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327. 私の恵みがすべてを成し遂げる

私の恵みがすべてを成し遂げる

2015年11月30日

Heartdwellersの皆さん、主は私たちと共におられます。そして、主は私たちに本当に恵みを授けてくださり、聖なるものと勇気の大きな贈り物を私たちに与えてくださいます。

(長く祈っても、主の御臨在を体験できない時の困難についてクレアが語った部分、中略)

「主よ、今日、私たちと分かち合うために、あなたの心とメッセージはありますか?」

「あなたたちに、恵みについて、そして恵みがあなたたちの人生において持つ、重要性と豊かさについて、話したいと思う。私の愛する花嫁たちよ、あなたたちのうちの多くの者が、自分の欠点を見つけては、他の人の優れた面と自分を比較するという罠に陥っている。しかし、実際には、あなたたちは彼らの人生について何も知らない。このような比較は、私があなたたちを形作っていることに対する、失望を生み出し、あなたたちを嫉妬や羨望の罪に陥れ、彼らを真似ようとしながら、あなたたちの本当のアイデンティティを歪めてしまう。」

「まず、あなたたちが理解すべきことは、誰も外見どおりではないということだ。誰も外見と内面が同じではない。あなたたちには隠された面がある。それは、あなたたちが勝利を収めてきた面かもしれないし、いつか消えてほしいと願いながら、まだ隠している面かもしれない。あなたたちが人生の道を歩む間、私は必要な時に恵みを授けてきた。その恵みは、他の人たちに与えられた恵みとは異なる。なぜなら、あなたたち一人ひとりが私のとても独特な創造物だからだ。」

「そして、この恵みは、その恵みが与えられる時の、あなたたちの必要を満たすのに十分である。一人の魂が、ある状況で行動するために必要な恵みが何であるか、その恵みの量がどれほどであるか、またどれほど不足しているかを、知っているのは私だけである。そして、私だけが、私が与えた恵みの贈り物を、その魂がどのように用いたかを知っている。そして、その魂の人生から、私の恵みが取り除かれた場合、その魂がどのような姿になるかを、正確に知っているのは私だけである。」

「私の言いたいことはこうだ。あなたたちは私の恵みなしでは、何者でもない。誰一人として、私の恵みなしでは、何者でもない。私は、あなたたちの人生で、経験するすべての良いものの創始者であり、源である。私があなたたちに与えた贈り物がなければ、世の目で見れば、あなたたちは何者でもないだろう。しかし、あなたたちは常に、私にとっては貴重である。実際、あなたたちの恵みのない状態の姿を見て、恵みと救いの衣を与えるかどうかを、決めるのは私なのだ。私が呼びかけた人生を、あなたたちが生きていくことができるようにするために必要な、十分な恵みを与えるのは私なのである。」

「より多くの恵みを持っているように見える、他の人たちを羨んだり、羨ましく思ったりすることは、私の心に対する侮辱である。比較したり欲したりすることが、人間の本性であるということは私も知っている。しかし、あなたたち自身の魂の美しさを見ることができれば、他の人を真似ようとは思わないだろう。ほとんどの場合、問題は単に、私がどのようにあなたたちを創ったかを知り、そして人生の状況の中で、いかに美しくあなたたちが存在しているかを、発見することなのだ。そうすれば、私が与え、約束したことに忠実に従いながら、あなたたちが独特で、値段をつけることのできない芸術作品であるという事実の中で、満たされていると感じ始めるだろう。」

「見てのとおり、私の恵みは、果てしなく続く透き通った海のようなものである。最高に研磨されたダイヤモンドに宿る、数千の光のようなものである。春のリンゴの花の甘い香りと、さまざまな色彩を帯びた、珊瑚の華やかさのようなものである。私の恵みは、人体のシステムのように非常に優雅であり、闇に打ち勝つ光の源のようなものである。そして、この恵みの力は、大陸を突然引き裂く力よりも大きい。私の恵みによって、私の恵みを通して、あなたたちはすべてを達成することができる。私が何かを成し遂げると決めたなら、それはすでに成し遂げられたことである。」

「私の愛する花嫁たちよ、あなたたちがどれほど安全であるかを見なさい。これらの言葉を思い出し、あなたたちはすでに天において、私が成し遂げた恵みの作品であることを知るのがよい。目を奪う美しさ、そのデザインと目的は驚くほど美しく、独特で、他の誰とも似ていない。」

「あなたたちすべては私の恵みを持っている。その恵みを受け入れ、用いるか、あるいは拒絶して放置するのかは、あなたたち次第である。しかし、私の恵みは明らかにあなたたちにあり、今この瞬間、あなたたちがいるその場所において、その恵みはあなたたちに必要なすべてを十分に提供する。他の人たちがあなたたちよりも、多くのものを持っていると思い、嫉妬したり羨んだりする必要はない。むしろ、私があなたたちの魂を、どのような美しさで創造したかを発見し、それを育てるがよい。私はあなたたちに約束する。あなたたちの存在は独特であり、あなたたちが今うらやむ存在よりも、あなたたちに大きな喜びをもたらすものとなるだろう。結局のところ、あなたたちは私があなたたちを創造したことに感動して、涙を流すだろう。あなたたちは、創造された者として、極度の幸せを感じるだろうし、二度と他の人になりたいとは、思わないだろう。もし他の人が、あなたたちに彼らの立場を提供したとしても、あなたたちは私に向けた、あなたたちの存在の意味を理解しているので、決して私があなたたちの魂に成し遂げたことを、他の魂と取り替えたいとは思わないだろう。」

主がこれらの言葉を語られた時、私の心にこれらの言葉が浮かびました。コリントの信徒への手紙一12章21~26節。

目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。

それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。

見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。

それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

主は話を続けられました。

「だから、天では、果てしない喜びの光の中で生きていくのである。この地上でも、そのように生きていくがよい。あなたたちが私と一緒にいる間、私は私の喜びの歌であなたたちの道を照らすだろう。不可能に思える時、私の恵みに頼るがよい。あなたたちが疲れた時、私の恵みはあなたたちにとって十分である。あなたたちが欠けている時、私の恵みはあなたたちにとって十分である。あなたたちが私の光の中で、花のように咲き誇る時、私の恵みは香りのように広がり、すべての庭園の花々に届き、彼らに喜びをもたらすだろう。私の恵みは、私の永遠の愛とともに、あなたたちに与える私の贈り物である。あなたたちはとても美しく、天において、あなたたちはついに見るだろう。私があなたたちの存在に織り込んだ栄光を見るだろう。そうだ、あなたたちが私の視点で見るように、あなたたちも見るだろう。」

「現在の苦しみは、将來わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」ローマの信徒への手紙、8章18節。