410. 宗教ではなく私を紹介してほしい
宗教ではなく私を紹介してほしい
2015年11月19日
主は皆さんを祝福しています。続く主の御言葉です。昨日の御言葉は、私に大きな感動を与えました。外に出て、人々に伝えてほしいという命令でした。後半で、私たちが御言葉を伝えたいと思う対象たちと、どのように伝えるべきかについて、私は主の御声を求めています。朝の礼拝で、主と共にいた時、私は失われた者たちや暗闇の中にいる者たちのために、苦しんでおられる主の御心を強く感じられました。家を暖かくするストーブを求めるために、宇宙に向かって祈っていた女性のような人々です。
「あなたが人々にあなたの愛を伝えることより、もっと驚くべきことはない。どこから始めるべきか分からないんだな。この瞬間、私は聖書を解き明かし、神秘的な事柄を解き明かして、かたきがあなたたちの前に仕掛けたすべての障害物を打ち砕き、取り除いている。私の道は単純だ。その道は愛の道だ。かたきは私の真の意志である愛の真実な行いを歪曲して、繰り返し暗記しなければならない何かに変えた。あなたたちの中の多くの者が、他の人たちに私を紹介する時とても恐れる。だが、あなたたちが私の友であり、彼らの友として近づくなら、私を紹介することほど簡単なことはない。」
そして主は、彼らに近づける方法について、提案をなさいました。
「私の友、主をご紹介します。主はあなたが行くすべての場所に共にいらっしゃいます。主はあなたのすべての叫び声と、喜びに満ちた笑い声を聞いてくださいます。春、万物が生き生きとし、新芽が芽生える時、主もあなたと共に喜ばれます。あなたが秋、黄金色の落ち葉の山の上に横たわり、野原のあちこちに咲いているラベンダーの花と共に秋を楽しむ時、主はあなたと共に喜ばれます。」
「主は新しく生まれた子犬のおどけた行動を見て笑われ、愛していた子犬がこの世を去る時、あなたと共に涙を流されます。主はあなたと常に共にいらっしゃり、あなたととても親密です。あなたがその方を認識できないとしても、主はあなたがいる場所にいらっしゃいます。誰かが死んだ時、主はあなたに平安を植えつけ、愛する人に『さようなら』と言って別れを告げられるように、勇気を与えてくださいます。主があなたの心の中の悲しみをゆっくりと取り除いてくださるでしょうから、あなたはその悲しみに圧倒されないでしょう。主が子宮に新しい命を与える時、主はその子が成長するのに必要なすべてのものを供給なさいます。」
「その方がなさるすべてのことは、あなたの人生を支えることです。その方はあなたと本当に近くにいらっしゃいます。その方がご自身の臨在をあなたの前に現されるまで、皆さんはその方を認識できません。皆さんがその方を発見する時、喜びがそこにあります。『あなたは私の母が亡くなった時、そこにいらっしゃいましたね。私が私の人生を変える職業に転職する時、主はそこにいらっしゃいました!私が子猫を探すために動物保護施設に行った時も、主はそこにいらっしゃいました。主はいつもそこにいらっしゃったのに、私は決して知りませんでした。緊急治療室で、「もう私は死ぬ」と考えていた時、主が私を安全に支えてくださったので、恐怖が私を圧倒することはありませんでした。私が虐待された後、一人でいた時も、主はそこに共におられました。その時も、私が「もう十分だ!」と言う時まで共におられました。』」
「あなたは私が新しい人生を始める勇気を与えてくださいました!あなたは私が『できる』と励ましてくださいましたね。服が必要なのに、手元に数ドルしかない状態で中古品ディスカウント店に行った時、主は私が、必要なものを一かご買って、さらに予備まで買うことができるようにしてくださいました。実際、まさに主が金持ちの婦人に、自分が着ない美しい服を片付けさせたのです。主はさらに、タイミングまでも合わせて、ちょうどその時、私がその店に入って、その服を買えるようにしてくださいましたね。」
「主は私が自動車を必要としていることを知り、まさに私が、必要としていた車を与えてくださいましたね。その自動車が故障した時、主が現在の修理費より安く修理できるよう、恵みを施してくださいました。整備工の心を感動させ、私が修理費を賄えるようにしてくださいましたね。」
「主はいつもそうやって私と共にいらっしゃいました。私はその事実をまったく知りませんでした。さらに、人生が不公平に進む時も、あなたは私が後ろを振り返らず、前に進めるように励ましてくださいましたね。主は素晴らしい夕焼けを背景に、三頭の鹿が牧草地へ歩いて入るのを私に見せてくださいましたね。さらに、早朝、霜で凍りついた私の窓ガラスの外で、紅冠鳥が歌うようにしてくださいましたね。」
「そうです、あなたはこれらすべてのことを行い、また私をあなたの世界へ招いてくださいました。私がもはや孤独を感じないようにです。これは、どれほど驚くべきことでしょうか!」
「分かるか?私の子供たちよ。私を他の人たちに紹介することは、どれほど簡単なことなのだろうか?聖書を持って行かないで、毎朝私があなたに植えつけた満たされる愛を持って行ってほしい。人々は聖書を巡って論争することはできるが、私の愛については論争できない。やがてすぐに障壁が崩れ、あなたたちは私の御言葉を、愛の手紙のように優しく紹介できるだろう。これはして、あれはするなというような誤りに満ちたリストではなく、愛の手紙としてだ。」
「あなたたちは知らないのか?人々は宗教について疲れ、くたびれているという事実だ。だが、もしあなたたちが私の真の愛の心を持って人生を生きるなら、彼らはあなたたちに引き寄せられるだろう。彼らは『この人は何か確実に違う』、『何か私を気遣い、世話をしてくれる真心がある』と言うだろう。」
「過去に、あなたたちが携える救いの銃身に刻まれた、彼らの名を見て、彼らはあなたたちのこのような祝賀の声を聞いた。『もう一つの魂が地獄の火から救われた』と。しかし、地獄が本当に存在するのかについての十分に深い信仰が、彼らに存在しさえしなかったという事実を、あなたたちは知っているのか。まず、あなたたちは彼らにあなたたちの真実さと本物であることと真剣さを確信させるべきだ。その後、私の愛が彼らの心に染み込み、恵みが臨み始めるにつれて、彼らは私の御言葉に渇きを覚えるだろう。その時、誰が聖書を記録したのかについて争うような議論には、関心を持たなくなるだろう。」
「彼らは私の霊に目覚めていて、私の正しさと御言葉に飢え渇くだろう。これが救いの新しい季節だ。私の民よ。過去のすべての障壁を打ち破り、新しく新鮮な私の愛が油注がれる季節だ。これは悔い改めに導く私の愛だ。そして、あなたたちは、あなたたちが持っていないものを他人に与えることはできないだろう。だから、すべては私と共にいるあなたたちの時に、泉のように湧き出なければならない。その時、私があなたたちを満たし、溢れさせる。」
「私は宗教と真の信仰について、ミステリーな事柄を解き明かし、取り除いている。私は人々のやり方をなくし、彼らに私のやり方を注入している。あなたたちが私の生き方を研究してみると、私が遍く善いことを行ったことがわかるだろう。あなたたちも行って、このようにしてほしい。人々を私の祭壇に集め、私の保護を受けさせ、私があなたたちに人々の魂についての洞察力を与えることを許してほしい。このような努力に私が共にいるだろう。しかし、あなたたちは本物でなければならない。彼らとの会話に私を注入させようとしないでほしい。その代わりに、私の聖霊があなたたちの中から溢れ流れるようにさせてほしい。私が言わなかっただろうか。『何をどう話そうかと心配しないでほしい。その時、あなたたちに話す言葉が与えられるだろうから。』」(マタイによる福音書10章19節)
「あなたたちは彼らの興味を刺激させて、彼らの確信を誘導することができる。あるいは、あなたたちが真剣に彼らを愛して、彼らがあなたたちを通して働く私の聖霊に捉えられるようにすることもできる。そして、自信を持ってほしい。すべてが労なくあなたを通して流れるだろう。あなたたちが最初の段階を開きさえすれば、私が私の恵みで彼らに会うだろう。」
本当に美しい御言葉ではないでしょうか。そして、とても詩的な面もあります。人々への様々なアプローチの仕方について、主が語られるのを聞いていると、最も効果的な方法の一つは、(おそらくあなたたちも同意するでしょうが、)ただ人々に過去の過ちを告白し、主がどのように、私たちがそれを克服できるように助けてくださったかを語ることだとわかりました。主は、私たちがその方を最も必要とする時、そこにいてくださる友達であり、私たちが自分の能力を超えることができるように助けてくださいます。
主は私たちと共におられます!