379. 平和を実現する人は幸いだ
平和を実現する人は幸いだ
2015年8月3日
「平和を実現する人は幸いだ。彼らは神の子と呼ばれるだろう。本当に平和を築く人は、私に最もよく似ている。慈悲を除けば、すべての特性の中で平和を築くことが、私にとって最も重要なものだ。平和がなければ、何も成し遂げられない。平和がなければ、あなたたちは愛を育むことができない。平和がなければ、人は死と絶望の奈落へと、渦を巻きながら落ち続けることになる。」
「だから、サタンが最も好む策略の一つが、これだ。どんな手を使ってでも、あなたたちの平和を盗み、奪い去ることだ。これが、私があなたたちにすべての理解を超える平安を約束した理由だ。あなたたちの平安がきしむ音を立てる時はいつでも、近くに蛇がいると知ってほしい。言葉遊びをしようとしているのではない。」
「そうか、ガラガラヘビが適切だろう。」
「主よ、ユーモアもおありなのですね、ハハ」
「いつでも、どんな瞬間でも、あなたたちの平安がきしむ時、あなたたちは蛇と対峙しているのだ。その瞬間、蛇はあなたたちの平安のバランスを崩し、邪悪な毒をあなたに注入しているのだ。その通り、あなたたちが入念に注意を払い、未然に防がなければ、敵はあなたたちが治める領域、つまり、あなたたちの心を占領するだろう。大抵、その蛇はゆっくりととぐろを巻き、脳への血行を断ち切り、慎重な姿を装った恐れという毒をあなたたちの中に注入する。」
「私がある魂を訪ねる時、私は平安を持っていく。あなたたちが平安を感じる理由を知っていようと、知らなかろうとだ。私の平安は、あらゆる理解と状況を凌駕する。悲劇の真ん中で、私の平安は混沌を調和のとれた秩序に変えることができる。あなたたちが言う闇の勢力は、もっぱら争いと誤解、そして混沌を引き起こすことに専念している。」
(コリントの信徒への手紙一 14章33節) 神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。聖なる者たちのすべての教会でそうであるように
「いつでも、どのような時でも、あなたたちの平安が妨げられたり、揺らいだりする時は、あなたたちの周りに、調和を壊し、毒を注入する小さな悪魔がいると確信できるだろう。もし私の民が、このような事実を最初から気づくことができるなら、争いは中断されるだろう。だが、むしろ力で恐れと戦おうとするなら、力は常にただの応急処置にすぎない。これが私の支配が、それほど重要な理由であり、それはあなたたちが平安と善意と配慮の中で生きられるエデン園を回復するためだ。私がこの地に再び来る時、人生はどれほど楽しくなるだろうか。しかし、まだ蛇が完全に消えるまでは、私の再臨に反対する者たちがいるだろう。だが、再臨の始まりにおいて、平安はこの地をくまなく照らす光の勢力になるだろう。しかも、野獣でさえも人々との平和を築くだろう。」
少しコメントさせていただきますが、これは、私がイスラム寺院で見た幻と、寺院の裏で蛇たちがどのように飼育されていたかを思い出させます。その蛇たちは窓やドア、床中をこっそり這い回りながら人々を噛みつき、人々は憎悪に感染していました。そして、その憎悪は暴力と戦争へと向かって行きました。
「平安は多くの者の血によって、苦労して得られるだろうし、平安の特性上、それは最後の審判の日まで一時的にしか存在しないだろう。そして、最後の審判の後、平安は永遠になるだろう。さあ、私が言いたいのは、平和を築く人は私に最も似た者だ。その反対は混乱を引き起こす者で、これは最もサタンに似た者だ。これが私が宗教指導者たちを『毒蛇の子ら』と呼んだ理由だ。」
「彼らは、うわべは金糸で織られた長くひらひらした服を着て平安を装っていたが、その内側は、自分たちの権威と権力に挑戦する誰であれ、何であれ、どのように破壊するかを深く考える貪欲な狼にすぎなかった。絶対権力は堕落するものだが、彼らが望んだのはまさにその絶対権力だった。人々が、あえて自分たちに挑戦しようとすると、彼らは永遠の救いを武器に人々を脅迫した。」
「今もその時と、少しも変わったことはない。恐れは、いまだに真理のメッセンジャーと守護者に変装した宗教の権威者たちによって使われている。」
「私の愛する者たちよ、偽善者たちと関わらないでほしい。兄弟たちの間に不和を植え付ける者たちと関わらないでほしい。明らかに邪悪な者たちの影響を受けることになる。私は、あなたたちが私の前で純潔であることを望む。手が汚れず、清く、きらきらと輝き、永遠の私の家に入る準備ができていることを望む。」
「平和を築く者になってほしい。残酷な言葉が飛び交う時、その場にいない者の味方をしてほしい。陰口や中傷の言葉を防ぐ者になってほしい。胸に平安を抱き、もたらす花嫁の足取りは、どれほど美しいことだろう!彼女は、父なる神様の家からのあらゆる一流の香水と宝石で飾られているのだな。兄弟姉妹の間で義を擁護し、平安を植え付ける人はどれほど美しいことだろう!混乱を秩序に、対立を理解に、悲痛さを許しと親切に変えるならば、あなたたちは私に最も似た者たちだ。兄弟愛と和合をもたらす者の魂ほど価値のあるものはない。このような実りは、私の花嫁の徳を永遠に証明するだろう。」
「私はあなたたちに、しばらく考えてほしい。蛇のような女の口から出た邪悪な毒がいかに統治者に戦争とそれに続く災厄を生み出すことができるかを考えてほしい。列王記上・下は、アハブ王と彼の妻イゼベルの生涯を記録している。」
それについて、こう述べられています。(列王記上 21章25節) アハブのように、主の目に悪とされることに身をゆだねた者はいなかった。彼は、その妻イゼベルに唆されたのである。確かに人間は、ある程度の後押しをされる必要があるものだが、悪い行いをするように唆されてはならないでしょう!敬虔な妻は、その夫が主の御言葉を聞き、主のために生きるようにと挑戦を与えることはあっても、罪を勧めることは決してしないでしょう。
(列王記上 21章1~2節) これらの出來事の後のことである。イズレエルの人ナボトは、イズレエルにぶどう畑を持っていた。畑はサマリアの王アハブの宮殿のそばにあった。アハブはナボトに話を持ちかけた。「お前のぶどう畑を譲ってくれ。わたしの宮殿のすぐ隣にあるので、それをわたしの菜園にしたい。その代わり、お前にはもっと良いぶどう畑を与えよう。もし望むなら、それに相当する代金を銀で支払ってもよい。」
ナボトは、神様がユダヤ人たちに父親の遺産を売ることをお許しにならなかったので、当然そうすべきであるように、その提案を拒絶しました。ナボトは、ただ神様の法に従ったのです。
(列王記上 21章4~7節) アハブは、イズレエルの人ナボトが、「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることはできない」と言ったその言葉に機嫌を損ね、腹を立てて宮殿に帰って行った。寝台に横たわった彼は顔を背け、食事も取らなかった。妻のイゼベルが來て、「どうしてそんなに御機嫌が悪く、食事もなさらないのですか」と尋ねると、 彼は妻に語った。「イズレエルの人ナボトに、彼のぶどう畑をわたしに銀で買い取らせるか、あるいは望むなら代わりの畑と取り替えさせるか、いずれにしても譲ってくれと申し入れたが、畑は譲れないと言うのだ。」 妻のイゼベルは王に言った。「今イスラエルを支配しているのはあなたです。起きて食事をし、元気を出してください。わたしがイズレエルの人ナボトのぶどう畑を手に入れてあげましょう。」 今の言葉で言えば、こんな感じでしょう。「あなたが王だということを知らないのですか。あなたが望むものは何でも手に入れることができます。」
物語は続きます。彼女は醜悪な犯罪を犯すと決心しました。ナボトが神と王を冒涜する言葉を言ったと偽証する二人の証人を買収させ、彼と彼の息子たちを石打ちで殺させ、王がその土地の所有権を自由に主張できるように仕向けたのです。彼女はアハブ王に、「望むすべてのものを手に入れ、その道を妨げるものはすべて排除せよ」という彼女の人生哲学を教えようとしたのです。アハブ王は彼女の悪行を止めるほど勇敢ではありませんでした。
ですが、物語はここで終わりません。この二人は最後まで頑固でした。預言者エリヤはナボトのぶどう畑でアハブに会い、彼らが犯した邪悪な行いに対する神様の裁きがあるだろうと預言しました。アハブに神様の裁きがあったのは、それから何年も経ってからのことでしたが、これもまた、頑固さに関する物語です。事件はヨルダン東部にあるギルアデ・ラモトという都市で起こりましたが、アハブはこの都市がイスラエルに属していると言ったものの、実際にはまだシリアの支配下にありました。ユダの王ヨシャパテがアハブに会いに来たとき、アハブはヨシャパテにギルアデ・ラモトで一緒に戦ってくれるかを尋ねました。ヨシャパテはこれに同意しました。そうして、この邪悪な男は戦場で死を迎えることになりますが、鎧のわずかな隙間を突き抜け、ほとんど不可能なほど完璧な矢の一撃を受けて、戦死したのです。
さて、ここで私たちは、非常に頑固な男女の物語を見ました。彼の妻は夫がさらに意固地になるよう焚きつけ、結局、その焚きつけたことが戦場での彼の死を招いたのです。神様がイゼベルとアハブにこの二つのことが起こるようにさせた後、ナバル、アビガイル、そしてダビデにもこのようなことが起こるようにさせました。これが神様が行われた次のことでした。
イゼベルの場合とは異なり、アビガイル、ナバル、ダビデの場合には、慈愛深い女性の振る舞いが、災難を未然に防ぎ、仲違いして疎遠になった者たちを再結合させることができることを示しています。 ですから、イゼベルとアハブに関連するすべてのことは、イゼベルのように邪悪で意地悪な多くの統治者たちを生み出しました。そうして、バアル崇拝者と統治者たちは実際に国を荒廃させ続け、混乱に陥れました。そして、このすべてのことの発端は、アハブの妻であり、邪悪な舌を持つ女イゼベルにまで遡るのです。
さて、ナバル、アビガイル、そしてダビデの物語です。
(サムエル記上 25章2~11節) 一人の男がマオンにいた。仕事場はカルメルにあり、非常に裕福で、羊三千匹、山羊千匹を持っていた。彼はカルメルで羊の毛を刈っていた。男の名はナバルで、妻の名はアビガイルと言った。妻は聡明で美しかったが、夫は頑固で行状が悪かった。彼はカレブ人であった。荒れ野にいたダビデは、ナバルが羊の毛を刈っていると聞き、 十人の従者を送ることにして、彼らにこう言った。「カルメルに上り、ナバルを訪ね、わたしの名によって安否を問い、 次のように言うがよい。『あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように。
羊の毛を刈っておられると聞きました。あなたの牧童は我々のもとにいましたが、彼らを侮辱したことはありません。彼らがカルメルに滞在していた間、無くなったものは何もないはずです。あなたの従者に尋ねてくだされば、そう答えるでしょう。わたしの従者が御厚意にあずかれますように。この祝いの日に來たのですから、お手もとにあるものを僕たちと、あなたの子ダビデにお分けください。』」 ダビデの従者は到着すると、教えられたとおりダビデの名によってナバルに告げ、答えを待った。ナバルはダビデの部下に答えて言った。「ダビデとは何者だ、エッサイの子とは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった。わたしのパン、わたしの水、それに毛を刈る者にと準備した肉を取って素性の知れぬ者に与えろというのか。」
(サムエル記上 25章12~19節) ダビデの従者は道を引き返して帰り着くと、言われたままをダビデに報告した。ダビデは兵に、「各自、剣を帯びよ」と命じ、おのおの剣を帯び、ダビデも剣を帯びた。四百人ほどがダビデに従って進み、二百人は荷物のところにとどまった。ナバルの従者の一人がナバルの妻アビガイルに報告した。「ダビデは、御主人に祝福を述べようと荒れ野から使いをよこしたのに、御主人は彼らをののしりました。あの人たちは実に親切で、我々が野に出ていて彼らと共に移動したときも、我々を侮辱したりせず、何かが無くなったこともありません。
彼らのもとにいて羊を飼っているときはいつも、彼らが昼も夜も我々の防壁の役をしてくれました。御主人にも、この家の者全体にも、災いがふりかかろうとしている今、あなたが何をなすべきか、しっかり考えてください。御主人はならず者で、だれも彼に話しかけることができません。」 アビガイルは急いで、パンを二百、ぶどう酒の革袋を二つ、料理された羊五匹、炒り麦五セア、干しぶどう百房、干しいちじくの菓子を二百取り、何頭かのろばに積み、 従者に命じた。「案内しなさい。後をついて行きます。」彼女は夫ナバルには何も言わなかった。
(サムエル記上 25章20~28節) アビガイルが、ろばに乗って山陰を進んで行くと、向こうからダビデとその兵が進んで來るのに出会った。ダビデはこう言ったばかりであった。「荒れ野で、あの男の物をみな守り、何一つ無くならぬように気を配ったが、それは全く無益であった。彼は善意に悪意をもって報いた。明日の朝の光が射すまでに、ナバルに属する男を一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰してくださるように。」 アビガイルはダビデを見ると、急いでろばを降り、ダビデの前の地にひれ伏し礼をした。彼女はダビデの足もとにひれ伏して言った。
「御主人様、わたしが悪うございました。お耳をお貸しください。はしための言葉をお聞きください。御主人様が、あのならず者ナバルのことなど気になさいませんように。名前のとおりの人間、ナバルという名のとおりの愚か者でございます。はしためは、お遣わしになった使者の方々にお会いしてはいないのです。主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。あなたを引き止め、流血の災いに手を下すことからあなたを守ってくださったのは主です。あなたに対して災難を望む者、あなたの敵はナバルのようになりましょう。ここにある物は、はしためが持參した贈り物でございます。お足もとに仕える従者にお取らせくださいますように。どうかはしための失礼をお許しください。主は必ずあなたのために確固とした家を興してくださいます。あなたは主の戦いをたたかわれる方で、生涯、悪いことがあなたを襲うことはございませんから。
さあ、ここで彼女は、すべての命が危機に瀕していると知っていたので、彼の怒りを和らげようと、このすべての素晴らしいことをダビデに話しているのです!
(サムエル記上 25章29~34節) 人が逆らって立ち、お命をねらって追い迫って來ても、お命はあなたの神、主によって命の袋に納められ、敵の命こそ主によって石投げ紐に仕掛けられ、投げ飛ばされることでございましょう。また、主が約束なさった幸いをすべて成就し、あなたをイスラエルの指導者としてお立てになるとき、 いわれもなく血を流したり、御自分の手で復讐なさったことなどが、つまずきや、お心の責めとなりませんように。主があなたをお恵みになるときには、はしためを思い出してください。」 ダビデはアビガイルに答えた。「イスラエルの神、主はたたえられよ。主は、今日、あなたをわたしに遣わされた。あなたの判断はたたえられ、あなたもたたえられよ。わたしが流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めてくれた。イスラエルの神、主は生きておられる。主は、わたしを引き止め、あなたを災いから守られた。あなたが急いでわたしに会いに來ていなければ、明日の朝の光が射すころには、ナバルに一人の男も残されていなかっただろう。」
わあ!こうして、彼女は賢い判断で大きな災難が生じるのを阻んだのです。そして主は、陰口で誰かの名声を傷つけることによって、そのことがさらに大きな流血沙汰に発展することについて、何度も話されたのです。「無垢な手の血 (Blood on Innocent Hands)」は、いくつかの動画のうち、この物語を扱った一つの動画です。アビガイルの賢い判断が、ダビデが血を流すことをしないように阻んだのです。
(サムエル記上 25章35~42節) ダビデは、彼女の携えて來た贈り物を受け、彼女に言った。「平和に帰りなさい。あなたの言葉を確かに聞き入れ、願いを尊重しよう。」 アビガイルがナバルのもとへ帰ってみると、ナバルは家で王の宴会にも似た宴会の最中であった。ナバルは上機嫌で、かなり酔っていたので、翌朝、日が昇るまで、彼女は事の大小を問わず何も話さなかった。翌朝、ナバルの酔いがさめると、彼の妻は成り行きを話して聞かせた。ナバルは意識を無くして石のようになった。
十日ほどの後、主はナバルを打たれ、彼は死んだ。ナバルが死んだと聞いたダビデは、「主はたたえられよ。主は、ナバルが加えた侮辱に裁きを下し、僕に悪を行わせず、かえって、ナバルの悪をナバルの頭に返された」と言った。ダビデはアビガイルに人を遣わし、彼女を妻にしたいと申し入れた。ダビデの部下がカルメルにいたアビガイルのもとに來て、「ダビデは我々をあなたのもとに遣わし、あなたを妻として迎えたいと言っています」と告げた。彼女は立ち上がり、地に伏して礼をし、「わたしは御主人様の僕たちの足を洗うはしためになります」と答え、 すぐに立ち、急いでろばに乗り、彼女に仕える侍女を五人連れて、ダビデの使者の後に従った。アビガイルはダビデの妻となった。
さあ、アビガイルは賢い判断と善意で家族を滅亡から救い出し、祝福されました。そして、平和をもたらす仲介者として、急いでその二人の間に立ちました。真に平和を築く者です。一方、絶え間なく問題を引き起こした邪悪なイゼベルは、その召使たちによって馬のひづめの下に踏みににじられるように突き落とされて死に、その死体は捨てられ、犬たちの餌となってしまいました。二つの物語の中の二人の女は、なんと違うことでしょう!そして、イゼベルの悪しき影響力は長年にわたって続き、これはイスラエルに深刻で、深刻で、本当に深刻な影響をもたらしました。
ここで、私は主がうわさ話と醜悪さで場を台無しにする人と、両方に分かれた間に立って平和を築き、正しいことをしようと努力し、両者すべてを平和にする人との間の違いを見せておられると思います。そして、その実を見てください!イゼベルは代々、邪悪な統治者が世に出るようにしました。アビガイルは自分のすべての家族を救い、平和を築く者の知恵によって王妃として生きることになりました。なんと大きな違いでしょう!私は私たちが口を開く度に、考えてみる必要があると思います。誰のようになりたいでしょうか?イゼベルのようになるのでしょうか、それともアビガイルのようになるのでしょうか。なぜなら、すぐには、うわさ話をし、誇張することに対する誘惑が非常に大きいからです。しかし、そのように行う人にとって、その結果は深刻な損害であり、深刻な代償を払うことになります。自分の家の召使たちが窓の外へ突き落としてしまったイゼベルのようにです。そして、アビガイルは平和を築く者としての慎重さと善意のおかげで、歴史上最も偉大な王の王妃になりました。
主は続けて言われました。「私は私の花嫁が、邪悪さの実と知恵の実を分別できるようになるのを待っている。」
「私の花嫁よ、あなたはなんて美しいのだろう。真にあなたが無実の人を弁護し、悪と手を結ぶことを拒む時、あなたの美徳に息をのむほどだ。覚えてほしい。この地であなたが生きている間、悪魔はいつもあなたを汚す方法を探している。あなたの純潔さ、潔白さ、美しさを奪い去ろうと、いつもあなたの周りで見張っているのだ。兄弟間、家族間の平和を崩壊させ、打ち砕くのは、敵が好んで使う策略だ。」
「いつも警戒してほしい、私の美しい者よ。うわさ話と悪口からあなたの徳を守ってほしい。この世の泥沼からあなたの両手を清めてほしい。誰もあなたの婚礼の服を汚させないようにしてほしい。あなたの美徳によって、私が引き続き感嘆できるようにしてほしい。」
「ああ、あなたが恥じることもなく、顔を赤らめることもない完全な純潔さで、私があなたを迎え入れることができるその日が、どれほど素晴らしいことだろうか。」
「あなたたちの口に入るものではなく、口から出てくるものが汚し、あなたたちの心の中にあるものを表すということを覚えてほしい。ひたすら私のため、あなたたちの心を清くしてほしい。妥協しないで、あなたたちの心を保ってほしい。不和から平和を築き、天にいらっしゃる父なる神様が栄光を受けられるように、すべての人々の上にあなたたちの善意が輝くようにしてほしい。」
「平和を築く者は幸いだ。なぜなら、彼らは神の子と呼ばれるだろうからだ。必ず私があなたたちのため用意した場所へあなたたちを導く。」