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346. イエス様が言います、一緒に踊ってもいいですか?(第12部)

イエス様が言います、一緒に踊ってもいいですか?(第12部)

2015年3月21日

今夜は、Terry MacAlmonの「Praise Him」という賛美歌で、礼拝が始まりました。その歌詞は、このメッセージの最後に記しておきます。私たちは、ずっと踊っていました。主は、夜会服の正装、正式な舞踏会用の衣装で、肩章と短剣、勲章が胸を横切っており、すべてが白でした。主は、本当にうっとりするような衣装でした。

私たちは、この賛美歌を歌い続け、踊って、また踊りました。とても美しく、賛美は神聖で、聖歌隊はまさに神聖でした。私は、皆さんも私たちが味わった喜びを共に体験してほしいと願います。しかし、私は、すべてを差し置いて主に尋ねました。「主よ、私が主の子供たちに何を伝えてほしいと、お望みですか?」

「彼らに、私が彼らをどれほど愛しているか、天国でこのように私と一緒に踊る瞬間を体験するまでは、分からないだろうと伝えてほしい。ただ、あなたの想像の中の聖なる場所に行って、正装をした主と一緒に立ち、主に『一度踊りませんか』と語りかけるのを想像してみなさい。」

「互いに挨拶し、手を取り合って、私はあなたたちを恵み深いワルツの世界へと導く。たとえ世ではあなたが踊ったことがなくても、ここ天国では、私の腕の中で私たちは滑るように上手に踊れるだろう。世であなたが男として生きていたとしても、ここ天国では私の花嫁だ。ここ天国で生きるならば、私と花嫁の瞳は互いを見つめ合い、私の瞳から溢れ出る感嘆を感じることになるだろう。最初はあなたはあまりにも恥ずかしがって、私の目を見つめられないだろうが、夜が深まるにつれて私たちの瞳は交わり、互いに深い対話の情を目で分かち合いながら、天国の愛を感じるだろう。」

「あなたは、私がどれほどあなたに魅了されているかを知るだろう。あなたは、値で測り知れない、私の創造物であることを知るだろう。あなたの瞳は私に鏡のように映し出され、その中にはすべてが愛で満たされるだろう。これは、私たちの関係の表面的な始まりに過ぎない。愛に対するあなたのあらゆる期待と感情は、私に出会い、大きく花開き、現実となり、あなたの神、すなわち創造者との完全な関係を花咲かせるだろう。」

「胸がいっぱいになるほど溢れる喜びと共に、私たちは飲み、私の懐の中で平安を楽しみながら、すべての心配、懸念、そして恐れは、ただ過ぎ去った過去に過ぎないことを感じるだろう。私たちは踊りながら回り、互いに完全に陶酔するまで、踊るだろう。あなたをバラ園へと導き、ワイン色のソファーに座らせる。あなたの香り高い髪は私の胸に埋もれ、私の顎はあなたの髪の中に埋もれ、互いの目はこの上ない喜びと満足で閉じられるだろう。言葉は必要なく、私の愛はあなたを包み込み、あなたは私を捕らえ、私たちは一つになるだろう。」

「私の花嫁たちよ、その日が近づき、その瞬間が迫った。私は、あなたたち花嫁が踊る場所で、私にすべてを委ねたように、栄光の冠をかぶるその日を準備してほしい。今ここで、あなたの胸に、私たちを隔てていたすべての障害物が永遠に消え去るまで、私の愛を心ゆくまで飲んでみなさい。」

(イザヤ書 61章10節) わたしは主によって喜び樂しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださる。 (イザヤ書 62章5節) 若者がおとめをめとるように、あなたを再建される方があなたをめとり、花婿が花嫁を喜びとするように、あなたの神はあなたを喜びとされる。

Terry MacAlmonの賛美 賛美せよ

彼を賛美せよ、彼を賛美せよ 彼を賛美せよ、彼を賛美せよ 愛する方を賛美するために、私たちは集まったのだ 天の天使と共に賛美せよ 天使たちがホサナと歌い、王を高くする 私たちも共に集まって、声を上げ、主を賛美せよ 私たちは彼の子供なのだ 私たちは互いの顔を探しに来たのだ 私たちは大胆に恵みの座の前に出たのだ 愛し、礼拝し、優しい御声を聞く 私の主は私たちの父だ。私たちの心は喜ぶのだ