271. 私の言葉の上に固く立ちなさい
私の言葉の上に固く立ちなさい
2015年9月23日
主は私たちと共におられます。 そして主は今、私たちの必要をとても優しく見守ってくださっています。 そして、私たち全員がまだこの地にいます!昨日は皆さんと一緒にいられず、本当に申し訳ありませんでした。私は歯の神経治療を2回受けましたが、回復の過程が楽しいものではありませんでしたが、私のために祈ってくださった方々に感謝したいと思います。本当に祈りが必要な状況でした。 何人かの方に祈りのリクエストを送ったのですが、皆さんの祈りに主が本当に感動してくださり、私はようやく眠りにつくことができました。 それまでは本当に悲惨な状態でした。 まだ私の言葉が少し聞き取りにくいかもしれませんが、私の言っていることを理解するのは少し難しいかもしれません。
今夜の礼拝はとても特別なものでした。 主は8歳くらいの幼い子供として現れました。 そして私は頭に花を挿し、ピナフォアのドレスを着た少女の姿をしていました。私たちは子供たちが踊るように、とても天真爛漫に、いたずらっぽく楽しく一緒に踊っていました。それは本当に甘い時間であり、主は幼い女の子としての私の姿を見せることが必要だと強調されました。 主がなぜそうされたのか、私はよく分かりませんでした。私が歯医者さんに対してとても怖がりなのが関係しているのかもしれません。
主は夜中ずっと私にとても優しく、私を子供のように接してくださいました。 主が私に語り始めたとき、私は脇に下がり、主の言葉を聞いて書き留めました。私はこう言って始めました。
「主よ、私は痛みがとても怖いです。 この前の歯医者に行ったときのように、少し痛いのも怖いです。」
主の言葉を伝える前に、参考までに、もう少しお話ししたいことがあります。昨日の私は本当に疲れていて、昨夜ベッドに横たわり、口の中がズキズキとドキドキしていたのですが、少しづつ良くなってきていたのですが、主に向かってこう言っていました。「ああ、主よ、人生は本当に疲れました!この混乱から抜け出したいです。 本当に本当に退屈です。こんな人生は本当に価値のないように思えます。私は本当に怖いです。 主のために、少しの歯痛や二度の歯痛にも耐えられないほどです。本当に疲れました。携挙を待つのも疲れましたし、世の中が良い方向に進まないことにも疲れましたし、まだ分からないことはたくさんあり、主をただ待つ立場にいることも疲れました。 このすべてのことはただ私の立場に過ぎず、極めて肉体的な考えに過ぎません。霊に属する考えではなく、霊的な人から出てくるわけでもなく、ただ自己憐憫と子供から出てくるようなものです。」
主は私にとても優しく言われました。「私も知っている。あなたがどのような気持ちか知っている。クレア、ここに頭を置いて休みなさい、本当に時間はもうすぐだ。あなたが苦しんでいるのを見るのは嫌だ。私は決してあなたが苦しむことを好まない。 時々、人生には必要な悪が存在するものだ。それでも、私は苦しみを嫌悪し、あなたがこの地から解放される日を待っている。その時、あなたに残っている苦しみはほとんどなくなるだろう。天国では、人々が死を選び、命を拒絶するのを見る道徳的な苦しみを除けば、苦しみは無くなるだろう。しかし、そのような苦しみさえも、あなただけに限定されるだろう。天国には、ほとんど常に絶え間なく続く、お祝いのような異常な喜びのレベルがある。極端な変曲点においてのみ、私たち全員が静かになる。そんな時がもうすぐやってくる。」
「主よ、私は携挙については全く考えないでいます。時々、生きているうちに携挙を見られるかもしれないと思うこともあります。」
「あぁ、そんなことはするな。他の人たちはあなたがしっかり立っていることを望んでいる。それが今夜私が教える教訓だ。与えられたものにしっかり立ち続けることを望んでいる。与えられたものは信頼できて確かなものだ。クレア、混乱の時代だからこそ、道に迷わないよう特に気をつけなければならない。」
「でも、6月に起きたことで、反発する人もいるでしょうね。」
「私と本当に親しい全ての人も、それを感じた。だとしたら、なぜ心配するのか?あなたは全ての人を満足させることはできない。ただ私を喜ばせてくれることを望む。」
「主よ、私が耐えられるよう助けてください。今は辛すぎます。」
「そうするつもりだ。だから今夜、しっかり立ち続けることについて話そうと思う。あなたができる全てのことをし尽くし、できる限りのことをした後で、もうできることが何もないとき、しっかり立ち続けることについて話すのだ。」
(エフェソの信徒への手紙 6:12〜13) わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
「あなたがたが生きているこの時代は明らかに悪い日なのだ。まさにこの時代こそが悪い日なのだ。そしてあなたが自分の信仰を打ちのめされるのを許すなら、そうなるだろう。あなたはそうなることを望むのか?」
「信仰が打ちのめされるのをどうすれば防げますか?」
「すべての思いを注意深く見極め、あなたが正しい道に立っているという私のしるしを探さねばならない。私はあなたが今直面している状況を正確に知っている。人生に疲れきっていて、間もなく訪れる未来への恐れもあなたの心の中にある。私の花嫁よ、私はあなたがどんな悩みを抱えているか良く分かっている。」
「ああ、主よ、携挙の夢や何か他のもので私に力を与えてください。主の豊かな贈り物の倉庫から何でも取り出して、私に力を与えてください。私の心はとてもくたびれています。」
「あなたは回復するだろう。そして回復したら、私の子らに時間があとわずかしかないことを、確信させることができるだろう。だから私たちは、あなたの歯の痛みをあまり長引かせないようにした。あなたはすぐ天国で完璧な歯を持つことになる。矯正器具は必要なくなるだろう。この地上で持っていたすべての間違ったもの、それらすべてが消え去り、あなた方になかった不完全なものすべてが消え去って、完全になる。」
はい、私も子供のころ、十代のころ、前歯が出っ歯でした。それを忘れられません。口のことで、とても恥ずかしくて笑えませんでした!その後、矯正器具をつけ、状況がずいぶん良くなりました。
主は聖書を引用し続けられました。
(コリントの信徒への手紙一 15:52〜58) 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
わたしたちの主イエス․キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦勞が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
「堕落によって生じた不完全なものは、完全なものと置き換えられるだろう。天国には、汚れたものや欠けたものは一つもない。」
「クレア、私のもとに戻ってくるか?」
その時、私の意識はぼんやりしていて、そのまま青空にふわっと、飛んでいってしまったような感じでした。その時、主が「クレア、私のもとに戻ってくるか?」と言われるのが聞こえました。
「主よ、すみません。私はどこに行ってしまったのでしょうか?」
「それは重要ではない。今戻ってきたからよしとしよう。偽りの言葉が巷を騒がせている間、預言コミュニティでは分裂が起きるだろう。ある者は信仰さえ失うかもしれない。あなた方は、戻ってくる者に対して、門と心を開いておいてほしい。」
「もし彼らが本当に私の声に耳を傾け、世俗的な根源を持つものから出てくるものを求めなければ、このような波紋はなかっただろう。しかし、そういった世俗的な源から出るものはあまりにも誘惑的なのだ。重要なことの多くは、ニュースには載らない。重要なことは秘密裏に進行する。公に露見するのは、十分な時間が経った後だ。」
「私は誰も非難したくはない。彼らが私を探し求めていれば、こんな恥辱、失望、恐れは訪れなかっただろう。私の花嫁たちよ、あなた方の心が私と一つになれば、あなた方は私の心拍を聞くことができるだろう。その拍動が速くなれば、何かが起きていると分かるはずだ。しかし私の心拍は、この月いっぱい絶え間なく打ち続けていた。あなた方が私の中に留まっていれば、それが分かっていただろう。」
「世の心臓は常に不規則だ。それは敵がわざと不安、不安定、恐れを引き起こすためにそうしているのだ。こうした感情は、あなた方が私から注意をそらし、自分自身の安全に集中するようになる。ここで重要なのは信頼だ。あなた方が私の中に住み、私もあなた方の中に住めば、私はきっとあなた方の全ての心配に対処するだろう。まさしくあなた方が私の課題に集中するほど、私はあなた方の用事を安全に見守るだろう。あなた方から何の努力もなしに、私はそうするつもりだ。」
「クレア、これではあなたが今必要としているものが満たされないことを私は知っている。ああ、私の愛する者よ、あなたはあまりにも疲れ切っている。今祈り、聖書を開いてごらん。そうすれば、あなたが聞きたいものを私があなたに見せてあげよう。」
その後、主は私の聖書を裏返して後ろから開けと言われました。私はそうしました。私が開いた箇所はこうでした。
(ルカによる福音書17:24~35) 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。
しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。
ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。
ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って來て、一人残らず滅ぼしてしまった。
ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、
ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。
人の子が現れる日にも、同じことが起こる。
その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。
ロトの妻のことを思い出しなさい。
自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。
言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。
二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」
「見たか、私の愛する者よ。これが私が言うことだ。」
「ああ、主よ、御言葉に感謝します。」
「クレア、あなたはもう長く待つ必要はない。落胆するな、私のもとで休息を得てほしい。私の中に留まり、生ける御言葉に寄り頼んでほしい。生ける御言葉とは、私があなたに与える新しいマナのような言葉のことだ。あなたが持っている500ページの聖書の中から、そのレマを導いてくれたのは誰だと思うか?」
私は微笑みました。
「主よ、推測したり、あなたの忍耐を試そうとしているわけではありませんが、もしかしてニュースなどで、確認できるようにしてくださいませんか?つまり、世のニュースではなく、主が直接世話をするニュースの中で、ということです。ああ、私が何を言っているのか分からなくなってしまいました。主一人で十分ではないかのように言ってしまいましたね。恥ずかしいです。」
「人間性の世界に足を踏み入れたことを歓迎しましょう。クレア、あなたは他の人と変わりはない。ニュースを見なかったからといって、見たくなかったわけではない。今も、あなたの心は世俗的な確認を渇望している。私の愛する者よ、私はあなたをどうすればよいだろうか?あなたがこうも情けなく失敗するのなら、どうしてほかの人々を導くことができようか?」
「それは簡単です。私は誰も導いていないのですから。ただ主に従っているだけで、主が私たち全員を導いてくださっているのですから。」
「その答えは私を喜ばせる。それでは、あなたが求めているものの一部を許そう。検索ウィンドウにタイプしてみなさい。world news, Israel 9–28」 。
私はそのままタイプしました。そして何が出てきたと思いますか?本当に興味深いことでした。私が期待したものとは違いましたが、興味深いものを見ました。
World news, Israel 9–28。 エスデル記9章28節
2015年4月6日、プリムの祭り(運命逆転記念日)
「こうして、この両日はどの世代にも、どの部族でも、どの州でも、どの町でも記念され、祝われてきた。このプリムの祭りは、ユダヤ人の中から失せてはならないものであり、その記念は子孫も決して絶やしてはならないものである。」(エスデル記9章28節)
「世界中のユダヤ人、特にイスラエルでは、プリムは一年で最も幸せで楽しい日です。同時に、非常に神聖で精神的な日でもあります。なぜなら、この日ほど私たちの運命を変え、私たちに救いをもたらした神との関係が近いことはないからです。」
この記事を読んで、私は考えました。「もしかしてこれは、主がプリムの時に、私たちを連れて行かれるということでしょうか?そうとは思えませんが…」
「それを文字通り解釈しようとしてはいけない。それがあなたの間違いの一つだ。単純なことだ。その日、私たちの関係が最も近くなるという事実を受け入れるだけでよい。それで十分なのだ。」
ここで、エゼキエルが言いました。主が今夜彼に見せてくださった聖句を、私に見せてくれました。
エレミヤ書39章17〜18節、「しかし、その日に、わたしはあなたを救い出す、と主は言われる。あなたが恐れている人々の手に渡されることはない。
わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる。」
詩篇27篇14節、主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。
そしてここに、エゼキエルが受けた別のメッセージがあります。私はエゼキエルが祈っていたことを知りませんでしたが、彼は私が祈る1時間前に祈っていて、そのときに与えられたメッセージだと言いました。
コリントの信徒への手紙一15章58節、わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦勞が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
「私の愛する花嫁よ、私が教えたことに心を留めていてほしい。私はすぐに行く。その日がもうすぐ来る。視線を逸らしたり、手を緩めたりしてはならない。しっかりと立ち続けなさい。あなたがたの時が来ている。」
「私の花嫁たちよ、今こそあなた方一人一人が聖書を開き、私があなた方一人一人に与える御言葉を受け取る時だ。今こそあなた方が私の御言葉の上に確かに立つ時なのだ。」