078. 充実に集中
充実に集中
2022年12月6日
主よ、主が呼んだ姿のしもべになるように私たちに教えてください。 進む道で出会ういかなる困難の前でも、謙遜の道を歩み、信仰が丈夫になるように助けてください。 他人の面倒を見て仕えることで、主に忠実に仕えることができるように私たちを助けてください。 アーメン。
「主よ、私の心を主の心の近くに引っ張ってくださってありがとうございます。」
「あなたはいつでもこうできる。」
「ありがとうございます。しかし、主がこの祈りをとても特別で聖なることにして下さいます。」
「あなたが私に忠実に答えてくれる時、私の心は深い傷を負うように感動する。 あなたが私を渇望し、私もあなたをあれほど抱きしめたい時、他のすべてを差し置いて私を抱きしめるために走ってくること、それはとても素敵なことだ。」
「主よ、私もその時間が本当に素晴らしいと感じ、決してその臨在から出たくありませんでした。」
「私の大切な者よ、これがまさに黙想祈りの楽しさだ。 私はあなたがこの深くて深い場所で安息することを願う。 私はあなたにますます多くの天国の喜びを注いであげる。」
「主よ、私がどうやってこのような祈りについて新しく来る人々に紹介することができますか?」
「まず友達になってほしい。 そうすれば他のすべてが付いて来るだろう。 壁が崩れるのは友達という絆ができる時によく起こることだ。」
「私にそうする時間があるでしょうか?」
「時間を作って、ゆっくり進めてほしい。 人々はあなたからこれを必要とする。 クレア。まるで私があなたを必要としているように、彼らもそうだ。 あなたが他人のためにするすべてのことは、私のためにすることだ。 本当にこれは慈悲のことだ。」
「ほかにもっと話されたいことはありますか?」
「兄弟愛は家から始まる。 押される感じ、大切にされない感じ、友達のような関係を望んだが断られる感じがどうなのか、あなたは分かるだろう。 あなたはこのような感じを知っているので、あなたはとても努力し、最善を尽くして他の誰かがこのような気持ちを感じないように努力しなければならない。 あなたがしていることを止めて、時間を割いてくれるだけの十分な重要性を、その人が持っているという感じをあなたの行動を通じて示す努力が必要だ。 だから、自分が重要な存在ではないんだなという気持ちを感じさせないように、あなたはいつも努力する必要がある。」
「はい 分かりました。 イエス様 ありがとうございます。 その部分で私はあまりにもへたですね。」
「その部分をあなたの強みにし始めたらいい。 そのような瞬間が瞬間サクラメントになる。 あなたの人生で常にあなたより他人の優先順位を高く置くべきだ。 特に、この道に入ったばかりの人たち、そしてこの道を完全に理解していないような人たちに、なおさらそうしなければならない。」
「はい、分かりました。」
「私の愛よ、あなたが理解したと思う。 よく理解したと感じる。」
「はい 主よ、本当に愛しています。 私はあなたを幸せに、幸せに、幸せにしてあげたいです。」
「その感情は私もそうだ。 私たちはお互いに同じ気持ちだ。」
「主よ、何か分かち合いたいことはありますか?」
「忠実さ。私はすべての人が任された働きに忠実さに集中してほしい。 それは貧しい人々に食べさせるようなことだ。 貧しい人々が救済が来るのを待たせるのは私を喜ばせることではない。 彼らはすでにすべてのことでまついに置かれている。 貧困の果てに生きていくこと、必要なものが満たされずに、なしの状態で生きていくことは本当に落胆することだ。 私はあなたたちがそのような者たちの面倒を見て、あなたたち自身は後で面倒を見てほしい。 どうかこの事実を耳のある人たちに伝えてほしい。 あなたたちが私の貧しい人々を待たせるなら、私もあなたたちを待たせるだろう。 非常に簡単な事実だ。」
「他の人々の助けで生きる人々は食べ物、医薬品、物など必要なものがなく、常に絶望の果てに生きている。 必要なものや欲しいものは早く買って手に入れながら、そのような貧しい者を待たせるようなことはしないでほしい。 貧しい人々を助ける働きをしているうちに、私の腕は決して短くないということをあなたたちはいつも見つけるだろう。 摂理、すなわち神の意思の中で生きることは、そのように自由な価値観を持って生きることだ。 そして、もしあなたが他人に教えようとするなら、あなたは必ず正しい道を歩かなければならない。 決してあなたたちの助けを頼る人たちから奪ったりしてはならない。 時間が経てば、あなたは貧困に対する偉大な知恵を見つけるだろう。 貧しい人々を助けるこのような姿は、他の人々にも立派な手本になるだろう。」
「はい、分かりました。 主よ」
主は微笑みながら話し続けて下さいました。
「さあ、ここに来て頭を当てて休みなさい。 永遠に永遠にあなたの頭があるはずのここで休んでほしい。」
それが主のメッセージの終わりでした。
Heart Dwellersの皆さん、Jim兄弟から得た言葉ですが、神様が私たちをどのように見ているのか分かれる洞察力のある言葉を紹介したいです。 真珠が泥の中にあったり、きれいに磨かれていたりすることは重要ではありません。 それは依然として真珠であり、高い価値を持っています。 真珠は魂を象徴しますが、それが泥の中にいようが、ヴォーグ誌のカバーを飾っていようが、あなたは依然として主の目には真珠であり、途方もない価値があります。
私たちはこのようにお互いを見なければなりません。 すべての人々の真の価値を霊的な目で見れば、神の国の偉大な価値を持つ真珠と見ることになるでしょう。 アーメン!