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395. あなたたちの道をまっすぐにせよ

あなたたちの道をまっすぐにせよ

2015年11月3日

主は私たちと共におられます。再び、主は私たちに知恵を与えて、私たちが聖なることの中で成長するように求められます。 今夜、とても長い時間、礼拝に留まりました。ただ主と繋がれなかったのです。エゼキエルは私と共に祈り、私に油を注ぎました。私は諦めることができませんでした。私は沈黙の中で主と共に座っていました。私は主が真実な方だと知っています。主は携挙のその日が来るまで、毎晩私に話してくださると言いました。私はただ静かに座って主を待っていました。このことが起こったのは、本当に素晴らしかったです。主が突然、右から私に近づいて来て、私は霊の中でその方を見ることができました。主は私の額にキスをしては、言いました。「私はあなたと話したいのだ。」

そして私は言いました。「ああ、本当に素晴らしいです!今夜ずっと奮闘しながら、主を待っていました。主よ、私はただ諦めることができませんでした。主が約束してくださったからです。私は急かさなければなりませんでした。」

「私は約束した。しかし、また、私はあなたを愛している。あなたも知っているように、これはただ義務に関することではない。」

「ああ、イエス様。私の間違いがありますか?」

「違う、クレア、その逆だ。本当に正反対だ。しかし、私を待ったのは本当に良いことだ。私は善き心を決して落胆させたくない。それらが決して私からあなたを隔離することはできない。私の愛する者よ、決してそうすることはできない。」

「その御言葉に、私は涙があふれました。あまりに感動的です。」

「私はあなたの道を正しくすることについて話したい。私が話しているのは、あなたと緊張関係にある者たちについてだ。魂たちの間の隔たりと隙間が深まるのは、私の意図ではない。いや、私の心は、あなたが行って和解し、これを正すことを望む。たとえ彼らが間違った者たちだとしても、だ。」

「人間の体、しかも、分断しようとする過去の攻撃から来た傷にも、分離の霊があちこちに漂っているからだ。私はこの時期が全ての人と平和であり、あなたたちに傷を与えた者たちと和解するクリスマスに向かう時になることを望む。」

私はすぐに、私に批判的であり、私を憂鬱にさせた一人の牧師を思い浮かべました。私たちは結局、その教会を去ったのです。

「そうだ、例えばその牧師のことだ。」

「ああ、主よ。その考えただけで、私の心が沈むのですよ。」

「分かっている。しかし、そうしなければならない。私はあなたを軽蔑した者たちと、あなたが軽蔑した者たちと、正しい結びを望む。亀裂と分離がある場所に、癒しがあることを望む。何ものもあなたを悩ませて、あなたが前に進むことを阻止しないことを望む。」

この時、私は思いました。「前に進むことを阻止する」と言いますが、これはどういう意味だろう?携挙が到来するという意味だろうか?私は「聖書の約束」という本を探してみたが、何の答えも得られませんでした。

「過去のことがどうしてあなたたちが前に進むのを阻止できるだろうか?」

霊の中で、私はある場面を見ました。水の上に浮かんでいる船と、その船を捉えているはっきりとした、深くて暗い海の錨を見ました。

「深海の錨を想像してみるがよい。船は邪魔されずに前に進みたいが、何か、深い下にある見えない何かが、前に進もうとする動きを遅らせている。これらの妨害は、癒されていない傷と未解決の関係から来る。たとえこれが一方的なものだとしても、それがあなたに付着していない限り、依然として私の霊で完全に解放することができる。多くの人々が、深く暗い問題に下ろしたいくつかの錨を持っていて、これは彼らが前に進むことを妨げている。このようなものがあなたたちの人生の方向にどう影響するかについて、あなたたちは大抵、よく認識していない。このようなものは、あなたたちを後退させたり、あるいは、少し右や左へと航路を逸脱させるようにして、人生の方向に影響を与える。」

主がこの御言葉を語られた時、私はある人の言葉を思い出しました。遠い海を航海する時、船が出発する際に舵の方向が1度ずれるだけでも、航海する船がとんでもない方向へ向かい、結局、望む目的地に到達できないということでした。私たちの人生も、出発する時の角度を間違えると、私たちは決して人生の目的地に到達できないのです。

「今は私が前に進む時であり、私はあなたがどんな妨害からも自由になることを望む。牧会からの自由、罪悪感や隠された咎め、咎められるようなものは何一つないまま、私を求めなければならないという考えからの自由。関係が整理されて、少なくとも和解しようとする試みが重要だ。」

「人生で一つの障害が潜んでいる場合、それが禍根となって敵にあなたを告発させ、咎める機会を与え、真実であろうと嘘であろうと関係なく、あなたは危機に陥るだろう。しかし、あなたが全力を尽くして間違いを正そうと努力すれば、私は継続的にあなたを咎める原因になることができ、あなたを弱くさせうるその道を断ち切るだろう。」

「はい、主よ。私は時々、私の顔にまとわりついて、『あなたはこうして、ああしただろう』と言いながら、私が主の弟子として資格がなく、神様が私の祈りを聞かないだろうと言う声を聞くこともあります。」

「それがまさに、私の花嫁に平安を求めなさいと求める理由だ。単純で些細なことだ。カード一枚、和解の言葉、感謝のしるし、あるいは贈り物のようなものが、心を溶かして、癒しと完全さを回復させる近道だ。」

「夕食を共にすべきだという考えのようなもの、ということですか、主よ?」

「そうだ。私はあなたたちの心に、小さなヒントを落としてやる。ごく小さなことだ。合図だ。しかも、間違いを正すために、もう少し前に進むことかもしれない。おお、このようなことが、あなたたちをどれほど自由にするだろうか。敵は、このように重要でないものを用いて、あなたたちの心に闇を落とし、引き裂かれ、亀裂の入った関係を作り出す。あなたたちが受けた傷や拒絶、あるいは、また、あなたたち自身の悪い態度を通して、だ。」

「私はあなたたちに多くのことを求めているのではない。私の花嫁たちよ、私は古い傷を癒やすための慈悲と行いのある赦しを望む。これはあなたたち皆のための謙遜の練習だ。しかし、謙遜が非常に多く求められるのだ。あなたたちの謙遜は、いくらしてもやり過ぎにはならない。」

「私がこの努力の中であなたたちと共にいるだろう。あなたたちが過去の事柄や過ちを修正しようと努力する時、その関係に甘い香りを吹き込んであげるだろう。恐れないで。そのことに私があなたたちと共にいる。まず私に祈り、それぞれの状況にどう対処すべきかを尋ねてほしい。私があなたたちを導いてあげるだろう。」

「話題を変えないでください。主よ、質問があります。私を赦してください。主よ、しかし、最近のメッセージは、少し短くないですか。」

「私の愛する者よ。私はあなたたちを喜ばせ、御言葉で空間を埋め、どのように携挙が起こるのかといった言葉で、あなたたちの好奇心を刺激するためにここにいるのではない。私はあなたたちに聖なることを教えるためにここにいる。そして、この短い教えに対するあなたの従順が私には全てと同じなのだ。見なさい。従順がどれほど多くの祝福をもたらすのか。恵みの上に恵みが加わるものだ。あなたたちは聖なることの美しさの中で育っている。この言葉を宝のように大切にし、実行してほしい。これはあなたたち皆にとって具体的であり、時宜にかなった教えだ。」

「あなたたちが決意と謙遜の姿勢で、過去にあなたたちに傷を与えた人々、およびあなたたちが傷つけた全ての人々と、和解することを望み、祝福する。」