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084. 天国でも祈り続けられるのか

天国でも祈り続けられるのか

2022年12月20日

Heart Dwellersの皆さん、主が皆さんを祝福します。

最近私は質問を受けましたが、雲のようにおびただしい天の証人の群れが今もこの地で住む私たちのために取りなし祈りをすることができるのかという質問でした。 「主よ、どうか私たちにこれについてはっきりと話してください。 なぜなら、ある人は天国にいる聖人たちがこの地にいる人たちのために祈ることができないと信じているからです。」

イエス様が話し始めました。 「天国は巨大な聖なることが存在するところだ。 その聖なることは天国を訪れるすべての人や天国に住むすべての人を変える。 そのような天国で祈りができなくなるということは完全に不可能なことだ。」

「うわー!完全に不可能ですか?」

「そうだ。天国にいる人が地球上に自分の家族や親戚を見ることが許される時、彼らの心臓は愛と心配で爆発しそうになる。 まさにその感情は父に直接伝わる祈りになる。 このような感情は、私たちが重要な単語、動機、願いのあらゆる形態とも異なるものだ。 胸が張り裂けるこのような感情は、深い懇願を込めていて、私たちは皆、それを聞いて、恩恵を広げて、その困難な状況に置かれた魂に伝わる。」

「クレア、私はかつてこの事実について話したことがある。 ため息、胸から出る深いため息、困難に直面した他の誰かに向けた真のため息は、あなたたちの心と唇からすぐに私の父に伝わる。 そのため息は本当に祈りである。 しばらくこれを考えてみてほしい。 あなたが貧しい者の泣き声を聞いたとしよう。 「主よ、私たちを助けてください。 私たちは本当に絶望的な状況の中にいます。」あなたに聞きたい。 一人の魂から出てくるこの泣き声を、どうして天国ですぐ聞けないと思うのか。 どうしてそんなことを聞けないと思うのか。」

「あなたはすでに答えを知っているはずだ。 しかし、この質問について考えている人のために、聖書に書かれた答えを探している人のために、もう一度この質問について説明したい。 あなたたちが私をあなたたちの主として、そして救い主として受け入れる時、あなたたちは霊的に新たに生まれるのだ。 そして私はあなたたちの中に入って住む。 ここまで聞き取れるか。」

「はい、主よ、私はその事実を信じています。」

「あなたは三位一体だということも知っている。 私は父と聖霊から決して離れることのできない存在だ。」

「『父よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか』と私が言ったとき、私は私の父の臨在を認識することから離れる存在になることについて話したのだ。 私の父は私を捨てることができない。 なぜなら、私たちは一つで同じだからだ。 私の愛よ、私があなたの中に住んでいるから、私の父も聖霊様もやはりあなたの中で一緒に住んでいるのだ。 私たちは決して分離されることはできない。」

「もしあなたがこの事実を深く黙想すれば、すでに答えに達しているだろう。 あなたたちが住んでいるこの地球という次元のために、本当に私たちが一つにつながっているという事実を認識するのに邪魔になるからだ。 あなたたちが私の胸に入ってくる時、あなたたちはあなたたちの心の中にいる私の臨在を感じる。 そうだ。あなたたちの心はこの地球の上にある私の王室だ。 この事実を受け入れ、もう一歩進んでほしい。」

(ヨハネによる福音書14章23節)「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」

「私は天国にいる聖人たちがこの地で起こっていることを見ることを許可している。 この地の上を見ることができるように窓を作り、それを通して聖人たちは見ることができ、過去の自分の人生と関連して考えられるように機会を与えた。 この地で起こっていることについて、彼らは完全に明るい知恵を持って見て考えられる。 特別な理由もないただ、彼らに隠された知識はない。 彼らは人々の間、軍隊の間、支配者の間で起こるダイナミックの隠された出来事を知り、その背後に隠された原因と理由を完璧な知恵で知っている。 何も彼らから隠されたものはない。 たぶんあなたはこう思うかもしれない。 パウロが言ったことから簡単に答えを得ることもできるだろう。 「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」そうだ。これはどういう意味だろうか。 天国にいる存在も依然として救いの大きな計画に参加していることを意味する。 彼らはこの地での自分のコースを終え、今は天国から他の人たちを私のところに連れてくるための働きに参加しているのだ。」

「どうかこの事実を理解し、深く心に刻んでほしい。 天国にいるすべての存在は、すべての魂を私のところに連れてくるために働いている。 誰もふわふわした白い雲に座ってハープを演奏していたりしない。 誰もぶらぶらしておらず、地球上での時間がただ過ぎ去ることだけを願ってゲームをしているわけでもない。 誰も寝もしない。 誰もこの地で起こっていることに無関心ではない。 誰もふわふわしたソファに天使たちと一緒に横になってブドウを食べ、ワインを飲み、自分がしたいことをしているわけでもない。 天国では誰も自分のために生きる存在はない。 皆が私と一緒に住むし、私のために生きていて、自分の天の父の仕事をしている。 すべての魂を救いに導く手助けをしているのだ。」

「そうだ。レクリエーションがある。 天国のすべてのものは、私の子供たちに喜びを与えるために作られた。 もちろん演奏をするシーズン、探求や探検するシーズン、学ぶシーズン、皆が一つになる機会がある。 もし傷ついて育った子供たちなら、そのような幼い時を終えるために、そして地球上で学びたかったことを学ぶために、そのようなシーズンと機会が与えられる。 しかし、これを覚えてほしい。 天国にいるすべての魂は、私の栄光を現し、私に幸せをもたらすために生きている。 私が彼らに言葉では言い表せない奇妙なものをもたらすように、この地で生きている時の考えでは想像すらできないものをもたらすように、彼らも私に栄光と幸福をもたらしてくれる。 天国では誰も自分のために生きていない。 なぜなら天国では皆が他の人や御父や天使たちや成人たちに喜びをもたらすことから、自分の最も大きな喜びを発見し感じるからだ。 天国は父の寛大さから絶えず流れ出る命の巨大な祝いと賛美の場所だ。」

「天国に住む魂のこのような勝利の人生の中でも、依然としてこの地の上で苦しむ人々に対する知識と記憶を持って生きていくことになり、地の上で苦しむ人々を父と和やかに住ませるために受ける、私の苦痛と犠牲もその中に存在する。 そうだ。すべての目から涙は洗われるだろう。 このことは真実だ。 しかし、地上からすべての苦痛が消えるまでは、そのようなことは起こらないだろうし、すべての魂が父と永遠の和平を成し遂げるまでは、そのようなことは起こらないだろう。 その過程で行われるべきことが行われるだろう。 学ばなければならないことがあり、磨かなければならないことがある。 最も高いところには神様に栄光をもたらし、この地の上ではその方の子供たちに平和をもたらすことが学びと鍛練の過程を通してなされなければならない。 このような理由から、天国に来ることの価値を見つけた人々は、神の最大の関心事を心に抱いて、すべての魂を私のところに連れてくることの一部になることを渇望し、新たに生まれることを渇望し、以前経験したことと違い、より愛されることを渇望し、自分の罪が赦されることを渇望し、この地で決して得られないと思っていた幸せへの希望が与えられることを切望するのだ。」

「そうだ。本当に他の人々が救われることを渇望する人は、幸せな喜びだけが存在するところではない、天国に入る価値を持つ人だ。 あなたたちが途方もない規模の数多くの層の工場を想像してみてほしい。 100マイル(160キロメートル)の高さ、幅、深さを持つ大きな工場があると想像してみてほしい。 私の規模については限界がないが、あなたたちが考えられる機会を与えるためにこのように言うのだ。 そのような大きな工場で、天使たちが設計された計画に沿って働き、メッセージを運び、ダンボールを運び、アーティストたちが絵を描くのを助け、音楽をする人々が歌うのを助け、失った魂のために準備された冒険的なすべての試みと協力するためにあちこちに行ったり来たりしながら助けて協力する姿。 もしあなたたちがそのような場所を想像できるなら、あなたたちは天国を雲の上でふわふわと浮かんでいる天使たちという間違った概念ではなく、より明確な天国の概念を持つことになるだろう。 天国にいる私たちは忙しくて忙しい。 これも想像してみてほしい。 この巨大な場所の各層を礼拝の波が荒らし、一人一人の魂が皆海辺を覆ってしまうその津波の波の中に礼拝の深い喜びに捕らわれ、礼拝の歓喜に浸り沈むことを想像してみてほしい。 そうだ。これがここ天国の姿だ。 そして再び仕事が始まり、そのような驚異的な喜びのために感謝し、喜ぶ気持ちで再び仕事を始めるところだ。」

「それでは天国での仕事とは何だろうか。 この地の上に住む人々に神様を知ってもらい、神様を愛してもらい、神様に仕えてもらうことであり、すべての人類を救いの垣根の中に連れてくることであり、人々を三位の神様と祝福に満ちた連合を成すようにすることだ。 あなたたちがこのような絵をよく理解したなら、天国はすべての人々を神のところに連れてくるために父と完全に連合して協力する体系の中にあるということを理解することになるだろう。 もちろん天国の魂は皆この地の上で戦っている人々、すなわちあなたたちのために祈る。 彼らはあなたたちのために神様に祈らずに息を一度吸って吐き出す瞬間さえなかなかない。 あなたたちは神のようになるのだ。 すべての充満した能力を持つという点で神様のようになるのではなく、あなたたちの兄弟と姉妹が神様を知ることを願う燃えるような渇望の面で神様のようになるという意味だ。 そうだ。あなたたちはこの地の上に住む人たちの両親のようになるだろう。 あなたたち兄弟の保護者になり、彼らを率いて神様を知る知識に導くことになるだろう。 天国という次元では決して祈りが切れない。 なぜなら天国の魂は人類のための愛の絶頂の中にとらわれており、彼らはこのような目標を達成するために働く私を見て、私と同じことだけをしたいからだ。 生きている聖霊様、ドキドキ、愛の息吹が彼らの中で動き、天国のすべての魂の中で絶えず、そして永遠に動きながら、このようなことを助けている。」

「絶えず祈りなさい」と私は言った。 私は決してこう言わなかった。 「見よ、あなたたちはもうすぐ天国に行くだろう。 そこであなたたちはこの地の上の人々のために祈ることができなくなるだろう。 だから今あなたたちのすべての祈りを捧げるのが良い。 手遅れになる前にそうしなさい。 なぜなら、一度あなたたちが天国に入れば、そこではこれ以上祈りがないからだ。 天国は綿菓子のような雲とハープと天使たちとこの地で苦労したことに対する報いだけがあるところだからだ。」

「もう一度言うが、私は天国で祈りを止める条件を与えなかった。 私がなぜこのようにしなければならなかったのか理解するか。 魂は地で私が祈ったように天国でも私が祈るのを見ることになり、魂はすべてのことで私の手本に従わなければならないので、私はこのように話したのだ。 絶えず祈りなさい。」

「私の民よ、あなたたちは天国で起こっていることについて無知だ。 天国のみんなが私のために働くのに忙しい。 状況を整理し、インスピレーションを与え、教え、助ける。 失われた魂を救うというただ一つの目標だけを心の中に秘めてそうする。 もし彼らが天国で祈ることが許されなかったら、どうしておびただしい証人の群れがこの地の上にいる人々を助けることができるだろうか。 祈りは魂を私のところに連れてくるあなたたちの一番目の運搬手段であり恩恵だが、どうしてあなたたちが天国でそのような祈りを止めるべきか。 答えは簡単だ。 あなたたちは決して祈りを止めないだろう。 天国は絶え間ない祈りが存在し、果てしない礼拝が存在するところだ。 天国には多様な目的のために集まる祈祷グループがあり、心の憐れみが非常に火がついているところであり、甚だしくは祈りを止めたくても彼らは決して祈りを止めないところでもある。 そうだ。「絶えず祈りなさい」はこの地でもそうだが、天国でも必ず必要なものだ。 違う点は数千倍強力な力があるということだが、天国のすべてのものとすべての存在が恩恵の強力な流れと、滑るような恩恵の波の中で一つの目標、すなわちこの地の上にいる魂の刈り入れという目標に向かっているからだ。」

「天国の魂は祈るべき時と内容についてどうやって分かることができるのか。 聖霊様だ。ちょっと貧弱な例えだが、インターネットの巨大なクラウドストレージがあり、そこに地球から来るデータを保存してアクセスするのと似ている。 すべてがアクセス可能で伝わるように設計されていて、私たちは他の魂と共有することもでき、私たちの個人的な用途のために保存することもできる。 聖霊様はすべての瞬間、すべてのことを知っている。 理解と情報の面で聖霊様は不足することが一つもない。 彼はこのような知識を地球上の各魂にも必要な場合に伝えることもある。」

「言い換えれば、天国のある聖人の幼い孫が地球上にいるのに深刻な健康上の問題を持っていれば、その知識が直ちに天国に伝わり、その子供のために天国では祈ることができるようになる。 私の愛する者たちよ、本当に天国の存在たちとこの地の上の存在たちはティッシュのようなベールで覆われていること以外に、その二つの間を隔てるものはない。 このベールさえも聖霊様の助けとインスピレーションを通して刺激を受けた祈りと黙想を通じて非常に簡単に破れてしまう。 天国では、すべての存在が他のすべての存在のバックグラウンド、戦い、失敗、勝利したことを知っている。 天国では何も隠されていない。 だから、誰も自分の問題、嫉妬、怒ること、腐った部分などをすべてきれいにするまでは天国に入りたがらないのだ。」

「一人の魂が土で作った体を離れて天国に行きたがるようになれば、彼らはまずきれいに洗わなければならず、天国では何も隠せないということを理解する考えの正す過程を経ることになり、他の人のどんな問題が現れたとしても何の判断も批判もしない精神状態になるよう清くなる過程を経なければならない。 癒しの川とそのそばで育つ命の実がついた木は、まさにこのような清められる目的のために存在するのだ。 魂の内面の本当に醜い姿を現し、その醜い姿がどのように他の魂に悪い影響を与えるかについて明らかにする浄化の火の中に一人でいて、なかなか除去されない罪に直面する中で、時間は流れる。」

「私たちは一つの体だ。 イエス·キリストを頭にするキリストの体だ。 私は二つの帽子をかぶっていない。 一つは天国を治める帽子、もう一つはこの地を治める帽子、別にかぶらなかった。 私は2つの頭脳も持っていないし、2つの頭も持っていない。 そのような考え方は深刻な間違いだ。 天国に対して真剣な努力もせず、きれいな心を持たず、深く黙想することもなく、天国に来たこともなく、ただ足りないだけの人間的な考えから出た誤りに過ぎない。 あなたたちが聞き取れることを願う。 天国のすべてのものは魂の救いのために動いている。 すべての天使、すべての聖人は四六時中、一週間ひたすら忙しく動き、数え切れないほど多くの魂を救うために働いている。 祈りを捧げることなく、一日中一週間ずっと、こんなことをしている工場を想像できるだろうか? 完全に不可能だ。 なぜなら、救いは恵みによって得られるものだが、恵みは祈りを通して生まれるからだ。 とても簡単だ。 祈りはこの地の上でも天国でも決して止まらない。 絶えず祈りなさいという命令は軽い勧めで与えたものではない。 すべての魂が救いを得るまで、魂の救いという実を結ぶための永遠の命令なのだ。」