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233. 強迫的な執着と自己忘却

強迫的な執着と自己忘却

2015年7月24日

主は今夜、私たちに甘美なメッセージと方向性を持つメッセージを与えてくださいました。昨夜、私は新しい門が手に入らないことに腹を立てて、怒りながら寝床につきました。本当に怒っていました!その過程で学んだ教訓があって良かったのですが、私の肉体と人間的な感情と戦うことは本当に大変でした。私は泣きました。ぐずぐずしてから眠りにつきました。

そんな時間を過ごした後でも、私は今夜、主と共に礼拝を捧げ、自分自身を克服することができました。2、3日前に祈っていたときに見た、ワイン色のドレスを着ていた私自身が思い出されました。その色の服を着るときは、通常、犠牲と苦難が近づいていることを意味していました。今夜は自分がどんな色を着ていたかはよくわかりませんでしたが、おそらく同じ色のドレスだったと思います。主もズボンとシャツを着ていらっしゃいました。主は私と一緒に踊ってくださり、 何度かは、まるで私が遠くから私たちが踊るのを見ているようで、主の表情がとても質素で優しく、私が自分自身を克服して主のために立っていることが、とても嬉しそうでした。言葉では表現できないほど、美しい光景でした。思い出すだけで涙が出ます。主も、私が礼拝しているその場にいることがとても嬉しそうで、私も主と一緒にいることがとても嬉しくて、ずっと一緒にいたいと思いました。

昔は何かを直さなければならないとき、それを早く克服して直すのが得意ではなかったように思いますが、年を取ると少し賢くなるようです。今夜、主は次のようにメッセージを始められました。

「もう私に怒らないことを嬉しく思う。」

「ああ、主よ、私が主に怒るなんて、どれほど愚かで無知なことかわかりません。」

「以前はそうだったな。」

「はい、主よ、そうでした。」

「そして新しい門についても、そうすることが最善であることを理解しているのではないか?」

「はい、私の愚かさを理解しています。だから、今朝起きてこの聖句を開いて心に留めたのです。」

コリントの信徒への手紙一7章28〜32節。

しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦勞を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦勞をさせたくないのです。

兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、

泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、

世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。

思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが。

「本当に私の状況にぴったりの言葉のようです。」

「なぜだと思う?」

「主よ、この言葉が書かれた時期を考えると本当に憂鬱になります。」(1世紀の当時も、その時が近づいていると言われていたのに、それから2000年が経ちました!ああ、主が来るのにそんなに長い時間がかかるとは思いたくありません!)

「私が今あなたに話しているように、その言葉をそのまま受け入れてほしい。その扉について言えば、それはあなたの人生で必要な何かを得ることに関する問題ではなく、世の中に囚われることを警戒するべき部分があるということだ。兵士は入隊して上官を喜ばせることが目標であるため、一般市民のように振る舞い、自分が望むことを追求せず、そういったことに囚われないことを理解する必要がある。私の小さなマルタよ、私はあなたがこの世の心配から自由になることを望む。私たちがどれほど一生懸命努力したか知っているか?マリアの本性があなたの中のマルタのような傾向に打ち勝ち、先を行くことを見るために。私たちのこの全ての努力をあなたは捨ててしまいたいのか?」

「もちろん違います、主よ」

「クレア、悪魔は滑らかだ。彼らはこう言う。「あなたはできる、それをしてもいい、それは迷いではない、仕事が終わったらすぐに悪魔に開かれた扉を閉じることができる」、それが全て嘘だと気づかないのか?彼らはあなたが理解したり想像したりする以上のことを、計画していた。あなたが一インチ与えれば、彼らは一マイルを取る。本当にだまされやすい。あなたが何かに自信を持ち始めたとき、まさにその時から滑り始める。あなたの性格では、世の中で何かプロジェクトを行うとき、地雷原で悪魔と交渉するような姿をよく見せ、あなたがその地雷に近づきすぎたら、ある時点で私があなたを止めなければならなかった。これがあなたと私の契約だ。これがあなたが私に望んだことで、結局私はあなたの許可を得たのだ。」

皆さん、私は主がおっしゃったこの言葉が真実だと言わざるを得ません。私は何かプロジェクトを始めると、3日目になると「ああ、この週末までに全部終わらせなきゃ。そしてその後、真剣な祈りに、一日の多くの時間を捧げる態度に戻らなきゃ」、と自分に言い聞かせて考えていました。そうして1週間が過ぎ、2週間が過ぎ、4週間が過ぎ、8週間が過ぎます。そうして私は完全に仕事に依存するようになります。道を見失い、自分自身を取り戻すことができない状態になりながら、主を切望し、「これは良くない、やめなきゃ」、と言い続けていました。本当に止められませんでした!ある種の旋風、渦中に巻き込まれて抜け出せない感じです。ついに、長い時間が経った後、主が来て私を救ってくださいました。涙を流しながら倒れて、「主よ、これは私が望んでいたことではありません!私が望んでいたことではありません、本当に申し訳ありません。私を救ってくださってありがとうございます!」と言いました。

主は私たちが結んだ契約について続けてお話になりました。

「主よ、きれいな新しい門が設置された後、私を制止することはできなかったのですか?」

「まだ私に拳を振りかざしたい気持ちが残っているのか?この世の中では、そのように欲求を追いかけてはならない。あなたが自分を捨てて、私のために自分を克服する姿を見たい。」

「それは少し厳しいのではありませんか?」

「あなたが天国に来たとき、そうは思わず、むしろ私に感謝することになるだろう。」

「まあ、主はいつも正しいので、あなたの言葉を受け入れなければなりませんが、それでも…」

「クレア、あなたが私をとても愛していることを知っている。その愛を従順で証明する姿を私は愛している。」

「分かりました」(ため息)

この時から、主は私たち全員に関するメッセージを始められました。

「私の愛する花嫁たちよ、これが核心だ。あなたたちが私を愛するなら、本当に私を愛するなら、自分を捨てて、与えられた十字架を担い、私に従うことになる。簡単に言うと、あなたたちは私に従うだろう。私の全ての意志、小さな意志でさえも私に従うだろう。私はあなたたちの祝福と、魂の救い以外は何も望んでいない。私があなたたちを正すときがあるが、それは剪定のようなものだ。ぶどうの収穫量を増やすために、枯れた枝を切っているのだ。私が言ったように、このことはあなたたちの祝福と魂の救いのためだ。」

「剪定を行う時期は楽しいものではないかもしれないが、結果的にはたくさんの甘い実を結ぶだろう。あなたたちは従順と忠誠を通して私への愛を証明する。私は次の困難を越えて何があるかを見ているが、あなたたちはそうではない。私はあなたたちの考えよりも先を行っており、サタンがあなたたちに次に何をしようとしているかを、完全に把握している。私はあなたたちを準備し、守るが、時にはそれが不快であっても、そうする。あなたたちが私の意志に従って自分の意志を曲げる姿が、どれほど私に大きな喜びを与えるか分かるか?天国でもこの地上でも、それに匹敵する喜びはない。自由意志を持つ魂が、自分の楽しみのために何かをすることができるが、私を喜ばせることを自分の喜びとして見る姿。そのような姿を見る喜びは、他の何物とも比較できない。」

「あなたたちが私に、どれほど大きな喜びを与えるか想像できるか?いや、できない。なぜなら、あなたたちは感謝しない魂の満ちた世の中を見ていないからだ。彼らは破滅に向かって走り、周りの全てを破滅に引き込んでいる。「いや、私の神のために、私はこれをしない」、と言う魂を見るのがどれほど美しいことか分からない。ああ、それは私に希望と励ましを与え、聖なることと栄光がそこに満ちている。私の花嫁たちよ、これがあなたたちから私は見たいものだ。」

「罪の層があるように、犠牲の層もある。あなたたちが失うものが多ければ多いほど、得るものも多い。ああ、あなたたちがこれらの小さな犠牲から得るものを、見ることができたらどんなに良いだろうか?今はただ私を信じてくれるか?このような犠牲をする魂に与えられる、栄光の重さは大きい。あなたたちの夢は私の夢となり、あなたたちの計画は私の計画となる。私の資源はあなたたちの資源となる。私の主権的な意志に忠実に生きる者に、私の名を呼ぶ者に、私はどんな良いものも拒否しない。」

「これは世の中とは正反対のことだ。これは私たちの内にある天国だ。私のためだけに生きることを望む、魂の栄光と華やかさは言葉では表せない。こんな魂を通して、私がどれほど多くのことを成し遂げられるかわからない。私があなたたちに私の命を与えたのは、それがこの世で苦しむ他の魂たちに流れるようにするためだ。しかし、あなたたちがそれを自己中心的な目的で使うならば、私の計画は挫折する。あなたたちが才能を埋め、その才能の実を結ばせないようにするのと同じことだ。」

「あなたたちが私の恵みを、私が意図した通りに使う意志があるとわかると、私はさらに多くの恵みを注ぎ、人類への私の愛の証としてあなたたちを育てる。ああ、私を愛する者たちに、どれだけ多くの宝が積まれているか、あなたたちが見ることができたなら、二度と私の恵みを自己中心的な目的で使わないだろう。そして時間。そう、時間はあなたたちへの私の恵みの一つだ。時間は一度使うと二度と取り戻せない。私への責任感が高まるにつれて、あなたたちは時間の重圧をより鮮明に感じるようになり、自分自身の楽しみのために時間を無駄にしないよう、非常に慎重になるだろう。」

「もちろん、時には休息の時間もある。昨夜クレアに許可したピザのようにね。私の贈りものに満足し、幸せになる姿を見たいと思うこともある。しかし一般的には、魂たちに救いをもたらす仕事は非常に重要で、タイミングを正確に合わせる必要があるため、その時にはあなたたちが、自分を忘れることができるように願っている。あなたたちがこれらのことをよく理解し、実践に移すことを私は強く望んでいる。今すぐ手放したくないことがあることを、私は知っている。しかし明日には新たな恵みがやってくるし、あなたたちが私に対してより深い愛に陥るにつれて、そうしたことはもはやあなたたちに影響を与えることはなくなる。そうしてあなたたちは肉に属するものから解放される。私に属するあなたたちは、自分の情熱と欲望を、その肉と共に十字架に釘付けにするのだ。」

「あなたたちも知っているように、この世には、地上から足を離して歩いている人々がいる。比喩的に言うとね。彼らは完全に肉体的本性から切り離されている。あなたたちが彼らの人生を研究しなければ、彼らを見つけ出すことはできない。彼らは常に私の意志を行なっている。人の意志を拒否する。彼らは自分に与えられた時間が自分に属していないと考え、そのため肉に属している者たちが、非常に価値を置くものを避けて生きる。」

「私はあなたたちと共に働いている。私はあなたたちを彼らがいる場所へ連れて行く。あなたたちの失敗によって落胆しないでほしい。あなたたちがその失敗を適切に扱えば、それは私があなたたちのために計画している、勝利への足掛かりとなるだろう。転んだときに自分自身を責めないでほしい。立ち上がって世の中の埃を払い、私の恵みの中で再び始めるようにしてほしい。」

「自己攻撃は生産的ではない。むしろ、決意が必要だ。何よりも重要なのは、すべての状況で、愛であることを覚えておいてほしい。あなたたちが行なった断食が争いと分裂に終わり、批判という悪い拳で互いを打つなら、それは私が意図する断食ではない。私が望むものが書かれていないのか?」「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。」(イザヤ書58章6〜7節)

「これらは人を聖なる器にするものだ。純粋な動機で、心から、私が私の命を使ったように、私があなたたちに与えた命を使い、私の手足となり、私の姿を取り、自分自身を愛するように他の人々を愛することだ。」

「私の花嫁たちよ、前進せよ。すべての人々にとっての祝福となるように。自分を忘れて生きることに自信を持つように。この恵みがあなたたちのために注がれる。上手に使うように。私が行ったときに、私の意志を行うしもべは幸いである。あなたたちはその時を知らない。だから、一時間ごと、毎日このように生きるように。私はあなたたちが予想しない時に行く。あなたたちの上に私の報いをたっぷり注ぐことを切望している。」