403. 占い vs. 神様との真の親密さ
占い vs. 神様との真の親密さ
2015年11月12日
甘い主の祝福と臨在が、私たちと共にあります。私は今夜、偶然にある女性が投稿したYouTube動画を見ました。使徒パウロが使徒言行録16章で経験したようなこと、つまり、祈りを通じた神様との親密さが、占いの霊とどう違うかについての内容でした。
(使徒言行録 16章16~18節) わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて來てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」 彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス․キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。
動画で、特別な教師が言及したのは、主が自分に蛇の霊、つまり、占いの霊を警告しているということです。彼女は幻の中で寝室を見ました。これが意味するのは、関係が私たちの個人的な祈りから始まるということです。なぜなら、私たちの多くが、自分の寝室を個人的な祈りの部屋として使っているからです。彼女が私たちに向けてそう言ったわけでは決してありませんでした。ですが、彼女がこれに言及したものの、そのように解釈できるということです。ところで、私たちが教えていることが占いだと考えている人たちがいます。ここに、考えてみるべき興味深い点があります。
私たちがこのチャンネルで教えていることと、占いとの違いは何ですか?何よりも私たちは、人々の運勢を話したり、いかなる種類の個人的な予言もしたりしませんし、そのようなものを売ったりもしません。実際、私たちの本も、無料でダウンロードするものです。
その動画の女性は、生計の手段として運勢を占う、専門の占い師でした。その行為は、私たちのサイトや私たちが教えていることと、いかなる類似性もありません。私たちは、礼拝と祈りを通じた主との霊的な結びつきと親密さの実である、個人的な聖なることを教えています。
皆さん、私が私たちの主が私たちに教えてくださったことを弁護するとき、忍耐してください。私は純粋な霊において、神様とのこのような親密さを保護する必要があります。なぜなら、その実は個人的な聖なることであり、敵にとっては非常に脅威的なものだからです。私は、この教師がこの関係についてただ示唆しているのは、彼女が幻で寝室を見たからだと考えています。基本的には、彼女が言いたかったのは、占いの霊、あるいは蛇の霊です。私の考えでは、皆さんがそれを確認できる方法の一つはセミナーです。セミナーでは、人々が読み物を売ったりもするでしょう。皆さんは聖書あるいは他の場所から集めた読み物のために、お金を支払うでしょう。寄付をして読み物を受け取る形かもしれません。おそらく、これが彼女が言っていたことの一部でしょう。それゆえに、明らかにこれは私たちとは全く似ていません。ですが、主との親密さが悪霊たちに侵入される可能性があるということは、私たち皆が調べるべき部分です。これが私たちが分別についてそれほど多く教えている理由です。神様との関係が脅かされると、敵である悪魔がそれを汚染しようとするからです。
主との関係にはいかなる不浄な痕跡もないと、何度明確にお話ししたでしょうか?それゆえに皆さん、私たち皆は「非常に」分別があるべきです。なぜなら、皆さんは利己的な動機なしに自分の心を清く保ってきましたし、皆さんのほとんどが、主により大きな献身と奉仕をさせる主との真の関係を結んできたからです。皆さんの賜物を、決してひけらかさないでください。まさにそれが、悪魔が私たちの心の中で活動するように機会を与えることになり得ます。 ここで私は主に向かって言いました。なぜなら、私がこの全ての状況を見て、これがどう解釈されるだろうかと考えながら、荷物を背負って歩くように、私の心が、あまりにも重かったからです。
「ああ、主よ。今夜は主を礼拝するのがとてもつらいです。私の心がとても重いです。何がこの関係と同じになり得るでしょうか?一人の魂とあなたとの間に、これほど優しく純粋な関係が、占いの類だというのですか?イエス様。どうか、私に話してください。」
「愛する者よ、この世は拒み、否定する者たちで満ちている。私を経験したことがない者たちでいっぱいいっぱいだ。彼らは異言をも軽蔑している。これはどれほど落胆させることだろうか。結局、彼らの心の中の動機に従って、霧は晴れるだろう。これが、あなたが今日経験したように、純粋な動機であることを願っている。それでもなお、個人の霊的な現実は、偽りの霊たちの侵入をかろうじて防いでいるに過ぎない。」
「一部の人々は、自分たちが私のために働いていると考えながら、私の牧会と私の霊が働くことに妨害と分裂を行っている。歪んだ論理を用いて、適切な聖書の御言葉の適用に不信を助長することもある。それでいて、私のために働いていると考えている。このようなものは、私にひどく傷を負わせるものだと知ってほしい。また、不確実性に覆われた全てのことは、結局、真理の光の中に出てきて、その真実を証明するだろう。」
「それまで、私たちは心に重荷と悲しみを共に背負って行かなければならない。愛する者よ、私があなたに力を与えることができるように許してほしい。クレア、あなたの傷が極度にひどい時、私があなたを背負って行くことができるように許してほしい。私の聖霊を正しく理解できない場合がとても多く、私が彼らに与えていないことを教えようとするとき、聖霊がどれほど簡単に悲しまれるか、あなたは知らないだろう。しかし、あなたがすでに直接経験したように、悪魔たちは、できることなら選ばれた者たちまでも翻弄するほど賢い。だが、私はあなたの霊の深いところに、私の霊の動きを深く入れ込んだ。それが、あなたが偽りから真理を分別する上で貴重な助けになるだろう。」
「超自然的な経験をしたことがなく、天国に行ったことがないクリスチャンは、『わたしが行ってあなたがたのために場所を用意する』と述べたことについて、非常に狭く限定的な見方をしている。彼らは恐れ、欺瞞と捏造、魂を失うことへの恐れによって支配されている。」
「それに、主よ。今も私は、私自身で捏造することについて恐れています。主が私に教えてくださったことを擁護するために、私がただ「耳障りの良い話」を作り出しているのではないかと。主は、これが健全で良い症状だと考えますか?そうですか?」
「良いことだ。なぜなら、証拠なしに推論することから、堕落はそこから始まるからだ。私を利用し、適切な境界線を踏み越える者は、さらに偽りに陥りやすい。私の愛する者よ。私は『あなたはまだ私を認識していないのか、クレア?』と叱るが、私はあなたの誠実さ、真理への忠実さ、そして過ちを認め、それを正そうとするあなたの心を尊ぶ。」
「私の花嫁たちよ。私はあなたたちが、非常に柔軟で教えやすい者となるよう求める。あなたたちの一部は、恐れという電流が流れる障壁に囲まれた、型にはまった宗教から逃げ出したのだ。彼らの信仰も聖書の御言葉の上に基礎を置いていたが、同時に彼らはその教団の先駆者たちが教えたことを理解し、容易に受け入れる。実際には、それが彼らの信仰を築き上げるための基礎として活用される。そして、その制度的教会の明確な境界線を脅かすものがあれば、それがどのようなものであっても、聖書の御言葉が動員されて切り捨てられ、誤りであると証明されるだろう。そうでなければ、彼らの教団の生存が不安定になるからだ。」
「簡単に言えば、これは人間の基本的な行為であり、人間の知恵だ。これは人々が悪いという意味ではなく、ただ限定的だという意味だ。そして私は、あなたが自分自身でどれほど霊的に発展したと考えているかについて、気にしない。あなたにもまた、あなたの限界がある。誰もすべての解答を持っているわけではなく、皆が私の王国の栄光に至るには不足している。」
「まさにこれが、私があなたに実を味わうように言う理由だ。もし実が酸っぱくて苦いなら、あなたは間違いがあったことを知るだろう。それが悪魔によるものなのか、人間によるものなのかは重要ではない。あなたがこれ以上、悔い改め、新生、献身、平安と喜びを見ることができないなら、それはあなたが人生のどこかで私を失ったという証拠だ。」
「私の民よ。私はあなたたちに、十分な分別する方法を与えた。あなたたちが過去の教団の境界を越え、私と深い交わりをもち、正しい道を行くことができるようにだ。ここであなたたちは、占いの霊と私の真理の霊を区別することを望んでいる。私が約束したとおり、私の霊があなたたちをすべての真理へと導くだろう。」
(ヨハネによる福音書 16章12節) 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
「あなたが準備できていない時に、私があなたに何かを教えることに、何の意味がある?」
(ヨハネによる福音書 16章13節) しかし、その方、すなわち、真理の霊が來ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
「私が9月に本当に重要なことは何も起こらないだろうと述べた時、それは非常に明確であるべきだった。これはあなたの気概が試されるはずだった預言だ。だが、ある者たちは霊を試すことに興味がない。無条件に責めることの方がはるかに簡単だからだ。だから、いまだに一部の人々が9月に何の出来事も起こらず過ぎ去った理由を納得できないでいる。」
(ヨハネによる福音書 16章14節) その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
「私の美しさ、私の慈悲、私の憐れみ、私の癒し、私の赦し、私の約束、私の御言葉と、どのようにその御言葉の上に立つことができるかについて、あなたは教えてきた。しかも、私の義なる裁きについても教訓した。その結果、あなたは、このチャンネルで新生、私を離れていた者たちが50年ぶりに戻ってくること、人々が不法な関係を清算し、悔い改めること、政府から盗んだものを支払うこと、そしてあまりに多くの驚くべき癒しが起こるのを見ることができた。このチャンネルに臨む私の愛は、このチャンネルを訪問する者たちに非常に明白に現れた。」
(ヨハネによる福音書 13章35節) 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
「あなたは、このチャンネルが私の働きの成果だと信じられないのか。私の霊によって行われたことであり、占いの霊によって行われたことではない。クレア、王国が分裂すれば、立つことはできない。あなたは、あなたが体験したことを空想だと認識できるかもしれないが、その実は否定できないはずだ。だから、元気を出してほしい。私の愛する者よ。本当に私は、あなただけでなく、このチャンネルにいる人々に語っているのだ。今や多くの人々が、私の声をはっきりと聞いている。その実は何だろうか?すべての境界を越えて、一つの普遍的な証拠と実はまさにこれだ。魂の親密な深い結合を経験した者たち一人一人の中には、肉の痕跡がなく、ただ彼らの意志を私に捧げることを望み、自分たちの意志よりも私の意志をさらに愛している。」
「もし、すべての信じる者たちがこのような実を示すなら、サタンの王国はとっくの昔に滅びていただろう。このような教えに対する知恵の源が、闇の霊ではなく、まさに私だということには議論の余地がない。」
「私の花嫁の心には、これ以上、欺き、疑い、裁き、そして闇がないその日を、私がどれほど待ち望んでいることか。ああ、すべての者が一つ心となり、調和して生き、誰も他人を汚すことがないその日を、私がどれほど待ち望んでいることか。すべての人類が私との結合の中で調和し、聖霊の力で、ただ私のために彼らの人生を生き、永遠に私に栄光を現す人生を生きるその日だ。」