286. 失望と非難が近づく時
失望と非難が近づく時
2015年10月11日
Heartdwellersの皆さん、主は私たちと共にいます。主が私たちと共におられるということを考えると、すばらしいことです。主は今夜、私たちに備えと防御、そして励ましのメッセージをお与えくださいました。
まず、私たちのメッセージに関する質問とその回答をまとめて、「手紙」というシリーズの本にしたいと思っています。もしこのメッセージを聞いている方で、この「手紙」シリーズを確認し、本として編集・出版を手伝っていただける方がいらっしゃれば、私たちの働きに大変助かります。
もう1点は、キリストの体である教会に向けられる不安の攻撃についてです。これはLana Vawserという女性が書いたものですが、私は彼女が神の人で、本当の預言者だと思っています。数ヶ月間、彼女のメッセージを読んでいますが、非常に的確なメッセージが多いと思います。
彼女の最近のメッセージは次のようなものでした。
「不安の攻撃」
「私は敵が、キリストの体である教会を通して動いているのを目にしました。敵は手に弓と矢を持ち、神の民の決定的な弱点を探していました。そこを射抜けば、神の民の中に、より高次の不安と恐れを引き起こせることをよく知っていたので、決定的な弱点を見つけようとしていたのです。」
「私は敵が、神の民を平安から離れさせ、極度の不安へと移行させる決定的な弱点を攻撃するため、体と心、感情と状況に向けて矢を放つのを目にしました。」
「敵が矢を放ち動く時、私は主がキリストの体の中を歩まれるのを目にしました。主は弓と矢を持っておられ、その後ろには弓と矢を手に持った巨大な天使の軍勢がいました。主の手と天使たちの手に持たれた矢の大きさは、敵軍が放つ矢の二倍ありました。」
「主は御自身の民を通して動きながら、このように言い続けられました。『私を見なさい、私だけを見なさい、私を見なさい。私があなたたちに言ったことを覚えていなさい。敵がどこを攻撃するか、私が言ったことを覚えていなさい。私が言ったことを捉えて、信仰が働くようにしなさい。私があなたたちを救うからだ。打開と飛躍的な前進を二倍にしてあげよう』。」
「主と主の天使の軍勢は、神の民の人生にある『決定的な弱点』を見守っておられました。そして神の民は、敵が放つ火の矢の中で、主に救いと癒しを求めて叫び、主を信頼する積極的な一歩を踏み出しました。すると突然、主の弓と天使たちが持つ弓から矢が放たれ、神の民の人生にある打開と飛躍的前進の決定的な弱点に命中し、二倍の打開と飛躍的前進の油注がれました。」
「この打開の決定的な弱点が命中されると、より大きな平安と癒しの洪水が、より大きな権威とともに神の民に注がれ、彼らが直面したまさにその領域を通して、他者にも平安と癒しの打開をもたらすことになりました。」
「皆さん、平安の中にいてください。主を見つめ続け、敵が攻撃すると言われた箇所を覚えていてください。神の民に向けられた不安の攻撃はありますが、あなたたちは主に向けた顔を石のように固く据え、主と主があなたたちに語られたことを信頼することで、不安の攻撃に倒れないように、選択できるでしょう。」
「力強く立ち上がりましょう。この攻撃はすぐに過ぎ去り、私たちは主の内により大きな打開、より大きな平安、より大きな権威に向かって進んでいくのです。」
ここまでがLana Vawserのメッセージでした。彼女はオーストラリア出身のようです。
次は、今夜主が私たちにお与えくださった言葉です。
「私は私の花嫁たちに、できないことを期待したり要求したりしない。私が持つ一つ一つの期待や要求には、それを成し遂げるのに必要な恵みが注がれている。しかし、多くの人々が敵に惑わされて重荷を背負っているが、それは私が課したものではなく、宗教の霊というあの悪霊たちが課したものなのだ。信じる者をパリサイ人のようにしようと訓練された霊たちなのだ。」
「私は言わなかったか?『彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。』マタイによる福音書23章4節。
「このような重荷をあなたたちに課すのは私ではなく、あなたたちの過去から引っ張り出してきた声、悪霊たちなのだ。彼らはあなたたちが犯したこともない罪をあなたたちに転嫁し、その重荷の下であなたたちが打ちひしがれるのを見て、喜ぶ。」
「私の子供たちよ、もし何かがあなたたちに全くできないと感じられるなら、それは私があなたたちに提案していることかもしれないし、敵があなたたちに罪の裁きの重荷を課していることかもしれない。実を見れば、あなたたちは見分けられるだろう。私の霊は柔らかく、可能性に満ちており、その道を歩むのに希望と力に満たされる。しかし敵の声は圧倒的な力を感じさせ、落胆と束縛、絶望感が伴う。私があなたたちをより高い場所へと導こうとするなら、あなたたちが受け入れられる方法でそのビジョンを提示するだろう。」
「あなたたちは私の言葉に耳を傾け、敵が暗示することに従わないよう注意しなければならない。例えば、もし私があなたたちを世の娯楽を控えめにするよう導こうとするなら、確実に不潔で、あなたたちの注目に値しない、はっきりとしたものから始めるだろう。あなたたちはそういったものに対して良心の呵責を覚えるはずだ。『これは健全ではなく神に喜ばれるものではない』と感じるはずだ。そしてそういったものを断つことに喜びを感じるだろう。ゆっくりと私は、そうした世の喜びを、私の臨在と撫でるようなものに置き換えていく。あなたたちは私に集中した純潔な心の実を結び始めるだろう。それは非常に甘美なので、その甘美さがあなたたちの心を、つまりそういった娯楽の源泉である世から私に向けさせるだろう。こうして私は働くのだ。」
「しかし、もしあなたたちが非難の気持ちや告発を感じるなら、例えば『ほらごらん、またけがれた水を飲んでいるじゃないか!怠けて、主の仕事をしなければならない時間をそんな番組を見るのに使っているじゃないか!あなたは携挙の時にこの地に残されるだろう!』といった言葉は、明らかに宗教の霊が告発するものであり、あなたたちを萎縮させ、休息が必要な時に純真な娯楽を見ることを誹謗するものだ。」
「これは、私とあなたたちの親密な交わりと友情がなぜそれほど重要なのかを示している。私との親密な交わりを通して、私があなたたちに関係することについてどう考えているか、あなたたちは知ることになる。そうすれば、敵はあなたたちを宗教や律法主義で攻撃できなくなる。なぜなら、あなたたちはその攻撃がどのように行われるのか、1キロメートル以上離れた場所からでも、とても細かく見ることができるからだ。私はあなたたちをそのような宗教と律法主義の束縛から解放し、あなたたちは過去の経験を通して、神への人間の営みがどのようなものか良く知ることになる。」
「砂漠の教父たちと本当の初代教会のときにこんな話があった。大きな湖を渡る船の中に二人の修道士がいた。船の後ろにいる修道士は力強く櫂を漕いでいたが、前にいる修道士は風を楽しみながら、御菓子を食べていた。後ろにいた修道士は心の中で不平を言い始めた。『なぜ私だけが櫂を漕ぎ、あの者は一度も手伝わないのか』。そのとき、突然、彼は自分と修道士の上を天使たちが上り下りするのを見、主の声を聞いた。『一人は働き、一人は休んでいるが、私の目には両方とも同じように聖なるものだ』。その修道士はそれからさらに熱心に櫂を漕ぐようになった。なぜなら、自分の心が主の内にあることがとてもうれしく、その仕事が、主が自分のために与えてくださったものだからとてもうれしかったのだ。」
「この話は、私が一人一人に選んで与えるものが、いかに適切なものであるかを示している。私はあなたたちに数ヶ月の休息を選ぶこともできる。しかし、その休息が私の意志であることがあなたたちに分からなければ、あなたたちは非難と恨みという、敵の攻撃に簡単に陥ってしまうだろう。そうなると、あなたたちは本当に休めずに、非難と否定的な考えにどんどん深く落ち込んでいくことになる。」
「あなたたち一人一人、それぞれの季節がある。時に応じて、私はあなたたちを形づくり、完成させていく。だから、自分で考えて聖なるものと見なすことに従うのではなく、私が導くものを受け入れてほしい。そして私があなたたちに働くように召すとき、周りの人々が休んでいるなら、憎しみや嫉妬をするのはやめてほしい。私はすべての人に、その人なりの時と季節を与えている。あなたたちの役割は、柔和な心で私の導きに気づき、従順な心で受け入れることだ。私があなたたちに務めるよう与えることで、喜びと幸せを見つけてほしい。他人と比べるのはやめ、あなたたちに与えられていないことを手に取るのはやめてほしい。」
「主よ、これが私が痛みを感じる部分です。映画も見るな、音楽も聞くなと、私が意図していないことで私を非難するのですが、私はどうすればよいでしょうか。主もそのようなことは言われたことがないのに、人々はこのように歪めて心に刻み付けています。」
「私の娘よ、そのような反応は、弱い状態にある魂、つまり自分自身や外部から非難を受けて苦しみ、弱っている魂からでるものだ。このような人々は、実際にも想像の中でも、絶えず非難の攻撃を受けているので、過剰に反応するのである。だからこそ、我々は一人一人の魂を非常に繊細に扱わなければならない理由がここにある。しかし、私の言葉を傷つけてはならない。」
ここで一旦、弱い状態の魂について言及されたとき、ラナが語った決定的な弱点に関連があると思いました。人々が以前に非難によって傷つき、苦しんだ決定的な弱点を、敵が見つけているのです。
「そのメッセージが自分と何か関係があるかどうか確認するために、私と一緒に確かめ、私の声を非常に注意深く聞けるよう、人々を教えてあげてほしい。私はあなたたち全員を純潔な生活に招いている。あなたたちが見たり聞いたりするものから、純潔な生活を送ってほしい。ある人々にとってはこの招きが脅威となるだろう。なぜなら私は長い間彼らを招いているのに、彼らは私に抵抗しているからだ。ある人々にとってはこの招きがショックになるだろう。なぜなら彼らは自分が送っていた生活スタイルが、私に不快なものだったことを全く知らず、そのような教えを受けたことがなかったからだ。純潔な生活についての私の教えと招きに対して、私を喜ばせ従順でありたいと思う者はすぐに反応するが、変わる意志のない者はむしろあなたたちを非難するようになるだろう。あなたたちが思ってもみなかったたくさんのことで、あなたたちを攻撃するだろう。」
「イエスはこう答えて言われた。『わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。』」ヨハネによる福音書14章23〜24節。
「あなたたちが聞く私の言葉について、それが私から出たものなのか、悪魔から出たものなのか、見分ける方法とその結果について説明した。この知識を一瞬一瞬、日々使ってほしい。そうしないと、あなたたちは必要以上に非難と否定的な考えに陥ってしまうだろう。私との個人的な親密な時間に代わるものは何もない。これだけが、あなたたちが進んでいる道が正しい道であるかどうかを、確信できる唯一の方法なのだ。」
「最初に言おうとしていたことに戻ろう。私は決して私の花嫁に、できないこと、不可能なことをするよう求めない。悪魔たちはあなたたちが見分けを誤り、間違った判断をし、自分自身を非難するよう仕向けるために、あなたたちを混乱させようとするだろう。覚えておいてほしい、彼らが望むすべてのことは、あなたたちの喜びと平安を奪うことなのだ。突然の嘘の攻撃に注意を払わなければならない。その考えの流れを注意深く見なければならない。こういった攻撃は、敵が最も好む攻撃方法だ。また、自分自身に対して不快な気分が出るよう、徐々にしみ込む、目に見えない気分の変化にも気づいてほしい。ある朝目を覚ましたとき、あなたたちが完全に希望がなくなり、完全な非難の気持ちで目覚めるレベルまで、それを引っ張っていくだろう。このような攻撃は常に敵から来るもので、必ずそうなのだ。そのような嘘に騙されてはいけない。敵の攻撃の下にいつづけると、平安を失い、暗く憂うつな心で歩き回り、私との関係が何か間違っているような気がして、まるで私が厳しい職場の上司のようだという間違った印象を受けるようになるだろう。」
「これがまさに、悪魔たちがあなたたちや他の人々に信じ込ませようとすることだ。『あなたたちにはそれができない。あなたたちはこれをしてはいけなかったのだ。そんなことをしておいてひどい。主がそれを許可していないことはあなたも知っているだろう?』あなたたち自身について聞く言葉の3分の2以上が、私からではなく敵から来ているということを知っているだろうか?そうだ。真実はそうなのだ。そういった言葉は敵から来るものであり、私から来るものではない。そして残念ながら、あなたたちはそれを信じてしまう。あなたたちがそういった言葉を受け入れると、2つのことが起こり、この2つは確実に悪が足を踏み入れていることを示すものだ。ひとつは、あなたたちが自分自身を憎むために私たちの関係が遠のいてしまうこと。そしてもうひとつは、あなたたちが悪いので、自分自身のことに考えの焦点を当てるようになること。するとあなたたちは自分自身を非難し、虐めているので、どうやって他人を愛情を持って世話することができようか?実際に悪いことをしていないのに、敵が言うように悪いことをしたと間違って考え、自分自身を虐待しているときにこういったことが起きるのだ。あなたたちはそうしてはいけない。」
「これがまさに敵たちがあなたたちに浴びせかける攻撃の全体像なのだ。あなたたちが進んでいる道から死者のように止まらせ、他者への関心を払わなくなり、なくなってしまうようにさせる。あなたたちがその攻撃を受け入れて自虐モードに入ると、あなたたちはもはや敵たちにとって脅威ではなくなる。そして、私のために魂々を世話していたあなたたちの手は止まり、もはや魂々を世話することができなくなってしまう。ああ、分かるか?私の小さな者たち、目の見えない私の小さな者たちよ。目を開いてほしい。私はあなたたちを非難しない。非難とは私の本性の真実を覆い隠し、偽りを伝えることなのだ。それらを信じてはいけない。」
「私はあなたたちに注意を与え、励ます。あなたたちに天の報いを見せ、続けて進むよう私は導く。悪魔たちは、あなたたちの視線を自分自身に向けさせ、あなたたちを失敗者だと言い、あなたたちの失敗を見せ、私に仕えたり、聖なるものの中で成長しようとする努力さえやめさせようと、絶え間なくあなたたちを攻撃する。」
「敵は私たちの親密な関係を離れ離れにさせ、あなたたちに他人を裁き、私を厳しい職場の上司のように見せかける。私の本性についてのこうした嘘に騙されてはいけない。憂うつな気分で生きていってはいけない。非難の気持ちを持って生きていってはいけない。これは悪者たちの声に耳を傾けることから生じる実なのだ。」
「そして残念ながら、悪魔たちは非難の重い荷物の下で生きていた人々、それも心から私に仕えたいと願う私の器を多く見つけ出す。だから、あなたたちは最も身近な人々からこうした非難の声を聞くことになる。母、父、兄弟、姉妹、牧師、教会の奉仕者からだ。しかし、あなたたちと私との親密な関係が確かならば、あなたたちはすぐにその声に含まれる、非難と中傷という敵のサインに気づくはずだ。」
「私はもうあなたたちをよく教えた。あなたたちは注意を受け、武装した。そしてこの季節に押し寄せる、数多くの反対と攻撃に立ち向かえるよう備えられた。敵たちはあなたたちの意欲を削ごうと、あなたたちの最も弱い部分を探している。そこは過去の傷から感染が残っている場所なのだ。ああ、そうだ!彼らは毒の矢を射って、まだ敏感な感覚のあるその部分に、的確な打撃を与えるのが好きなのだ。警戒してほしい。彼らは非難と失望に満ちた軍団のようにあなたたちに近づいてくる。それを聞いたり受け入れたりしてはいけない。それに気をつけ、それに気づき、それを払いのけてほしい。あなたたちのすべての思考の流れを注意深く見守り、捕らえてほしい。もし捕らえたその考えが、私の愛情深く励ましの本性と一致しないなら、それは聖なるものを装った悪魔の声であることを、確実に悟ることができるだろう。」
「私は今、あなたたちに注意を促した。勇気を持って立ち上がり、敵に抵抗し、考えの流れを見守り捕らえてほしい。同じような攻撃を受けている周りの人々を、励ましてあげてほしい。彼らといっしょに問題を解決してほしい。私は決して非難せず、かえって優しく悔い改めを促すことを伝えてほしい。私はあなたたちにできないことを要求しないことを伝えてほしい。人々がそういったことを聞いたとき、それが天からくるものではないことを伝えてほしい。」
「私は注意を促し、希望と励ましであなたたちの考えを正し、私の手を差し伸べて、あなたたちをより高く天に向かって引き上げる。私の本性を守り、私があなたたちを愛したように他者を愛してほしい。」
「今や良く武装されたので、進み出ていってほしい。人々の心を私に向けさせるために努力するあなたたちに、勇気と理解の明晰さで祝福する。」