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398. あなたたちはこの地に存在する私の天国だ

あなたたちはこの地に存在する私の天国だ

2015年11月6日

私の心に住む、大切な家族の皆さん。私が一日を逃す度に、メッセージはその翌日にはるかに強く見えます。今夜、私たちはイエス様が私たちのために、特にあなたたちのために持っておられる、愛に関する美しくも美しいメッセージを受け取りました。イエス様が切に願うのは、あなたたちを経験することであり、あなたたちもまた、イエス様を経験することを切に願っておられます。

私はこのメッセージを誤解することがないようにと、言っておきたいです。これは、肉欲的な暗示が全くない、神様からの純粋な愛の交わりです。これは霊的に完全に純粋な愛であり、あなたたち皆に可能なことです。これは、イエス様があなたたち皆に切望していることです。このメッセージは、私に関するものではなく、あなたたちとイエス様、そしてその方があなたたちをどれほど切望しているかということに関するものです。

私が祈りに入った時に経験したことを描写することから始めます。どうすれば、私が今日経験した喜びを、あなたたちに伝えることができるでしょうか?愛する家族の皆さん、私はここ数日間、誤ったこと、時間的プレッシャー、体の不調、即座の注意を必要とする魂たちによって心が分裂していました。そのため、私を支えるのにぜひ必要な、主との深い愛の交わりへと進むことができませんでした。しかし、ついに今日私が目覚めた時、私の心が世間のことを考える前に、私はすぐにイエス様を礼拝し始めました。私の乱れた心のため、約40分間はあれこれと考えて散漫だったが、ついに約60分ほど経った時、主とつながり主の霊の中で実際に起こっていることを見始めました。

おお、主が自ら、私への愛に深く浸ってくださいました。本当に劇的な光景でした。主の温かい臨在が私を包むのを感じられたのだが、その感覚はあまりにも純粋で聖なるものでした。だが、私が主の聖なる顔をちらりと見た時、私は非常に驚きました。私たちはTerry MacAlmonの賛美、特に「彼を賛美せよ」という賛美に合わせて踊っていました。そしてイエス様は目を閉じられ、私に頭を預けて休んでおられたのだが、それは完璧に完全な愛の中に凍りついた、ある人の光景でした。

おお、「私の愛をあなたに注ごう、私の心の香りを」という、私たちが聞いた歌の一節がありました。そしてこれは、いつも私を恥ずかしくさせ、その歌詞を聞く時、私は身をすくめます。なぜなら、私の心の中に、香り高いものを全く見つけられないからです。私は、欠点だらけの自分の心を見たし、それらをイエス様に注ぎ込むと考えるだけでも、はっとします。しかし、私がその方が私の心の中にあるものを楽しむ姿を見た時、その全てが変わり始めました。その方は、一種のフィルターを持っているに違いません!

私に完全に没頭しているその方の優しい顔を見つめる時、私は確かに私に香り高い何かがあると、感じ始めました。そうでなければ、その方がそのように私に没頭することはないだろうからです。私がこのようなことを考えている時、私はその方の頬を伝って涙が流れるのを見たし、その方が次のように言われるのを聞きました。「あなたが私にどれほどの慰めを与えているか、あなたが知っていたらどんなに良いだろうか?あなたは、この地に存在する私の天国なのだ。」

わあ。私は、礼拝に集中しようと何度も努力しました。私たちの間に本当に起こっていることの、小さなことすら逃さないように努力しました。だが、私はごくわずかしか見られなかったのです。なぜなら、私の心が次のような愚かな考えに陥ってしまったからです。「足が冷たいな、靴下を注文しないといけないのに。それとも、ほうきを探さないと。誰かがまた持っていったのか?昨夜はそこにあったのに。」ああ、もう。その後、私は何が起こっているのかを悟り、再び主へと集中し、礼拝し始めました。その後は、ずっとその方に集中できました。それは、主が私にくださった恵みだと分かったのです。なぜなら、私がその方にずっと叫び続けられたからです。「主よ! お願いします! 私がずっと主へと集中できるように助けてください!」

まさにその時、私はこの驚くべき歓喜の中に深く入り込みました。それはまるで、私の全ての魂が今まで切望してきた、完璧な満足と甘い達成感のようでした。頭から始まって全身を通りつま先まで流れ落ちた、まるで温かい蜂蜜のような霊的な状態にすっかり浸されたかのようでした。

しかし、これだけでなく、私の感覚と完璧に一つになった主の姿を、見られました。その方自身もまた、この温かい蜂蜜のような状況を経験していました。そして、私たち二人の存在を一つにするこの上なく幸せな場所、私がすっかり安らかな平安と、完璧で完全な満足に浸っていた場所がありました。そしてその方は、私たちの間にある、このような天国の甘い分かち合いによって感動し、感謝の涙を流しました。

それを考えてみてください!神様が、私たちがその方を愛することによって感謝を感じられるなんて?途方もない幸福は言うまでもなく、神様が人間からどんな喜びでも見出されるなんて、誰がそんな神秘的なことを考えられるでしょうか?だが、その方はそうされたのです。主が私を捕らえている間、このような馬鹿げた疑問は消え去りました。

そうした後、イエス様が話し始めました。「私の優しい愛する者よ、こんな短い時間だけでも、あなたを私の腕に抱きしめられるとは、何という大きな祝福だろうか。ああ、人々が彼らのための私の崇高な愛を経験できたなら、罪が二度と世に入り込むことはないだろうに。」

ええと、私はそれを受け入れられなくて、異議を唱えました。「私が人々にこれをどう説明すればいいのですか?」それでも私は見たままに受け入れるだろうけど、人々が疑うだろうとわかっていました。だから、そう言わなければならなかったです。私も本当に愚かでした。私はこの優しい瞬間を、ただ一人で感じることはできませんでした。私は他の人々がこの状況をそのまま受け入れないだろうとわかっていたし、私のこのような経験のどれも、私自身の思索と見なされることを望んでいませんでした。だから、私は尋ねました。「主よ、私に自由意志が何なのか説明してください。」

「その通りだ、人には自由意志がある。しかし、もし一人の魂が、その魂に向かう私の愛がその骨の髄まで深く染み込むようにするならば、罪が二度とその魂の人生を支配できないだろう。その魂が私を持たずに、『これくらいだけ、これ以上はダメだ!』と言う時に、問題が生じるのだ。だから、彼らは失敗するのだ。そうやって彼らは失敗して、没落する。」

「私が少し違った言い方をしよう。人々が彼らの存在に、私の崇高な愛が染み込むように許しさえするならば、罪が絶対に世に入り込むことはない。一人の魂が私の愛で満たされながら罪を犯すことは不可能だ。しかし、私が言ったように、その魂が私を求めるのではなく、線を引いてしまうから問題になるのだ。私の愛する者よ。これでこれを理解したか?」

「はい、理解しています、主よ。私は、主を完全に受け入れることに関して、人々の心が頑固なのを見てきました。私も同じ罪を犯しました。」

「そうだ、あなたも同じ罪を犯した。これはとても実を結ばないことだ。深刻な不毛の状態だし、実がない。彼らが私を信頼しさえすれば、私が彼らに私の愛を証明するだろうに、彼らが私の愛に浸る報いを経験するだろうに、そして肉に従って生きる人々は、理解できなかった古い矛盾を理解するだろうに。」

私はその時点で、主はなぜ人々が死ぬのか、なぜ子供たちが病気になるのかといったことについて話していらっしゃったのだと思いました。これらは愛に関する古い矛盾なのです。しかし、人々が主で満たされるならば、これを理解できるでしょう。

「クレア、私の愛する子供よ。この愛を彼らに現すのがあなたの聖なる責任だ。彼らが、私の愛について無知のまま生き続けないようにしてほしい。彼らに向かう私の愛の香りを広めるために、あなたの力でできる限りのことをしてほしい。すべてをだ。理解したか、私の愛する者よ?あなたの能力でできる限りのことをしてほしい。」

「はい、主よ。おお神様、私を助けてください。主の恵みで、私が何ができるのか見せてください。」

「見せてあげよう。あなたの周りの多くの人から助けを受けてほしい。私の愛を持って、様々な場所を訪ね、地球の隅々まで行ってほしい。屋根のてっぺんで私の愛を宣言し、地球の僻地や日陰の場所にも私の愛を送ってほしい。これは、彼らが以前には受けたことのない愛で彼らを愛そうと、私がすべての人類を呼んでいるからだ。この愛はあまりにも崇高なので、あなたがたとえその愛の根源の無限の境界に到達しようと何年も努力したとしても、あなたはまだ、うわべをなでる程度しか知ることができないのだ。」

「その愛はあまりにも広大なので、私は一人も逃がせない。私は人間の中で最も邪悪な者も諦めない。彼らが悔い改めるならば、私は両腕を広げて彼らを迎え入れるだろう。私の無限の憐れみの門はまだ閉まっていない。その門は依然として開いている。まだ希望がある。私は私の花嫁たちの倦怠を知っている。しかし、私の花嫁たちが、彼らの人生で私を愛し、私が彼らに何かを要求する時、その要求が大きすぎて、彼らにできないことは何一つないということも知っているのだ。私の花嫁たちが、私のためにできないことは何もない。」

「私は今この時、依然として忍耐を要求している。忍耐、祈り、辛抱、そして人類に向かう憐れみを要求する。ためらわずに、あなたたちが間もなく私と共に楽園にいるだろう。苦しんでいる私の愛する者たちよ。その日には、今のこれらすべてが、ただの悪い夢に過ぎなくなるのだ。あなたたちが目的地の岸辺に着く時には、多くのものが、ただ消え去るだろう。私があなたたちに本当に多くのことを約束した。私はあなたたちを欺かない。あなたたちが平和、愛、そして魂を私の胸の中に連れてくることに献身しながら、肩を並べて行進を続けていく時に、あなたたちの天の金庫には、はるかに多くのものが積み上がっているのだ。」

「長い間、私は彼ら自身の報いは少しも考えずに、互いに世話をし合うような多くの魂たちの軍隊を待ち続けてきた。そして、このチャンネルを通して、私はそのような人々を見つけ出した。あなたたち全員は、天国にある私の恵みの泉から流れ出る愛によって、共にいるように互いに引き寄せられているのだ。あなたたち一人ひとりの流れる支流が一つに合わさって、恵みの上に恵みを、その上にまた恵みを加えているのだ。まさにこうなるべきなのだ。あなたたちの自己犠牲と、私やあなたたちを信頼する人々への関心が集中していることによって、私の愛に関する経験がこのチャンネルで高まっているのだ。天国の甘美な音楽を奏でるこの愛のシンフォニーと、すべての人々を私のもとへ導き入れるのを見るのが、どれほど美しいことか計り知れない。」

「あなたたちは多くの試練を耐え忍んだ。多くの猛攻撃、あなたたちの純粋で愛情のこもった犠牲を汚染しようとする多くの試み、あなたたちを互いに仲違いさせようとする試み。あなたたちは素晴らしい忍耐と美徳を見せてくれた。あなたたちは私の忠実な僕であり、小さなことに忠実であり続けてきた。さて、私が私の実証を受けた魂たちに恵みの贈り物を加えたい。そうだ、私があなたたちに知恵、愛、忍耐、そして祈りの能力に関する賜物をさらに高めてあげよう。人々が自分たちの人生を私に献身する時、あなたたちはあなたたちの懐で、より多くの癒しが起こり、より多くの心が溶けて柔らかくなるのを見るだろう。」

「あなたたちの中には、自分の教会で拒否され、蔑まれてきた者が多くいる。多くの者が、実に生涯にわたって拒絶され、影響力があり、豪華なクリスチャンたちによって、押しやられてきた。あなたたちの謙遜が、数少ない私の選ばれし者となる大きな栄誉をあなたたちにもたらし、これを通して、私の愛の甘い蜜を苦く暗い世に生きる魂たちに伝える役割を果たしているのだ。私が知識や学びや専門知識を言っているのではないことに、注目してほしい。これらではない。これらはただ人がうぬぼれるのに使われるだけだ。これらの要素は、極度の謙遜とともに使用される時には役に立つだろうが、これらが究極の天のパンではない。究極の天のパンは、まさに愛だ。そしてあなたたち全員は、愛に痛みを抱え、真っ暗な世の中に私の繊細な愛を広める、より良い役割を選んだ。」

「これがあなたたちにとって簡単ではなかったことは知っている。あなたたちが何度も後退したり、諦めたがったことは知っている。しかし、あなたたちは肉に屈することなく、より多くの恵みを求め、まさに今のあなたたちのような、賢く愛らしい花嫁となるために、私のもとへ来た。あなたたちは諦める前に私のもとへ来て、より多くの恵みを求め、私はあなたたちを拒絶しなかった。あなたたちは自分の道から外れることなく、競走を走り、神様の召しという報いに目を向けたのだから、これは記されていることが実現するのだ。」

(フィリピの信徒への手紙 3章13~14節) 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト․イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

「そしてこのことのために、私はあなたたちを称賛し、はるかに多くの霊的な領域を約束する。マタイによる福音書25章21節の御言葉にあるように、『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』恵みは恵みを土台として築かれる。そしてあなたたちが優しさをもって私の愛を現しながら、私の羊の群れと子羊たちを世話する時、私があなたたちに油注ぎをさらに与え、私があなたたちを呼んだ目的の満たされるところまで、あなたたちを導くだろう。あなたたちの数はたとえ少ないとしても、あなたたちは傷ついた者たちと疎外された者たちを私の王国へと導く、恵みと知恵において強い者たちだ。」

「あなたたちは、私が世に再び来る道を準備している最中だ。あなたたち全員は、それぞれ正当な資格をもって荒れ野で叫ぶ者の声だ。記されているとおりだ。」

(ルカによる福音書 3章4~6節) これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

「あなたたちは、私が人々の心の中へ入れるように、本当に道をまっすぐにしているのだ。あなたたちは教義的な宗教的言い争いや、誇張や偽りに陥ることを拒否した。あなたたちはそのようなものに陥らなかった。私の民がひどく疲れてしまった、宗教的な障害物や妨げのないあなたたちのやり方が、まさに私の愛のやり方だ。」

「私の民は、私を経験することを切望している。彼らは人や機関、団体と持つような関係ではなく、深遠で真の私との経験と関係に渇いている。」

「私の選ばれた者たちの間で謙遜が大切にされ、成熟するように、本当にすべての谷はこうして埋められなければならない。あなたたちはその道を低く舗装して、誰でも、たとえ最も幼い子供でさえも渡っていけるようにしてきた。」

「自尊心の山、有名な人々を崇拝すること、そして業績は、ただすべての魂を大切にすることに置き換えられた。その魂がどんなに身分が低く、罪深いものであってもだ。これは私の愛が『私を渇望する魂は尊い、尊い、尊い!』と叫び、また、そのような者だけが私を持つことができるからだ。」

「人々の中で最も身分の低い者を最も尊い人にしたのは、私の血だ。これは値を付けることのできないほどに高貴だ。十字架での私の犠牲よりも大きな魂はない。私の十字架の犠牲が覆い隠せない魂はないということだ。そうだ。私の十字架は、自尊心の山々と虚勢を張る者たちが降り立ち、このようなものが完全に無価値なものとして投げ捨てられる場所だ。私の十字架は、このようなものを平らにする偉大な場だ。」

「非常に多くの人が、私に到達する前に諦めるようにさせた曲がった道、つまり人間が作ったこのような曲がった道は、完全に破壊された。あれこれを達成しろと要求する険しい道も、すべて取り除かれた。人の努力で得られるものは一つもなく、すべてが無償で受ける贈り物だ。これは私の両腕が広く開かれていて、私のもとへ来る者は誰でも、人生でその地位がどんなに身分が低いとしても、貴重に扱われるからだ。」

「それゆえ、本当にあなたたちは、あなたたちの預言者、洗礼者ヨハネの足跡をたどり、彼のようにあなたたちの主の道をまっすぐに備えている最中だ。」

「それゆえ、大胆になってほしい。私の選ばれた民よ。あなたたちのとても小さく謙遜な召しが地の果てまで達し、刈り入れの時に救われる魂たちを連れて来ることを知ってほしい。誰一人としてあなたたちを怯ませたり、勇気をくじいたりさせないでほしい。すべての考えを捕らえて服従させ、あなたたちが私の喜びとなるという知識の中で、ひたすら前へ進んでほしい。あなたたちは彼らの実によってその人を知るだろう。良い木は悪い実を結ぶことはできない。引き続きぶどう畑を世話して、あなたたちの仲間たちに与える私の愛の甘いぶどう酒を生み出すようにしてほしい。」