277. 今が準備の時である
今が準備の時である
2015年9月29日
Heartdwellersの皆さん、私たちが準備の時を迎えている今こそ、神様が私たちとともにおられます。これが今夜のメッセージです。
主が語りました。「アメリカに困難が訪れるだろう。あなたも知っているとおり、これは昔から準備されてきたことで、今は取り消されたのではなく、延期されただけなのだ。」
主がこの言葉を述べられるとき、私は長い貨物列車が遅くとも着実に動いているのを見ました。
「それらのことが来ており、まだ始まりの段階にある。あなたがた全員が、私の内に確固として準備ができていることを望む。分かるだろうか?非常に賢い悪魔たちがこのチャンネルに配置され、あなたがた全員を打ち倒そうとしているが、私はあなたがたを継続して擁護するだろう。クレア、私を弁護する必要はない。私があなたがたを見守るからだ。」
「私の花嫁たちよ、私はあなたがた全員が悪しき者たちの賢い策謀に立ち向かえるように訓練してきた。分別についてのメッセージと教えを再び見直すことは、あなたがたにとって悪くあるまい。」
そうです、皆さん。私たちのYouTubeチャンネルには、主のメッセージを見分ける再生リストがあり、36の関連メッセージがあります。最新のメッセージは更新されていない可能性があります。
「そうだ、そのリストのメッセージはそれぞれ、霊的戦いの別の側面を扱っている。不和、分裂、陰口は敵の主な武器であり任務なのだ。だから、あなたがたの動機全てを特に警戒しなければならない。家庭に不和の種を蒔けば不和を収穫するだろう、そしてその不和はあなたがたを弱体化させるのだ。弱体化した状態では、分別力と信仰が弱まり始める。私の花嫁たちよ、相手の意見に同意するほうが、あなたがたにとってはるかに良い。不和に陥り信仰が弱まるよりはるかに良いのだ。」
「高慢は一種の防衛的な態度でもあり、敵が攻撃しようと狙う部分でもある。そのときも、相手の意見に同意して流すことが良い。特に毎日一緒にいなければならない家庭や職場では、さらにそうするのが良い。『喧嘩をしない』人になってほしい。秘密を一つ教えよう、悪魔たちがあなたがたから彼らの望む反応を得られなければ、彼らは他の人を困らせに行くだろう。だから『喧嘩をしない』人は、とても平和な小さな島のような存在になるのだ。しかし、悪魔たちは、あなたがたが喧嘩を買っても反応がなく、面白くない反応をする人だと確信するまでは、あなたがたを限界まで追い詰め、試すだろう。」
「私の花嫁たちよ、あなたがたの価値は人々があなたがたについて言うことにあるのではなく、ゴルゴタで私が流した私の体と血にある。だから私はあなたがたを、天国で永遠に私といられる存在に造ることができる。先に述べた攻撃が敵からくるということを認識し、攻撃があなたがたから、はね返るようにしてほしい。必要ならトイレに逃げて、私を求めなさい。そうすれば私の恵みであなたがたを強くしてあげよう。」
「過剰な仕事は、また別の非常に強力な悪魔的な性質で、利己的な野心とつながっている。野心はあなたがたを疲れさせ、分別力と信仰を揺らがせようとする推進力だ。過剰な仕事と利己的な野心は、義の胸当てのもとで守られるべきあなたがたの心と魂を攻撃する力なのだ。いつものことだが、毎年、貪欲と野心の悪魔たちがクリスチャン界に侵入し、ビジネスを後押しする役割を果たし、冬を越すときにはあなたたちを完全に消耗させ、疲れさせる。悪魔たちは、あなたがたを動かすために、偽りの罪の意識と感傷的な心を用いることを憚らない。あなたがたはこのような攻撃に全力で立ち向かわねばならない。私はそのような季節を過ごす間、物質主義には全く満足しない。物質主義は私にとって嫌悪すべきものだ。その物質主義が家族や親戚からの圧力に起因するものであれ、あなたがた自身の内なる欲求に起因するものであれ、それに屈服しないでほしい。迫りくる季節を聖なるものと、私との深い関係の時間にしてほしい。」
そして主は私に何かを言われましたんですが、私はそれを言いたくなかったんです。^^私は主にこう言いました。「ああ、主よ、喧嘩は嫌になってきたので、主が私に今しがた言われたことは言いたくありません。」
「それでも言いなさい、クレア。それは無実の者を守るために言う必要がある。」
「はい、主よ。」
付け加えると、皆さんはこれらの言葉が、主が安息年について警告なさったことと何か関係があると考えられるかもしれません。私は主を弁護することはできません。ただ、これが主の言葉だと信じているので、伝えるだけです。
イエス様がおっしゃいました。
「私の誕生を記念し祝うことは間違いではない。ただし、自分とは異なる考えの人々に対し、自分こそが正しく正義であるという態度で押し付けるのはやめてほしい。私には、私の誕生を祝う期間中、子供たちとつながる多くの方法があり、それは物質主義ではなく、霊と真理と心で祝われるべきなのだ。確かにその日は異教の祭りだったが、教会はその知恵によってその日を選び、キリスト教徒になる前に記念していた邪悪な祭りを、私を祝う日に置き換えたのである。」
「そうしてその日が、私の受肉の神秘、私の謙遜とへりくだりの神秘を記念する時間となった。私の誕生に関連して立証されたすべての奇跡を記念する時間となったのだ。忠実な者たちにとって、多くの恵みが天からくだる驚嘆と恵みの時間なのである。些細な愛の印は、物凄い規模の物質主義的欲求よりはるかに良い。そしてその日が近づくにつれ、子供たちに教えなければならないことがある。あなたがたが私に与えられる最大の贈り物は、あなたがた自身であるということを教える必要があるのだ。信仰の英雄たちの物語を読み、彼らがどのように自分自身を私に捧げたかを学ぶことは、一家が この季節の本当の意味を理解する美しい方法なのだ。小さな馬小屋の情景を作ることは、子供たちには決して忘れられない出来事となり、この季節を他のすべての季節と区別して、非常に特別なものとするだろう。」
ここに付け加えると、主は私と私の子供たちも同様の方法で導いてくださいました。私は子供たちと一緒に、モーセ、エレミヤ、預言者たち、ルツなど、聖書の聖なる男女たちを、とうもろこしの皮で人形を作りました。そして光と輝きで飾った居間に、古いヨモギに吊るし、毎晩私たちは彼らについての小さな物語を読みました。そして次に、私たちは子供たちが粘土で作った小さな馬小屋の情景も持っていました。私たちは主と、その誕生の際に起きたすべてのことについて多くを語り合いました。とても特別な時間だったようです。
主は先に、義の胸当てについて言及なさいましたが、それが何を指すのか知りたいかと私に尋ねられました。
主はこう仰っいました。
「過剰な献身と利己的な野心は、義の胸当ての下で守られるべきあなたがたの心と魂を攻撃する力なのだ。」
私にはこの義の胸当てについての力強い教えや概念はありません。つまり、この言葉についての知識は心の中にありますが、その意味の深さがないということです。今夜、主は深くそれについて説明してくださいました。そのことを本当に感謝しています。
「義の胸当てはあなたがたの内臓、心臓、魂、エネルギーの源を守る。あなたがたの良心が心臓のすぐ下のみぞおちの中心に位置しているので、これらはとても注意深く守られなければならない。」
「どうすれば義を身に着けられるのか? あなたがたに明らかにされた私の意志に従うことが、義を身に着けることなのだ。あなたがたに明らかにされた私の意志を、意図を持って逆らえば、すぐにあなたがたの胸当ての穴が開き、そこから責めが入り込むことができる。そうすれば、あなたがたは私の心に適わない行いをしたと気づき、あなたがたの心は私を愛するのではなく、私を恐れるようになるのだ。」
「そして悪魔たちは、あなたがたが責められたと感じさせるために、その穴を最大限に利用し、何万もの方法を見つけ出そうとする。しかし、あなたがたが私に従順で、私の意志の中にいると知れば、あなたがたは容易に悪魔たちと戦うことができる。これほど素晴らしい防御策があるだろうか!あなたがたが日々従順な生活を送れば、このように私の意志の内にある、つまり義の胸当ての下にある魂には、何も触れられなくなるのだ。あなたがたが私の意志と私の望みに従う度合いに応じて、あなたがたの胸当ては鉄の鎧のように強くなり、貫けなくなるだろう。」
「この時に、善い戦いを戦う準備ができていない多くの人々が倒れるだろうが、あなたがたには立ち続けてほしい。人々は試練の価値を知らない。人々は私と深く礼拝し、深い再充電の時を経験しないのだ。ですから、この深い礼拝と試練の価値に対する無知が、人々をひどく脆弱にしてしまった。ほとんどの人々は、自分の人生がすべての面でうまくいっているときに、自分が私の意志と祝福の中にいると、信じるように訓練されている。しかし概してそのような状況こそが、彼らにとって滅びの時なのだ。サタンはもはやそれらの人々を脅威とは見なさず、そのままにしておき、無防備な状態のままにしておくのである。」
「キリストの兵士が勇気を持って立ち上がり、私のために生きるようになると、彼はすぐにサタンの標的となる。私の花嫁たちよ、私の喜びのために正しいことをしようとするあなたがたの決意は、反対と苦難を引き寄せるだろう。ですから、私とともにどのように自分自身を守り補給するかを知ることが、非常に重要なのである。」
「主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出し」詩編34ぺ編19節。
「あまりにも多くの人々が、繁栄こそが義であると教えられているので、世と、世が与えるものが突然彼らを失望させると、彼らはひどく脆弱な存在になってしまうのだ。彼らは自分の人生の価値を、私の血の観点からではなく、この世での資産の観点から評価するのである。これが大恐慌の際、それほど多くの人々が自殺した理由なのだ。彼らの自己価値は完全にこの世の価値に基づいていたのだ。そして今、良い家に住み、ボート、車、良いものを持っている人々に対して、自分の眉毛の高さまで借金を抱えている人々に対して、ホームレスのような生活が押し寄せてきて、襲いかかる時が来ている。このような世の地位や、世の象徴がすべて失われれば、人々はどこへ行けばよいのか、自分自身が誰なのかさえ、分からなくなるだろう。」
「そのときこそ、あなたがたがその人々の魂の真の価値、つまり私の犠牲と愛を照らす光の合図弾となるべき時なのだ。あなたがたは堅く立ち続けるだろう。そして人々は、何があなたがたをそう堅く立たせているのかを知りたがるだろう。彼らは聞くことになる。なぜなら彼らは必死だからであり、あなたがたが与える答えは、決して世によって腐らされることのないものだと、感じ取れるからである。」
「主よ、人々がものすべてを失い、もはや世俗的なことのために長い時間を働くこともできなくなったら、人々はあなたのためにもっと時間を持つことができるでしょうか?」
「ある程度はその通りだ。お金を稼ぎ、買い物をする時間は無くなり、その代わり、体に染み付いた習慣の力により時間が使われ、残りの時間が人々に開かれるだろう。この時間こそ、私が入り込める地点であり、彼らに救いについて考えさせ、空しい人生ではなく、真実で意味のある人生を提案できる地点になるだろう。これは私の慈悲から出る行動なのだ、クレア。」
「私の花嫁たちは、私だけに集中することを望んでいる。このような剥奪は、多くの人々を私のもとへと再び連れ戻すだろう。言ってみれば、これは家族単位で起きる静かなリバイブルだ。これはすでに世界中で起きている。時間が短すぎるため、私の霊は人類の上を動き、多くの人々を死から新生へと導いているのだ。」
「そして、あなたは、携挙の前には大規模なリバイブルはないだろうという、私の言葉を忠実に伝えた。しかし、まさにあなたの目の前で、毎日小さな規模の人々が回心し、神の国に加えられているのだ。そしてこうした回心が、実際に多くの人々が携挙の前にあると予想されていたリバイブルなのだが、まだ彼らはそのリバイブルの中にいると認識していない。このような回心とリバイブルは、世界中どこでも起きているのだ。私の慈悲があると信じる人々は、さらに明らかな姿を見せるリバイブルを期待し、より派手で爆発的に起きるリバイブルの姿を期待しているので、実際に進行しているこのリバイブルの有り様を見逃し、ただ待ち続けているだけなのだ。しかし、彼らが期待しているものは、あなたが携挙される日に来るだろう。歴史上かつてない、その日は、多くの人々を彼らの頑なな眠りから揺り動かし、私が実在することという真実へと導くだろう。その後、リバイブルは世界中で明らかな姿を見せるようになるだろう。あなたもわかる通り、私の慈悲は、人間も悪魔も予想しない方法で働いているのだ。」
「だから、私が言っているのは、あなたたちが光を発する時のことである。私の花嫁たちよ、すべての人々が人生の方向性を見失う時、あなたたちは彼らの救いの狼煙になるだろう。しかし、それが起きる前に、あなたたちは必ず私としっかりと結ばれていなければならない。徹底して悪魔の企みで満たされた世俗的なメディアから、離れていなければならない。メディアを遠ざけてほしい。必ずメディアを遠ざけてほしい。必ずメディアから離れていなければならない!」
「あなたたちの思考は、悪魔に完全に属しているこの世によってではなく、私の霊によって治められなければならない。あなたたちは思考の自由があるので、聖霊に従って行動し反応でき、周りの人々を導くことができるだろう。あなたたちの中で一番幼い者でさえ、心が腐って眠っている大人や老人を導くことができるのだ。」
「あなたたちが持っている礼拝の時間、賛美を聴くこと、日没とコオロギや雪片を見て黙想することで、私を賛美するのだ。このような礼拝と賛美と黙想は、世のどこにもある死を超えて、あなたたちの心を天に高く引き上げるだろう。礼拝とは、単に私が誰なのかを認識し、私の配慮と恵みに感謝することなのだ。あなたたちはどこにいても、いつでも、そのように礼拝し賛美し黙想することができ、私はあなたたちを私のもとへと引き寄せることで応えるだろう。」
「音楽は、私を礼拝するために聖別の油を注がれているときは、大いに役立つだろう。しかし、礼拝をするために必ず音楽が必要なわけではない。口を開く必要さえないのだ。多くの場合、口を開くことはむしろ不適切だろう。霊と真理で礼拝することを望む。あなたたちの心と思いの中で私を高めること、それこそが霊と真理による礼拝なのだ。ときに、口を開けば自意識が湧き、私との深い交わりを妨げることになる。」
「他の人々が『こう礼拝しなさい』と教えるようには礼拝せずに、私の霊が導くままに礼拝することを望む。私を礼拝するときに、あなたたちは誰かに良い印象を与える必要はない。あなたたちの心の中に私たちが共にいるのだ。そこでは公演のようなものは望まれていない。そこで私がただ望むのは、あなたたちの感謝と礼拝なのだ。」
「私の鳩たちよ、これらがあなたたちが考えるべきことなのだ。今は準備の時であり、私の内に住み、私を通して生きる時なのだ。あなたたちはぶどうの木の枝であり、力と栄光の中で成長していくのだ。あなたたちがこのぶどうの木と親しく結ばれている限り、私たちは共に働きながら実を結んでいくことになるだろう。」
「私はあなたたち全てをあまりにも愛している。そして今、私があなたたちにお願いしたすべてのことに耐え抜き、行うための恵みが、あなたたちに注がれているのだ。」