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175. 携挙か残留して助けるか、あなたはどのような召しを受けたか

携挙か残留して助けるか、あなたはどのような召しを受けたか

2015年4月10日

主が皆さんに平安を与えてくださいますように。

今夜、私は携挙に関連した、かなり興味深く新しい視点を、皆さんと分かち合いたいと思います。 私たちのチャンネルの購読者の一人が質問をしてくれました。 その質問に対して私は主を求め、主は答えだけでなく、関連するメッセージをくださいました。まず、購読者が私にした質問を読み上げ、主の答えをお伝えします。

「still small voiceチャンネル運営者に質問があります。預言者と推定されるある人が夢で、携挙後に残された人々が主に来るのを助けるために、自分は携挙の時にこの地に残され、超自然的な保護を受けるという事実を、神様が自分に啓示されたと言うユーチューブの動画を見ました。 私はその動画を見た時、私も神様の仕事をするために、この地に残されるような気がしました。 イエス様にこの教理が本当か嘘かどうか聞いていただけますか?」

私は礼拝が終わると、通常は真夜中頃に少し休憩します。 しかし、今日私はこの質問を頭の中から消すことができませんでした。それで、私は主に尋ねました。

「主よ、この質問に対する答えを聞きたいです。」 すると、主は**「これは私たちが話す必要のある課題だ」**と言われました。それで私は立ち上がり、主と対面して座りました。

主が御言葉を始められました。

「私があなたに残りたいかどうか尋ねたことがあるだろう?」

「はい、でもそれが本心だとは思いませんでした。」

「なぜそんなことを聞いてはいけないのか?」

「ただ私を試すためだと思いました。」

「もし私が今、もう一度聞いたら、あなたはどう答えるか?」

アウチ(私はいつも恐れに直面しなければならない時に「アウチ」と言います。)正直、この瞬間、私は携挙の時に残され、経験することになる多くの苦しみと困難に対して恐怖を感じていました。 この地に残るということが私の心の中を恐怖で震わせました。

「そうだ、アウチ、それがどんな気持ちか知っている。」

(私は主にアウチと言ったわけではありませんが、主は私の心に気づかれました。) 「ああ、主よ、これは私にとってあまりにも大きなことです。」

「私が助けてあげる。」

「ああ、お願い。」

「私はあなたが残るべきだとは言わなかった。あなたが残ることができると言った。そしてあなたが私に選択をしろと言ったから、私が選んだのだ。ここにあなたの自由意志は排除されていなかった。」

「では、一部の人はわざわざ、喜んで残ると意思を決める人がいるということですか?」

「そうだ。」

「本当ですか?」

「私が嘘をつくか?」

「主よ、これに関して聖書にどう書かれているのか見てみたいです。」

この時、興味深いことに私はイザヤ書55章を開きました。 このような方法は、私の考えの文脈から離れて、主の考えを求める時に使う方法です。 この時与えられる言葉はレマの言葉ですから、私と私の状況に対して主がくださる個人的な言葉です。

8節、わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。

9節、天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。

さて、この質問は確かに聞いたことがない質問ですが、聖書の知識で見ると、携挙についてのこのような解釈を確認する聖書の箇所を見つけるのは容易ではないようです。 歴史的にも、聖書的にも、私が知る限り、見つけるのは容易ではありません。 しかし、ご存知のように、主がどのような方であるか、そして神の御心には様々な層があるので、私たちがまだ発見していないことはいつでもあります。

これについてご意見をお持ちの方がいらっしゃいましたら、私と共有していただければ幸いです。

主は主が望まれることは何でもできるが、これが私が得た聖書の推論でした。「私の道はあなた方の道とは違う。」確かに、主は望まれるなら、このようなことをすることができます。いわばそれは啓示のようなものですが、主が何をどのようになさるかは主にかかっています。主が私たちに聖書的な確証を与えてくださればもっといいのですが。しかし今、私は主が私に言われたことに忠実であろうと努力しています。

「ああ、イエス様、これは本当に難しいです。 私が今何を戦っているのか分かりますか?」

「知っている。」

「ああ、主よ、助けてください、助けてください。私は臆病者ですが、自分の能力よりはるかに大きなものを求めるという愚を犯さないで、助けてください。」

「クレア、私はあなたに対する私の意志が何であるかを明確にした。だが、あなたが残りたいと思った場合に備えて、チャンスの扉は開けておいた。」

「私が残ることを選んだ場合、どんな選択肢がありますか?」

「あなたは栄えある肉体を持つことはない。あなたも他の人々と同じように苦しみを経験するだろう。確かに、あなたは保護されるだろうが、それはあなたの任務が終わるまでだけだ。あなたも他の人々と同じように死ぬことができる。しかし、私があなたに望むことはそれではない。クレア、私はあなたが残ることを望んでいない。」

「しかし、いくつかは地上に残ることに呼ばれた。彼らは栄えある肉体を得て天国の家に入ることができるが、彼らはこの地に残ることについての負担感を感じるだろう。これらの人々の場合、彼らの心の負担は私の意志から来るものだ。そうだ、彼らに対する私の意志は、地上に留まることだ。しかし、彼らがそれをする義務があるわけではない。」

「この過程で英雄のように祭り上げられることはないだろう。私の愛する人よ。選択と苦痛、それ以上のものは存在せず、それ自体だけだ。しかし、愛の力を過小評価しないでほしい。私はあなたに私の心を話したい。なぜなら、あなたが私の意志に従うことを選んだから、地上に残ることを選んだ人々よりも、あなたが愛の少ない人になるわけではないからだ。」

「両方とも、私への愛がどれほど大きいかは私がよく知っている。クレア、私はあなたを天国の家に連れて行きたい。そこでもあなたがやらなければならないことはたくさんある。私はあなたの心の動機をよく知っている、クレア。」

「あなたたち全員に言いたい。私を探し、他のすべての選択よりも私の意志を探してほしい。あなたたちが地上に残ることを選んでも、自動的にあなたたちが英雄になるとは思わないでほしい。あなたたちは依然として自分の魂を失うことができる。これは心が弱い人々や、英雄になりたいと思っている人々や、名誉と栄光を求める人々のためのものではない。あなたたちが経験しなければならない条件について、栄光あるものは何もないだろう。」

「そうだ、魂を私に連れてくることは素晴らしく、満たされた感じがあり、すべてを価値あるものにするだろう。しかし、私はあなたたちが断食を始める前に、私に尋ねることを好むように、地上に残ることについても私の意志を尋ねてほしい。あなたたちが地上に残ることを選んだからといって、少しでもあなたたちがより良い人、またはより聖なる人だと思ってはならない。そうなれば、それはあなたたちの滅亡と破壊になるだろう。」

「これは非常に重要な問題だ。クレアは犠牲よりも従順を選んだ。私はあなたたちにも、他のすべてのものよりも私の意志を尋ねて選ぶことを勧める。私を探し、私に従順してほしい。」

「あなたたちが留まることを選んだのか、行くことを選んだのか、それはあなたたちがあなたたちの兄弟よりも、多くの恵みを受ける理由にはならない。あなたたちは全員、私の恵みなしではただのゼロにすぎない。私の意志をどれほど理解し、私にどれほどよく従順するか、その程度によって、あなたたちは聖さで高まるだろう。それ以上でもそれ以下でもない。」

「そしてクレア、私の愛する人よ、あなたは賢く選んだ。これがエゼキエルとあなた、二人に対する私の完全な意志だ。私の意志について安心し、敵があなたに罪を被せて、あなたがより容易な方を選んだと、だからあなたが劣った花嫁だと言わせないでほしい。」

「私はあなたを通じて教えを伝えるだろう。あなたは過ちと失敗の人生を送ったが、これは同じような決定を下しながら生きている他の魂にとって、非常に価値あるあかしとなるだろう。彼らはあなたの先例によって影響を受けて勝利するだろう。彼らは私がどのようにあなたを導き、あなたを見守ったかを読むだろう。それは彼らに信仰を持って前進し続ける勇気を与えるだろう。」

「あなたが天国で私のために働くことはただの始まりだ。そこであなたはあなたに用意されたものについて深い満足感と喜びを見つけるだろう。私はあなたのすべての努力に報いるだろう。」

「大人でありながら子供のような者たち、彼らを世話する親のようなあなたたちに言いたいことがある。彼らは成長しなければならない、そして状況に応じて行動することを学ばなければならない。だからあなたたちが彼らを世話しながら決定を下さないでほしい。そうすれば、あなたたちが彼らの道を塞ぐことになるだろう。」

この時、私はエゼキエルと一緒にこのテーマについて話し合っていたのですが、彼はレマの言葉でヨハネによる福音書21章20節を参照しました。 イエスもその時私に言われました。**「あなたの夫がすべてを要約した。」**その内容は次のとおりです。

「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて來るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、『主よ、裏切るのはだれですか』と言った人である。ペトロは彼を見て、『主よ、この人はどうなるのでしょうか』と言った。イエスは言われた。『わたしの來るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。』」

これがメッセージの終わりです。

もう一度言いますが、主の御声に聞き従うことはいけにえにまさると思います。 この問題を主の前に持っていく時、あなたが持つことができるすべての動機を捨てて、ただ主の御心だけを求めてください。そして、皆さんの中には、主がこの問題を提起されなかったり、全く気にされなかったりする人もいるかもしれません。 そうすると、皆さんはおそらく、この問題について本当に無関心を感じることでしょう。 そして、もちろん、「天国に行きたい! 主よ、私の気持ちを知っているよね!」という気持ちがあるなら、それはおそらく、あなたに対する主の御心だからでしょう。 そうでなければ、主はこの時間より前に、あなたの心の中で、これに関連する言葉を言われたはずです。

主があなたに勇気と平安を与えてくださいますように。私たちのチャンネルをご覧いただきありがとうございます。神様の祝福が共にありますようにお祈りいたします。