389. 許さないこと、恵みの膠着状態
許さないこと、恵みの膠着状態
2015年10月6日
愛する皆さん。今日も主は、知恵と真理のうちに、私たちと共にいます。そして今夜、主は許しについて、素晴らしい教えを与えます。
ええと、ここで少し、このメッセージについての簡単な背景を話したいのです。いくつか、他のチャンネルから来た方たちがいるのですが、その方たちの中には、私たちのチャンネルを通して伝えられる主の教えを、好まない方たちがいます。そして、私たちのやり方に反対する点を、説かれましたが、私はただ驚くだけです。 主にお尋ねしました。「彼らは、それほどまでに膨大な困難と労苦と時間を費やし、ただ主が掘り出した永遠の命の泉を、塞ぎ止めるために使うのです。私から見れば、まことに滑稽で、彼ら自身が、さも偉いと勘違いしているようです。彼らにも真の命はないのですか。」
「ある。私を弁護し、擁護する時に、真の命があるのだ。」
「主は、彼らをはっきりと愛しておられます。」
「ああ、そうだ。心を尽くして彼らを愛している。」
「愛しておられるのはわかっています。私にも、彼らを愛せるように、助けていただけますか。」
「もしあなたが、私の立場だったなら、たとえ彼らが、間違ったところに熱意を向けているとしても、彼らを愛さずにはいられないだろう。私はあなたたちに、熱くあれ、冷たくあれ、はっきりしていることを望むと、言わなかったか。彼らはなまぬるくないのだから、その点は祝うべきだ。」
「さて、続けて話してみよう。」
「主よ、何について話したいのですか。」
「あなたたちの敵を許すことについてだ。」
(にっこり笑いながら)私はそれについては話したくないのです。それで、エゼキエルに尋ねたのです。「ねえ、この方が主なのか、少し確認してくれますか。」そしてしばらく祈った後、私たち全員は、主であると確信したのです。
「ああ、主よ、今すぐは、それについて聞きたくないのです。」
「だから、必ず思い出してほしい。」
「これは、人が完全に理解するのは難しい、極めてまれな種類の力だ。なぜなら、人は霊をのぞき見られないからであり、許せない時に、伴う恵みの膠着状態も見られないからだ。膠着状態は、通勤時間帯の道路と、とてもよく似ている。全ての人が、職場で与えられた仕事を終え、前だけを見据えながら、家に向かっている。次に、2、3台の自動車が立ち往生すると、全てが止まってしまい、事故に遭った人たちだけでなく、全ての人の帰宅が遅れてしまうのだ。人々は、まさにそのことに気づいていない。しかし、あなたたちが霊の目で見れば、許さないことの足かせが、どれほど遠くまで及ぶのかを、知れるだろう。信じがたいだろうが、それは世代を通しても、伝わり続けていくのだ。」
「もう一つの膠着状態が生じるところは、まさにあなたの魂だ。自由で、澄んでいて、何のわだかまりもなかった魂が、今は、漠然とその昔の出来事を思い出す度に、思いもしない問題に行き着くことになる。その出来事は、けたたましいサイレンを鳴らしながら、恐れと罪悪感を呼び起こす。それが現実であろうと想像の中であろうと、そうなのだ。サタンは、このような偶然の機会を、徹底的に活用する。人間の本性の中で、サタンが利用できるものは、非常に多い。しっかりしろっていうような欲求、決心を強固にしようとする欲求、そして自分の主張を立証しようとする欲求などが、それなのだ。」
「一方で、許す人は、決してそのような厄介なことに遭遇しない。彼らは、苦痛を与えた出来事を覚えているかもしれないが、それをきっぱりと振り払って、前へ進む。クレア、あなたが持っている才能が、どんなに多くても、他の人をより優れていると見なす方が、はるかに有益だ。実際、才能が多ければ多いほど、自分の取るに足らなさを、知ることが、より必要だ。」
「謙虚な魂は、軽蔑を不快に思わない。彼らは、あまりにも容易に、敵の善意を説明する用意ができているので、敵の迫害を弁明し、許して先に進む。謙虚な魂は、さらに、その出来事が、私が起こるのを許したことだと知っている。そして、道具になりうる全てのものを利用して、私が彼らを完全に作り上げていくことを、謙虚な魂たちは知っている。彼らは、自分の人生の中で起こる全ての出来事の背後に、私がいることを深く理解しているから、挫折と試練の中でも、喜んでいる。」
「私は、努力しているのです、主よ。」
「そうだ、あなたが努力しているのを、私は知っている。賞賛されるべきだ。さて、あなたたちのチャンネルを見て、従う人たちが、賢く行動することを望む。私の花嫁たちよ、あなたたちを苦しめる不当なことに、巻き込まれたり、縛られたりしないでほしい。あなたたちも、以前は、洞察力と知恵がなかった。あなたたちも、無実の人々を非難した。あなたたちも、私が治め、許していることが見えない、盲人だった。あなたたちも、他の人たちの間で働いている、新しくも奇妙な私の霊の動きを、認識できなかった。」
「不当なことに巻き込まれずに、後ろに下がって、ただ見ていることは、驚くほど敬虔な、成熟のしるしだ。あなたたちを迫害する者たちのために、祈ってほしい。心の中の深いところから、湧き出る祈りをしてほしい。そうすれば、私が速やかに応え、彼らを用いて、あなたを完全にするだろう。」
「主よ、その御言葉は、グラハム・クックの逸話を思い出させます。話してもいいですか。」
「そうだ、簡単に話してほしい。」
グラハム・クックの学会の度に、参加して、膨大な資料を持って、一番前に座る二人の人がいたのです。彼らは、グラハムが聖書を利用して説教するやり方、そして神様と経験した関係について、誤りを指摘しながら、インターネットに、好き勝手に悪口を書き込んだのです。その二人は、グラハムを悪魔や偽預言者と呼びながら、学会の際に、まさに最前列に座って、何年もの間、苦しめ続ける、とげのような存在だったのです。しかし、ある日突然、彼らはいなくなったのです。
グラハムは、幻あるいは夢を見たのです。主は、彼を連れて、ある彫刻家の作業室に連れて行き、素晴らしい人間の彫像を見せたのです。「この素晴らしい彫像を彫った彫刻家に、会いたいか。」と、彼に主は尋ねたのです。グラハムは、会いたいと答えたのです。すると、グラハム自身を、何年もの間、誹謗中傷していた二人の人が、カーテンの陰から歩み出てきたのです。主は、グラハムに言いました。「この者たちが彫刻家であり、この彫像はあなたの姿なのだ。」
主は続けて話されました。「見なさい、どんなものやどんな人が、どれほど暗くて醜く見えたとしても、私はその全てのものや全ての人たちから善きものを生み出す。より広い観点を持って、このようなことが神の国で成就されるのを見てほしい。私はこのようなやり方で、あなたのチャンネルを攻撃する全ての律法学者やファリサイ派の人たちを追い出すだろう。あなたたちに立ち向かうどんな攻撃も失敗し、むしろあなたたちがそれによって栄えるだろう。これは、宗教という墓地を喜んで捨て、私との関係を発展させようとする者たちが受ける遺産だ。これは、聖書の人物が実際に経験したことを、彼らも経験しながら積み重ねていく遺産であり、これまでに見たことのないやり方だ。これは、命を吹き込むリバイバルになるだろう。サタンが私の教会に対して勝利したかのように見えるよう、その証拠として残した枯れた骨々、骨壺、灰を覆すリバイバルだ。」
「私は新しいことを行う。それは、すぐに現れるだろう。自分を束縛している教義を喜んで投げ捨て、ひたむきに私を求める全ての者たちは、命に進んでいき、今ここで天国の栄光を経験するだろう。」
「私の国が近づいている。私の意志が成就している。」
「喜んでほしい、この地に住む者たちよ。私が私の内において救いを回復するだろうし、どんなものも、どんな手段も嘘も、誰もこれを阻むことはできない。私の愛する子供たちよ。さあ行って、赦してほしい。全ての恨みから自由になってほしい。そして、束縛の下に置かれている者たちのために真実に、心から祈ってほしい。私が真にあなたたちに言う。いつか、彼らがあなたたちに感謝するだろう。」