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世の中の力

638. 私の召しを受けたか

私の召しを受けたか。

2016年8月22日

Heartdwellersの皆さん、主は皆さんと共におられることを、熱情的に望んでおられます。

今日、主は私をお叱りになりました。私はメッセージを伝えないようにしていましたが、主は私の夫エゼキエルを通して、私の決定を喜んでおられないことを知らせてくださいました。なので、私はここにいます。まだ少し心が痛みますが、従順する準備ができています。

「クレア、私に怒らないでほしい。私はあなたがもう少し一貫性を見せることを望む。なぜなら、私はこの魂たちを世話しなければならないのに、あなたが適切な時に私のメッセージを伝えることに依存しているからだ。」

「申し訳ありません、主よ。主が助けてくだされば、もっとうまくできると思います。」

「ありがとう。あなたがそう言うと思っていた。この魂たちの一部は、私の励ましの言葉一言に飢えている。ある者たちは、教会と教会の人々によってあまりにも傷つけられたので、私について諦めようとしている。彼らが愛されるように、私がここへ送ったのだ。」

「多くの者たちは後ろにとどまり、他の者たちがどのように扱われるか観察していて、彼らが心地よく感じるとき、前に出るのを待っている。あなたがこのチャンネルの皆のためにもっと忠実であることを願う。真に、あなたを通して私の声を聞くのを好む小さな群れをあなたは持っている。あなたを通して伝える私の言葉の力を過小評価しないでほしい。その力は、あなたが考えたり願ったりできることよりも、はるかに多くのことを成し遂げる。まさに、天国の実を結ばせるのだ。愛するクレアよ、天国の実が結ばれるのだ。」

この時、主は私たちの結婚指輪を触っておられました。

「おお、私の小さなクレア。あなたは全く知らない。今はそれがより良い方法なのだ、本当にそうなのだ。」

「今夜伝える言葉がある。私について真剣な全ての者たちに言いたいことがある。振り返らず、前に進んでほしい。私が前に言ったように、鋤を持って振り返る者は、私に従う資格がない。」

「全力を尽くすように言いたい。これは、あなたたち自身のためなのだ。この道は険しい上り坂なので、あなたたちは遅れをとるわけにはいかないだろう。Heartdwellersたちよ、私はあなたたちのための計画を持っている。計画がある。あなたたちの多くが、苦しんでいる人々を助けるための癒しの賜物や、その他の様々な賜物を切望している。私はこれらの賜物を与えるために、あなたたちを準備させている。」

「人々はよく、働きにおいて先頭に立つ者たちを見るのを好むが、彼らがどれほど多くのものを犠牲にしているかは、ほとんど気づかない。私に真に献身したあなたたちは、知ることになるだろう。クレアとエゼキエルは、私と共にこの位置にいるために多くの苦痛を経験した。その苦難の中でも彼らは成長し、私の王国でさらに仕えたいという熱望を持っている。」

「しかし、あなたたちに言わなければならないことがある。あなたたちが私に従おうとするなら、あなたたちの肉を殺さなければならないだろう。今夜のような日々があるだろう。クレアはただ眠りにつきたかった。エゼキエルは一日中とりなしの祈りの苦しみの中にいて、彼女は心配と祈りで疲れ果てていた。しかし、私は彼女を必要とし、私のメッセージを聞くために眠りを諦めなければならなかった。そして私は、彼女がここにいられるように従順できる恵みを与えた。」

「あなたたちがある魂を諦めたい時もあるだろう。しかし私は、あなたたちが平和を取り戻すためにさらに努力するよう要求するだろう。たとえあなたたちに落ち度がない時でさえ、そうするだろう。ある場合、私はあなたたちに、他の人々の非難と中傷を招きかねない行動をするよう要求する時があるだろう。あなたたちは彼らに対して面目を失い、友人や親戚を失うだろう。そのような時、あなたたちは彼らと私の間で選択しなければならないだろう。」

「叱責の時、矯正の時、さらには屈辱の時もあるだろう。あなたたちが私の言葉によって恥をかかされた時も、私のために進み続けるか。配偶者があなたたちのもとを去ると脅す時でさえも、私に従い続けるか。」

「私が何と言ったか。」

(ルカによる福音書 14章26~27節) もし、だれかがわたしのもとに來るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて來る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。

「クレアとエゼキエルの両者は、これが何を意味するのかを正確に知っている。彼らは、私に属することが何を意味するのかを理解していなかった配偶者と子供たちを失った。」

「私はあなたたちが性急な措置を取るよう提案しているのではない。しかし、そうなる可能性もあるということを警告したいのだ。そのような状況が来れば、その関係を維持し続けることができないということが、痛いほど明白になるだろう。それについて疑いの余地はないだろう。あなたたちの中には、配偶者から不当な迫害を受けながらもとどまり、彼らの頑なな心を献げ物として私に捧げるよう召された者もいる。この献げ物は、あなたたちに多くを要求するだろう。」

「あなたたちはこう尋ねるかもしれない。『この全てにおいて、喜びはどこにあるのか。』」

「答えは簡単だ。それは内なる喜びだ。私の命があなたたちを通して流れ、他の魂たちに生きて動き、息づかせる喜びがあるだろう。これは内的な命だ。海の表面は嵐と波が荒れ狂い、あなたたちをあちこちへと巻き込むだろうが、水面下の深いところでは、私たちが共に泳ぎ、喜びを感じるだろう。喜びと平安と、海の表面では楽しむことのできない深い幸福と満足があるだろう。これは隠された喜びだ。このようなことは一部の者にしか真には見えないだろうが、あなたたちが状況に対処する落ち着いた態度を通して、より明らかになるだろう。あなたたちの人生で唯一重要なことは、私に認められることだとあなたたちが知っているからこそ、このようなことが可能になるのだ。」

「このような生き方は、すべての人に当てはまるものではない。支払うべき代価を、よく考えなければならないだろう。しかし、あなたたちが初代教会の使徒たちの生き方を渇望するなら、彼らが私に仕えるために経験した苦痛と、諦めたものを考えなければならないだろう。」

「私がこの道へあなたを呼んでいるのか、どうすれば分かるだろうか。あなたはこの世のどんなものも、あなたを満足させることができないということを悟るだろう。あなたが私をどれほど多く持っていても、もし一歩引いているなら、あなたは幸せではないだろう。あなたは私をもっと、もっと、もっと欲するようになるだろう。ほとんどの者は、ここで止まるのだ。」

(ルカによる福音書 14章16~20節) そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。

「だから、彼らは自分の人生を切り売りしてしまうのだ。そして、もし最初に私が招いた時に、真心から私に従っていたなら、人生はどうだっただろうかと、いつも思いながら生きていく。」

「わあ。私もそうでした。私も主の最初の招きを逃しました。その後の2年間は、味気なく、機会を逃したという後悔でいっぱいでした。しかし、二度目の機会が来た時、ワウ!私の人生で、主をそれ以上に感じたことはありませんでした。」

「私の愛する者よ、あなたは祝福されている。誰もが二度目の機会を得るわけではない。しかし、私はあなたが幸せではないだろうこと、そして、あなたが私をさらに求めるようになることを知っていた。今このメッセージを聞いている者たちの一部は、自分が今あなたがいたのと同じ位置にいることを認識するだろう。あなたたちは、再び二度目の機会が来るのかと気にしている。それはあなたたちの心と決断にかかっている。しかし、これだけは言っておきたい。あまりにも長く先延ばしにするなら、決して二度目の機会は来ないだろう。」

「多くの者が、私に自分の人生の残りかす、すなわち残り物を与える。そうだ、私はそれを受け取るだろう。あなたたちが与えたいものであれば、私は何でも受け取るが、あなたたちがもっと若かった時にその決断をしたなら、もっと良かったのにと思うだろう。」

「あなたたちの中には、若くて活気に満ち、大学を卒業した後、高収入の職業を期待している者たちがいる。もし、あなたがそのような環境で生き残るなら、あなたは全く信仰のない者になるだろう。そのことを、今警告せずにはいられない。」

「一部は神学校を選び、牧師になるために勉強するが、高収入や保険といったものを念頭に置いているだろう。そのような者たちも、依然として世の中が考えるのと同じように考えているのだ。」

「私に従いたいなら、あなたたちは自分の心の流れに従ってほしい。私の使徒たちの中には、教育を受けた者はいなかった。私を裏切った一人を除いては。これは、あなたたちに何かを語りかけるだろう。福音書にあるすべてのことは、あなたたちが置かれている現在を表す比喩なのだ。私と最も良い関係を築いた者たちは、心が純真で情熱的だった。彼らは私と恋に落ち、私から与えられるものだけを望んだのだ。」

「ペトロは妻と子を、そして従業員もいる儲かる漁業を捨てた。マタイは、高位職への道が開かれており、収益性の高い役人の職に就いていた。ルカは医者であり、繁盛する医院、相当な収入、そして社会的地位と人望が約束された快適な人生を手にしていた。」

「これらの者たちは皆、良い暮らしが約束された地位を得るために、熱心に働いていた。しかし、彼らは価の高い真珠を見分け、世に背を向けて私に従ったのだ。」

「では、あなたたちはどうか。あなたたちは私をどう思うか。私の招きは、あなたたちにとって何を意味するのか。あなたたちの両親があなたたちのために大学教育を準備してくれたからといって、両親を失望させないようにしているのか。大学の講義を受けながら、時間を無駄にし、間違った方向に進んでいると感じないか。もしそうなら、その感覚は正しいのかもしれない。」

「では、私に従うために何をすべきか。金持ちの若い役人に私が言ったように、持っているものをすべて売り払い、貧しい人々に分け与え、それから私に従いなさい、と私が言ったならどう反応するか。私が最初からそう言ったとしたら、どうするか。あなたたちはどこへ行くべきか。私の霊が働く所へ、私の名によって奇跡が起こる所へ、福音を伝えるために命を懸けなければならない所ならどこへでも行ってほしい。あなたたちの心が導く所へ行ってほしい。なぜなら、私はあなたたちの心の中に宿り、その心の中からあなたたちに助言するからだ。私はあなたたちの心の中に、あなたたちのための私の願いを植え付けた。そしてそれが、実はあなたたち自身の願いなのだ。」

「そうだ、神学校を選ぶこともできる。しかし、あなたたちに問う。あなたたちはそこで何を学びたいのか。聖書のすべてと、教会の運営方法か。それとも、私の道か。人々の輪に入り、彼らの悲しみと成功に共感しなければ、私の道を学ぶことはできないだろう。魂たちの中で生き、彼らが直面する人生の様々な状況において、助け手である私だけを頼りとし、彼らを愛することを経験しなければ、私の愛の道を学ぶことはできないだろう。」

「分かるか。この招きは、この世の生き方を捨て、ただ私の声だけを頼りに、苦しむ人類という大海へ飛び込めという呼びかけなのだ。」

「何よりも、自分の心に従ってほしい。愛に従ってほしい。油注ぎに従って、外に出て学んでほしい。他の人々と共に働く方法を学び、矛盾した状況の中にあっても、私にだけ忠実であり続ける方法を学んでほしい。」

「そうだ、私はあなたたちと共にいるだろう。あなたたちがどれだけ犠牲にするかに応じて、その分だけ私はあなたたちと共にいる。私は決してあなたたちのそばを離れないし、あなたたちは私の道を直接学ぶだろう。唯一求めることは、私を愛し、あなたの兄弟を愛そうとする渇望だ。あなたたちはまだそのような心を持っていないかもしれないが、もしそれがあなたたちの心の中で熱く感じられるなら、私がまさにそれをあなたたちの心に置いたのであり、私がその意志を成し遂げるのだ。自分を捨て、あなたの十字架を負い、私に従ってほしい。」