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016. 不平を言う心の毒

不平を言う心の毒

2022年7月27日

イエス様、あなたの心に何があるのか、そして私たちがどのように助けることができるのか教えてください。

イエス様がおっしゃいました。 「私はこの共同体がどんな状況にあっても、引き続き感謝と礼拝で心がいっぱいになることを願う。 このためにあなたにその小さな歌をあげたのだ。」

愛する皆さん、その歌は明日アップロードしたいと思います。

「あなたたちみんな心の中で静かに不平を言う非常にきつい癖がある。 愛する子たちよ、どうかこのような習慣をなくすことを願う。 今はそうしなければならない時だ。 あなたたちの命を盗むこの習慣を克服するのに必要な恵みを私が送ってあげる。 あなたたちはあなたたちの舌と言葉の力を知らない。 言わずに心の考えだけでも発散する力も分からない。」

ちょっとここに加えたいことがありますが、私たちが与えられたことをうまく使いながら感謝する方法を学ぶまで、神様は私たちに新しい恵みを与えることを見送るということです。 神様は嬉しく自分のものを出してくれる者たちを愛し、そのような姿に神様の心が感動を受け、そのような人々が要求するものより、はるかに多くのことを許されます。

イエス様はまたおっしゃいました。 「あなたたちの言葉はあなたたちの態度から出る。 言葉は人生に対するあなたたちの価値観と観点を強化させる。 それでサタンはあなたたちを不平を言ってぶつぶつさせるために熱心に働いている。 駄々をこねる夫と結婚したいのか。 あなたたちの中には配偶者に対してしかめっ面をする状況に囲まれていることを認める人もいるだろう。 そのような姿が家庭の中でどのように希望、情熱、愛を枯渇させるのか知っているだろう。 そうだ、不平は結婚という美しい躍動性を消滅させ、あらゆる汚物で結婚生活を覆ってしまう。」

「結婚生活とは、あなたたちと配偶者、そして私が霊の中で一緒に暮らすことだ。 あなたたちが不平を言うことは何でも私があなたたちのために良いことを提供しなかったということを不平を言うことを意味する。 この事実を知らないのか。 すべての不平は私に反抗することだ。 なぜなら私はあなたたちの忍耐力を試すように、その状況を止めたり許容する力を持っているからだ。 あなたたちは心の中でこう言ったほうがいいだろう。 「主よ、暑さがひどいのに、この天気を通じて私に何の愛を積もうとしているんですか?」

「軍隊ではこのような話をしたりもする。 「道徳性が向上すれば殴打が止まる。」私はこの言葉が好きだ。」

「愛する者たちよ、あなたたちの誰もひどい環境で生き残れない。 それで、私があなたたちを色々な困難とテストで準備させなければならない。 だから簡単に諦めないでほしい。 ちなみに、この事は楽しいことではない。 しかし、私があなたたちをこのような道に導いたことに対して私に感謝することで、その状況を喜びとして受け入れることができる。 それとも不平を言い続けながら、私が許した道を離れて、前進を止めて、挑戦を止めることもできる。 これをしっかり覚えてほしい。 自分を犠牲にして捧げるもののうち、何一つも捨てられるものはない。 すべてが失われた魂のために使われる。 魂を準備させ、私を受け入れて救いを受けられるように使われる。 あなたたちが祈っているのか。 それなら、確かにあなたたちはその祈りをもっと強くしてくれる様々な苦労の状況に出会うことになるだろう。 だからこのようなテストがあなたたちに近づく時、あなたたちは天から得られる大きな報いを考えて喜ぶことを願う。」

「私の愛する者たちよ、私に叫べ。 私が役に立つだろう。 しかし、あなたたちの考えと言葉をうまくコントロールし、不平を言わないことを望む。 不平はあなたと私の働きをはるかに困難にするだけだ。 神の武具を身に着ける時、あなたの心と思いを保護してもらいたいと祈ってほしい。 よこしまな思いを心の中で持って遊ばないように、落胆させる悪魔がいるということを信じられるように祈ってほしい。 落胆させる悪魔たちは、あなたたちがよく我慢して喜んで自分を犠牲しようとする、あなたたちの決心を消滅させるため、すべての機会を求めてあなたたちのすべての善良な努力を無くそうとする存在だ。」

「私のこの言葉に従うことが容易ではないだろう。 しかし、自制心(セルフ・コントロール)の実は遠くまで及ぼす。 だから努力する価値が十分にある。 この国と世界のために、あなたの全ての努力、失敗、試練を私に捧げることを望む。 今この時期にはこのようなものがたくさん必要だからだ。」

「私はあなたたちが聖なることで育って、長く耐えられるように祝福する。 長く我慢しさと聖なることは天国で天の報いを受けられるようにすることだ。 善とか悪とか、私が承諾したすべてのものに対して感謝する姿をあなたが学んだために、天国で私と一緒にするその日にあなたたちは本当に幸せになるだろう。」

この最後の言葉をする時、私の心にはこのような聖書の教えを思い出しました。

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト․イエスに捕らえられているからです。 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト․イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。 いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。 兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。 彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス․キリストが救い主として來られるのを、わたしたちは待っています。 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」

フィリピの信徒への手紙3章12節から21節のことです。

愛する家族の皆様、神様の祝福が一緒にあることを願います。 私たちの心と考えと言葉の中であるすべての不平を殺すためにくださる神様の祝福を受け入れましょう。

アーメン。