129. 効果的な祈り
効果的な祈り
2015年2月1日
YouTube家族の皆様、Still Small Voice チャンネルへようこそ。 そして、主の祝福と彼の甘い臨在が皆様と共にあることを願います。 皆さんが自分自身に対して罪と定められた感じを持っていれば、安堵感をもたらしてくれると思われるメッセージを分かち合いたいです。 祈りに関する内容を含むこのメッセージを締めくくった後、私は少し罪悪感を感じました。 なぜなら、私の祈りは十分深くないと思うからです。
深くないというよりは、実は私の祈りは薄っぺらで、愛が不足して、怠け者です。 なぜなら、痛みを抱いた祈りになかなか入れないからです。 ですから、私はこのようなテーマについてメッセージを交わす資格のない者だと思います。 このような考えが私の心の中にいっぱいになり、私自身に対して非常に落胆して、ひざまずいて主に祈りを捧げました。 礼拝をしながら主のところに進みましたが、主は私を止めて、話をしてくださいました。
「ああ、主よ、私はもう少し良くなりたいです。 自分に対して全く満足できず、幸せでもありません。 私はあまりにも薄っぺらで、愛も足りないと感じます。」 その時、私は泣いていました。
主がおっしゃいました。 「何よりもまず、自分自身を虐待するのをやめてほしい。 自己憐憫のパーティーをやめてほしい。」
「イエス様、私は何を考えればいいのかわかりません。」
「あなたは敵から攻撃を受けているのだ。 それがまさにあなたが考えなければならないことだ。」
「しかし、主がその攻撃を許したじゃないですか。」
「謙遜には代価が伴う。」
「ああ、主よ、私は敵の攻撃を受けてもいいのですが、その内容が事実でないことを願っています。 しかし、それが本当なら、私は悔い改めたいと思います。 変わりたいです。」
「それは事実ではない。 あなたは薄っぺらでもないし、愛が足りないわけでもない。」
今日どんなことがあったのかちょっと説明しますと、ある女性から自分の家の深刻な状況について祈ってほしいと頼まれました。 私は祈りはしました。 しかし、重い荷物を持って祈ることはありませんでした。 苦痛を抱く祈りのようなものでもありませんでした。 しかし、彼女の状況は本当に深刻だったので、多くの努力を傾けた祈りが必要でした。 それで私は自分自身について考えました。 「私は一体どうしたの?」 「どうして深く祈れないの?」それから数分経ってから、メッセージを録音し、音楽作業をするのに問題が生じました。 その時、私は情熱を注ぎながら祈るようになりました。 あ、これが私の姿です。 本当に感情的にごちゃになって腹が立って、それで新しい音楽を録音する時に出会ったこの問題に対して苦痛を抱きながら祈りました。 深刻な状況に置かれている人のためには、そんな祈りができないくせにですね。 こんな薄っぺらな自分の姿を見ることになりました。
主はこの地点で私を止め、話をされました。
「あの歌ね。 その歌は苦しむ魂に希望を与えるものだ。 そしてあなたが愛が足りないと言っているのに、あなたはあなたの感情に注目しすぎだ。 あなたのしていることを見てほしい。 あなたはすべての瞬間、私に100%似ていることを期待してはいけない。 そうだ。私はあなたに荷物を与える。 しかし、あなたがすべての荷物を背負うことになるとは私には言えない。」
「しかし、主よ、あなたはすべての荷物を背負うでしょう。 そして、あるクリスチャンは、自分の知らない人々のために簡単に苦痛を感じながら祈りの中に入る姿も見ました。」
「私があなたに人を送る時、私はあなたに荷物も共に送る。 あなたの心が持って行かなければならない荷物を送る。 そして、あなたは自分の魂の中で何が起こっているのか完全に知るわけでもない。 それを知ることは特権だが、極めて限られた人だけが持っている。」
「私もそうなりたいです。 時々、私は自分の魂の中で何が起こっているのか見たいと思っています。」
「それは天国の魂たちに可能なことだ。 あなたも天国でそうなるだろう。 しかし、この地ではそうならない方があなたにいい。 今はまだだ。」
そうしながら、主は私に憐れみのこもった目つきを送ってくださいました。
「クレア、ただ毎瞬間一歩ずつ私について来なさい。 そうすればそこに着くだろう。 あなたの聖なることについて心配しないでほしい。 それは罠だ。 そこに落ちないでほしい。 神だけが魂を生み出し、聖なるものにさせる。 そして私のすることはどんな被造物も写せないことだ。 人は洞察力も知恵も持っていない。 それを実行できる能力は言うまでもない。 私の大切な者よ、じっくり考えてほしい。 あなたを超えてあまり遠くにいることに目を向けないで、ここに私の心に焦点を当ててほしい。 あなたが聖なることを心配する必要はない。 私がすでに自分で成し遂げたのだ。」
「これから祈りについて話そう。 あなたたちに与えられる荷物があることをあなたたちは知っているだろう。 あなたたちはその荷物を作り出せない。 荷物を受け取って運ぶわざをするように準備することはできるが、その荷物を作ることはできない。 荷物は天国からのものであり、厳密に限られた超自然的な贈り物である。 あなたたちがその荷物にふさわしいと思った時、私はその荷物をあなたたちに与える。 しかし、あなたたちは他人の苦痛に対して大きな同情と理解を持つ訓練をすることができるが、それらを私の郵便受け、つまり私の心の中に送ることをするのだ。」
「主よ、あなたのポストに対する幻を私に見せていただけますか?」
すると、私は主の心臓の上の部分に開いた穴を見て、そこから光が噴き出していました。 主は指をそこに指して言いました**。「まさにここだ。 まさにここ。」**
「ところで、私たちの祈りは香りのように天国に上がるのではないですか?」
「私が見せたこの小さな穴がどこにつながると思うか。」
「あー、分かりました」
「取りなし祈りをまさにここ私の心臓の郵便ポストに送る時、私がその祈りに結論をもたらすという完全な期待を持って、決断ある心を持って、あなたたちからはいかなる心配も持たずに祈ってほしい。 これが「信頼」と呼ぶものだ。」
私はあるカトリック修道女アンジェリカの話を覚えています。 ある日、彼女の運営する放送局が危機に見舞われ、焦った彼女は急いで会議を開くことになりました。 しかし、その会議に出席するために玄関のドアを出る前に、外地からある女性客が彼女に会おうと訪ねてきて、泣きながら祈りをお願いしました。 彼女の事情は、夫が他の女性との浮気によって彼女に離婚を要求するということでした。 事情は気の毒でしたが、放送局の緊急会議に出席しなければならなかった彼女は祈ってあげると約束した後、そのお客さんとの出会いを断らなければなりませんでした。 放送局のことで気が気でなかった彼女は、あたふたとドアを出て、その女性のために心の中でこう祈りました。 「ああ、神様、どうかこのことを処理してください。 お願いします、そうしてください。 処理してください!」と言い、ただその一言がその日彼女を訪ねてきたゲスト のために約束した祈りでした。
数ヶ月後、きちんと着飾った一人の女性が彼女に近づき、5万ドルの小切手を放送局前に書きながら言いました。 「私のことを覚えていませんか?」 放送局の所有者は答えました。 「すみませんけど。 誰なのか覚えていません。」 「6ヶ月前にあなたを訪ねてきて危機に瀕した私の結婚生活のために祈ってくださいと尋ねった人です。 それから数日後、私の周りのすべてが変わりました。 夫と私は和解し、今は幸せな結婚生活を送っています。 私はそれがあなたの祈りのおかげだと知っています。」
この話でアンジェリカは神様への信頼を持っていました。 それで彼女が祈りで言った言葉は「ああ、神様、どうかこのことを処理してください。 お願いします、そうして下さい。 処理してください!」 がすべてでした。
主が言い続けてくださいました。
「私がその祈りどおりにした。 そうじゃないか? 祈りが必ずしも苦痛をいっぱい抱いて祈らなければならないわけではないということを理解してほしい。 信頼。私に対する信頼。 他人のために心の中に心のこもった荷物を背負っていく私の美しい花嫁の代わりに、私がやり遂げられる能力に対する信頼が必要なのだ。 この問題についてもう確実になったのか。 なぜなら、私はあなたがこの問題から抜け出ることを望んでいるからだ。 あなたのしているすべてのことが私を喜ばせているという確信を持って、この問題から抜け出ることを願っています。 そして、あなたたちの祈りが効果的だということ、さらにあなたたちが突然吐き出す祈りも効果があるという確信を持ってほしい。 私の花嫁よ、あなたたちの私への信頼は、あなたたちの求めによって私を動かすようにする義務を与える。 信頼すればするほど、より大きな反応がある。 これを確信して安息することができるだろうか。」
「主よ、私はその言葉を吸っています。 主よ、私が何について人々に伝えたらいいでしょうか。 私におっしゃってくださるのがとても久しぶりです。 私は本当に主のメッセージを聞く必要があると感じます。 私は祈りについて何かを伝えたいのですが、正直怖いです。 荷物を負うこと、苦痛を抱いて祈ること、私はこのような祈りが足りないのですが、人々にうまく伝えることもできないと思います。」
「その荷物が私から来たとは私ははっきり言ってもいない。」
「うんー、そういえば私は確信もしていませんね。 偽りの霊を主が許すならば..」
「私の愛よ、私があなたの恐れを取り除くために来たこの時期に、私がどうしてそうするのか?」
「そうです、それは主の性格ではありません。 しかし、私はこの点で自分自身を確信していません。 主よ、私があなたの心と考えを持っているのかよくわかりません。」
「分かった。私がもっと明確にしてあげる。 私の愛よ、苦痛を抱いた祈りをするように呼ばれた人たちがいるが、この使命は素敵なコーリングだ。 誰もが自分だけのコーリング、自分に与えられたことがあるとあなたの夫が言わなかったか? それは私の知恵から出た言葉だ。 苦痛を抱いた祈りは皆ができるわけでもなく、皆がすべきわけでもない。 もし皆が苦痛を抱いた祈りをすることになれば、他のことは何も成し遂げられないだろう。」
「分かりました。しかし、祈りはわざを成し遂げるようにするじゃないですか、主よ。 より多くの祈りがより多くの結果を生むと思います。」
「その点については、私はあなたと議論することはできない。 しかし、あなたがこれを考えてほしい。 そんな苦痛の感情があなたの祈りの価値になるのに必ず必要なものとは言えない。 純潔な心が先に必要であり、そして重要性で言えば最高だ。 そして、あなたたち兄弟と姉妹のための愛が伴うこと、そして判断しないこと、このようなことが祈りの価値になる。 こんな気持ちが私の注意を引く。 痛がって、寂しがり、混乱の中におり、人生をあきらめたまま生きている人々のために、利己心なく祈ることを願う。 このような祈りは強力で、私は誠に答えるだろう。 必ずしも涙を流しながら祈らなければならないわけではない。 クレア、涙は贈り物だ。 涙の贈り物 おー、あなたは難しいだ。」
「すみません、主よ。」
「私もすまない。 私はあなたのする他の仕事を持っている。 あなたが友達の精神的能力と道徳観念に対してどのように反応したか知っているか?」
「はい主よ。知っています。 私は忍耐力がありませんでした。」
「そして翌日の今は同じことをあなたの神様にしている。 私の言葉のメッセンジャーにするのではなく、メッセンジャーを送った神様にそうしている。 おお、あなたは大変なケースだ!」
私はこの時、くすくす笑って、主も笑いました。 そして主は言いました。
「もう満足しているか? この哀れな死んだ馬を十分殴ったと思うか。」
「はい、そうみたいですね。 主よ、あなたの小さくて鈍い花嫁がついに聞き取れたようです。 ところが、そのポストの中に入る私の求めを目にすることになるでしょう。」
「クレア、私はあなたを愛している。 他人のためのあなたの心を、もう私の心と考えの中で休ませてほしい」 。
これが主からのメッセージの終わりです。
ユーチューブの家族の皆さんに分かち合いたいことがあります。皆さんは、私がどれほど愚かでおかしいなのかを知ることができるでしょう。 そして主はこんな私にとても忍耐強いということもです。 本当に主は果てしなく忍耐されます。 このメッセージの核心は、本当の祈りを成り立つことが何かについての答えだと思います。 主に対する信仰と信頼を持つこと、これが祈りを強力にし、主の心を引き寄せることですね。
必ずしもすべての感情、涙、私たち自身を溶かすことが伴うべきわけではありません。 もしこのような荷物を皆さんが主から受け取ったなら、それは素晴らしいことだと思います。 しかし、皆さんがそのような荷物を主から受け取ったのでなければ、私のように自分自身を虐待することをしないでください。 皆様を主が祝福します。 お聞きくださいまして、ありがとうございます。