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305. 聖ベネディクトが共同体が受ける攻撃を助けるために訪れる

聖ベネディクトが共同体が受ける攻撃を助けるために訪れる

2025年6月19日

私たちの心と私たちの周りの世が主の平安で満たされるようにお祈りいたします。アーメン。

「聖ベネディクト様、ようこそ、そして、ありがとうございます。私を訪ねて来てくださるとは、本当にご親切です。何年もの間、聖フランシスコ様をより好み、あなたを少しばかりないがしろにしていた私のもとへお越しくださるとは。ちなみに、私の母は聖人の祝日に生まれました。」

聖ベネディクトが答えてくださいました。「天国では、誰も恨みを抱くことはない。私たちはただ、私たちが助けたいと思う者たちが私たちを認識するまで、辛抱強く待つだけだ。どうかクレア、咎めることはない。愛する者よ、私にあなたへの悪感情など何もない。実際、私はあなたをとても愛らしいと思っている。」

「私を助けるように、主が遣わされたのですか?」

「そうではない。私は遣わされたのではない。ただあなたを助けたかったのだ。あなたにはあなたをとてもよく世話してくれる母がいる。そして、あなたの洗礼名が言及されていることを私は知っている。」

「私の母が私たちのためを祈ってほしいと聖人様に頼んだような気がするのですが、なぜでしょうか?」

この時、イエス様が話してくださいました。「クレア、あなたはとても良い友を得たのだ。彼はあなたを世話し、この共同体の前に置かれた使命を見ていて、あなたたち皆のために祈っている。」

聖ベネディクトが話してくださいました。**「私はあなたを助けるために来た。あなたには非常に重要な使命があるが、敵はあなたの人生のほとんどの間、その使命を挫折させようとした。しかし、神様は全ての困難な状況から善を導き出される。今、あなたは終わりの時に生きている。そして、私はあなたが使命を果たすのを助けたいのだ。あなたは多くのことを学んだが、まだ学ぶべきことがはるかに多い。あなたが学び、正そうと努める姿勢を培ってきたことを、私は本当に嬉しく思う。あなたたち共同体には、そのような態度、つまり学び、自分自身を正そうとする態度の重要性を強調してほしいのだ。あなたたちは依然として世の中の誤った概念によって妨げられている。あなたたちの中には、自分は全ての答えを持っているべきだと考え、そうでなければ価値がないと感じる者もいる。このような態度は聖性への道で出会う非常に大きな障害だ。このような態度は、結局、真の学びと、全力で取り組むべき自己改善の努力を妨げ、真の知恵を奪い去るのだ。私は、あなたたちがこのような態度を捨ててほしい。子供たちよ、学ぶべきことがはるかに多い。朝露に咲き誇る花のように心を開き、一日一日を、全ての善の父があなたたち一人ひとりのために、毎日どのような新しい教えを持っているのか、期待しながら生きるように。」 ** 「あなたたちは善い心を持っている。そして、あなたたちが自分自身をどれほど不完全に見ていようとも関係なく、神様はあなたたち皆を喜ばれる。共に努力することで、あなたたちはその束縛から解放されることができる。誰も気分を害さない安全な空間を作るよう努めてほしい。これももちろん聖徒たちの美徳だ。そのような空間を完璧に作ろうと努力せず、答えを持とうと努力せず、勝手に直そうとしたりせず、全てを知ろうともしない態度が必要なのだ。ほとんどの人たちは、このような過程を決して卒業することはできないだろう。この過程は天国に行って初めて解消されることもあるのだ。」

「全てのことは、愛と承認、そして確信に対する必要性にかかっている。これらは非常に根源的な本能だ。すなわち、愛、承認、確信といった類いのものは、魂から取り除くのが難しいということを意味する。しかし、ある魂が『自分は知っている』と信じる時、知恵は終わる。だが、ある魂が自身の無知を認める時、知恵と真の学びが始まる。学ぼうとする欲求、これは真の知恵の証しだ。だから、あなたたちの人生における全ての出来事から、学ぼうとする開かれた姿勢、学ぶ準備ができている心のあり方は常に良いものなのだ。あなたたちの人生の全てを見つめ、真の知恵を学び、成長する機会と捉えてほしい。」

アーメン!