基づいて行われるべきです。聖霊様は、あなたの人生に方向を与えることに献身しておられます。この考えと共に、あなたは従順に対する神聖な責任を負うことになります。そして、その方のよく知られた意志と、これらの御言葉を尊ぶことが必要です。
(詩編 147章19節) 主はヤコブに御言葉を、イスラエルに掟と裁きを告げられる。
(詩編 73章23~24節) あなたがわたしの右の手を取ってくださるので、常にわたしは御もとにとどまることができる。あなたは御計らいに従ってわたしを導き、後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。
(ヤコブの手紙 1章5節) あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
多くの異なる宗教を持つ人々は、自分に与えられた真の人生の目的を知らずにさまよっています。そして、それが重要視されることもありません。しかし、キリスト教ではこれを真剣に扱います。神様は、あなたが自分に与えられたミッションが何であるかを知ることを望んでおられます。神様があなたを創造なさった時、あなたに与えられたミッションをあなたが知ることを望んでおられます。そして、神様は、そのミッションをあなたに喜んでお示しになります。あなたは、純粋な心と客観的な心でその方を尋ね求めなければなりません。このことは途方もないことです。あなたが主の御声を分別する時、この客観性を保つことは非常に重要なことです。正直さの次に重要なのが客観性でしょう。
これは簡単に扱える祈りの練習ではないでしょう。主は、天の知恵をあなたにくださり、あなたは主の道を歩むことができます。主があなたに御自身の意志をお示しになる時、あなたは主と主の意志を尊び、従う必要があります。最も深い誠実さと尊敬をもって、その方に近づいてください。その方が御自身の意志をあなたに示されることを期待して、近づいてください。信仰、すなわちあなたが求めれば主はくださるという確信は、非常に重要です。主は、あなたに話しておられます。あなたの内面であなたが確信を持てるよう、主はあなたを世話しておられます。必ず主があなたにお話しになるでしょう。あなたが主を求めれば、主は御自身の意志をあなたにお示しになるでしょう。
「聖書の約束」を使用する時、分類されたタイトルだけを読んで、それで判断する傾向があります。そうしてはいけません。そうすると、深い主の意志に十分に到達できません。そのタイトルの下にある御言葉まで到達しなければならず、その御言葉を通して聞こえる、微かな主の御声を聞かなければなりません。その御声は私たちの心を導くでしょうし、まさにその瞬間、主の油注ぎによって私たちにお語りになる御言葉なのです。
一つを選ぶだけでは十分ではありません。私たちは3回選び、この三つの御言葉がどのように互いに関連し、パズルのように私たちの状況に合った主の意志を説明してくれるのか、そして私たちが進むべき確実な方向を確認します。神様の道は私たちの道とは異なります。このような方法で主の意志確認した時、最初は少し不自然に感じます。なぜなら、その状況を見る神様の視線が、私たちが見るものと異なるからです。ですから、あなたは心が開かれている必要があります。あなたが求めたある状況が、あなたが最初に見ると単純に見えるかもしれませんが、実際ははるかに複雑な場合もあります。
物事、出来事、人々、事件、傾向が互いに絡み合うように関連しています。常に白黒に分かれるわけではありません。鍵は客観視することです。まず、私たちは神様が私たちにお与えになる答えから、私たち自身を切り離して考えるべきです。どのような方法であれ、私たちは神様を思い通りに変質させることはできません。神様はこれを許されません。
私たちは、その方を神様として敬い、従います。全能で、全てをご存じの方なのです。私たちの心は、その方の御前で極めて謙遜であるべきであり、その方の意志の前で私たちの考えは空にされなければならず、真理に対する切なる願いをもって、その方に従わなければなりません。
私たちの考え方から神様の考え方へ転換することは、簡単なことではありません。私たちは神様が私たちの望むどのような形ででも答えてくださることを期待できますが、その答えが私たちの考えで見て理にかなっていないと思うと、非常に落胆します。
このように理にかなっていないかのような御言葉を引いた時、どちらか一方の場合が多いです。一つ目は、あなたが質問したことについて、その質問に直接的には答えておられない場合です。主は今、あなたが注意を払うべきことについて、お話しになっているのかもしれません。今、あなたの心に、まず第一に、そして最も重要なことをお話しくださり、それに集中することを望んでおられる場合があるのかもしれません。
二つ目は、あなたが質問したことについて、主が答えられたのですが、その方の視点とあなたの視点が異なる場合です。このような場合、あなたは、その内容をもう少し注意深く調べるべきです。三つの御言葉が、それぞれ位置を正確に定めてくれる三角の頂点の役割を果たします。最初の御言葉が東と西の線上でのあなたの位置を教えてくれます。二番目の御言葉が南と北の線上でのあなたの位置を教えてくれます。三番目の御言葉が地と天の線上でのあなたの位置を教えてくれます。このようにして御言葉を深く見つめてみれば、その問題の様々な側面を調べることができ、正確にどのような核心的な問題があるのかを把握できます。ですから、三つの御言葉を使うことが重要です。非常に複雑な状況の時は、三つ以上の御言葉を使うこともできます。
しかし、あまりにも多くの御言葉を引かない方が良いです。特に、自分が好きな御言葉が出るまで引くことは避けるべきです。本当に、そうすべきではありません。最初に引いた三つの御言葉を真剣に受け止め、その中にある主の御心に深く浸るべきです。主の御心があなたの心の中に定着するように、一日か少なくとも数時間は必要です。あなたは聖霊様に嘆願して、そのパズルのような状況が解決されるようにすることもできますし、あなたが主の視点を持てるように求めることもできます。
さて、私がしようとしていることは、「聖書の約束」の分類された見出しについて分かち合うことです。主の御心を分別するために、あなたが聖書の約束を開く時に出会う、分類見出しについて分かち合いたいと思います。その見出しから、どのように主の御心を分別できるかについて分かち合いたいと思います。私はこの説明が、皆さんが主の御心を解釈し始めるのに役立つことを願っています。いくつかは非常に私個人の経験に基づいて説明されたものです。アルファベット順に説明いたします。
怒り(Anger):これらの御言葉は、主に神様の怒りについて書かれています。しかし、私がこれらの御言葉を引くことになった時は、たいてい神様の怒りに関するものよりも、私の怒りに関する場合が多かったです。私の性質が荒っぽくなる時、主は私に警告しておられるのです。私が注意しなければ、怒り出すだろうと注意を促しておられるのです。私たちが怒る度に、私たちの考えは歪んでいます。(箴言 16章32節) 忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。この御言葉のように、怒りが自分を飲み込まないようにすべきなのです。
子供の義務(Children’s Duties):これらの御言葉は、私たちの子供たちが家族の一員として義務を果たして生きることに関するものです。しかし、あなたが親の意志に従って生きなければならないという意味ではありません。あなたは親の意志を尊重すべきですが、主の御心に従うべきなのです。ある文化圏では、子供たちが必ず親の望むことだけに従って、生きなければならない場合があります。特に母系社会では、なおさらそうです。そうであるとしても、あなたが母親の意志に従って生きなければならないということではありません。これは全く間違った考えです。常に神様が優先です。第一に、あなたはあなたの人生を神様に捧げるべきです。そして、あなたはあなたの両親を敬うべきです。常にまず神様に従うべきであり、両親に従うべきではありません。これに関しては、あまりにも多くの誤解があり、葛藤が存在します。このような問題がしばしば現れるため、私はこれについてこのように分かち合うのです。
慰め(Comfort):直面する事柄が本当に困難な時、あるいは困難になる時、主は私たちを慰めると約束して、これらの御言葉で私たちを慰めてくださいます。これらの御言葉は、驚くほど美しいです。そして、状況に命じて静かにさせる力があります。これらの御言葉は、まるで強力な弓と矢のようで、あなたが直面した状況に対して宣言することができ、実際にその御言葉のように解決されるのを見ることができます。これらの御言葉は、あなたの実際的な力なのです。もし悪魔たちが、ある状況についてあなたを心配させようと試みる状況であるならば、これらの御言葉を通して、あなたはその問題に直接対処できるでしょう。(詩編 55章22節) あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。このような御言葉を引いたのであれば、あなたはこう言うことができます。「私は心配しない。私は私の重荷を主にお任せする。なぜなら、主が私を助け、私が揺らぐことを許されないだろうから。」恐れに対して直接この御言葉を宣言し、その恐れが去るようにすることができます。
神の矯正(God’s Correction):あなたの内面のある問題を主が正される時、あるいは、ある状況を正しい方向に正しておられる時、これらの御言葉が与えられます。あるいは、ある状況を通して他の人を正しておられる時、その状況にあなたが関わる時も、この御言葉が与えられます。私はこれらの御言葉が好きです。なぜなら、状況を明確に認識させてくれるからです。特に、あなたが本当に困難な時期を過ごしている時に、この御言葉は素晴らしい光を放ちます。
一つの事例を挙げたいと思います。私たちはお葬式場に行ったのですが、お葬式を終えて夕食会に行く前に、ウォルマートに立ち寄って何かを買いたかったのです。それで、私たちはウォルマートに立ち寄ったのですが、その時、私の霊が何かを語っているのを感じました。「集まりにすぐに行くのがいい、今、買い物をするのは良くない。」私の考えはすぐに続きました。「いや、私には今、必要なものがある。ただ入ってそれを取って出てくれば終わりだ。」それで、私はウォルマートに入り、欲しいものを取って出てきました。そして、駐車場で自分の車をバックさせて出ようとしていた時、別の女性もバックで車を出していました。そして、私たちはお互いにぶつかって交通事故を起こしました。とても長い間、交通事故に遭っていなかったのですが、この事故が私の最初の事故となったのです。その女性が私の車に突っ込んできたのです。その女性はバックしていたので、注意して運転すべきでした。私たちの車は非常に大きな車だったので、私たちはとてもとても注意深く動かしてバックしていたのですが、彼女は私たちに激しくぶつかってきたのです。
長い話になりますが、簡潔にまとめると、その事件は私にとって、非常に苦痛な経験となりました。これは神様の矯正だったのです。この時、私は聖書の約束を開いたのですが、私が開いた箇所は「神の矯正」の部分でした。主の意志はこのようなものでした。「あなたはそのようにしてはならない。お葬式の夕食会にすぐに行って、人々を慰め、彼らのためにそこにいるべきだった。しかし、あなたは利己的な心で買い物に行ったのだ。」主はこのように何か重要なメッセージをお与えになります。これは神様を畏れることについて学ぶことです。主があなたを守る御手を退けられる時、何が起こるかを見せてくださるのです。あなたが御方に従順でない時に起こりうる恐れについて学ぶのです。主はあなたが最も第一に、そして最も優先的に、愛する心で従順であることを望んでおられます。もしあなたがそのように行動しない時、次善の策として、主は敬意と関する恐れを教える方法を用いることもおありです。全ては、あなたが従順であることを学ぶためです。そして、あなたが主を尊重するためです。聖なる尊重のためなのです。
嫉妬 (Envy): 私が人々を助ける時、人々のために祈る時、複雑な状況を解決しようと努力する時、私はこの御言葉を選んだことがあります。私の心の中に何らかの嫉妬が生じる時、このような妬みの心が働きます。しかも、夫と妻の間でもそうなのです。
永遠の命 (Eternal Life):非常に美しい御言葉です。しばしばこの御言葉は、携挙に関連する主の意志を示しておられます。私が本当に辛い一週間を過ごし、本当に困難な問題と格闘しながら、私が本当に耐えられるか分からない時、このような御言葉が与えられます。私がこれ以上立っている力もない時、主のもとに近づいてレーマの御言葉を求める時、このような御言葉が与えられるのです。私に思い出させてくださるのです。一瞬、瞬きをする瞬間に、私たちは永遠の世界へと引き上げられることを思い出させてくださるのです。主はこのようにおっしゃるのです。「耐え忍びなさい。その日が来ている。あなたたちがわたしと共に住むことになる、その日が来ている。今、あなたたちがどれほど辛いかを知っている。だが、今、経験している苦難は、将来、天国であなたたちが受けることになる栄光には、決して比較できない。」それで、私はこのような御言葉を携挙と関連付けて解釈します。
誰かが亡くなられた時も、この御言葉が与えられます。主は私にこのような観点をお与えになるのです。「その死を死としてだけ見るな。彼らはわたしのもとへ来るのであり、永遠の命へと入るのだ。」この事実に注目するならば、私たちは大きな慰めを受けるでしょう。このような慰めの御言葉が、この分類の題目の内には非常に多くあります。
信仰 (Faith):何かがうまく運ばない時、このように考えます。「なぜこの状況は解決しないのだろう?」あるいは、何らかの脅威的な状況に直面した時、例えば、家や重要な何かを失うかもしれない状況で、主へレーマの御言葉を求めるならば、私はこの信仰の御言葉を選ぶことになります。信仰を持って状況をはっきりと見て、その信仰の中で堅固で、主の内に堅固であれという意味なのです。
恐れ (Fear):恐れを抱くような状況で、そうする必要がないという主のこの御言葉は、非常に有益です。この題目に関連する御言葉は非常に多くあります。特に未来について考える時、非常に必要な御言葉です。非常に多くの場合、主はこのような御言葉によって、私を保護しておられるという事実を知らせてくださいます。私が好きな御言葉は、その方の翼で私たちを守るという御言葉です。詩編91編。この特別な歌は、私たちに対する神様の守りを宣言します。
このテーマの下には、恐れを引き起こす内容があるのではなく、非常に良い御言葉が満載です。
(マルコによる福音書 4章40節) イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
(イザヤ書 41章13節) わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う、恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。
(ルカによる福音書 12章32節) 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
この「恐れ」というテーマの下には、多くの御言葉があります。私も未来について考える時、これらの御言葉を非常に多く引き出しました。
(箴言 3章25~26節) 突然襲う恐怖、神に逆らう者を見舞う破滅に、おびえてはならない。主があなたの傍らにいまし、足が罠にかからないように守ってくださる。
主が私を保護しておられるという事実を私に教えてくださるために、主はこの御言葉を用いられます。
(ペトロの手紙一 3章12~13節) 主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」 もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
(イザヤ書 54章14節) あなたは恵みの業によって堅く立てられる。虐げる者から遠く離れよ、もはや恐れることはない。破壊する者から遠く離れよ、もはやそれがあなたに近づくことはない。
(イザヤ書 54章4節) 恐れるな、もはや恥を受けることはないから。うろたえるな、もはや辱められることはないから。
私はこの御言葉を特に好きです。
(詩編 91章4~6節) 神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。夜、脅かすものをも、昼、飛んで來る矢をも、恐れることはない。暗黒の中を行く疫病も、真昼に襲う病魔も
この御言葉は、神様の保護を願い求める時、私たちがよく使う御言葉でもあります。
食べるものと着るもの(Food and Clothing):一般的な意味はこうです。「食べ物と衣服を楽しみ、幸せを享受してほしい。しかし、決してこれらを追い求めてはならない。」私は個人的に過去にこれらを多く追い求めました。今私はこのYouTubeチャンネルに関すること以外、他のどんなことも顧みていません。主は私におっしゃいます。「わたしは食べるものと着るものの世話をするだろう、あなたの心は世のどんなものにも置いてはならない。」このような御言葉によって、主は私を導いておられます。
赦し(Forgiveness):この部分は別に説明するご必要はないようです。
(マタイによる福音書 6章14節) もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
しばらく別の話をすると、私はこの「聖書の約束」を、主のアドバイスを聞く手段として使っています。この本を開く時、左側は食べ物と着るもの(Food and Clothing)に属する面で、右側は赦し(Forgiveness)に属する面になることもあります。このような場合のために、私たちはその真ん中に空白の紙を入れておきます。そのため、どちらか一方に属しているかを明確にするためです。
果実、実りが多い(Fruitfulness):時々状況が非常に厳しくなる時があります。混乱がさらに深まることもあります。そのような時に私はこれらの御言葉を引きます。実を結ぶために、枝を刈り込んでおられるのだなと、私は考えます。状況が非常にストレスの多い状況である時、これらの御言葉は私に癒しを与えます。植えられた木に実が結ばれるという、美しい約束の御言葉なのですね。言い換えれば、私は今多くの実を結んでいる過程にいるのであり、ぶどう園の管理人の役割をよく果たしています。また、私は主から離れては何もできないという事実を、示しているものでもあります。
(ヨハネによる福音書 15章1~2節) 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
主が今枝を刈り込んでおられるため、少々不便ではありますが、この状況をよく理解し、受け入れて、あまりストレスを受けないでほしいという意味だと解釈します。結局この状況の結果として多くの実が刈り入れられるでしょうし、主がいらっしゃる時に、はるかに多くの実として現れるでしょう。
(詩編 1章3節) その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り來れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
なんて美しい御言葉でしょう!美しい約束です。
(詩編 92章14節) 白髪になってもなお実を結び、命に溢れ、いきいきとし
うーん、私は本当に太りたくはありません。しかし、豊かなのは良いことのようです。すでに私は十分に享受しているようです。(笑)
神の忠実さ(God’s Faithfulness):状況が本当に困難な時、例えば車が故障したのに修理するお金がない時、レーマの御言葉を求める時、これらの御言葉を得ることになります。つまり、主が修理なさるでしょうし、すでに修理なさったという事実を、知るようになさいます。
うわさ話、噂、噂話、おしゃべり、他人事の話(Gossip):おそらくこれらの御言葉は、あなたが選びたい御言葉ではないでしょう。私がこれらの御言葉を選んだ時は、私は震えます。「主よ、私が心の中で誰かを裁きましたか?私が誰かを裁くような言葉を言いましたか?私が誰かの悪口を言い、うわさを広めましたか?」
(箴言 16章28節) 暴言をはく者はいさかいを起こさせる。陰口は友情を裂く。
信じるか信じないかにかかわらず、良い友人関係を引き裂くような裁きと悪口の考えが私の心の中にある時、主はこの御言葉を選んで私に警告をくださいます。今敵が私の心の中で主の品性を歪める嘘をついている時も、このような御言葉を選んで知らせてくださいます。敵は私を神様から引き離そうと、このような嘘を私の心の中にまきます。「うーん、あの方はこんなことをしないだろう。あの方はまことではない。あの方は今、私に腹を立てているだろう。主は今、私と何も共にしようとしない。」このように主をけなす言葉が私の心の中に入ってきます。このようなことも悪口の一種なのですね。
私たちはこのような罠に非常によくかかるのですが、もしあなたが自己卑下を感じるようになるなら、あるいは神様があなたを愛していないと感じるなら、これがまさに偽りの霊、悪口の霊なのです。この霊はあなたを主から分離させるために、とてつもない努力を傾けます。これらに決して耳を傾けてはなりません。
(詩編 52章2節) お前の考えることは破滅をもたらす。舌は刃物のように鋭く、人を欺く。
(箴言 26章20~21節) 木がなければ火は消える。陰口を言う者が消えればいさかいは鎮まる。炎には炭、火には木、争いを燃え上がらせるのはいさかい好きな者。
(箴言 26章22節) 陰口は食べ物のように呑み込まれ、腹の隅々に下って行く。
うわさを広めるこのような告げ口屋の霊が消え去るなら、紛争は止むことになるのです。特に、ある働きをしていた人が、インターネットで聞いたこと、あるいは自分が考えたことによって、その働きをやめてしまう場合がありますが、これは本当に残念なことです。そのように悪口を言う人たちは、その働きの一部を担ったこともなく、教師としてその働き手の座に就いたこともない人たちです。彼らはただ聞いたことを話しているだけなのです。悪意のささやきに耳を傾け、それを受け入れて話しているのですね。そのような言葉について深く調査し、研究することもなく、ただ聞こえる話をそのまま受け入れて話しているのですね。そうして彼らはつまずきの石となるのです。全ての働きには、分け与えられる賜物があります。そして、どのような働きも完璧ではありません。全ての働きには、欠点があるものです。もしあなたがその欠点に集中するならば、他の善いものを見ることができなくなり、人々に分け与えられる賜物を見ることができなくなります。ずっとそのように悪口に耳を傾け、否定的なことに集中するならば、聖霊様が注いでくださっている賜物を逃すことになります。
悪口を言う言葉を聞き、深く調査することもなく、受け入れて広める告げ口屋は、結局罪となり、人々にとってはつまずきの石となるだけです。もし働き手であるあなたが、インターネットで広まるそのような噂を聞いて、それによって心を痛め、そのようなことを言った人たちは悪い人たちだと考え、自分の働きをやめることになるならば、これは神の国の観点から見ると、非常に残念なこととなるのです。何かの悪口や噂が聞こえたとき、あなたは怠惰だという言い訳で、その真相を確認しない場合があります。あなたはただその言葉を受け入れて、進んでいくのです。そうして、こう考えます。「あの人たちは本当に悪い。あのような者たちから、ただ遠ざかるのが良い。」これはまるで自分の義に陥った姿です。しかし、このような姿は非常に破壊的で、裁きがその中に満ちていて、結局人を躓かせる石となってしまいます。これは恐ろしいことです。なぜなら、世の中には非常に異なる種類の働きを必要とする場合が多いからです。このような働きを通じて、多くの人々が必要なものを供給されます。ところが、偽りの噂や悪口が広まり、その働きを担うべき働き手が、その働きを担えなくさせています。結局、この働きを通じて聖霊様がある人々へと供給なさろうとしている計画は、駄目になってしまいます。これは深刻で悲しいことです。悪口と噂は、あなたが避けるべき最悪のことの一つです。
私はある神父様に関する話を知っています。ある女性がその神父の元を訪れては、自分がその神父に対する悪口を広めたことについて告白しました。その神父はその話を聞いた後、その女性に、家に戻って羽が詰まった枕を開け、窓の外に羽をまき散らすように言いました。その女性は家に戻って枕カバーをナイフで切り裂き、上の階の窓の外へ行って、床にばらまきました。次の週に、その女性は告解をするために、その神父の元を訪れました。神父はこう言いました。
「私が前回申し上げたようにしましたか。」
「はい、枕を開けて二階の窓からまき散らしましたし、羽は四方八方に散らばりました。」
「よくできました。さあ、家に行ってその全ての羽を集めてください。」
悪口と噂は、これと同じです。間違った言葉が与えた傷を再び集めて、なかったことのようにすることは不可能です。主は、私たちが何気なく言う言葉に注意するようにとおっしゃいます。ですから、私はこのような御言葉を選ぶとき、震えます。なぜなら、私が悪口を言ったり、噂を広めたりしたならば、それは本当に深刻な罪だからです。
恵みの中での成長 (Growth in Grace): 難しいことに直面したとき、あるいは私が失敗し、主の許しを求める時、主に恵みと成長を求めるとき、これらの御言葉が与えられます。
(詩編 138章8節) 主はわたしのために、すべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの慈しみが、とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでください。
これらの約束は美しいです。
(フィリピの信徒への手紙 3章14節) 神がキリスト․イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
(ヘブライ人への手紙 13章22節) 兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。
非常に慰めとなり、この御言葉を通して神様はこうおっしゃいます。「そうだ、あなたが倒れたのを私は知っている。しかし、あなたは成長しているのだ。」
導き (Guidance): 主が私に語りかけておられるという事実を、私に語ってくださるとき、これはただ驚くばかりです。
(イザヤ書 30章21節) あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け、右に行け、左に行け」と。
これらの御言葉は非常に有用です。あなたがこのように尋ねるとき、なおさらそうです。「この声は主でしょうか。」「主よ、今あなたが私に語りかけておられるのでしょうか。」例えば、あなたが祈りの中にいるとき、あるいは礼拝の中にいるとき、突然、主があなたに語りかけておられるのを感じる時があります。そして、あなたはこの声が主から来ているのかどうかを確認したい時があります。まず、悪霊を縛り付ける祈りをします。そして、「聖書の約束」を開いて導きを求めます。これらの御言葉を選んだとき、なんと美しいことでしょう。主が今、私に語りかけておられるということを、再確認させてくださるのです。「今まさに、わたしが話しているのだ」と。
有罪、罪悪感(Guilt):この御言葉を選ぶ時も、私は震えます。私が犯した何かを、私がはっきりと見る必要がある時、主はこの御言葉をくださいます。あるいは、私たちが他の人や夫婦をカウンセリングする時、この御言葉を選ぶこともあります。告白すべき何かがあったり、その問題を真っすぐ見て直面する必要がある時に、このような御言葉を選びます。誰かが私たちを深く悔い改める心で訪れ、相談をする時に、このような御言葉を選んだ記憶はありません。このような御言葉は、ある問題を隠そうとする人々のために与えられ、そのような人々に主はこうおっしゃるのです。「これは罪だから、あなたが真っすぐ見るべき問題だ。」私は自分の問題に関しても、この御言葉を選んだことがあります。
逆境の中の助け(Help in Troubles):
(ナホム書1章7節)主は恵み深く、苦しみの日には砦となり、主に身を寄せる者を御心に留められる。
(詩編 37章24節) 人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。
(詩編 32章7節) あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって、わたしを囲んでくださる方。
これらの御言葉は、あなたに力を与えます。あなたの心がどん底にいる時、これらの御言葉は本当に美しいでしょう。私がエゼキエルを病院に連れて行かなければならなかった時、私たちは「聖書の約束」を通して主の意志を求め、助けを懇願しました。病院に行くことが必要かどうかを尋ねました。私たちは「聖霊」と「逆境の中の助け」の御言葉を選びました。それで私たちは病院に行き、緊急手術を受けました。
(詩編 73章26節) わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが、神はとこしえにわたしの心の岩、わたしに与えられた分。
(詩編 34章19節) 主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出し
次の御言葉を選んだ時、私は分かりました。私に罪があっても、まだ主の慈悲があることをおっしゃっているのだと気づきました。
(哀歌 3章31~33節) 主は、決して、あなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない。
同じページにこの御言葉もありました。
(ミカ書 7章8~9節) わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても、主こそわが光。わたしは主に罪を犯したので、主の怒りを負わねばならない、ついに、主がわたしの訴えを取り上げ、わたしの求めを実現されるまで。主はわたしを光に導かれ、わたしは主の恵みの御業を見る。
聖霊(Holy Spirit):これは私の好きなテーマです。本ではこのテーマで4ページあります。
(エゼキエル書 36章27節) また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。
私がこのページを開く時は、私が今、主の御声を聞いているという事実を、再確認させてくださる時に開くのです。あなたが聞いている声が主であるかどうかを確認するために選んだ御言葉が、聖霊というタイトルの下にある御言葉であるならば、それはあなたが聞ける、最も最高の答えを得たことになります。
(ヨハネの手紙一 2章27節) しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。
私がこのチャネルで皆さんのためにしようとしているのも、まさにこのことです。皆さん自身が主と対話し、どの教師も必要としないところまで達するように、ただ聖霊様のみを完全に頼れる、その時点に達するように、私は助けたいと思います。
(ヨハネによる福音書 16章13節) しかし、その方、すなわち、真理の霊が來ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
(ローマの信徒への手紙 8章27節) 人の心を見抜く方は、霊の思いが何であるかを知っておられます。霊は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
希望(Hope):状況が非常に暗く、つらい時、私はこのメッセージを選ぶことになります。私が完全に消耗した時、多く選んだ気がします。まるで主がこうおっしゃっているようです。「あなたのために用意された希望がある。希望は必ずあるだろう。」
(ペトロの手紙一 1章13節) だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス․キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
(ヨハネの手紙一 3章3節) 御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。
(箴言 14章32節) 神に逆らう者は災いのときに退けられる。神に従う人は死のときにも避けどころを得る。
(コロサイの信徒への手紙 1章5節) それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。
(コロサイの信徒への手紙 1章27節) この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。
私たちの心と頭の中で希望を捨てず、諦めないようにとおっしゃっているのですね。
ホスピタリティ、おもてなし(Hospitality):私がこの御言葉を選ぶ時は大抵、誰かの世話をして、食べさせ、服を着せて、彼らの必要をどうにか満たすことに関するものでした。
(ペトロの手紙一 4章9節) 不平を言わずにもてなし合いなさい。
一度は、私たちの賜物を使うことに関してもこの御言葉を選んだことがあります。音楽の賜物、財物を使い贈り物を準備すること、執筆の賜物を活用する、という意味でした。
(ペトロの手紙一 4章10節) あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
肉体の労働を通して慈悲を実践する、おもてなしについて、私は好きです。誰かに必要なものを買ってあげること、フードボックスを届けてあげること、老人が店に行くのを見たときに、その方を車に乗せ、一緒に店に行って買い物を手伝うこと。これがおもてなしですね。ある時は、主がある人を私たちの前にお連れになることもあります。
謙虚、謙り(Humility):私はこの御言葉をよく選びます。なぜなら、私の内には高慢が多くあるからです。だから、主は私にお教えになっています。
(マタイによる福音書 18章4節) 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
(マタイによる福音書 23章12節) だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。
これらの御言葉を選ぶとき、私の心はいつも沈みます。主がおっしゃるように、「あなたの高慢が再び動いている。その高慢が問題を起こしているのだ。」と聞くように、私の心は沈みます。これはとても苦痛です。しかし、私は自分の高慢がいつ頭をもたげるのかを知りたいです。それで、私は主にこのように、お願いするのです。「主よ、いつ私が高慢に陥るのかを分別できるよう助けてください。」
(ペトロの手紙一 5章6節) だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。
怠惰(Laziness):熱心になってほしい!心がインターネットサーフィンをして散漫になっているとき、誰かが預言的な出来事について話したことに本当に興味を惹かれるとき、どんなものでも目を奪われるとき、皆さんはこのような状況をご理解になるでしょう。このようなとき、私は行きたいページに行ったり聞いたりもします。しかし、このようなことに関して主の心をお伺いするとき、これらの御言葉を選ぶこともあります。
(箴言 5章15節) あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。
これは非常に重要な教えです。他の声に耳を傾けないでほしい、ということですね。あなたは主と直接関係を結んでいるので、ただその主があなたにおっしゃることに焦点を合わせる必要があります。
(箴言 24章30~31節) 怠け者の畑の傍らを、意志の弱い者のぶどう畑の傍らを、通ってみた。見よ、いらくさが一面に茂り、あざみが覆い尽くし、石垣は崩れていた。
(箴言 20章13節) 眠りを愛するな、貧しくならぬために。目を見開いていれば、パンに飽き足りる。
(箴言 15章19節) 怠け者の道は茨にふさがれる。正しい人の道は開かれている。
結局、怠惰の問題なのですね。私たちもこれらの御言葉を通して、主に向かって継続的に熱心にならなければならないことについて、導かれています。
寂しさ、孤独(Loneliness):私はこの御言葉を選ぶとき、幸せです。このテーマのメッセージは、ほとんどがこのような意味だからです。
(ヨハネによる福音書 14章18節) わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って來る。
私たちが主に向かって叫ぶなら、主はお答えになるという御言葉でもあります。私たちが泣くのを、主はご覧になっていらっしゃるのですね。
(イザヤ書 43章4~5節) わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。恐れるな、わたしはあなたと共にいる。わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り、西からあなたを集める。
25年前に私はこの御言葉を選びました。その時、私は今住んでいるここニューメキシコ北部の地域にいました。その後に、主は私たちをニューメキシコの外へお送りになりました。私は、主が私たちにくださった「この地へ再び戻って来させるだろう」という御言葉を覚えていました。私たちは当時、引っ越しに関して主の御心をお伺いし、この御言葉を得ました。それで当時、私たちは将来いつか、再びここへ戻ってくるだろうという事実を知りました。このような御言葉が、このような形で私の心に深く刻まれています。
長生き(Long Life):このテーマは、慎重さと正しいことを教えることと関連があります。
(箴言 20章29節) 力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳。
(ヨブ記 12章13節) 神と共に知恵と力はあり、神と共に思慮分別もある。
(詩編 71章17~18節) 神よ、わたしの若いときから、あなた御自身が常に教えてくださるので、今に至るまでわたしは、驚くべき御業を語り伝えて來ました。わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を、來るべき世代に語り伝えさせてください。
(詩編 39章4節) 「教えてください、主よ、わたしの行く末を、わたしの生涯はどれ程のものか、いかにわたしがはかないものか、悟るように。」
美しい御言葉です。教えと主の道の上で歩むことと、主の知恵を用いることに関する御言葉です。
兄弟愛、隣人愛(Brotherly Love):混同することのない明確な意味です。私は私の夫に関しても、この御言葉を選ぶこともあります。私が少し忙しいと考えて、自分の時間を守ろうとするとき、あるいは少し利己的になるとき、主は私に兄弟愛に関する御言葉をくださいます。もしエゼキエルが私にこう言うなら、「ねえ、今夜、聖なる映画を一本見ない?」と。ところが、映画を見ることは今日私がしたいことではないとき、もし主がこの御言葉をくださるなら、私は自分の計画がどのようなものであれ関係なくその計画を手放し、エゼキエルと共に映画を見るでしょう。これは重要なことです。なぜなら、兄弟愛に多くのことがかかっているからです。
神の愛(God’s Love):
(ヨハネによる福音書 3章16節) 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
(イザヤ書 62章5節) 若者がおとめをめとるように、あなたを再建される方があなたをめとり、花婿が花嫁を喜びとするように、あなたの神はあなたを喜びとされる。
とても美しい御言葉です。この御言葉は、特にエゼキエルが好んでいます。何かについて尋ねる時、それはOKサインのような答えでもあります。
私たちは、このように尋ねます。「主よ、私たちが美しいタオス渓谷やスキーバレーに行きたいのですが、行って散歩を少ししてきてもよろしいでしょうか。」そして、私たちは主の意志を求めてみます。これらの御言葉を引くと、主の意志も私たちの心と同じであるということを、主がお示しになるのです。これは、私たちが主の時間を無駄にしているのではないということであり、私たちの計画について、主が許可してくださり、私たちが行く道と時間を祝福してくださるという意味として受け取ります。
欲望(Lust):これらの御言葉を引くと、心が苦しくなります。これらの御言葉は、私たちに性的な何かを告げているのではありません。私たちが何かについて過度な欲望を抱いている時を指します。
(ヤコブの手紙 4章7節) だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。
(ペトロの手紙一 2章11節) 愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
私の場合は、食べ物と関連して、これらの御言葉をしばしば引くことがあります。クリームチーズのチョコレートケーキ。ベン&ジェリーのアイスクリーム。もし私が、お店に行くべきかどうかを主に尋ねてみて、『欲望』の御言葉を引くことになれば、私はこのようにします。「忘れてしまおう。私は行かない。」私たちは、互いに異なるものに対する欲求を抱くことがあります。あなたは自動車に対する欲求を抱くことができ、ある人は場所に対する欲求を抱くことができます。ただ、そのように欲求に溺れる傾向がありますね。そして、それらがあなたの人生を占領します。これは、あなたにもはや考える余地も与えず、神様の意志に対して盲目な者にしてしまいます。この欲求は、あなたがそれを手に入れるまで、あなたを完全に捉えてしまいます。これは事実です、皆さん。もしあなたがそのような境遇にいるなら、祈らなければなりません。まずかたきを縛り付ける祈りをして、あなたの弱点を主に告白します。そして、主があなたを保護してくださるように懇願します。これは非常に重要なことです。
もし皆さんが、非常に強いホルモンを抱えていらっしゃるなら、私の言葉を容易に理解できるでしょう。
(ユダの手紙 1章18~21節) 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」 この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス․キリストの憐れみを待ち望みなさい。
(ガラテヤの信徒への手紙 5章16節) わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
私がお店にいる時、アイスクリーム売り場の通路を通り過ぎる時に、私はアイスクリームの誘惑を受けます。しかし、主の御言葉が与えられた状態であるため、私はただ通り過ぎるでしょう。
(ローマの信徒への手紙 13章14節) 欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。
私が本当にアイスクリームを必要とする状況ではないなら、それを避けるでしょう。時々、血糖値が下がる時があります。皆さんも、そのようなことを感じますか。何かの出来事が起きた時、その出来事が多くのストレスを与えるものなら、あなたの血糖値が急速に低下し、甘い何かを求めるようになりますね。しかし私は、自分の手にこのような甘いものを持ち歩きません。なぜなら、それは欲求を刺激する誘惑だからです。
嘘(Lying):この御言葉を、私はよく引きます。偽りの霊が私に会話を試みる時、分別のため御言葉を引くと、この御言葉を引くことになります。主を見上げながら、皆さんのためのメッセージを聞く準備をし、メッセージを書き留める時、私は誤った出発をすることがあります。私は「聖書の約束」を利用しなければなりません。まず、かたきを縛り付ける祈りをします。「イエス・キリストの御名によって、偽りの霊がこの書に忍び込めないよう縛り付ける。私は、ただ聖霊様から知恵の御言葉を得るであろう。」そして、このように祈ります。「聖霊様、私に現してください。聞こえるこの声は、あなたが御言葉を語っていらっしゃるのですか。」その後、「聖書の約束」の御言葉を引いたのに、「嘘」を引くことになれば、その声が偽りの霊であるということを確認することになるのです。
あなたが一旦、霊の声を聞く方法について学ぶことになれば、あなたは、自分が聞きたくないあらゆる声を聞くことができます。まるで現実世界で聞こえる、ありふれた声のようにですね。調和の取れた断片的な声、ラジオから聞こえる音、あるいは背景で聞こえる人の声といったものを、現実で聞きます。この中には善いものもあれば、そうでないものもありますね。私たちは、善いものと善くないもの両方を聞くことになります。霊の世界で聞こえる声も、これと同じです。自分の声ではない、他の場所から聞こえる声を聞くことになります。あなたが聞きたくなくても、聞こえてきますね。だから、注意深く分別することが非常に重要です。私たちが聞いたメッセージの中で、『聖書の約束』を使って分別せず、このチャンネルに上げたメッセージはありません。私とエゼキエルが、常に分別を先に行います。なぜなら、私たちは皆さんを欺いたり、イエス様から来ていないメッセージを、イエス様の御名によって伝えることを望んでいないからです。だから、私たちにとっても「嘘」は非常に重要なテーマです。
(申命記 19章16節) 不法な証人が立って、相手の不正を証言するときは、
(申命記 19章18~19節) 裁判人は詳しく調査し、もしその証人が偽証人であり、同胞に対して偽証したということになれば、 彼が同胞に対してたくらんだ事を彼自身に報い、あなたの中から悪を取り除かねばならない。
もしこの御言葉を選んだのなら、警告音が鳴るのと同じです。この声は、主ではないという警告音なのです。あるいは、あの人が今、真実を話しているのではない。あるいは、あなたが全てのことに正直なのかと聞いているのと同じです。
結婚(Marriage):私がこの御言葉を選ぶ時は、私の夫の言葉を聞くことに関する場合です。主が私に何とおっしゃっているのかよく分からない時、私は夫にお願いします。その時、もし「結婚」を選べば、聖霊様が夫を通して答えをくださるということを悟ることになります。私たちがすべきことは、祈ることだけです。主に分別できるよう助けてほしいと懇願し、私に必要な聖霊様の知恵をくださるよう祈ることなのです。私はかなり多くの時間をかけて、「聖書の約束」を使って、御声を分別し、主の御心を分別する方法について分かち合っています。なぜなら、皆さんそれぞれが、どのように互いに異なる「聖書の約束」の御言葉を使って、皆さんの状況に合わせて適用できるか助けるためなのです。
例えば、(箴言 5章15節) あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。この御言葉について例を挙げてみましょう。もしあなたが、ある預言者の説教があって、そこに行くべきかどうかの決断をしなければならない状況で、結婚のタイトルの下にあるこの御言葉を選んだと考えてみましょう。あなたは少し戸惑うかもしれません。「これはどういう意味だろう?なぜ急に結婚関連の御言葉なんだろう?」皆さんがシングルであるかもしれないし、結婚している人かもしれないが、この御言葉は皆さんの夫に関係する意味を示しておられるわけではないのですね。皆さんは混乱に陥るかもしれません。「一体これはどういう意味だろう?」もう少し詳しくその御言葉を見てみると、(箴言 5章15節) あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。今、あなたが尋ねた状況について、主がくださるレーマの御言葉が正しいのです。あなたが必要としているものをあなたは手にしているのです。皆さんはその集会に行って、他の人が話す預言を聞く必要がないのです。「あなたは自分の井戸の水を飲みなさい。」あなたは直接主から聞く必要があると、おっしゃっているのです。私たちもこれと同じ状況で同じメッセージを受け取ったことがありました。エゼキエルも私もそうしたことがありました。
しかし、この主題の御言葉は、「あなたの配偶者と時間を過ごしなさい」という意味をくださる時もあります。私にもそのようなことが何度も有りました。夫が私に言わずにインテリアを直す仕事をしていた時、彼は怪我をし、私は彼をその仕事から引き離さなければならなかった場合と同じです。その時、主の御心を求めた時、「結婚」関連のメッセージを選ぶことになりました。私が夫に起こっていることについて、もう少し気を配る必要があるということを、主がおっしゃってくださっていたのです。
(エフェソの信徒への手紙 5章22節) 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。
私たちはこの御言葉が嫌いですか?(笑)ああ、私はこの御言葉を愛しています。この御言葉は一緒にあるのですね。
(エフェソの信徒への手紙 5章25節) 夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
そうです。私はこの御言葉の方が好きですね!
(エフェソの信徒への手紙 5章28節) そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。
エゼキエルは良い夫です。この御言葉のようにする夫ですね。
(コロサイの信徒への手紙 3章19節) 夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。
(ペトロの手紙一 3章7節) 同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。
私たちの祈りは、私たちが配偶者をどう扱うかによって、妨げられることがあります。実は、この部分は最近、主が私を正しく歩ませてくださった部分でもあります。気温が上がってくるにつれて、私は忍耐力がなくなり、不満が生じました。そして、エゼキエルに対して接する時も、優しく接する普段の姿がなくなりました。主は私にこうおっしゃいました。「このような態度は私を喜ばせるものではない。私はあなたの中に生きているのだからだ。あなたが夫を尊ばないのなら、あなたは私を尊んでいないのだ。」私は悔い改めました。このことは最近起こったことです。
結婚生活で、私たちは配偶者を考える時、ただ与えられたものだと考える傾向があります。しかし、あなたがシングルだった時を回想してみてください。その時、あなたはソウルメイト、すなわち配偶者を探していて、あなたは孤独だったでしょう。このような回想が、現在自分の隣にいる配偶者に対して感謝を感じられるよう、助けとなるでしょう。ただ与えられたものだと考えるのは、私たちの結婚に忍び込んでくる小さな狐と同じです。忍び込んできて、ブドウ園を破壊するように行動します。そのような陰口、そのような不満が小さな狐なのです。窓の戦争。私は少し暖かくしたいのに、夫は涼しくしたい状態。私たちはこのようなことを窓の戦争と言いますね。レコーディングスタジオから出て窓際に行けば、気分が良いです。開いた窓から風がそっと入ってきて、外の空気の匂いを嗅ぐ時、本当に良いですね。その時、夫が来てその窓を閉めます。すると私は彼が再び別の場所に行く時を待ってから、再び窓を開けます。私がキッチンに行ってキッチンの窓を開けました。何かを取りにどこかへ行った後、再びキッチンに入ったら、キッチンの窓が閉まっているのを見ます。(笑)窓の戦争なのですね。
このようなことは、あなたの神経を刺激し、あなたを疲れさせてしまうことがあります。おおらかさと愛の心は消え、互いにいらいらし始めることになります。愛は多くの過ちを覆うという御言葉は真理です。だから、私たちは互いに愛をもって、おおらかに接する必要があります。「聖書の約束」からわたしが「結婚」や「兄弟愛」を引くことになると、わたしはこう考え始めます。「わたしは今、これのためにもっと祈る必要がある。これが何を意味するのか、もっと詳しく知る必要があるのだ。」実際に、わたしの夫がもっとわたしの関心を必要としている場合なのです。
温柔、穏やかさ(Meekness):本当に美しい御言葉です。わたしはこのテーマの御言葉が好きです。わたしの高慢が再び頭をもたげ始めるとき、主はわたしにこの御言葉をくださいます。
慈悲(Mercy):慈悲については、わたしの好きな御言葉が多くあります。なぜなら、その意味が「わたしはあなたを赦した。わたしはあなたにわたしの慈悲を示すだろう。」だからです。そして実際に、その慈悲を受けることになります。わたしはこの御言葉をイエローストーンに関連して受けたことがあります。「Supervolcano」イエローストーンに関連する映画を、見たことがあります。その映画では、アメリカ全体がその火山噴火によって破壊される様子が描かれていました。わたしは主のもとへ行き、こう尋ねました。「主よ、このようなことが本当に起こるのですか?」そのとき、わたしは「慈悲」の御言葉を引きました。主はそのようなことをお許しにならないという御言葉をくださったのです。主はこの問題について後で再び言及なさったことがあります。イエローストーンに関連して、どのようなことが起こるのかについて、わたしにメッセージをくださり、皆さんと分かち合うようにと、なさったのです。主がイエローストーンのマグマをどのように扱われるかについてのメッセージでした。イエローストーンの火山が噴火し、マグマが流れ出す状況はあるでしょうが、大爆発のような程度ではないだろうというものでした。多くの亀裂があるため、溶岩はある程度流れ出るだろうというものでした。そのとき、主がわたしにくださった御言葉が、「慈悲」でした。
お金(Money):わたしがあまり好きではないテーマの御言葉ですね。
(箴言 23章4~5節) 富を得ようとして勞するな、分別をもって、やめておくがよい。目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に飛び去る。
(テモテへの手紙一 6章17~19節) この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて樂しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未來に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。
(マタイによる福音書 6章19節) 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
お金関連の御言葉は難しいものです。わたしがお店で何かを買う必要があるときに、例えば、「主よ、わたしはプリンターのインクを買うことができますか?」そのとき、わたしたちはインクを買うお金がありませんでした。そのとき、わたしがこれらの御言葉を引くと、これは「今はそれなしで過ごすことができるだろう」という意味です。もしあなたが「お金」関連の御言葉を引くと、それを買いに行ってはいけない、という意味です。今持っているものに満足しなさい、という意味です。これ以上探し回ってはいけない、という意味です。これ以上それに心を向けてはいけない、という意味です。それは罠なのです。
(エゼキエル書 7章19節) 彼らは銀を外に投げ捨て、金は汚れたものとなる。主の怒りの日には、銀も金も、彼らを救うことができないからだ。銀も金も、彼らの飢えを鎮めることができず、腹を満たすこともできない。かえって、それは彼らをつまずかせ罪を犯させた。
お金関連の御言葉は、皆さんに与える深刻な警告です。皆さんがお金関連の御言葉を引くと、あなたの動機と必要性について何度も確認しなければならない、深刻な警告なのです。
従順(Obedience):(申命記 30章15節) 見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。わたしがこの御言葉を引くときは、大抵、わたしがしなければならないことの再確認としてくださるのです。つまり、「わたしはあなたにこのようなことをしなさいと語った。どうか、従順でいてほしい。」従順は非常に重要です。もしあなたが従順の御言葉を引くと、主があなたの関心を引き寄せ、過去にあなたに語られたことについて従順であるようにと、おっしゃっているのです。重ねて強調しますが、従順の御言葉と従順はあまりにも重要です。
親の義務(Parents’ Duties):わたしがこの御言葉を引くと、わたしはこの御言葉を「教え」に関するものだと見なします。なぜなら、わたしの子供たちはわたしと共にいないからです。
(詩編 78章4節) 子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう、主への賛美、主の御力を、主が成し遂げられた驚くべき御業を。
私たちが病気のときも、この御言葉を引きます。「なぜわたしは病気なのですか?主よ、なぜわたしにこの病をお許しになったのですか?何かの罰ですか?」そのとき、もしこの御言葉を引くと、これはシモンの十字架を意味するということを、わたしたちは知ることになります。主のために私たちが共に負う苦難、人々に福音を伝えるために負う苦難、人々の心が柔らかくなるようにわたしが受ける苦難を意味します。「親の義務」関連の御言葉は、わたしたちにとって本当に良いものです。今置かれた状況がどのようなものなのかについて、よく説明してくれる御言葉なのです。
あなたが誰かを教えなければならない状況なのにそれをしないでいるときにも、これらの御言葉を通して、主は皆さんの心を目覚めさせてくださいます。あなたの子供に何かを教えたり、何かを正さなければならない状況、あるいは、あなたが誰かのために何らかの方法で何かを供給しなければならない状況のときに、聖霊様はあなたの脇腹を突きながら、「親の義務」と関連する御言葉をくださったりもします。
忍耐(Patience):美しい御言葉です。このような意味を私たちにくださいます。「そうだ。わたしはそれをあなたたちに与える。しかし、あなたは待たねばならない。」わたしは主に、このような意味でこの御言葉を受け取ります。あなたはそれを手に入れられないだろうという御言葉を聞くよりも、はるかに良い御言葉です。忍耐は美しいものです。
(ヤコブの手紙 1章2~3節) わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。
平和、やすらぎ、和平(Peace):この御言葉を引くと、あまりにも美しい主の御心がその中にあります。あなたが葛藤の中にいるとき、あなたは一方にも他方にも引き寄せられ、このようにするのが良いのか、あのようにするのが良いのか分別できないとき、主は「平和」に関する御言葉をくださいます。主は、このように仰せられます。「わたしの内にあって静まり、憩いなさい。平安を得なさい。あなたはできることをしたのだ。」まことに心を落ち着かせ、確信を持たせる御言葉です。
貧困(Poverty):この御言葉を引くと、主は私たちにこのように仰せられます。「あなたにはそれが必要ない。」皆さんがこれらの御言葉を引いたときに、その状況に適切なのかわたしにはよく分かりませんが、わたしがこの御言葉を引くとき、主の御心は大抵こうでした。「シンプルに過ごしなさい。何かをさらに追い求めて満足の果てを見ようとしてはならない。」
お祈り(Prayer):祈りの場所へ招待なさる主の御心です。していたことを止め、最大限に迅速に祈りに入らなければなりません。
慢心、高慢(Pride):この御言葉は恐ろしいものです。この世で最も最悪なもののようです。わたしが引く御言葉の中でも、この御言葉を引くことになると、それはわたしにとって最悪なことと同じです。
(箴言 26章12節) 自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる。
(ヨブ記 40章12節) すべて驕り高ぶる者を見れば、これを挫き、神に逆らう者を打ち倒し
(箴言 8章13節) 主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道、暴言をはく口を、わたしは憎む。
(イザヤ書 5章21節) 災いだ、自分の目には知者であり、うぬぼれて、賢いと思う者は。
もし主がわたしにこの御言葉をくださると、わたしは打ちひしがれて、気後れします。わたしが自分の境界を越えてしまったことを知っています。神様とわたしが争っているのです。そのような状態では、神様の知恵と教えをわたしは受けることができません。わたしが自分を高めて、自分の力と自分の知恵で神様と張り合っているのです。これらの御言葉は、わたしにとって悔い改めの御言葉と同じです。
閉じ込められた者(Prisoners):これはシモンがイエス様の十字架を負う状況と関連しています。私たちがこの御言葉を引くと、それは私たちが魂を救うために、断食と節制の献げ物を主にお献げし、労苦していることを意味します。なぜなら、主は捕らわれている者たちを自由にしていらっしゃるからです。
(イザヤ書 49章25節) 主はこう言われる。捕らわれ人が勇士から取り返され、とりこが暴君から救い出される。わたしが、あなたと争う者と争い、わたしが、あなたの子らを救う。
(詩編 107章14節) 闇と死の陰から彼らを導き出し、束縛するものを断ってくださった。
閉じ込められた者たちに関するメッセージは、救いに関するものです。それは、悪いものによって傷つけられた者たちを救い出し、義の国へ移す過程を言っています。
神の保護(God’s Protection):とても驚くべき御言葉です。「あなたは脅かされていることをわたしは知っている。そして、わたしの周りのすべての危険をわたしは知っている。それらがどれほど悪いか、わたしは知っている。しかし、わたしはあなたを保護している。」このような御言葉です。わたしが主の御声を聞くときに、この御声が主からのものであるのかを確認するときも、この御言葉をくださいます。ある時、エゼキエルが主にこのように尋ねました。「クレアの性格がこの聖書の約束のメッセージをあまりにも多く使用することを、わたしは少し懸念しています。」そして、聖書の約束を開いて主の御心を求めました。そのとき彼は「神の保護」の御言葉を引くことになりました。すなわち、神様がわたしを保護しておられるという事実を知らせてくださったのです。それで、エゼキエルが懸念していたことはわたしに起こらないだろうという事実を、エゼキエルは知ることになりました。これはわたしにも安心を与えました。なぜなら、わたしもエゼキエルの懸念のようにはなりたくないからです。
悔い改め(Repentance):悔い改めの御言葉は、まことに重要です。もしあなたが悔い改めの御言葉を引くと、あなたが犯した罪があり、あなたはそれを直視する必要があることを意味します。おそらく他の誰かが罪を犯した可能性もありますが、あなたが彼を助けて悔い改めることができるように助けるため、このような御言葉をくださることもあります。
義, 正義(Righteousness):これらの御言葉は、まことに美しいです。人々が互いに様々なことを言い合うとき、人々の間で告発と責めが荒々しく広がるようなとき、あなたはこの御言葉を引くことができます。主があなたと共におられるという御言葉をくださるのです。
(箴言 10章24節) 神に逆らう者は危惧する事に襲われる。神に従う人の願いはかなえられる。
(箴言 12章2節) 善人は主に喜び迎えられる。悪だくみをする者は罪ありとされる。
(詩編 84章11節) 主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え、良いものを拒もうとはなさいません。
救い(Salvation):「閉じ込められた者たち」の御言葉と同じく、魂の救いのための働きと関連しています。人々を生かす働きなのです。これもやはりシモンの十字架に関連した内容です。あなたがあなたの愛する人のために祈る状況、その魂の心の状態について主にお尋ねになるとき、この「救い」の御言葉を引くと、それは今、恵みが注がれていることの確認になります。そして、その魂を天国に連れてくるよう助けるだろうという主の御心を確認することなのです。
神を求める(Seeking God):すべてを置いて祈るようにと主が望まれるとき、わたしはこの御言葉を引くことになります。
(哀歌 3章25節) 主に望みをおき尋ね求める魂に、主は幸いをお与えになる。
(申命記 4章29節) しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。
(エズラ記 8章22節) 「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります」
美しい御言葉です。なぜなら、私たちをもっと深い祈りの場へと招いておられるのであり、祈りのためにもっと献身せよという御心だからです。
自分を捨てる(Self-Denial):「クレア、マグナムチョコバーを食べるな」(笑)。「マグナムチョコバーを通り過ぎろ」。このような意味です。私が陥りがちなことの一つです。エゼキエルと私が、映画を見ようと話した後、この御言葉を引くならば、私たちは今夜、映画を見ることができないということに気づくのです。「自分を捨てて、私の十字架に従いなさい。」私たちが必ず記憶すべき御言葉です。
自己義(Self-Righteousness):忌まわしいことに関する御言葉です。
(箴言 30章12~13節) 自分を清いものと見なし、自分の汚物を洗い落とさぬ世代 目つきは高慢で、まなざしの驕った世代
(箴言 12章15節) 無知な者は自分の道を正しいと見なす。知恵ある人は勧めに聞き従う。
もしあなたが、自分は罪がないと考えるか、自分自身を良いと思い始めるとき、これらの御言葉が与えられるのです。これは深刻な問題です。「自己義」の御言葉を引くと、私は自分が進んでいた道を止めて、このように考えます。「自分の考えは間違った道を進んでいたのだな」と。私は罪悪感を感じるのです。この時、自分の過ちを覆い隠そうとはしません。ただ認めるのです。
性的犯罪(Sexual Sins):この御言葉は、私に衝動的な行動あるいは強迫観念に関する事を、主がお知らせくださるときに引くことになります。
(コリントの信徒への手紙一 10章13節) あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
これらの御言葉は重要です。これらの御言葉は、働きとも関連しています。例えば、ある人が間違ったことを言ったとして、あなたがそれをとても悪いことだと考えるようになり、彼に忠告をしてそれを正さなければならないという考えが湧いたとしましょう。あなたの霊の中で、このような考えが湧くとともに、その考えを点検してみなさいと語りかけます。「このようにすることが、どのような善を生み出すのか私には分からない。」あるいは、「彼が私の言葉に耳を傾けないだろうし、これは時間とエネルギーの無駄になるだけだ」と。また別の考えが、このように聞こえるでしょう。「いや、この人は少し正される必要がある」と。このような場合、かたき縛り付け祈りを捧げた後、「聖書の約束」を開きます。そしてこの御言葉を開くのです。
(コリントの信徒への手紙一 10章13節) あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
このような時、この意味は、「彼が言った言葉に対して、そのように反応する必要はない」という意味です。ただ放っておきなさいという意味です。人は自分自身を保護するために、膝反射のように反応します。そのように相手に対して接することがよくあります。しかし、主はこのように仰います。「違う。その必要はない」と。
私は少し強迫観念の症状を持っています。それを刺激されると、本当に腹が立つことがあります。もし誰かが私の母性本能を本当に深刻に攻撃するような場合がそうです。その時、私はこのような考えを抱きます。「私はその言葉を言った人に行って、何か言わなければならない」。このような考えに囚われる時、かなり何度も主はこの御言葉をくださいました。「あなたたちが受けた試練は、だれもが受ける試練だ。」主もすべての面で試練をお受けになりました。私はその時になって初めて、そのような気持ちを手放すのです。そのような考えは、私が追いかけるべき考えではないのです。
「性的犯罪」に関連する御言葉のもう一つの意味は、「中毒」に関するものです。麻薬中毒、嘘の中毒、あらゆる種類の衝動、あらゆる種類の依存症行為がすべて「性的犯罪」の御言葉の下で扱われます。ポルノあるいはこれと類似するいかなるものも、すべて関連しています。私の場合は、十回中九回は、衝動的な行動と膝反射のような行動に関するものでした。
恥(Shame):タイトルが「恥」というテーマの下にありますが、美しい御言葉です。
(ローマの信徒への手紙 10章11節) 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
(ローマの信徒への手紙 5章5節) 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
(テモテへの手紙二 1章12節) そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。
病気(Sickness):私がこの御言葉を引く時は、衝動的な行動と関連していました。これを理解する必要があり、これをしなければならず、こうあるべきだ。このような必要性が人を駆り立てるのです。私はしばしば強迫的な衝動行動についてお話ししたことがあります。これが肉体的な病として現れることもあります。誰かのために主にお伺いした時、この御言葉が与えられ、その人のためにどのように祈るべきかを教えてくださいます。時には、この病は魂の病を指すこともあります。魂が傷つけられた状態、人生について適切な理解がない状態、人生の問題を適切に解決できない状態などです。このような場合について、主がお知らせくださる時、この御言葉を引くことになります。
罪から自由であること (Sin, Freedom from):私がこの御言葉を引く時、私はすぐに分かります。私が罪を犯したのだと。もし私がこのように考え、疑問に思う時があります。「私が、あちこちで何か、行き過ぎた行動をしたのでしょうか。」その時、この御言葉を引くと、私はすぐに分かるのです。「その通りです。私が行き過ぎた行動をしたのですね。」そして、私は悔い改めます。
罪からの救い (Sin, Redemption from):「罪から自由であること」と同じ意味です。この御言葉を通して、主は、私がつまづいたという事実を知らせてくださいます。
誹謗・中傷・侮辱 (Slander and Reproach):人々が、私たちに関して悪口やうわさを広める時、この御言葉を引くことになります。私たちの働きについて、偽りの預言者であると言い、私たちや、私たちが伝えたメッセージを貶めます。誹謗と中傷と侮辱を受ける状況なのです。主は、この御言葉をくださることで、私たちを祈りの場へ招き、赦すことができるようにしてくださいます。すると、私たちは祈り、彼らを赦します。
(マタイによる福音書 5章11~12節) わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
成功 (Success):美しい御言葉です。
(箴言 22章4節) 主を畏れて身を低くすれば、富も名誉も命も従って來る。
(箴言 8章18節) わたしのもとには富と名誉があり、すぐれた財産と慈善もある。
(コヘレトの言葉 5章19節) 彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから。
私たちにとって、これらの御言葉は本当に素晴らしい御言葉です。言い換えれば、私たちが労苦している事柄が、うまくいくということなのです。実を結ぶことになるという約束です。本当に素晴らしい御言葉です。「成功」の御言葉は、このような意味で与えられることもあります。「その状態を維持してほしい。成功するだろう。労苦し続けてほしい。定められた時に、実を結ぶだろう。あなたが行うすべてのことが、繁栄するだろう。」素晴らしい御言葉なのです。
信頼 (Trust):この御言葉は、それほど頻繁に引くことはないようです。しかし、これを引いた時、私たちは自分の中にあった恐れを振り払い、神様がその状況を対処されることを、信頼してほしいというメッセージとして受け取りました。神様は完璧に統治しておられます。
(詩編 84章11~12節) 主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え、良いものを拒もうとはなさいません。万軍の主よ、あなたに依り頼む人は、いかに幸いなことでしょう。
(詩編 37章3~5節) 主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
(箴言 3章5~6節) 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
(ペトロの手紙一 5章7節) 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
知恵 (Wisdom):この御言葉も、私たちはそれほど頻繁に引くことはないようです。この御言葉を引いた時、主は私たちに、主の知恵を求めてほしいとおっしゃるのです。それが私たちに必要な時だからです。
(ヤコブの手紙 1章5節) あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
神の御言葉 (Word of God):私が教える時、主のもとへ進んで、主の意志を求める時、しばしばこの御言葉を引くことになります。「主よ、このメッセージは、主がお伝えになっているメッセージなのでしょうか。」その時、この御言葉を引くことになると、私が準備していたメッセージが、主がお伝えになりたいメッセージであるという、美しい確認になるのです。
(ヨハネの黙示録 1章3節) この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。
(ヘブライ人への手紙 4章12節) というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。
(ヨハネによる福音書 5章39節) あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
仕事 (Work):忙しくなることについて、おとがめをくださる時、この御言葉を引くことになります。
(歴代誌下 15章7節) しかし、あなたたちは勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある。」
これらの御言葉は、読むと非常に心が奮い立ちます。
心配 (Worry):
(フィリピの信徒への手紙 4章6~7節) どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト․イエスによって守るでしょう。
(詩編 46章1~3節) 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない、地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。
本当に、主は嵐の中で私たちと共におられますね。山が海を揺らす時、主は私たちを救うためにいらっしゃるでしょう。
礼拝、賛美、熱烈な愛 (Worship):最後のテーマですね。私たちがこの御言葉を引くと、私たちは礼拝に行きます。この御言葉は、あまり頻繁には引かないのですが、その理由は、本の最も後ろにあるからなのだと思います。(笑)
すべての御言葉は、読むと徳になります。この「聖書の約束」を使って、毎日毎日、私たちにくださる主の意志を、確認することができます。
かなり長い内容になりました。しかし、わたしの霊のうちで、これらを分かち合うことについて、本当に多く感じられました。聖霊様は、私にこれらの内容を分かち合うことを望んでおられたのです。皆さんにも、この小さな本をとても身近な道具として使用していただきたいです。そして、この「聖書の約束」が、あなたの人生でどのような役割を果たすかを見守ってください。神様は、私たちとどのように働きかけておられるか、また、神様がこの小さな本をどのように使用されるか、ぜひ確認していただきたいです。
主の恵みが皆さんと共にありますように。皆さんに神様の知恵があり、その方の完全な意志を皆さんが理解できるよう、そして、私たち皆がその恵みに従順であるよう、お祈りいたします。アーメン。