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140. 病気の十字架を背負って

病気の十字架を背負って

2015年2月26日

これは癒しに関するメッセージです。私たちは癒しについて少し違う視点を持っており、これについてはYouTubeの「私はなぜ治らなかったのか」で聖書の多くの言葉と共に詳しく説明していますので、ご覧ください。

私には今、癒しについての主の御心を理解するのに苦労している親しい友人がいます。 その友人について考え、祈っていた時、主が私に語りかけ始めました。

「彼女が私に捧げた意志と存在としての贈り物を取り戻し、健康回復のための祈りを受けることができると、私に代わって伝えてほしい。しかし、彼女がそうするまで、私は彼女の告白を受け入れる。一人の魂が自分の健康を捧げるということは、人が私に与えられる最も貴重な贈り物の一つである。私はそのような贈り物の価値をよく知っているから、極めて優しい心と献身的な心でその贈り物を受け入れるのだ。」

「私の愛する者よ、これらの質問に悩まされることなく、他の人々が福音書からこの真理を得られないからといって、あなたの心が混乱することを許してはならない。私は十字架を少数だけのために、秘密の意味で隠したのか? いいえ、私はすべての人が見られるように天に打ち上げ、私を愛する人々は私のために人生全体と、この世が与えられる幸せを喜んで捨てて、私に従うように命じたの だ。その見返りに、魂たちのために私と一緒に苦労する栄光が与えられるのである。」

ここで私はこの御言葉を思い出しました。

「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」(コロサイの信徒への手紙1章24節)

「これは、誰にでも与えられる栄誉ではない。この魂たちは、私と人類に対する彼らの真の愛のために、私が慎重に選んだ魂たちだ。しかし、彼らも自由意志を持っているので、いつでも自分が捧げた贈り物を取り返すこともできる。それは彼ら次第だ。あなたは私を愛しているか? 私の羊を養え。そうだ、もしあなたが私を愛しているなら、私の羊のために自分の血を流すことさえあるのだ。」

「今は特別な時代であり、特別な愛、つまり私が求めるすべてのことに「はい」と答えられる特別な愛が必要な時代である。あなたはこの聖なる取引の利益を知っており、それが天下と交換できないことを知っているだろう。そしてあなたの友人はあなたと同じ魂である。彼女は私に与えたものを取り返さないだろう。真理に対するこのような考えが彼女の心を貫くであろう。だから彼女は毎日天の力を求め、その力と共に生きることを学ばなければならないだろう。」

私はここで、使徒パウロが何度も治癒してほしいと祈ったにもかかわらず、毎日抱えなければならなかった体のとげを思い出しました。

主は続けて言われました。

「私は魂のための必要なものを考え、その必要に応じて毎日毎日要求されるものを計算し、私の同労者たちに要求される犠牲を考えながら分かち合う。ある日は他の日よりも多く要求される日もある。」

これがメッセージの終わりでした。

主は、私たちが耐えられるものと耐えられないものを知っておられます。主は私たちがどこまで行けるか、いつ限界点に達するかを知っておられます。私の場合、線維筋痛症があり、何度か主から癒しを受けましたが、また再発することがあります。 そして私の夫も健康問題が再発することがあります。