181. 霊媒と口寄せの霊から離れるために
霊媒と口寄せの霊から離れるために
2015年4月24日
主が昨晩あったことと、昨日の朝にメッセージを残せなかった理由を皆さんと分かち合うようにと言われました。
私はいつものように祈りに入った時、主ととても親密になった感じがしましたが、主は今が書く時だと言われました。私たちはしばらくゆっくりとダンスを踊っていましたが、主は私をとても優しく抱きしめてくださいました。平和があり、主の声は強く、主の御言葉を見つけるために私の心の奥深くに入り、御言葉の糸口をつかむまでは、通常は少し不安があるのですが、その後、御言葉はずっと簡単に聞こえ始めました。まるで何層にも重なったサランラップを突き破って出てくるようなものです。 時には、主が一つの言葉の後にどんな言葉を言われるかわからず、一度に一つの言葉を書き留めていかなければならないこともあります。
ある時は糸のようにつながり、御言葉の内容が感覚的に感じられ、書き留めることがとてもスムーズに進むこともあります。 このように主と話をする時、私は誰と話しているのか非常に注意深く、警戒心を持ちます。以前にも騙されたことがあるので、今はほとんど氷の上を歩くように、私が話している方が本当に主であるかどうかをテストしています。
時々、私はただ突き進まなければならない場合があります。このプロセスは本当に大変なことで、信仰のテストを受けることになります。主が私たち全員のために毎晩私に御言葉を伝えたいと、初めて言われた時を覚えています。毎晩一言も聞けない時もあった私にとって、それは本当に大きな挑戦でした。
これについては、キャロルも皆さんに教えてくれると思います。 私が薄い氷の上でスケートをするとき、水中に落ちずに氷が私を支えてくれるかどうかわからないので、キャロルとエゼキエルにスカイプで私のために祈ってくれるように、頼まなければならないことがよくありました。 主が私のために私のそばにいることを感じましたが、サランラップの積み重なった層を突破しなければならないことが、よくありました。静寂、反対、調整の欠如、臆病さなどを経験することになります。 そうして主の声に集中し、周波数を合わせることになります。
昨日の場合も、キャロルとエゼキエルは私に「ただ突き進むしかない」と言いました。簡単な方法はないようです。 恐れや不安を、信仰を持って押し通し、主とつながるまで進み続けなければなりません。 これが主の御心であることを知っているからです。 だから私はそうしなければならず、簡単ではありませんでした。
昨夜の出来事をもう少し詳しく説明すると、主の御言葉の流れがつかめるまで押し続けるという形で、状況が始まりました。 しかし、昨夜受け取ったメッセージがいつもと少し違う点があり、メッセージが私の気に入らなかったということです。メッセージの内容が私を悩ませ始めましたが、私がこの内容が気に入らないと抗議するたびに、イエス様は私に従うようにと言われ、その方にはその方の理由があると言われました。今思えば、その方は実は主だったのかもしれません。さて、メッセージを読んだ時、流れがあり、真理の重みがあるように思えたのですが、内容が全く心地よくなかったのです。 なぜなら、私たちが考えるにはすでに終わった問題だと思うことを引き出して言われたからです。 だから不安でした。
成熟した分別力のある神の人である私の夫が、私を助けてくれていて、私が主の御心に留まるように助けてくれるので、本当に祝福です。エゼキエルはこの間、私の代わりに主を探し求めていて、彼もメッセージの内容について疑問を抱いていたからです。 エゼキエルがそのメッセージの内容が、心を不快にさせると言った時、私たちはそのメッセージを捨てて、私は「ここで止めましょう。 このメッセージは使わないで、捨てて眠りましょう」と言いました。そして朝起きた時、夫と私はそれぞれ異なる分別の方法を通して、主から与えられた答えを受け取りましたが、昨日私が受け取ったメッセージは主から送られたものではないということでした。
今、よりはっきり分かるのは、そのメッセージの内容はすべて事実でしたが、イエス様が言われたことではなく、何か操作されたもので、私は敵の攻撃を受けていたという事実でした。このようなことが起こると、私は本当に気分が悪くなります。とても不安になり、主との信頼が壊れたと感じるので、回復するのがとても、とても難しくなります。しかし、主がこのようなことを許可されたのには理由があります。
まず、私は主のメッセージを書き始める前に、かたき縛り付け祈りを捧げるべきだったのですが、そうしませんでした。 私は主と私がすでに繋がっているように感じていたので、その必要はないと思ったのですが、それは大きな間違いでした。私が自分自身を敵に無防備にさらしたことになったのです。 かたき縛り付け祈りは、主からインスピレーションを受けて書き留めた祈りでしたが、その祈りをするのに私は怠惰で無神経に行動してしまいました。 「大丈夫だろう」と思ってしまいました。
いつもなら、このすべての出来事に対してとても怒っていたでしょう。 なぜなら、もう他のメッセージを受け取るには遅すぎたし、皆さんに何も差し上げることができないからです。 しかし、今日何か違うのは、私が平安を感じていることです。 主が私に慰めを与えてくださるためにくださった、私の猫が、私が寝るときに私の側にいてくれました。私を舐めたり、可愛声を出したり、頭を撫でたり、猫のビスケットを作ったりするのを止めませんでした。 いつもは寝る前に1〜2分くらいはそのような行動をしますが、今夜は15分間、猫から純粋な慰めを受けたような気がしました。
主がこのすべてに関与していることを感じ、主がこのようなことを許可された特別な理由があることを知っていたので、私は比較的平安でした。
今朝、イエス様はエゼキエルに私たち全員のための完璧なメッセージを与えてくださったが、私はそのメッセージが主からのものであることを確信することができました。私は本当に主の御言葉を持ちたいという切実な思いがありました。エゼキエルが受け取ったメッセージはこうでした。**「私は昨夜、クレアに話し始めたが、彼女は昨日の出来事のために私の言葉を聞くのを恐れていた。 だから、自分の感情で汚染されたメッセージをあなたがたに伝えたくなかった。」**ああ、この説明は私にとってとても良い説明になりました。 当時は私がメッセージの方向性について不快な感情を持っていることに気づいていませんでしたが、とても、とても良い説明です。実際、私はその時受け取ったメッセージの全体的な部分が本当に不快でした。
うわー、この言葉を聞いて、本当に慰められますね!主が語ってくださったのですが、とにかく軌道から外れましたね。 そして今夜、私が主の言葉を聞く前に、エゼキエルが私の心のために祈ったとき、天使が私の心に刺さった複数の矢を取り除き、イエス様が来て、完全に回復するまで、その傷の上に香油を塗ってくださるのを見ました。 私は本当に癒しを必要としていました。 私は一晩中泣いていましたし、今夜はすべてが正常に戻るかどうか不安な気持ちでいました。エゼキエルが祈祷書を開いて主の御言葉を求めたところ、「主よ、御言葉をください、主のしもべが聞きます」という部分を開き、それに沿って祈りました。 その言葉が、主を期待しながら待つ勇気を与えてくれました。
もう一つ申し上げたいのは、主との親密さを切望する人にとって、今が決定的な時期であることをお伝えしたいと思います。 この時期を逃すと、大きなショックを受けてあきらめ、主の声を聞くために、二度と戻ってこないかもしれません。転んでも立ち上がり、何度も何度もやり直すには、多くの決意が必要です。 そして、いつでも失敗する可能性があることを知っておく必要があります。私たちの心はとてもきれいで、意見や感情に執着しないようにしなければなりません。私たちの心の中で投影された考えや感情は、主の声を聞くことを台無しにすることがあります。 ですから、転んでもあきらめないでください。自転車を習っている時に自転車から転倒してもあきらめなかったように、このことでもあきらめないでください。遅かれ早かれ、もっと良くなると信じています。
私が言うことはそれが全てです。それから、今夜主が言われたことを共有します。
「よく話した。共有してくれてありがとう。分別は決して簡単なことではない。一つの魂が経験できる最も失望的なことの一つは、欺く霊の言葉を聞くことだと知ってほしい。だから私はあなたたちに効果的な祈りを与えるために大きな苦しみを経験した。しかし、私が一つの魂に謙虚さを認識させようとするとき、その祈りは効果を発揮しないだろう。」
「愛する者たちよ、私はあなたたち全員を非常に愛しているが、あなたたちが私に要求することが、簡単にまたは一晩で実現しないことを、あなたたちは知るべきだ。」
この時点で私は、このメッセージが本当に主の言葉であるかを確認したいと思い、止まりました。私が止まったとき、主は私の顔を両手でつかみ、その姿を非常に鮮明に見せてくれました。目と鼻、全体の顔が非常に鮮明でした。そして、主は話し続けました。「大変だろうが、私を信じてほしい。私はあなたと一緒にいる。お願いだ。私を信じて。」
だから私は「レマの言葉」を使って、もっと確認しなければならないと思い、聖書の約束の本を取りました。本を開いたとき、私は「聖霊」を開くことになりました。わあ、主が明らかに当たったです。再び私は深呼吸をして、次の段落を書き続けました。
「愛する者たちよ、私はあなたたち全員を非常に愛しているが、あなたたちが私に要求することが、簡単にまたは一晩で実現しないことを、あなたたちは知るべきだ。私の声を聞く方法を学ぶには多くの訓練が必要だ。あなたたちは積極的に失敗を繰り返さなければならない。私が言いたいことに対する、あなたたちの期待を心から取り除くべきだ。心の中に隠されたアジェンダや意見があってはならない。そうでなければ、あなたたちは決して私の声の周波数を見つけ出すことができず、私の声をはっきりと聞くことができないだろう。」
「主よ、昨夜私に何が起こったのですか?」
「霊媒と口寄せの霊があなたに近づいてきたが、私はそれを阻止しなかった。それは私がどのようにしてあなたを誤りの穴から引き出すかを示したかったからだ。ちなみに、あなたが示した謙虚さはあなたに大きな利益をもたらした。」
「そうだったんですか?本当にありがとうございます。今は笑うことができますが、私が一日中泣いていたことはご存知ですよね?」
「あなたの涙は私の涙と混ざっていた。こんなことを経験させて本当に申し訳ないが、それは良いことのためだった。」
「私の花嫁たちに言いたい。私の声を聞く贈り物。この贈り物は簡単には来ないだろう。この贈り物が成長する過程で多くの苦しみを経験するだろうが、それが価値があると思わないか?」
「主よ、私の心に刺さっていた矢は何だったのですか?」
「それは誹謗と中傷だった。魂がその誹謗を聞くか聞かないかにかかわらず、それは魂に飛んできて刺さる。その言葉は波動のように飛んできて、目標となる魂に到達し、その源は理解されず、その魂に痛みをもたらす。」
「だから過去4~5日間、そんなに涙を流していたんですね?」
「そうだ、正確にその理由だ。あなたは悲しみに沈んでいて、私が聖書の言葉を通してあなたにヒントを与えたとき、あなたはその攻撃の源を見つけたようだが、あなたは私があなたに与えるものを、少し遮断する傾向があった。他の魂に対して、愛のために常に最善を尽くすことが良い。」
「はい、私もそれは確かだと思います。」
私は誰かを嘘で誹謗することよりも、醜いものはないと思います。以前にもそのような場合を見たことがあり、感じが非常に悪かったです。私は困難な過程を通じて、この事実を学ばなければならなかった。だから決断を下さなければならなかった。全ての答えを知る必要はなく、無実の人を誹謗することよりも、無知でいる方が良いと学びました。皆さん、悪魔は確かに異なる存在です。悪魔は私たちの最も親しい友人を敵にし、主が私たちに仕えるように送ってくれた人々の心に入り込み、私たちについて悪口を言わせ、彼らが私たちの敵だと私たちの頭で、ずっと騒ぎ立てるでしょう。
悪魔は人々の心に悪いものがあると批判することに、非常に熟練していて賢いです。誰が何を言ったのか、誰が何をしたのかという推測は、何度も間違えたことが証明されているのに、それにもかかわらず、私たちはそのような悪い推測を続ける過ちに陥ります。誰かを狙って、「あの人が私について悪口を言っているに違いない」と推測するよりも、むしろ無知のままでいる方が良いようです。
何が起こっているのかを知らなければならないと思う、強迫的な好奇心とプライドと、戦わなければならない。
私はイエス様を見つめて、「主よ、いつこの誤りを止めることができるでしょうか?」と言いました。
「天国で。すぐに。」
「ああ、ありがとうございます。『すぐに』という言葉を久しぶりに聞きました。」
「いつかとは聞かなかったね。」
「ええ、どうせ言わないでしょうから!」
「前にはそんなこと一度も言わなかったけど。」
「うーん、教訓を得たみたいです。」
「そうだね、でもすぐに私は行くだろう。」
「主よ、ありがとうございます、でも…」
「前にもそう言ったことがある。」
「どうやって知ったのですか?」
「私の記憶力が良いからだよ!」
その時、私は笑いました。
「その笑顔、それこそが私があなたから見たかったものだ。あなたの笑顔をもう一度見たかった。こんな屈辱的な試練を経験させたことを許してくれるだろうか?」
「でもあなたは神だから許すことはないです。」
「そうだね、でもあなたが苦しんでいるのを見るのは私にとって、楽しいことではないと知ってほしい。それが全てだ。」
「主よ…許します。これが最善だということは私も知っています。」
皆さん、私の頭がとても痛いので、もう寝なければなりません。
「主よ、私たちに祝福をください。」
「私の愛する者たちよ、私を捨てず、私について悪く考えず、常に私があなたたちの最善の利益を守っているという事実、私があなたたちの人生で行なったり許可したりする、全てのことがあなたたちのための最善であるということを、知ってほしい。あなたたちは天国でこの事実を確実に理解するだろう。勇気を持ち、忠実であり、愛することを願っている。この贈り物であなたたちを祝福しよう。」
アーメン、主よ、ありがとうございます。