290. 与えるほうが受け取るよりも幸いである
与えるほうが受け取るよりも幸いである
2015年10月15日
主は今夜、天の英知で私たちに祝福を与えてくださいました。この世で生きながら、すべての人に祝福となる方法について、驚くほど建設的なメッセージをくださいました。
私が主とわずかに交わした会話からメッセージを始めましょう。
最近私たちは、日常的な用事を手伝ってくれる、個人秘書のような役割の無償のボランティアに恵まれ、その仕事の一部は建築関連の仕事と、この土地の所有者のために物品を世話することでした。私たちは大きな重荷を下ろすことができ、みなさん全員のために多くの時間を割くことができるようになりました。本当に大きな恵みであり、贈り物でもあるが、同時に若干の方向指示と整理が必要な仕事でもありました。私がその人に多くの仕事を任せるほど、なおも行わなければならない仕事も多くなるように思われます。
祈りの間にも、私はなおも行うべき事柄のリストを作り、私ができることが何かを考えるあまり、気が散ることが多いんです。主を賛美して座っているときでさえ、「玄関はだれが建ててくれるのか?物品をどう倉庫に入れるのか?」といった考えが頭から離れません。本当に愚かで無駄な考えです。しかし、主は今夜、このような考えを処理する方法を教えてくださいました。私はこう言って主との会話を始めました。
「主よ、この状況はより簡単になるどころか、ますます難しくなっているように感じます。どうすればよいのか分かりません。ああ、主よ、この世の用事の沼から私を救い出してください。どうかお助けください。」
「この状況が永遠に続くことはない。用事を整理し終えれば、あなたは集中して奉仕に当たれる次の段階に進むことができるだろう。立ち位置を得るには時間がかかる。」
「はい主よ、しかし、こういった些細な心配事がいつまでも私の頭に浮かんでくるのです。ビタミン剤、ケーブル、プリンターインクなど。ご存知の通り、このリストには終わりがないようです。主とともにいるときでさえ、私の頭はこのような考えでくるくる回り続けているのです!どうか私をこの世から救い出してください。お願いです。」
「やるべきことを終わらせてほしい。」
「その間、私を助けてくださるのでしょうか?」
「私があなたを失望させたことがあるか?」
「いいえ、しかしこれら全てが私の失敗のように思え、恐ろしくなります。」
「一部は確かにあなたの失敗もあるが、全てがそうではない。愛する者よ、先ほども言った通り、やるべきことを終わらせてほしい。約束するが、状況は改善するだろう。」
「ありがとうございます。」
「愛する者よ、今から伝えるメッセージについて話そう。このメッセージは、今あなたが抱えている心配事とも関係がある。」
「私の愛する花嫁たちよ、もしあなたたちが世に許せば、世はあなたたちから果てしなく時間を奪い去るだろう。世は決して満足を知らない凶暴な獣なのだ。その一部があなたたちの欲求の本性であり、またもう一部は、あなたたちがほとんどまたは全く制御できない状況なのだ。私があなたを見るとき、この二つの側面が両方ともあるのを見る。あなたたちが避けられない状況と、マルタのリストの二つが存在する。あなたたちに言いたいのは、これらに気をつけ、毎日そのリストを減らしていってほしいということだ。」
「あなたたちが欲しいものが多ければ多いほど、あなたたちはより一層世にとらわれることになる。物というものは、維持、保管、時間、エネルギー、金を必要とする。何も持たないことが最も理想的だが、これは多くの人々には不可能に思えるだろう。しかし、あなたたちは自由意志でその自由な状態に近づくことができる。あなたたちが物を見るとき、それがあなたたちの首に掛ける、ウェイトのような天秤のようなものだと見なし始めれば、あなたたちは自由を渇望し、それらを手放そうとするだろう。物とは、それ自体がさまざまな種類の大きなコストがかかるものなのだ。」
「わあ、もう一度言ってくださいますか?」
「しかし、あなたはそう私が言うことを望まない、そうではないか?」
「いいえ主よ、私は物がなくなればいいのです!どうかそう言わないでください!物は重荷で、以前、物を手放したいと思ったときには、それらを適切に処理することが大変でした。私は必要最低限のものだけを持ち、あとは消えてなくなればと願うだけです。」
「毎日、あなたたちに必要のないものを見つけてほしい。そうすれば、非常に短い時間内に、あなたたちは今よりずっと自由になるだろう。あなたたちはたくさんのものを持ちすぎていて、それを処理するのは難しい。 なぜなら、それらがどこに行くのかを気にし続けるからだ。」
「私はただ、何も無駄にしたくないだけで、それを必要とする人がいれば、確実にその人のもとに適切に渡るようにしたいのです。」
「しがみつくよりは手放す方がましだ。私の花嫁たちよ、悪魔たちはあなたたちの善意について非常に賢明だ。彼らはあなたたちが、正しいことをしようとしていることをよく知っている。しかし、あなたたちの方法を私に任せ、私の手に委ねるなら、あなたたち自身が一つ一つを配置するのに必死になるよりもよいだろう。確かに言えるのは、もしあなたたちがそのようなしがみつきを許せば、あなたたちは続けてしがみついたままになるということだ。」
「自由な生活を送ることは一種の芸術のようなスキルが必要だ。祈り、くり返し練習することが必要なのだ。あなたたちが手放したいと望めば、私はあなたたちをその自由に導く。人は年を重ねるにつれ、物から一層安全を求めがちになる。不運なことに、それらは時間と能力を奪う鎖に変わってしまう。しかし、その時間と能力こそ、あなたたちが年を重ねるにつれて無駄にしたくないものなのだ。物には安全はない。安全は私からのみ来るのだ。」
「主よ、私は母が亡くなる前の状況を思い出します。何年もの間、母はすべてを手放すことができませんでした。母は自分の職場からすべてを持ち帰り、退職後に楽しもうと作った素敵なリビングルームに移しました。そこは箱で一杯になってしまいました!歩くことさえできませんでした。美しいアーチ型の天井とステンドグラス、湖の景色は本当に素晴らしかったのですが、母はそれらを楽しむことができませんでした。なぜなら、手放せなかった仕事のわなでいっぱいになっていたからです。本当に悲しい思いでした。そして母が亡くなった後は、たくさんの雑誌、衣服、がらくたでダンプカーがいっぱいになりました。それらは誰一人として役に立たなかったのです。」
「それがアメリカの生活様式の一部なのだ。あなたたちがこの問題を解決しようとしないから、私が指摘しているのだ。私は物があなたたちをどう重荷にしているか見ている。物は、あなたたちと私の関係から、精神的エネルギーと体力を奪うのだ。あなたたちが祈りに入り始め落ち着いてくると、やり残した仕事があなたたちの心を占めるようになる。それと戦おうとしてはいけない。メモに早く書き留め、再び祈りの心に戻る方がよい。これはあなたたちの脳のしくみと関係している。もしそのような考えと戦おうとすれば、あなたたちは果てしない回転木馬に乗り続けることになるだろう。本当に終わりなく続くだろう。後で済ませるためにメモしておけば、現在はその考えを無視し、私に戻って集中できる。」
「クレア、あなたが今経験していることは、距離を置く訓練なのだ。手放すことが必要なのだ。物を分け与え、物から自由になってほしい。このような妨げがなくなれば、あなたの祈りはずっと力強いものになるだろう。祈りが中断されれば、あなたの集中力と私との関係は大きな打撃を受けることになる。今のあなたには自由がないが、あなたに自由になってほしい。約束したように、私が助けよう。」
「ありがとうございます、主よ。」
「年を重ねるにつれて伴う感情からも、あなたたちは例外ではないということを知ってほしい。あなたたちも躊躇し、何かにしがみつこうとするだろう。しかし、私の恵みを信じ、それらを手放せば、あなたたちはより一層幸せになれるだろう。」
「私の花嫁たちよ、あなたたちがしがみついている物のいくつかは、私の目には他人のものに見える。それらはあなたたちの人生でその価値を果たし尽くしてしまい、今や手放す時がきたのだ。なぜなら、他の人々がそれらを必要としているからだ。あなたたちが本当に望んでいないのは、すべてを吸い込むブラックホールになってしまうことだろう。あなたたちが物の流れを繋ぐ環になってくれれば、私はあなたたちを信頼し、必要とする人々のもとに流れていけるようにするつもりだ。物の分配は、神の国において重要な役割なのだ。」
あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。コリントの信徒への手紙二8章14節。
「私の天の父は、寛大に与え、善人にも悪人にも差別なく与えてくださる。」
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。マタイによる福音書 5章45節
「だから、あなたたちも私の父のようになってほしい。あなたたちの与える心によって、人々は神を賛美するようになるだろう。貪欲と欲望は私の花嫁たちにそぐわない。まもなくあなたたちは天国にいることになり、その時には物のようなものは全く必要とされないだろう。」
「しかし主よ、私は幾つかを私の子供たちのために残しておきたいと思っています。」
「あなたは結局、彼らが望むものがどれほど少なかったかに驚くことだろう。ただ、慈しみ深く貧しい人々に目を向け、本当に必要としている人々に、物が祝福となるようにしてほしい。これは天国での地位とも関係があり、あなたたちがどれだけ多くの善を成し遂げられるかを考えた時の、重要な要素の一つなのだ。この地上であなたたちがどれだけ寛大であったか、どれほど世俗的なものから距離を置いたか、そして他人への関心が深かったかといったことが、そうした要素となる。」
「このテーマについてあまり多く語りたくはない。しかし、あなたたち全員に理解してほしい。あなたたちがもはや必要としないものを人々に与えれば、あなたたちが必要なものは様々な経路を通って、あなたたちのもとに戻ってくるだろう。しかし、決して得るために与えてはならない。それは福音を恐ろしく歪めてしまうことになる。」
与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。ルカによる福音書 6章38節
「施しをする際、何かの見返りを期待してはならず、兄弟への愛から行うべきだ。欲望や貪欲から施しをし、見返りを求めてはならない。私が聖書の言葉であなたたちに示したのは、あなたたちが物を与えれば、私が摂理的に世話を焼いてくれるということを、確信してもらうためだ。それを宝くじのように利用するのは、私にとって忌まわしいことだ。私が尊重するのは、清い手と愛する心だ。見返りを期待して巧みに投資するような慈善活動は、私は尊重しない。」
「天国には決してあなたたちを失望させるようなことはない、という原則がある。『すべてのことを純粋な愛から行いなさい』 あなたたちがこの自己犠牲の原則を中心に生きれば、本当に天国に富を築いていることになる。天国では、愛の行いを実践する魂を取り囲む偉大な栄光の美しさが、あなたたちの理解を超えている。愛こそが天国のための真の尺度なのだ。あなたたちは愛し与えることを学んだのか、それとも蓄えて守ることを学んだのか? 後者の魂は、暗闇に包まれているのだ。」
「本日のメッセージは、物のしがみつきから自由になるということだ。それらを必要としている人々に与えてほしい。そうすれば、あなたたちはより自由になれるし、受け取る人々は祝福され、あなたたちのおかげで天の私の父に賛美が上げられることだろう。私があなたたちに言ったことを覚えていてほしい。与えることは受け取ることよりも幸いなのだ。」
使徒言行錄20章35節。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。