コンテンツにスキップ

394. あなたたちの両親を喜ばせるのか、私を喜ばせるのか

あなたたちの両親を喜ばせるのか、私を喜ばせるのか

2015年11月2日

主は皆さんを祝福します。私は今夜の祈りの時間に、少し遅れました。返事を書いていたからです。私がやっと主へ集中したとき、私は主へ尋ねました。

「主よ、今夜は何について話したいのですか。」

「私のため、すべてのことを軽んじてほしい。」 ついに私がその文章をタイプしました。すると主が言われました。「やれやれ。本当に時間がかかったな! あなたは私を信頼していないのか。私の花嫁よ?」

はい、私がとても遅れたので、それは私を責めているのだと思いました。そして私は、本当にその方なのか確信が持てなかったです。私は本当に主なのか三度も尋ねました、ああ、本当に!

いずれにせよ、その方が言いました。「あなたは私を信じていないのか? 私の花嫁よ。」

「私がその質問にどう答えたらいいのですか。」

「正直でいてほしい。」

「ああ、主よ。ありがとうございます。ますます面目ないですね。」

「それがあなたにとって薬だ。あなたがもっと低くなるほど、もっと多くの命の水があなたのところへ流れ込む。その水は高い山から速く低いところへ流れて、肥沃な谷を潤し、豊かな収穫をもたらす。」

「そうです、主よ。」

「ああ、違う。あなたは正直ではないな。覚えているか?」

「主よ、私が恥をかかないように、主題を主の方へ変えられますか。」

「あなたは私が答えるのを望んでいるのか?」

いずれにせよ、私は強くその方を感じ、自分の右側にいる主の臨在をほとんど見たにもかかわらず、主へ三度も尋ねました。なぜなら、話しているその方が主なのか確信が持てなかったからです。これが私の信仰のレベルです。

「そして疲れだ。あなたは私にもっと早く来るべきだった。分かったか?」

「ああ、そうです。私がとても遅くなって初めて、メッセージを受け取りました。」

「なぜ遅れたのだ?」

「今、本当に問題を抱えている人たちのメールや手紙に、返事をしていたから遅れました。」

「そうだ。しかし、やはり私のもとへ先に来てほしい。私の愛する者よ。お願いしてもいいか? これがより簡単な道だ。」

「はい、そうです、そうします。私を助けてくださいませんか?」

「そうしよう。」

「私のためにすべてのことを諦めるのは、人間の魂ができる最高の行いの一つだ。それが私への愛の尺度だ。あなたたちが世のために働くとき、お金や素晴らしいものを買うことができるが、あなたたちは世のものに縛られた奴隷の状態にあるのだ。あなたたちは私に仕えることに自由ではいられず、私が喜ぶところ、つまり私の心にある、あなたたちに行ってほしいと望むところへ行くこともできない。」

「あなたたちの中には、妻や子供たちがいる場合もある。そういうあなたたちは、私が選んだ女性、あるいは男性と結婚したのか? もしそうだったなら、あなたたちは私のために世の安楽さを諦めるように生きているだろう。数多くの魂が、ただ一瞬一瞬に呼吸しながら生きているだけだ。それは真の人生の姿ではない。彼らはただ生存しているのだ。何か深いものが彼らを呼んでいるが、彼らの疑いと生活習慣、ライフスタイルのせいで、その道は閉ざされている。結局、人々は歳を取り、うやむやになるにつれて、自分たちの人生が無駄にされたことを悟り、私のために生きられなかったことを悟るのだ。」

「私は今、あなたたち若者たちに言う。決して次善の策を選ばないでほしい、私が選んだ者で『ない』人を配偶者に選ばないでほしい。私があなたたちに断言する、あなたたちは残りの一生を後悔しながら生きていくだろう。もしあなたたちが私を愛していて、この世の何物もあなたたちを満足させることはできないと知っているなら、世間的な職業を選ばないでほしい。」

「私はあなたたちの中の多くの者に召命を与え、呼んだ。だが、あなたたちは自分の人生を私ではなく、あなたたちの両親に与えたのだ。両親たちは期待を抱いていて、あなたたちは両親を喜ばせるために、あなたたちの心の夢を葬り去ったのだ。両親たちは、あなたたちが人生で両親にやってほしいと望むことをしているから、あなたたちを支援しているのだ。これが私の選んだ者たちにふさわしいことなのか? 今から20年後の人生を考えてほしい。(携挙は気にしないでほしい。これはただ現在、この瞬間の人生を照らして見るものだ。)現在あなたたちの人生の方向に従って進むなら、20年後、あなたたちの人生はどうなるだろうか?」

「私は今、あなたたちに考えてほしい、果たしてその人生はあなたたちが本当に望んでいたものなのか?」

「必要は時々、あなたたちの選択によって生じるのだ。両親を喜ばせてほしい。しかし、過欲は起こさないでほしい。私に従うと決心してほしい。狂人と呼ばれ、貧しく、見捨てられた者になってほしい。あなたたちは私を愛していると言うが、果たしてあなたたちの今日の選択はそれを反映しているか?それとも世へのあなたの愛と、あなたたちの両親の称賛を反映しているか?」

「いつか私は彼らの隠されたものを決算するだろう。私に完全に従う者たちと、ただ半分だけ従う者たちが区別されるだろう。」

「私は厳しすぎるのか? そうではない。私が半分だけ行ったのか? 私が十字架に達することができず、『ここまでだ、これ以上遠くはない』と言って、立ち止まったのか? 書かれているように、『父や母を私よりも愛する者は私にふさわしくなく、息子や娘を私よりも愛する者も私にふさわしくない。』とあったのだ。(マタイによる福音書10章37節)」

「そうだ。莫大な損失があるだろう。その費用を計算してほしい。あなたたちがこの道を進み始めた以上、戻ることは望まないだろう。そうすれば、あなたたちは脱走者、無責任で怠惰で、何の役にも立たない者という称号を得ることになるだろう。ある意味では、これは事実だ。世間と関連する仕事において、あなたたちは何の役にも立たない。あなたたちの目標と世間の目標に、何の共通点もない。」

「だが、私はあなたの前に、飢え苦しんでいる、痛みを抱えた世間を置いた。私の名を全く聞いたことがないか、私が誰であるかを理解できない人々の前に、だ。私は全世界に、寂しく、見捨てられた、果てしない数の子供たちのリストを持っている。右も左も分からないことを学べず、しかも私を知ることもなく死んでいくだろう子供たちだ。」

「あなたたちがまだ若く、何かを与えることができるときに、あなたたちが選べるように、私があなたたちを呼んだ。私の子供たちよ、あなたたちがこの道を続けるとき、迎えるあなたの人生の最後を見てほしい。あなたたちの周りを見回し、彼らが何歳なのか、彼らがどうやってだんだん疲れていっているのかを見てほしい。一部の人は離婚し、一部の人は癌で死に、あまりにも一生懸命働きすぎて早く死ぬ人たちもいる。彼らは自分たちがやり残したことを子供たちに残し、裸のままで、何も持たずに私に会いに来る。彼らがしたすべてのことは、愛とまことから生まれた実のようなものは何もなしに、何も持たずに私のところに来る。しかし、彼らの心の奥底では、彼らは死んだ夢を抱いているだけだ。彼らはいつも私に仕えることを望んでいた。しかし、しかし。」

「私の言葉をよく考えてほしい。もしあなたたちが召しを持っているのに、それを無視しているのなら、私が保証するが、あなたたちは決してあなたたちを満足させることができない人生を生きているだろう。あなたたちは深い自責の念を抱いて、日々あなたたちの人生の重荷を背負って進むだろう。あなたたちの人生の最後の日までだ。」

「携挙の時を脇に置いてほしい。あなたたちの人生を見てほしい。あなたたちはどこへ向かっていて、どのような選択をしているのか。あなたたちは誰に仕えているのか。あなたたちの両親か、それとも私か。考えてほしい。計算をしてほしい。あなたたちの年齢が55歳、75歳、80歳になって私の前に立つと想像してみてほしい。あなたたちは私に何と言うだろうか。」

「私はあなたたちを優しく愛している。しかし、私が今あなたたちに話す。もしあなたたちがすべてを捨てて、あなたたちの十字架を背負い私に従うように召しを受けているのなら、この世の何ものもあなたたちを満足させることはできない。」

「まだそれほど遅くない。この招きはまだ開かれている。」

「私たちが話しているこの瞬間にも、私の招きに応答できるような、私の恵みがあなたたちにあるように。」