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211. あなただけの贈り物、礼拝

あなただけの贈り物、礼拝

2015年7月5日

主よ、私たちが知るべきこと、主にとって真に重要なことを、私たちと共有し、この時にも主の甘美な交わりの祝福が私たちにもたらされるように祈ります。アーメン。

7月4日の夜、ここタオスでは独立記念日の花火が打ち上げられているかもしれません。主が分かち合いたいと願うメッセージを皆さんに伝えたいと思います。

今夜の礼拝の間、私はこんな負担を感じました。「苦労して祈るべきではないか?泣きながら頭を抱えて、灰を頭に塗り、祈るべきではないか?」という、非難に近い声が私の礼拝を散漫にしていることに気づきました。「主と踊り、楽しむなんて何をしているの?それは祈りの方法ではない!! あなたの祈りの生活は適切に行われているのか?それは祈りではない」と。正直言って、このような非難が私の心を本当に苦しめ始めていました。昨夜主からいただいたメッセージが、ちょうどこのテーマに関するものだったため、私は自分自身と戦っていました。

だから最終的に、私は礼拝を止めてエゼキエルのところに行き、今何が起こっているのかを話しました。エゼキエルはこう答えました。「ハニー、昨夜のそのメッセージは、私が三つの方法で分別してみた結果、主からのメッセージであると確信していますね。あなたは今、攻撃を受けているんだよ。」そこで私はかたき縛り付け祈りを捧げ、そういったものを叱りました。礼拝の場に戻り、私に投げかけられるもののダイナミクスを正確に理解し、偽りの霊、中傷の霊、非難の霊などの名前を一つずつ挙げて拘束しました。その後、ほとんど全てが解決しました。それ以降は、そういった非難の言葉に耳を貸さなくなりました。そして、礼拝の時間に主が私に語り始められたのですが、残念ながら今日も、主がまた泣いていらっしゃるのを見ました。私は主を抱きしめて慰めました。昨日、私は花嫁が主を待つ様子を主がどれほど愛しているか、そして花嫁が主のもとに来て、主の足に口づけをすることについてお話しいただいた時、とても励まされました。私はそれがとても美しいと思い、それを覚えていました。

しかし、今朝起きたとき、とても異なることが起こりました。私が最も愛している「イエス」という名前の猫がいるのですが、この猫が私に近づくときは、主が私に語りかけたいという、サインと確認をくれることが多かったのです。朝、このイエスという猫が私に近づいてきたとき、主も私に近づき、私の上にたっぷりと覆うように感じました。だから私は目を覚ましました。

部屋を移ろうと立ち上がったとき、その猫が私の足を舐め始めました。以前はそんなことは一度もなかったんですよ!猫は実際に私の足にキスを始めたのですが、前日の夜に主から頂いた、花嫁が主の足にキスすることについてのお言葉を思い出しました。とても感動的な瞬間で、「わあ、主よ」と言ってしまいました。主はこの取るに足らない小さな猫を遣わして、私たちが主に示す愛がどのようなものかを証明し、その愛が有効であることを私に確認してくださったようでした。悪魔は私たちの礼拝を止めるために、あらゆる手段を尽くすでしょうから。一時、「私が花嫁という主の慈しみに生きる者で、暗黒の王国にそれほど脅威でなければ、悪魔が私の礼拝を邪魔するために、そこまで熱心に努力しないだろう」と考えました。敵は、私がイエス様と一緒に踊り、抱擁し、慰めたいという私の姿を、薄っぺらくて快楽を追求する者だと何度も嘘をつこうとしました。

私は少し時間を割いて、私が目撃し経験した礼拝の形態のうち、いくつかを明確にしたいと思いました。実際に確認できた三つを紹介します。

私たちが礼拝に喜んで入り、主の胸に抱かれたり、御座の前にいるとき、その喜びの栄光が非常に濃厚で、一片を切り取ってホイルで包むことができるほど厚いときがあります。また、時には苦難と聖なる悲しみが私たちを捕らえて、ただ泣くしかない時もあります。そうでなくとも、主の聖なる顔を覗き込むような経験をすることもあり、主ともっと深いレベルで、本当に本当に一つになり、愛が溢れて心が爆発しそうで、私は主への渇望が大きくなりすぎて、空っぽになることもあります。

主が語り始められました。

「心配しないでほしい。泣いて嘆く時があるだろう。しかし、私の花嫁たちよ、あなたたちは一生、世の中の罪のために泣き嘆いて、生きてきたことを知っているか?私があなたたちに世の罪の試練を経験させなければならないだろうか?いいえ、あなたたちに言うが、私はあなたたちをそう扱わない。罪深い生活様式や言葉遣い、罪深い文化、正しく善いものに対する無知、それによって傷つく人に何の関心も払わない様子、世を軽率に行ったり来たりするように生きる人々を屈服する方法で、あなたたちを屈服させることはない。」

「真に彼らは彼らの時が来るだろう。彼らの番が来たら、彼らを悔い改めの場所、私の恩みの祭壇の下へ連れてくる。これが私が追い求めるすべてだ。人々がサタンの道から立ち返り、神を恐れる健全な社会を生み出すために、聖なる生活を送らなければならない。この光と闇の間の闘いは数世紀にわたって続いてきたが、私はその戦いを完全に止めようとしている。これ以上、社会に浸透する悪魔も、それによって堕落する世代もない。最後には、なおも悪に縛られ、無力な悪魔に忠誠を誓う者たちが立ち上がり、同じ種類の人々を集めるだろうが、私は彼ら全てを最後に終わらせる。」

「彼らは皆、宇宙時代の幻想を信じ、私が誰であるかを悪く考え、私の力で縛られているものを破壊しようとする者たちだ。彼らは、地球が人が住める何百万もの惑星の一つに過ぎないと、信じさせようとする。私の愛よ、一瞬たりともそんな偽りに騙されるな。それは敵の嘘であり、私の主権を完全に損なうものだ。宇宙のあらゆる場所から来たすべての悪魔はすぐに縛られ、最後の審判で火の池に投げ込まれ、完全な終わりを迎えるだろう。」

「クレア、心からこれを信じてほしい。私が地球の光のために、他のすべての天体を創造したと言わなかったか?生命体が住んでいると推定される他の惑星は、悪魔たちによって占領され、悪魔たちとその造られた者たちの汚れと醜さ以外、他の生命体は全くいない。」

「再び礼拝の話題に戻ろう。私たちが愛の心を優しく分かち合う時に起こることは、敵たちにとって純粋な毒となる、命の水で満たされることだ。その命の水が少しでも彼らに振りかけられれば、計り知れない苦痛を引き起こす。なぜなら、その水には彼らが二度と経験できない恵みと、私の生きている臨在があるからだ。不従順と反逆で失った天国の栄光を彼らに思い出させるが、彼らに残っているのは、燃えるような非難を引き起こす何かがあるし、善いものすべてに対する憎悪の悪臭だけが残っているからだ。だから彼らは、人類を滅ぼすために、悪と反逆を繰り返し計画しているのだ。しかし結局、自分たちが何者であるかが明らかになり、永遠に火の池に閉じ込められることになる。」

「私の鳩たちよ、その時まで、あなたたちの涙で私の足を洗い続け、あなたたちの髪で拭いてほしい。私があなたたち一人一人に与えた方法で、引き続き礼拝し、泣き、嘆き、取りなし祈りをしてほしい。あなたたち一人一人には特有の恵みがある。時には涙であり、時には喜びだ。それらはすべて私の栄光のためのものであり、どれも他より優れているわけではない。すべての人は私の心の中で自分のしるしを見つけ、終わりのない恵みと真理の泉である、命の水の流れを自分の存在の中に流れ込ませるだろう。だから、喜びの時を恐れないでほしい。それらは涙の時と同じくらい、価値があるものだ。」

「これらのことがあなたたち自身から生まれたと思うのか?いいや、それらの贈り物は私からのものだ。私はあなたたち一人一人に、季節に応じてあなたたちに与えるものを選んだ。そして、その選択は私の必要に応じて計画されたものだ。」

「だから、今は平安のうちに進み、私があなたたちにどのように自分を現すかにかかわらず、私の臨在の中で喜ぶことを願う。これは私が与える神聖な特権であり、親密さという甘い果実をもたらすものだ。これはまた、あなたたちの人生に対する私の目的を明らかにする果実でもある。」