382. 嘆きは祈りとなり、あなたたちは立つだろう
嘆きは祈りとなり、あなたたちは立つだろう
2015年8月10日
愛する皆さん、主の祝福が皆さんと共にあります。本当に興味深い一日でした。私はとても特別な二人の寛大さのおかげで、この家に12~13年住んできました。今日、家主である二人がこの家に戻ってくるかもしれないという知らせに、私たちは新しく住む家を探さなければならなかったのです。言うまでもなく、この問題をあれこれ探る中で、少し心が乱れました。本当にこのことが起こるのか?主よ、この問題をどう解決すればいいのか?どうすれば今と変わらない生活を続けられるのか?引っ越しのためにしなければならないすべてのことを進めながら、同時に毎晩主の声を聞くこと、それができるのか、という問いです。なぜなら、主は私が毎日主とコミュニケーションを取ることを望んでおられるということを、とても明確にされたからです。
ところが、主は礼拝の間、あまりにも優しかったのです。私自身と私の問題を忘れ、主を礼拝することだけに没頭するのに時間がかかったが、主はその問題で私を助けてくださいました。主の恵みが私に届いたことを知っています。
主は私に話し始めました、「恐れるものは何もない。すべてのことが私の手の中にある。今までいつもそうだったし、これからもそうだろう。私はあなたの供給者だ。心配しないで、クレア。あなたの仕事に集中して、あなたの周りのことは放っておいてほしい。しかし、あなたは私の意志の中心に、このチャンネルに、私の民のところに留まっていてほしい。その他のすべてのこと、あなたに関わるすべてのことを私が世話をするのだ。私があなたを保護するのだ、私の愛する者よ。」
「もちろん、主は私を保護してくださいます。知っています。しかし、現実のこと、私のペットの猫たちについての現実のことのために、私の心が恐れます。私たちはここに住むのにあまりにも慣れてしまいました。家の裏にある野原を散歩するのもです。猫たちは今後どうなるのだろうか、そのような現実が不安なのです。」
「彼らはあなたの家族であり、あなたがどこへ行こうと一緒に行くだろう。ところが、私がたった今『行け』と言ったことを聞いたのか?」
「はい、主よ。そうでした。」
「私はあなたに天国以外にはどこへも行けとは言っていない。そうではないのか?」
「はい、主よ。おっしゃったことはないです。」
「それならば、心配するのをやめてほしい。すべてのことが私の能力の手の中にある。あなたはそれを信じているのではないか。そうではないのか?」
「はい、主よ。もちろん信じています。」
「ではもう安心できるだろう?」
「そうみたいです。」
「今私が言うのは、あなたの周りが変わっているということだ。しかし、私は決して変わらず、また、あなたが私にあなたの関心を向け続ける限り、あなたに何か心配することがあるだろうか?」
「何もなさそうです。」
「私の愛する者よ、心配は無駄なことだ。必要なのは祈りだ。」
「主よ、私がただ座って悲しむことも祈りなのですか?そして、主の前に座り、何もできないまま、ただ感覚や感情と戦わなければならない時、心の感情に苦しみながら、主に泣きながら助けを求めること、それも祈りなのかと、主にお尋ねしたかったのです。」
「あなたが私の足元にひれ伏して懇願するなら、それもまた祈りだ。そのような祈りは単に言葉で懇願するよりも大きなものだ。それが言葉であるかどうかは関係ないのだ。祈りは何かを正しくしようとする切なる嘆きであり、他の人の状態に対する憐れみだ。あなたの心が少しでもこれらのことで苦しみながら、私に嘆くなら、それは祈りだ。これを信じないのだな。では、このような方法で説明してみよう、あなたの福音主義的な観点が理解できるように。わかるか?ヨハネによる福音書2章を見てほしい。」
(ヨハネによる福音書 2章1~10節) 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ來ていません。」 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから來たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
「あなたが見るとおり、私があなたに言ったことは聖書だ。私の母はあの時、仲介者の心を持っていたし、これもまたあなたの心だ。私の母は結婚の宴席の困惑を見て深くため息をついたのだから、宴会を開いた人々がどれほど困惑するかを知っていたためだ。彼女の深いため息が私に向けた祈りになった。なんというか、普通の祈りではないがな。それを見て私は私の計画になかった介入をして、私をその下僕たちに現した。その時はまだ私の父が定められた私の時ではなかったが、彼女の深いため息が私の心に深く響いたため、私の時ではないにもかかわらず、私が介入したのだ。それゆえに、このようにあなたの嘆きには力がある。」
「ワオ、主よ。こんなに確かに説明してくださり、ありがとうございます!」
**「あなたの律法主義的な考え方を捨てて、私をもっと信頼してほしい。しかし、あなたの聴衆のために、あなたと同じくらい頑固な人たちがその中にいるので、私がこれを聖書に基づいて説明したのだ。聖書であなたたちが見られないことがあまりにも多い。本当にとても多い!人間の法は多くの真理を覆い隠してきた。例えば、私がそのような奇跡を行うためには、あなたが数時間ひざまずいて祈らなければならないということ、それは嘘だ。もちろん、その仲介者があなたのユダヤ人の生みの母であるなら、うむ、そうだとすればまた問題は完全に変わってくるだろうがな。」**主は少しおどけておっしゃいました。
そして、続けてお話しになりました。「私は、子供のために泣く母親の泣き声を聞く。それもまた、最も強力なものだ。誰であっても、母親としての責任を負う人は、自分の子供であろうと、他人の子供であろうと、彼女の心配によってその子に対して特別な恵みを受けるだろう。そして、その恵みは、その子供を育てるために、自分の人生を捧げるのに十分なものだろう。あなたも母親だ。ただあなた自身の子供だけでなく、このチャンネルを聞いている聴衆の母親だ。それゆえ、あなたの祈りは、彼らの必要のために、特別な油注ぎをもたらす。少しは気分が良くならないか?」
「確かにそうです。主よ!ありがとうございます。私が、心を込めてこの御言葉を信じられるよう助けてください!」
私は、皆さんとこの話を分かち合いたいです。私は、あるキリスト教放送ネットワークを運営し始めた一人の女性の話を覚えています。ある日、彼女が運営する放送局に危機が迫り、心が焦った彼女は、急いで会議を開くことになりました。しかし、その会議に出席するため、玄関を出る前に、外部から一人の女性の客が彼女を訪ね、泣きながら祈りを頼みました。彼女の事情は、夫が他の女性との不倫によって、彼女に離婚を要求しているというものでした。事情は気の毒でしたが、放送局の緊急会議に出席しなければならなかった女性は、祈ってあげると約束した後、その客との面会を断らなければなりませんでした。放送局の仕事で頭がいっぱいだった彼女は、慌てて玄関を出ながら、その女性のために心の中でこのように祈りました。「おお、神様、どうかこのことを上手く処理してください。お願いします、そうしていただけますか?上手く処理してください!」と話し、ただその一言が、その日彼女を訪ねてきた客のために約束した祈りでした。
数か月後、きちんとした身なりの一人の女性が彼女に近づき、5万ドルの小切手を放送局宛てに書きながら話しました。「私を覚えていませんか?」放送局のオーナーは答えました。「はい、申し訳ありません。どちら様か、思い出せません。」小切手を持った女性は話しました。「6か月前、あなたを訪ねてきて、危機が迫っていた私の結婚生活のために、祈ってほしいと頼んだ者です。その数日後、私の周りの全てが変わりました。夫と私は和解し、今は幸せな結婚生活を送っています。私は、それがあなたの祈りのおかげだと分かっています。」(笑)彼女は、この話を聞いた時、自分自身に向かってクスクス笑ったのだと思いました!
私は、主にお尋ねしました。「では、主よ、吐き出すようにしたその祈りに、それほど早く応えてくださった理由は何ですか?」
「彼女は母親だった。多くの女性たちと、彼女の放送を見ている人々の母親だった。彼女は祈りの女性であり、御言葉に従順で、人のために犠牲を払い、私に完全に頼る人生を送っていた。彼女は、祈りの応答を受けるにふさわしい女性だった。彼女を訪ねてきて、祈りを頼んだ女性もまた、結婚生活において謙遜で、他の人々を財政的に助け、祈る女性だった。彼女の生まれ持った心が清らかで、私に対する信仰が深かったので、彼女もまた祈りの応答を受けるにふさわしかった。その二人の女性は皆、私の恵みの中にいて、その中で与え、受け取ったのだ。私は、祈りに全て応えるわけではないが、この女性たちは祈りの応答を受けるにふさわしかった。」
「トビトの話を覚えているか?」
「はい、もちろんです。私が一番好きな話の一つです。」ところで、トビトを初めて聞く人々のためにご説明しますと、トビトは七十人訳聖書と外典の一つであるトビト記に出てくる人物であり、一般的な聖書には載っていません。新エルサレム聖書や、米国標準訳聖書、そしてラテン語訳のウルガタ聖書では見ることができます。
「トビトが非常に正しく、まっとうな人生を送っていたため、私は天使ラファエルを遣わし、彼が切実に必要としていた財政的な問題の解決を助け、彼に敬虔な嫁も与えた。トビトもまた、自分を犠牲にして人を助ける、多くの、数多くの人々の父親であり、自分が苦しい時にも見知らぬ人の葬儀を行ってあげたりもした。私の愛する者よ、他の人のために懇願する者の親切によって、私が応える場合が多くある。自分よりも人を助ける人の人生は、私の前で大きな徳だ。私は、素晴らしい報い、特に祈りへの応答という報いによって、彼を区別する。」
その後、かなり長い沈黙が続きました。そして、私は主にお尋ねしました。「主よ、今夜は、何か他に話すことがありますか?」
「そうだ。まだある。」
「あなたの周りに起こる変化によって、動揺しないでほしい。私は今、私の全ての花嫁たちに話しているのだ。人生に不安定さを引き起こすのは、敵が最も頻繁に使う手口だ。実際に起こる否定的な変化を通して、不安を助長するのだ。」
「あなたたちの心の中心が私に向かえば、あなたの家族や家、食べ物や服など、あなたの周りがどうなろうと、あなたたちの心は揺るがない。このような心の傾向を持つためには、誰であっても自分と私との関係を絶対的で最優先に置くべきだ。なぜなら、私は決して変わらないからだ。」
「他のものにあなたたちの心を置き始めると、あなたたちはゆっくりと敵の罠にはまるだろう。」
「ああ、私も感じました。私も本当にそれを感じたのです!」
「最初は、他のものや他の人に心を置くことは大したことではないように見える。あなたたちの心を他のことに置き始めると、あなたたちは徐々に罠にはまっていく。他の人や他のことに対する関心は、最初は大したことではないように見える。そして、あなたたちは次第にそれに慣れていき、これは次第にあなたたちの幸福にとって『重要に』なっていく。私以外、どんなものも、誰一人として、私よりも重要だと考えてほしくない、と言っても良いだろうか?基本的な一日の必要が満たされるならば、一日に必要な物があなたたちにとって十分であることで、喜んでほしい。しかし、それ以上にさらに求め、人生に対するあなたたちの関心がそのようなものに移り変わるならば、あなたたちは徐々に苦痛な罠へと陥っているのだ。それゆえ、私が富が増えたとしても、それに心を置いてほしくないと話したのだ。あなたたちの心は、ただ私にのみ属するべきだ。」
「必要不可欠でないものに優先順位を置く人たちは、それらを維持するため、すぐに簡単に妥協する。福音を伝える者として、これはとても危険なことだ。あなたたち信徒が増え始め、収入が増え、それに伴い、より大きな家、より豪華な食卓に投資するにつれて、これらのことは、結局、あなたたちの人生を支配し始め、喜びの源になるだろう。では、その結果はどうなるのか。もし、このようなライフスタイルが脅威にさらされたら、苦痛な選択をしなければならない。全てを犠牲にするのか。それとも妥協するのか。このような選択をしなければならない。」
「私の子供たちよ、私はあなたたちに自由であってほしい。この世の物から心を空にして、私を喜ばせてほしい。あなたたちの人生の中心に、あなたたちの唯一の喜びとして、あなたたちの王として、あなたたちの心の中の王座に私を座らせてほしい。パウロは私の心に完全に倣った者だった。彼が満腹に食べられなくても、良い服を着られなくても、良い家に住めなくても、あるいは、幕屋の片隅で生きていても、このようなことは彼にとって重要ではなかった。彼の喜びは私の内にあり、残りの全てのことは、ただ彼の喜びを支えるものに過ぎなかった。」
(フィリピの信徒への手紙 4章11~13節) 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
(マタイによる福音書 6章31~32節) だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
「私はあなたたちにこのようなものが必要なことを知っているだけでなく、あなたたちに供給しているのだ。あなたたちが自分の手で稼いで、相当な財物を得ていると思わないでほしい。あなたたちが自分の富を増やさなければならない責任があると思わないでほしい。真実は、私があなたたちに生計を立てる能力と機会を与えたのであり、私がその能力を取り上げたなら、その瞬間、あなたたちはホームレスになるだろう。」
「おお、ごくわずかなもので幸せであることを知り、時として全く何も持たなくても幸せであることを知る者は、どれほど賢いのか。これは、この世の何の心配事もないスズメたちの自由と同じ自由だ。このような自由は、繁栄を追求し、何を食べようか、どこに住もうか、何を着ようかといった、それらと関連する喜びや失望に完全に囚われている者たちとは正反対にある自由だ。その数多くのものを買い入れ、維持し、守ることを考えてほしい。おお、これこそが、この世で豊かな人生を送る時に陥りやすい罠なのだ。」
「この人は、物質的な人生がどれほど疲れるもので、束縛的だということを学んだ。私は何度も、複雑な人生から救ってほしいという彼女の叫び声を聞いた。彼女の心が私にますます近づいてきた時、私は彼女の夢が実現するように助けた。」
「今、あなたたち全員は、あなたたちが愛情を抱く対象が何なのか、綿密に見てほしい。あなたたちの喜びを守るために、何を妥協しなければならないのか、考えてほしい。私の王国のために、あなたたちはそれら全てを放棄する準備ができているのか。明日、すぐにそれらを放棄しなければならないなら、あなたたちは挫折するのか、自暴自棄になるのか、屈辱を感じるのか。それとも、あなたの心を固く守り、ただ私だけを信頼するのか。」
「私はこの国に降りかかる事柄のために、このような話をしているのだ。名声と富を追い求める者たちは、一夜にして無一文になるだろう。私はあなたがそうなることを望まない。私はあなたの心の宝が私であってほしい。なぜなら、私はあなたたちから誰にも奪われることがないからだ。また、あなたたちが自分を低くすればするほど、私があなたたちをさらに認めるだろう。これらを覚えてほしい。何が最も重要なことなのか、あなたの心に決めてほしい。それは奪われるようなものであってはならない。ある者たちは、あなたが選んだその大切なものがなくても、かなりうまく生きていける。すると、あなたの人生で重要な意味を持っていた人たちも、突然、あなたがいないままでも生きていけることに気づくようになる。彼らは突然、あなたをもう尊敬せず、あなたは彼らにとって重要でなくなり、あなたはしかも彼らにとって厄介者になる。全てを失い、世間の嘲笑と軽蔑を受けるまでは、誰が自分の真の友人なのか分からない。そのような時に初めて、あなたは誰があなたの真の友人なのかを知るようになる。」
「私はいつもあなたたちを大切にし、大事にするだろう。十字架の上の私の姿を、あなたたちの心に刻んでほしい。裸にされ、あざだらけになり、汗と血で汚れて、見分けがつかなくなった私の姿のことだ。その瞬間、私は全ての人々から軽蔑され、憎まれ、最も哀れな者だった。そうだ。それが、あなたたちが世の成功と富裕に心を置かないように、私があなたたちに模範を示した姿なのだ。あなたたちがこの模範に従えば、幸福があなたたちと共にあるだろう。」
「揺るぎない私の心の中に入ってほしい。あちらこちらに揺れ動かない私の品性の中に入ってほしい。この招待の声を聴いているあなたたちに、私が今、この恵みを施す。」