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283. この時代は偽りに満ちている

この時代は偽りに満ちている

2015年10月3日

愛する Heartdwellers の皆さん、主の祝福と親切さがわたしたちと共にありますように。主は常に、主に大きな喜びをもたらすこの小さな群れを守っておられます。

今夜、主は最近わたしたちのユーチューブ・ファミリーに起きた出来事について、話されたいと望んでおられます。主は、わたしたちの中に傷つけられた戦士たちがいることを、お知らせくださいました。彼らは、わたしたちのチャンネルで教えている内容について、偽りと誤解にさらされており、このメッセージに従えば地獄に行くと脅迫されさえしています。イエス様はこれらの傷ついた魂々のことを深く悲しんでおられます。

このユーチューブチャンネルでは、このような問題に時間を割く余裕がありませんが、主は、ここで教えている内容が聖書に合致するかどうかについての、個人的な懸念を投稿し、混乱を解消する場所を提供するため、「Triage」と呼ばれるブログを作るようにと仰られました。わたしたちはみなさん全てを深く愛しており、わたしたち全員が真理と愛の中を歩めるように願っています。これは人の善悪を離れ、性格の善悪を離れ、真理と霊的戦いに関すること、神の心に関すること、そして神がこのチャンネルで、自らを表現される方法に関することです。私の経験からすれば、主は慈しみのこころがない時は叱責なさいますが、教理の誤りについてはそこまで叱責なさらなかったように思えます。

このブログが軌道に乗るまでお待ちいただき、その間、主の言葉があなたがたに平安と希望をもたらしますように。これは主から今日与えられた課題ですので、数日中にブログが準備でき、あなたがたにお知らせできるはずです。このチャンネルで教えている内容が、聖書に合致するかどうかについての懸念は、そのブログに投稿していただければ幸いです。そうすれば、そこであなたがたからの要請に答えることができるでしょう。しかし、もし誰かが非難の霊や議論の霊を持ってわたしたちに近づいてくれば、聖書の言うとおり、そうした事態に巻き込まれないよう、答えを投稿しません。しかし適切な質問には当然答えさせていただきます。

私は主に尋ねました。「主よ、わたしたちにメッセージをお与えくださいますか?」

そして主はこう仰られました。「心の貧しい人々は、幸いである、天の王国はその人々のものである。」

私がこの言葉を書き留めていると、別の部屋にいたエゼキエルが走ってきて、主から次の言葉を受け取ったと知らせてくれました。イザヤ書57章20〜21節、「神に逆らう者は巻き上がる海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。神に逆らう者に平和はないと、わたしの神は言われる。」

主は続けてこう言われました。「心の貧しい者は幸いである。天国はその者たちのものだからだ。彼らはそのまま満足せず、正義に飢え渇いている者たちなのだ。あなたがたは完全に私に依存しているので幸いである。あなたがたは自分の義で行動したり、自分の意見を持って、常に防衛的な態度を取ることに安らぎを感じることはない。代わりに、あなたがたは柔和で謙遜な心で私を見上げ、すべての答えを私から求め、常に真理に従う準備ができている。そんなあなたがたは幸いである。」

「あなたがたは道に迷うことはない。あなたがたの不安は、あなたがたが完全に私に依存するようにさせる。一瞬一瞬を過ごす際にも、そうしてあなたがたは私に依存している。あなたがたの心は私の心と同じように打っており、自分自身に満足することなく、常にもっと私を求めている。」

「あなたがたは、私の国の良いもの、つまり正義と平和と喜びで満たされるだろう。」

「私の息子と娘たちよ、あなたがたの目と心が絶えず私に向けられていることを続けなさい。毎日、新しいマナを見つけなさい。あなたがた一人一人が、毎日独特の必要を持っているのだ。私の霊は別の主題で動く傾向があるが、それでもあなたがたの独自のニーズを満たす必要がある。」

ここで主が言われるマナとは、私たちのチャンネルで出会う新しいマナのことではありません。あなたがた一人一人が主と過ごす毎日の個人的な時間に、主があなたがたに与えられる新しいマナのことを言われています。

「だからこそ、私は万物よりも私を求めるようにあなたがたに教えているのだ。あなたがたがそうして私を求めれば、私があなたがたを備えさせ、やがて来る試練に対して準備させるだろう。道が険しく厳しい時、私があなたがたと共にいること、私があなたがたを導き、導いていることを、あなたがたに確信させるだろう。」

「宗教の霊に武装した悪魔たちが、教会のあらゆる領域に引き続き侵入し、侵入した場所で繁殖していく。悪魔たちは善悪、正しいと間違ったものの境界線を曖昧にしようとするだろう。私の心の奥底にあり、私と親密な関係を保ちながら生きていない者たちを操るため、悪魔たちは執拗な生命力を持つ律法主義を使うだろう。」

「多くの人々の心が律法的なものに従い、それによって正しいと間違ったものを判断しがちであるため、多くの人々が欺かれ、誤りに導かれてしまうだろう。回心する前のパウロ使徒がそうであったように。宗教指導者たちは、私が彼らのところに来た時、私を認識できなかった。なぜなら彼らは律法の文字に従って生きており、律法の心に従って生きていなかったからだ。そのため、彼らは律法と伝統に従って設けたすべてのものが正しいと考え、そういった固まった信仰の観点を脅かすものは何であれ、非難し激しく攻撃したのである。」

「彼らは、私が謙遜で柔和な心で、この世に来るとは思っていなかった。富と知識と権力を誇示する行列を期待していたのだ。しかし、そういったものは決して私の心にはなく、私の方法でもない。私はこの地上で、他のどんな人々よりも最も貧しい者たちに近づき、共感する。私の心は、失われた者、捨てられた者、そして毎日、貧しい生活を送り、生きるために一日一日努力しなければならない、最も貧しい者たちと共にいる。このような貧しさゆえに、彼らは決して自分の義にも、自分に満足することにも陥らない。むしろ、彼らは毎日、私の衣裾をしっかりと掴んで生きているのだ。」

「このような生き方はアメリカの方法でもなく、この地球のどの国の方法でもない。しかし、これが神の国の方法なのだ。すべての人々が私に完全に依存し、持っているものは私から与えられたものだけの国。この教えは崇高な教えで、最も謙遜な心でしか受け入れられない教えなのだ。こうした者たちが私の民である。謙遜で悔い改める者たち、これらの者が私の最も重要な務めを受け持つように、私が選ぶ者たちなのだ。なぜなら、彼らは決して、彼らを通して成し遂げられたことに対して、自分の手柄を探すことはないからだ。」

「あなたがたが生きているこの時代は、偽りと欺瞞に満ちている。あらゆる律法的な内容を含んだ書物が広く展開されている現実を、あなたがたは確かに見るだろう。その書物の周りに、悪魔たちが集まり、自分たちの矢を選ぶ。矢じりには高慢と律法主義という毒が滲んでいるが、これこそがファリサイ人やサドカイ人に使われたものなのだ。 その矢があなたたちに命中すれば、あなたたちの心臓に向かって、肉が腐敗していく病を広めるだろう。その心とは、私があなたがたの内に宿っている最も繊細な部分であり、そこが完全に破壊され、高慢と冷たい知識で置き換えられてしまうのだ。」

「この高慢と律法主義の毒に感染した者たちは、良心の呵責や疑い、恐れと戦うことになり、もはや平和を感じることができなくなる。これは彼らの魂に毒が広がっていることを示す兆候となるだろう。平和がないということは、悪魔の影響下にあることの主要な兆候なのだ。あなたがたはこの事実を数ヶ月学んできたので、あなたがたの心から平和が奪われた時、悪魔の毒が入り込んできたことを認識しなければならない。認識しないわけにはいかない。」

「ある者たちは、この高慢と律法主義の毒を好むようになるだろう。そして、それらがますます心の内に入り込んでくるだろう。彼らについてはこう書かれている。イザヤ57章20〜21節、『神に逆らう者は巻き上がる海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。神に逆らう者に平和はないと、わたしの神は言われる。』」

「もしあなたがたの内にこの悪の種が感じられるなら、それは私があなたがたを悔い改めの場に招いているということだ。私はこうも言った。『盛り上げよ、土を盛り上げて道を備えよ。わたしの民の道からつまずきとなる物を除け』。つまずきとなる物を取り除くとは、私の民が高慢と律法主義の虜囚状態から解放されることを意味する。そのような虜囚状態から抜け出し、私の慈しみの懐に走り来て、私と親しい交わりを持てるようにするためなのだ。」

高く、あがめられて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる。

わたしは、とこしえに責めるものではない。永遠に怒りを燃やすものでもない。霊がわたしの前で弱り果てることがないように、わたしの造った命ある者が。

貪欲な彼の罪をわたしは怒り、彼を打ち、怒って姿を隠した。彼は背き続け、心のままに歩んだ。

わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、休ませ、慰めをもって彼を回復させよう。民のうちの嘆く人々のためにわたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる。

神に逆らう者は巻き上がる海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。

神に逆らう者に平和はないと、わたしの神は言われる。

イザヤ章57章15–21節。

「あなたがたの中には、通っている教会で、律法学者やファリサイ人のような者たちに深く傷つけられた人がいる。あなたがたは心を枯らして歩き回り、私に愛されることを切に望んでいる。しかし、悪い者たちの声がさまざまな恐れを引き起こし、あなたがたの平安を絶えず奪い去っている。」

「あなたがたはそうした組織から吐き出される、苦い水と世俗的な方法に飽き飽きしてきた。それらはあなたがたに私の善意に疑問を持たせてしまった。そういうあなたがたに、私はこう言いたい。私のもとに戻り、私を受け入れなさい。死んだ者には死んだ者に死者を葬らせなさい。あなたがたを私から引き離し、傷つける道を歩むのはやめなさい。あなたがたを攻撃するのに使われた武器を手に取ることなく、あなたがたを脅かすように見える人々に、立ち向かって戦うことはしないでほしい。」

「代わりに、謙遜で悔い改めの心を持って私に来て、あなたがたの傷と弱さを告白してほしい。あなたがたに起きたこと、心の中に埋もれている苦い否定的な思いさえも、許せないような思いまでも、私に打ち明けてほしい。今こそ、この高慢と律法主義という悪が進行するのを止める時なのだ。もはや人々に対して戦う武器を手放し、十字架を負って私に従う時がきた。私はいま、あなたがたを悔い改めに招き、私の開かれた腕に招いている。まさに今こそ、偉大なる神の知識が開かれる時であり、私があなたがたの中に愛する救い主として現れ、すべての律法と預言者たちが語ったことを成就し、あなたがたを私の慈しみと愛の心へと導く時なのだ。」

「あなたがたが手にしている高慢や律法主義のような武器は、あなたがたに平和をもたらすことはできない。それらは、ずっとどろと汚れとを掻き立てるだけだ。しかし、私はあなたがたを清らかで澄んだ水、いやしの水へと招いている。そこで私は、あなたがたを清め祝福し新たにし、私の愛の回廊へと招き入れ、ついには私の心の中で永遠に共に住むことを招き入れ、待っているのだ。今こそ、その時なのである。」