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203. 私の花嫁は箴言31章の女性だ

私の花嫁は箴言31章の女性だ

2015年6月4日

ユーチューブファミリーの皆さん、おはようございます。主の祝福が共にありますようにお祈りします。

主は箴言31章の女性をキリストの花嫁と関連づけて語ってくださいました。 主が私に下さった御言葉を皆さんと分かち合おうと思います。エゼキエルも昨日の夕方に私にこの話を持ち出しましたが、主も花嫁とは誰であり、花嫁を見分ける方法と関連してこの話をされました。主は次のように言われました。

「素晴らしい妻を見つけることは、真珠以上の価値がある。クレア、これは私の花嫁を描いたもう一つの絵だ。」

「私の花嫁には私の心を預けることができる。なぜなら彼女は私のために生き、私の利益を見守り、さらには貧しく孤独な人々にも、慰めを与え、共にいる者となるからだ。私は貧しく孤独な者たちの中で寂しさを感じ、叫んでいるからだ。」

「私の花嫁は一貫性と変わらない姿を持っており、これは賞を受けるに足る姿だ。彼女はあきらめず、さまざまな試練を耐え抜く。私の花嫁は、生涯の日々を通じて善をもたらし、悪をもたらさない。彼女は自己中心的で恥ずかしい生き方を送らず、私の家庭のことを見守り、私に恥をもたらすこともない。」

「花嫁は羊毛と麻を手に入れ、巧みな手で衣服を作る。羊毛は手の仕事、つまり助けようとする努力と、私の家と家庭を築く努力を象徴し、それは全ての季節にそのような必要性を満たす姿だ。麻は祈りと関連したリネンを象徴する。彼女は祈る女性であり、私の家庭を祈りで覆い保護する。」

「私の花嫁は手を差し伸べて貧しい人々に差し出し、助けが必要な人々に腕を差し伸べる。彼女は自分の周囲の人々に私の愛を示し続け、私は彼女と彼女の全ての事に私の愛を注ぎ続ける。」

「外見の魅力は詐欺であり、そのような美しさははかないものだ。私はそのような虚栄心や、内面ではなく外面に現れる表面的なもの、はかない世の中の事に没頭した生き方を嫌う。このように、心から私を尊重し、自分の人生を私のために生き、自分自身を私に捧げる私の花嫁も、世が称賛するものを嫌う。」

「このような私の花嫁の努力は報われるだろう。花嫁の努力の結果に賞を得るだろう。そして私の花嫁の行為は門の中で称賛の声として高らかに鳴り響く。私の花嫁の美徳と忠誠心により長老たちから認められ、私の基準を反映する共同体で、他の人々に模範となる完璧な生き方を示すだろう。」

(クレアの言葉、中略)