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121. 天国のための準備

天国のための準備

2023年2月27日

愛する家族の皆さん、主の祝福が共にありますように。

主が語ってくださいました。 ところが、私たちが祈りを始める前に私のプロテインドリンクが準備されていなかったので、台所に入ったのですが、残念なことに集会中に私が食べてしまい、その音が集会の場所まで聞こえてきてしまいました。

そこで主はこう語りかけられました。「集会前に飲み物を準備すればいいのに。クレア、それは邪魔になるし、悪い見本になる。今日のあなたの体調が悪かったのは分かるが…。今後は事前に準備するように。」

「主よ、本当にごめんなさい。」

「気分を悪くしないで、ただ変えればいいのだ。」

「はい、主よ、そうします、ありがとうございます。」

「結構だ、私の愛しい花嫁よ。」

「主よ、今日の主の心には何がありますか?」

「あなたの共同体の霊的な健康である。愛する子たちよ、あなたたちはこの世を去った。これは、あなたたちがこの場所に入る前に、あなたたちの自我をドアの前に置いてきたことを意味する。」

「サタンは他のどの方法よりもあなたの自我を通して働くことを理解してほしい。だから私が『兄弟に腹を立てず、心から真に早く許し、判断しない人は幸いである』と言ったの だ。」

「あなたたちは皆、傷つける環境から来た。何らかの形で、あなたたちは皆、世の中の文化と養育によって歪められ、傷つけられた。だから、あなたたちが私に仕えるために来るとき、椅子の古いペンキのように、すべてが剥がれ、ひび割れ、あちこちが欠け、破片だらけの状態で来る。私があなたたちを私に仕えるところに連れて行くとき、私はこのすべての汚れたものを取り除き、あなたたちのために用意した尊い霊的な贈り物を受け取るのにふさわしい準備をしなければならない。」

「時には腐食性の液体を使って古いペンキを取り除く必要があり、時にはサンドペーパーを使う必要があり、時にはパテ用のナイフとハンマーを使う必要があり、時には金だわしを使う必要がある。これらの要素はすべてこのコミュニティにある。あなたたち一人一人は、私が一人一人を磨き、きれいにするために使う道具としての役割を果たしているの だ。」

「時にはあなたたちは椅子の役割を果たし、時には金だわしの役割を果たす。このコミュニティのすべてのメンバーは、交互にサンドペーパーをかけたり、磨いたりする。」

「私は、あなたたちが自分自身が誰であるか、そして自分ではないものは何であるかを、あなたたちが明確に把握することを望んでいる。あなたたちは、過去のすべての荷物をドアの前に置き、喜んで内面が現れ、剥ぎ取られる覚悟で前に出るべきである。しかし、このすべてのことの中には、何よりもまず愛と兄弟愛がなければならない。あなたたちが互いを愛し、許すことを私は要求する。過去の重荷はこの修道院の外に置き、私の姿に作られることを期待して、私の前に出てきてほしい。」

「ここには防御、言い訳、攻撃、軽蔑のようなものを感じる理由はない。わかっているか、我々は戦争中であり、ここは新兵教育隊である。自分を守るために、まだ自我の壁を築いているのでは、聖なる戦いを成し遂げることはできない。自我とはどういう意味か分かるか? 答えは簡単だ。Pride、つまり自尊心と慢心である。自己を守ろうとする欲求、だから良く見せたい欲求、賢く有能に見せたい欲求がその中にあるのだ。これらはすべて消えなければならない。それらは聖なることに到達するのを妨げる。聖なることに向かう道において、あなたたちが私に協力することをより容易にし、その分だけ苦痛なものはより早く消え、苦痛が少なくなる道があるのだが、この自我がその道を妨げているのだ。」

「しかし、もしあなたが霊的な美しい命に属さないものを大切にするならば、例えば、どのように着るか、何を食べるか、睡眠のスケジュール、あなたの働き方、あなたが正しいと思うこと、あなたが正しいと思うことを他の人に見せること、あなたたち自身が完璧で、欠点もなく、しわもないことを証明しようとすること、もしあなたがこれらを持たなければならないと思うなら、あなたは悲惨な失敗を見ることになり、ここでの生活は非常に困難になるだろう。」

「しかし、もしあなたたちがすべてを知っているわけではないということに気づき、頼まれた通りに仕事をし、服や装飾品や食べ物のようなものから定められた規則を守り、清められることを切望する気持ちでここに来れば、あなたたちはここでの生活を愛するようになるだろう。自分の考えが正しいと思うこと、自分を守ろうとすること、自分のやり方に執着すること、自分の好みが尊重されるべきだと思うこと。これらを捨てて出てくるならば、あなたたちは非常に急速に発展し、私とすべての天使と聖人たちと私の父から大きな恵みを得ることになるだろう。これはあなたたちの選択次第である。」

「今日、あなたたちが仕える者を選んでほしい。あなた自身を選ぶか、私を選ぶか、そして天国を準備するために再教育を受け、新しく造られることを許可してほしい。自分の生き方を守ろうとする人は、本当にそれを失うことになるが、私のために喜んで自分の生き方を捨てる人は、一人の魂がこの地上で生きられる最も価値ある大切な人生を生きることになるだろう。」

「このコミュニティが繁栄し、生き残るためには、流れを導き、皆のニーズを満たすのを助ける人々が必要だ。そして、あなたたちの誰も完璧ではないので、互いに忍耐が必要だ。だから、あなたが何か問題を見つけたら、祈る必要があるの だ。あなたがその問題とその人のために祈れば、私は彼らと一緒に問題を解決するために努力する。あなたたちはリーダーと呼ぶこともあるが、私は足洗い僕と呼ぶ。なぜなら、彼らは皆が正しい方向に進み続けられるようにし、必要な時に必要なことをしなければならないし、何よりも愛し、ケチをつけない者だからである。」

「あなたたちの反対や判断、侮辱などがなくても、リーダーたちが引き受ける仕事は十分に大変なものだ。さらに、彼らはあなたたちの霊的な戦いについても私に答えなければならない。リーダーたちも、あなたたちと同じように、古いペンキが剥がれていくように、剥がれ落ちていて、教えを受けていて、習慣的なやり方も新しくなっている。したがって、リーダーを愛し、サポートすることは、他のすべての人々の責任として与えられている。彼らの仕事は容易ではないので、出来る限りの方法で彼らを愛し、サポートし、否定的な態度を見せたり、彼らを困難にさせないでほしい。私は皆にこう約束する。私はリーダーの間違いが何であり、どのように修正できるかを正確に知っていて、私は何も見逃さない。私は、あなたたち皆を聖なる状態に連れて来るために、しなければならないことを層ごとに実行する方法を持っているが、もしあなたたちがこのような私の仕事を代わってやろうとし、私を助けようとするならば、私の仕事の邪魔になるだけだ。」

「あなたたちが認めないことを要求されたからといって、心の中に隠された怒りを持っているならば、あなたたちは自分自身と共同体を傷つけるだけである。それゆえ、私のためにあなたたちの生き方を捨てて、私があなたたちを呼んだとおりに作られることを許可し、仕事の進め方に責任を持つリーダーたちに寛大な心を持ってほしい。彼らのために祈り、彼らをサポートし、彼らを追い出さないでほしい。彼らは、一人や二人の頑固な魂のために、任された仕事がうまくできないので、泣きながら私に来るからだ。」

「どうかそのような一人や二人の頑固な魂にならないでほしい。むしろ、喜んで助ける心を持って、自分の靴を脱ぐ準備ができていて、好みも捨てて、協力し、健康な共同体が成長するのを見たいと思っている魂になってほしい。そうすれば、一日の終わりに、あなたたちは作り出した結果にとても満足するだろう。」

これが主のメッセージの終わりです。