126. 歩みを正す神様
歩みを正す神様
2015年5月4日
神様が皆様を祝福し守ってくださいます。
今夜、主はメッセージをくださいました。 その内容を分かち合いたいと思います。
私は主にこのように尋ねました。 「主よ、今夜は何か言いたいことはありますか?」
主がおっしゃってくださいました。 「審判についてだ。」
私はこう思いました。 「ああ、私はその話を聞きたくないんですけど。」審判だなあ。 あまり良いテーマではないと思いました。 しかし大丈夫だと思って、この言葉が主から来るのか確認するために分別の過程を経たのですが、本当に主であることが分かりました。
主は続けておっしゃっていました。
「この地での人生で与えられる私の審判は罪人のためのものではない。 私が愛する者たちのために与えられるものだ。 そして、これは審判というよりは教育に近い。 すべてのことには両面性を持っているが、この世でいかなる行為も波及効果を持たないものはない。」
この時、私はこの聖書の御言葉を思い出しました。
(ヘブライ人への手紙12章6節) 「なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
「悪いことが起こると、誰かの行動の結果のためにそのようなことが起こると思うし、そのようなことは人の気分を悪くする審判だと思ったりするが、これはあまりにも間違って考えることだ。 本当に真実から遠く離れた考えだ。 それは審判や刑罰ではなく、人の考えを正してくれるのだ。 自分が言ったすべての単語、行動したすべての行為に対してもう少し責任感を持って注意できるようにするために、考えを正す過程なのだ。」
「それぞれの考えや行動は円状にさざ波を起こし、広がり、他の円状のさざ波に出会って混ざり合い、また別の円状のさざ波を作り出す。」
主がこの話をしてくださる時、私は湖の上に水一滴が時間とともにあちこちに一滴ずつ落ちるのを見ました。 水滴は円形の波を生み出し、広がっていきました。 そして、他の波と出会い、混ざるのを見ました。
「神様がこの円形の波の中心にいる場合は、そしてあなたたちの行動が神様の意思に従順する場合には、恵みに満ち、広がりながら魂は癒され変わることになる。 しかし、あなたたちがその円形の波の中心にいる場合、あなたたちは他の円形の波に何かを引き寄せることになる。 あなたたちは渦のようで、他の円刑の波から奪い、空虚さや無秩序や欠乏を作り出す。」
「あまりにも多くの人が自分のために生き、他人を自分の方に引き寄せて生きている。 このようなダイナミックがどれほど強力なのか、あなたたちが理解できればいいのに。 私は私の花嫁たちを罰したり殴ったりするのではない。 むしろ私の花嫁がこの世に与えなければならない影響力を持って正しい選択ができるように教えているのだ。 私の子供のうちの1人が利己的に行動したり、比較意識を持って行動すると、彼は他の人が持っている善いものを自分の方に引き寄せて飲み込み、湖の底に潜り込む。 何の善い効果も出せず、魂の中に死と停滞を作る。」
「だが、ある人が善を行い、自分のものを出せば、その円形の波はずっと他の波に行って混ざり合い、世の果てまでも広がりながら善いものが広がるようにする。 そして世の中はもっと良い場所になる。」
「私が叱って正すのは、私が叱る一人だけのためではなく、私の体である教会全体のための霊的戦争のために叱って正すことだ。 すなわち、皆が愛の道を学び、悪を避ける道を学べるようにするのだ。 なぜなら悪は痛めて、他人から命の要素を奪うからだ。」
「私が叱るのは悪くなることを願うからではなく、愛しているから叱るのだ。 その魂が自分がおこなった行動が他人にどんな影響を及ぼしたのか理解できるよう願う希望を持って叱るのだ。 生き方の正すことを受ける時は、あなたたちは立ち止まってこう考えたりする。 「主よ、なぜ私にこのようなことを許したのですか?」すると、あなたたちが本当に素直な心を持っている時、私は直ちに返事をする。 あなたたちが犯した罪が他の人にどんな影響を与えたのか、他の人に害を与えたことの味と感じがどうなのかを味わせてあげる。 このようにして、私はあなたたちにその罪に勝てる新しい恩恵を与え、あなたたちは利己的な動機を踏んで立ち上がるようになる。 そして、あなたたちの心の中であなたたちが罪に陥るように悪魔たちがささやきながら提案する悪に対して征服し勝利できるように助ける。」
「私の花嫁たちが耐えなければならない傷を見て、私は喜んでいるわけではない。 むしろあなたたちと一緒に泣きながら悲しむ。 これが私の花嫁たちが他の人に対して私と同じことをしなければならない理由だ。 たとえあなたたちが他人の犯した悪によって被害を受けるとしても、私がしたようにしなければならない。」
「主よ、私たちが間違った何かをしているのか、あるいは主の望む道から離れて反対方向に進んでいるのか、どうやって知ることができますか?」
「私はあなたたちの良心の中で働いている。 何か間違ったことをしようとすると、あなたの心の中で何か暗くて悲しいことを感じるだろう。 ポストイットを貼るように、「ちょっと待って」という感じがあるだろう。 その時、あなたたちはもっと深く考える必要がある。 そのような暗示は柔らかい罪悪感を起こすものであって、荒々しい非難や罪と定められる感じのようなものではない。 何かを問責するような感じではない。 むしろ柔らかく刺さるような感じだ。 こんな風に思ったりするだろう。 「どうしても正しいことをしたようではないね。」そしてこのような考えがますます大きくなり、すなわちこのような刺されや罪悪感が育ち、自身が体験している難しい部分の根源が何かを悟るまで続く。 「このためにこんなことが起こったんだ」と気づくだろう。 すると、私はその行動が作り出した波紋、どれだけ多くの人々がその行動によって被害を受けたのかについて考えさせ、あなたたちを正し始める。 罪が持つ影響が何かを見させ、またその罪がどれほど破壊的なのか理解するようにそうする。 私の花嫁がそのような事故に遭うことを許可し、非常に大切なものを失わせるのは、私が醜い人物だからではない。 決してそうではない。 そのようなことは、あなたたちの行っていた死亡の道を止め、あなたたちの精神を癒すために許すことだ。」
「しかし、あなたたちが敵の攻撃を受ける時は、柔らかく刺さるというよりは、罪に定められたような重い感じが感じられるだろう。 まるで自分自身に対する怒りや怒っているような感じだが、これは悪の領域から来るのだ。 その時、あなたたちは攻撃され、下に落ち、衰弱し、平安や喜びを感じず、絶望感を感じるようになる。 これらはあなたたちを飲み込もうとするものであり、悪の領域から来るに違いない。」
「でも、柔らかく刺さることは望みをもたらす。 間違ったことを正そうとする心が生じて、傷ついた人々に対する悲しみが来て、あなたたちの良心は敏感に反応するようになり、私の心と共によく似る心になる。 あなたたち自身の心の中に何があるのか見ることになる。 嫉妬、怒り、怠惰、復讐心。 このような醜いものが心の表面の上に上がってくるようになり、あなたたちはこのようなものがあなたたちの中にあるということを見たくなくなる。 しかし、避ける方法もない。 あなたたちが自分自身を透明に見て正直になれば、このようなことは確実に起こる。」
「私は私の観点から、私の鏡であなたたちと世界を見る方法について教えていることをあなたたちは知っているだろう。 つまり、あなたたちはあなたたち自身から出て考えなくてはならず、他の人たちがどのようにあなたたちから影響を受けたのかを理解しなければならない。 そうすれば、あなたたちの心の中の動機が表面上に浮かび始め、あなたたちの内面に隠れている暗いものを見始めるだろう。 すると、あなたたちは天の観点から見始めるので、あなたたちが起こした波が及ぼした影響、それによって他の波に、また別の波に及ぼしたすべての影響を見ることができるようになる。」
「私の花嫁たちよ、目が覚めていることを願う。 敵は殺し、奪い、破壊するために来る。 彼らの属性を持った考えを一つでもあなたたちが遊んでいる自分自身を発見すれば、その悪い考えの根源が誰なのかあなたたちは確実に気づくことができるだろう。 悪魔たちと肩を組まないことを願う。 善いものを破壊し、天に上げるものを殺そうとする目的を持っている悪魔たちと運命を共にしないことを願う。 彼らの提案を拒否し、悪に傾く自分自身を克服できるように私に祈ってほしい。 あなたたちの心の中の動機が何なのか私に祈ってほしい。 この偉大な人生のドラマを私は見ている。 どんなおとめがともし火の油を満たしているのか、そうでないのかを見守っている。 愚かなおとめのように後に残される者にならないことを願う。 むしろともし火の油をよく保護してほしい。 それが他人に善いことになる。 あなたたちのともし火を常に見守って、よく面倒を見てほしい。」
「そして私に仕える人々の中で誤った点を表わし、話せという使命を受けたと考える人々に言いたい。 とても気をつけてほしい。 私だけが判断し、審判できる資格を持っている。 だから、私の権威を侵したり、私の権威を奪おうと足を踏み入れないように気をつけてほしい。 まだあなたたちが理解していないことがたくさんある。 あなたたちの間にまだ多くの紛争と分裂がある。 聖書が言ったように、私はあなたたちに固い食べ物を与えたいが、あなたたちはまだ幼い状態にあり、『私はこの方と一緒にいる』『私はあの方と一緒にいる』『私はあの方から洗礼を受けた』と言ったりする。」
「このような姿が、まだおむつをしている赤ちゃんのように未熟さを表しているのではないか。 あなたたちがまだこのようなものだと私は言いたい。 だからあなたたちはまだ健康な教えを与えるには足りないところがあるのだ。 私の再臨のために人々を準備させることができる健康な教えのために、あなたたちはまだ準備ができていない。 なぜなら、あなたたちはあなたたち自身を愚かな考えで忙しくしているからだ。 どうかどうか私の言うことをよく聞いて耳を傾けてほしい。 どうか他人をむやみに傷つけないことを願う。 その傷を贖わなければならない代価が伴うためだ。 私は叱りであなたたちを正すより、祝福であなたたちを愛する方が好きだ。」
「今週はこの教訓を持って、私があなたたち一人一人を訪問するつもりだ。 あなたたちがどの地点で道に迷っているのかをあなたたちに明らかにするつもりだが、優しく、そして心を刺すようにそうする。 決して厳しく教えるやり方ではない。 どうしてそうすると思うのか。 私があなたたちを優しい心で愛しているし、あなたたちも私を愛しているし、あなたたちは決して私を傷つけたがらないからだ。 もしあなたたちがどのように私を傷つけたかをあなたが明らかに認識するなら、それはあなたたちが私に持っている愛のためにそうするのだ。 これ以上私を傷つけることを止め、その結果、あなたたち自身ともまた私との関係でも良いことを作り出すためにそうするのだ。 このような洞察力と祝福があなたたちの考えと生き方の中に入るように今受け入れ、勇気を持ってほしい。 カルバリから流した私の血とともに、私はあなたたちを愛している。 お願いするが、どうかこの愛を乱用しないことを願う。」
うわー、本当に素晴らしいメッセージですね。 私たちは皆不足があり、確かに解決しなければならない問題が多いようですね。 今週、主がどのように私に近づいてくるのか楽しみにしています。 皆さんにも今週、主の慰めがあることを願い、何か間違ったことがあれば、主が皆さんにそれらを明らかにすることを祈ります。
皆さんを愛しています。 このチャンネルを聞いてくださってありがとうございます。 皆様のお祈りにも感謝いたします。 私たちは本当に皆さんの祈りが必要ですが、本当にありがとうございます。
主の喜びと平安と勇気が、今週皆様に共にすることをお願いいたします。 アーメン。