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378. 義とされることは教義書によるのだろうか、それとも関係によるのだろうか

義とされることは教義書によるのだろうか、それとも関係によるのだろうか

2015年8月2日

主が皆さんと分かち合うために、私に与えてくださった霊的交感に関する教えを分かち合いましたが、それに対していくつか興味深い反応を得ました。一部はそれほど肯定的ではなかったという点を、私は認めなければなりません。私は若干の反対と非難を予想していました。(「携挙は本当だった」の2015年7月30日「聖餐」参照)

今日は目まぐるしく忙しい一日で、私が望んだほど霊的な日ではありませんでした。しかし、私が祈りに入った瞬間、この重い悲しみと抑圧が、まるで重いレンガのように私の胸を圧迫しました。そして私はすぐに主の悲しみを感じることができ、その方の悲しみが私をも悲しませました。二つのコメントでしたので、整理されておらず本当に混乱しました。主は人々がこのテーマに対して抱いている疑問や懸念、そして態度について少し説明しようとされました。主にとって重要な問題なのです。ですから私が申し上げたように、祈りの中でその方と共に座った時、私の心は大きな重みと苦痛を感じました。私はこれが何によるものか知っていました。インターネットに上がっていた質問のいくつかについて、ちょうどメールで返事をしていたからです。本当に、私の心は重かったです。

主が語り始められました。「私の愛する者よ、あなたがどう感じるか、私は正確にわかる。しかし、あなたが、見た目だけ良い見せかけなく、私があなたに言ったどんなことも後回しにせず、私の言葉に従ってきた。あなたは今、とても愚かで、心が固い人々の両方と接している。どちら側にもならないでほしい。人々は霊的交感に対する私の教えを嘲りの種にしてきた。私が聖書の一つの章の中で、一度や二度ではなく七度も簡単に説明したにもかかわらずなのだ。愚かな霊は聞くことを知らない。愚かな霊は聞いても聞かないのだ。」

「クレア、悲しまないでほしい。」

「おお、主よ、John Michaelの賛美は、私が懐かしい、本当に美しい記憶を思い出させてくれました。」

「わかる。あなたはそれらを捨てなければならない。それらは期限が過ぎた。あなたは戻ることはできない。前に進まなければならない。あなたは私が与える真理で、この羊の群れを養わなければならない。彼らは私の羊なので、私の御声を聞く。だが他の人々は、うん、彼らは近道を置いて、遠回りしなければならないだろう。彼らの心は固く固まっている。両方がそうだ。」

「私の子供たちよ、あなたたちは私の前で、あなたたちの良心を深く吟味しなければならない。私の言葉に耳を傾けて聞いた人々に対して、私が明確にしたことが一つあるとすれば、私たちの間に他の人を置いてはならないということだ。あなたたちの良心を閉じ、自分に服従を命じる権威を持つ者は誰もいない。私はあなたの魂の奥底で、私の声に耳を傾けるように、あなたたちを教えてきた。互いに争う教義によって、混乱しないようにしてほしい。私が以前言ったように、このチャネルは教義ではなく、関係に関するものだ。あなたたちは教義によって操られてきた経験が、十分ではないのか?」

「私が推測しているのではない。しかし、反キリストが来る時、あなたたちが私との関係を持っていなければ、捨てられた者になるだろう。混乱が来るだろう。いや、混乱が今現在、聖礼典に集中する教会を支配している。そしてこれは、終わりの時の始まりに過ぎない。あなたたちが人の法に執着し、私との関係を培ってこなかったのなら、あなたたちは失われるだろう。」

「あなたたちが頑固で独善的で、宗教的なファリサイ派の人の霊に感染すれば、あなたたちは私を失うだろう。本当に、今まさに、いらいらして歯ぎしりしているあなたたちは、すでに私を失っているのだ。私は王族として生まれたのではなく、貧しく生まれた。世の栄誉を追求する者たちは、私を十字架に釘付けにした者たちだ。あなたたちは頑固な教義で、私を再び釘付けにするつもりなのか?」

「もうこれ以上論争する時間はない。私は彼らに適した方法で、各人を訪れるだろう。あなたたちは他の人々が、あなたたちの教義に従わないから、天国に入ることができないと思っているのか?なんと間違っていることか!なんと盲目なことか!しかも聖礼典に集中する教会でさえ、人が天国に入るためには、教義に必ず従う必要はないと教えている。あなたたちがいかに盲目か、あなたたち自身が正しく、正しいから、天国に入ることができる唯一の者たちだと思っているとは、徴税人と娼婦があなたたちよりも先に天国に入るだろうと、私があなたたちに言わなかったか?」

「悔い改めて、あなたたちの心を守ってほしい。あなたたちの良心を大きく開き、私の前に立って、私があの暗い隅にある光の筋を指し示すようにしてほしい。」

「そしてこの光の筋の反対側にいるあなたたちに言う。『あなたが知らないことについては、判断を止めてほしい。』おお、私は本当に分裂を嫌悪する。あなたたちが聞いてきた言葉を聞き続けるだろうが、あなたたちの中で時間をかけて、あなたたち自身を吟味するために努力した人はごく少数だ。むしろ偽りに耳を傾け、群衆が向かう通りに共に行く方がより容易だった。全ての無駄な言葉が裁かれるだろうし、全ての偽りの告発が明らかになるだろう。」

「あなたたち自身の家と良心を清くし、あなたたちが真に理解できないことについては、非難しないでほしい。最後に一度だけ、推測と判断を置き去りにしてほしい。今まさにこの場にいるあなたたちの中の何人かに言っている。おそらく良心の呵責を感じているだろう。注意を払ってほしい。この言葉は、理解できないか、認められないあなたたちの兄弟の益だけでなく、あなたたち自身の益のためでもあるのだ。」

「このチャンネルの完全性を保つため、私はこの主題に関してこれ以上話さない。これ以上の分裂がないことを望む。そして天国では、私の意志のままにする。しかし、その時まであなたたちが私を喜ばせたいと願うなら、他の人たちの信仰や彼らの信条を攻撃しないでほしい。あなたたちがまだそうしているのであれば、あなたたちはここで私があなたたちに教えたことについて注意を払っていないのだ。天国であなたたちは真理を見るだろう。地上では、ガラスを通して見るように、ぼんやりと見る。私の受肉、死、そして復活に関するすべての神秘を知っていると仮定しないでほしい。ただ、私がすべての人類を愛して、彼らが私とともに永遠に天国にいるようにするために、十字架で死のうと私が来たということを知ってほしい。私が流した血は、彼らが何を信じようとも、私が救い主であることを告白する、すべての人たちのためのものだったことを知ってほしい。」

「人々が聞こうと聞くまいと、私が彼らの良心の中に働きかけていることを知ってほしい。そして、私はたった一人も滅びることを望んでいない。あなたたちはあなたたちの兄弟の信仰を裁く資格がないことを知ってほしい。あなたたちは、私がどのように彼らの良心の中で働きかけているかを知らないからだ。教理書から離れて、霊と真理によって私を知ってほしい。教理書を捨てて、私の声を聞いてほしい。あなたたちのすべての教理書が反キリストの火で焼き尽くされる日が非常に近づいている。そうすれば、あなたたちはどうやって義とされるだろうか。あなたたちの教理書によって?それとも私との関係によって?」

「咎めるのはもう十分だ。私は優しく、限りなく、そして私の命の血によってあなたたちを愛している。私はあなたたちが従うように模範を示した。私が私の花嫁を天へ連れて行くために来るとき、私があなたたちを認識できるようにするものは、まさにあなたたちが互いを愛する姿だ。」