295. 私の安息に入りなさい
私の安息に入りなさい
2015年10月19日
尊敬するHeartdwellersの皆様、主の祝福がありますように。
今夜の祈りの時間は、主の甘い臨在の中で始まりました。主は、私たちに主の安息に入ることについての聖なる教えを与えてくださいました。それは本当に素晴らしいものでした。
主を礼拝している間、Terry MacAlmonの「Jesus」と、臨在に導く非常に敬虔な賛美に合わせて、主が私を抱き寄せ、ゆっくりと踊っておられるのが見えました。私は極端な興奮状態から、完全な平穏な状態へ下りていくような、平安に包まれ始めました。驚くほど静かで、まるで湖畔に立っているかのようでした。その静寂は美しいほどでした。深い平安が私の心に降りてきました。私は主の中に完全な安息を感じていました。
「ああ主よ、鏡のように静かで落ち着いた美しい場所へ連れて行っていただき、ありがとうございます。本当に気分がとてもよかったです。」
「それが安息と呼ばれるものだ。あらゆるものを手放す場所、そこであなたの焦点が私にだけ向けられ、あなた自身が消え去るのが安息である。わが愛しい者よ、その安息の場所はとても美しく、あなたの回復のために必要不可欠なのだ。」
「イエスさま、あなたはとても甘く、親切で優しく私を扱ってくださいます。私はそのような扱いを受ける資格はないと感じます。」
「ああ、そうではない、わが愛しい者よ。自分自身を裁いてはいけない。私の愛にあなた自身を委ね、自分自身を忘れるのがよい。そこに真の安息があるのだ。」
「主は私にそうさせる力をお持ちなのですね!」
「それが私の完全な喜びなのだ。」
「主よ、今日は何について話し合いたいとお考えですか?」
「今話した安息と喜びについてだ。」
このとき、私が聞いているのが主であるか確認することが重要だと感じ、聖書の約束によってレマの言葉を確認しました。すると、聖霊に関するページを開くことになりました。
「わが花嫁たちよ、あなたがたの中には、私の安息に入ろうと必死に努力している者がいる。押し進め、押し付けて頑張っている姿なのだ。事実を言えば、そのような行動はまさしくあなたがたがすべきことと真逆のことである。」
「ただ私に来て、私たちの心が一つになる秘密の場所で、私に会おうとするあなたたちの努力を、私が光栄に思うことを期待すればよい。この世では、成功のために何かを攻撃的に押し進めるのが慣れ親しんでいることだ。しかし、私の霊的な世界では、何かを達成することよりも、手放し、空っぽになり、服従することが大切だ。世は聖くあろうと努力するが、実のところ、聖くなるためには手放さなければならない。あなたがたが奮闘するのを止めるとき、聖なるものがあなたがたを覆うのだ。」
「『どうやってそうすることができますか?』と尋ねるだろう。ただ私に来て賛美し、音楽があなたがたを私のところに引き上げ、自分から離れさせてくれるようにゆだねればよい。これらの賛美の多くが、天国であらかじめ作曲されていたということを知っているか? 楽器の選択まで、天使たちの合唱団によって、霊感を受けているのであり、楽器一つ一つを担当する者や配置も、天使たちの働きの一部なのだ。その賛美は、天国の音の一部である。それらは遠くから来て、あなたがたを引き上げ、遠く離れた天国の家に連れていく。」
「油注がれた音楽家たちは、その賛美がどこから来たものなのかを知っており、恵みとの協力が彼らにとって最も重要であることをよく理解している。彼らはすべてが恵みにかかっていることを知っている。音楽家たちの内なる深い川から、メロディーと詞が出て来て、その川と共に流れ出て、変化が切実に必要な場所と、世界の深い淵に落ちた魂、つまり傷ついた世界に流れていくのだ。」
「ああ、音楽家たちは私が最も愛している人たちだ。なぜなら、彼らは私の花嫁を整えて、私を受け入れられるようにしてくれるからだ。」
「私も分かっている、クレア、今あなたが何を考えているのかを知っている。」
「でも、私は何も言っていないですよ!」
「しかしあなたの心の中で言っていた。あなたがたがそのような考えをしているとき、天国ではどれほどその声が大きく聞こえるかわからないだろう。特に、抗議したり理解できないときのように、まさにこのような時は尚更だ。」
「ああ主よ、分かりました。でも、しかし、あなたは神様なのに、一番好きな人がいるというのは理解できません。音楽家以外の人々はどうなのですか?」
「あなたがたすべてが私が最も愛している人たちだ! 私の言葉をもう一度解きほぐして説明する。私の謙遜がどのようにあなたの好奇心を満たすのかを見てほしい。」
「私が最も愛するギフトは音楽である。なぜなら、音楽が瞬時にも、頭の知性の介在なしで、私の花嫁を私の心臓に導くからだ。私の花嫁はうち奥から引き寄せられるのを感じる。まさにその魂、私たちが共に住むそのところで、私の花嫁は天国から送られてきた油注がれた音楽を聞いて喜びに踊る。なぜなら、その賛美は彼女の故郷の音声であり、私の愛に満ちた私の心臓の声だからだ。」
「ああ主よ、巧妙に避けましたね!」と私は戯れる返事をしました。
「クレア、私は最高の存在から学ぶ。」
「少し楽しませてもらったので、続けよう。本当に、わが愛しい者よ、賛美には魂を魅了するものがあり、私の花嫁を私の胸に引き寄せる超越的なものがあるのだ。」
「映画『ミッション』の中で、ある司祭がフルートを演奏すると、敵対的な原住民がそれに引き付けられて近づいてくるシーンのように? あの映画は私にとって天国のようだったんです、もちろん悪いところもありますが。」
「あの音楽は天国で作られ、作曲家に与えられたものだと知っていたか?」
「でも、彼は世俗的な作曲家ではありませんでしたか?」
「関係ない。私は作曲家たちに曲の出所を知らせずに、私の音楽を与えることがある。要なのは、その音楽を人々に届けることだ。」
「『しかし、サタンも音楽を与えているのではありませんか?』と思っているのか? ええ、彼もそうしているに違いない。しかし、彼の歌は混乱と罪から生まれ、さらに多くの混乱と罪を引き起こす。私は、世俗的な音楽家たちにも音楽の霊感を与えることができ、その音楽を聴く魂に私を伝えるために使うこともある。スーパーマーケットであなたを止めさせた、あの世俗的な愛の歌もその例に当てはまる。愛は決して枯渇しない主題であり、わずかな調整で、世俗的な意味から聖なる意味に変わることができる。」
「はい、そうですね。私も自分の心を捉えた歌を見つけたことがあります。例えば『Let It Be Me』という曲です。1950年代や60年代の曲だったと思います。」
(日本語の歌詞が見つからなかったので、翻訳者が勝手に訳しました)
あなたに会えた日は幸せな日でした
あなたのそばにいたいのです
だからあなたのそばにいさせてください
この天国のような幸せを奪っていかないでください
たとえあなたが他の人のもとに行っても
いつまでも私はあなたのそばにいられるようにしてください
私たちが愛し合う時ごとに
私は宿命の愛を感じました
あなたの甘い愛がなければ
私の人生はどうなっていたでしょうか?
だから私を一人ぼっちにしたまま行かないでください、
ただ私だけを愛していると言ってください
いつまでも私から離れないと言ってください
「その歌をあなたが歌うのをとても好きだ。しかし、あなたはあまり曲に夢中になっているので、私の胸の高鳴りに気づいていない。でも本当に私の心臓は喜びで高鳴っている。あなたがたがその歌を私に歌ってくれるために、時間と労力を注いでくれることに、私は深く感動している。これは双方向なのだ。あなたがたは音楽を通して私に引き寄せられ、私はあなたがたが歌うときに、あなたがたに引き寄せられるのだ!ああ、いつかこの神秘は天国で、あなたがたが完全に観察し理解するようになるだろう。生き生きとした色と情景として見えるようになるはずだ。」
「しかし、今日の教えの目的は、手放し、空っぽになり、そして私の安息に入ることについてである。今日、私の声が聞こえるなら、反抗していた頃のように、あなたたちの心を固くしないでほしい。」
「これが平行線だ。私は今、私の民を宗教と人間の作ったルールの荒野から、引き出そうとしている。この教えに心を固めた人もいる。この教えが彼らの安全感と支配力に脅威を感じさせるからである。これは反抗の霊に導かれるのであり、私が遣わした預言者たちに反対し続けたイゼベルの霊と同じものである。」
「一方、私の花嫁は主人の喜び、すなわち私の安息に入るであろう。なぜ私の花嫁が私の安息に入るのか知っているか? 彼女は信じたからである。」
「これが私の愛の約束の地、私との親密な交わりの約束の地である。私の羊は私の声を聞くが、他の人々は従わない。」
「だから、今日あなたがたが私の声を聞くなら、心を固くせず、私に従順してほしい。私の懐に来て、あなたがたの奮闘を手放し、私の愛の懐に横たわり、私の安息に入ってほしい。」
「このメッセージに心を込めた全ての者に言うが、私はあなたがたに新しい恵みを携えて訪れる。古いものを捨て、私の愛の新しいぶどう酒を受け入れる恵みをあなたたちに与える。」
「私の心に愛として留まっているあなたがた、私に来なさい。ここに来て、私の懐に安息しなさい。」
これでメッセージは終わります。