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331. 3次世界大戦と高慢と罪責感の自尊心のシーソーゲーム

3次世界大戦と高慢と罪責感の自尊心のシーソーゲーム

2015年12月4日

私たちの愛する救い主、イエス様の祝福と臨在があなたたちと共にあるようにとお祈りします。

今朝、祈りの場に入った時、昨日のメッセージに関して、本当に諦めたくないものが、いくつか私の心の中で感じられました。私はそれらと格闘しながら感じたのですが、まるで角を突き合わせた2頭の牡鹿のように、真正面から衝突していることに気づきました。私の精神があまりに散漫で、これは良い実ではないという考えが浮かびました。これをどうすればいいのか分からないと思いました。なので、私は何かを手放そうと努力するすべての考えを捨てて、再び礼拝の中に入りました。

そして、主のメッセージを聞こうと座った時、主がお話しくださいました。まず私は主にこう言いました。「主よ、私はここにいます。このように私の情熱に翻弄されて、私の心が引き裂かれています。私は本当にあなたがお使いいただける存在なのでしょうか?」

「本当に愚かな質問だ、あなたのためのことの中に、私にとって難しいことがあるだろうか?」

ちなみに、私の質問に対するこのような答えをくださる時、どれほど愛に満ちていらっしゃるか分かりません。

主はお話し続けてくださいました。「少しずつ、少しずつ進んでいこう。毎日毎日、少しずつ小さなことから自分を捨てるのだ。そうすれば罪責感の罠に捕らわれないだろう。自分を捨てるために、あなたができると思うことを私に与えて、それについて私に感謝してほしい。そうすれば、毎日自分を捨てることがもっと楽になるだろう。犠牲はほとんどの場合、ゆっくりと段階的に行われるものだ。一度にすべてが成し遂げられるわけではない。恵みは恵みの上に積み重ねられていくものだ。自分を捨てる訓練をしていて、後退して弱い部分が露呈したら、ただ悔い改めて再び立ち上がり、続けることだ。次は自分に勝てるよう祈ることだ。なぜならあなたの心は他のどんなものよりも、私の意志により多く注がれているからだ。私はあなたの努力を価値あるものにしてあげるだろう。私の愛と世話で満たしてあげよう。何事についても執着しないことだ。そのような執着はあなたの心を争いに陥らせるだけだ。実際、あなたが私を愛すれば愛するほど、あなたは世をより捨てるようになるだろう。これは簡単な真理だ。そして、私はあなたを助けるためにここにいるのだ。」

「私の花嫁たちよ、自分を捨てることに関して争いに巻き込まれないでほしい。喜んで差し出す者となってほしい。喜んで与える者を私は好むと聖書に書いてあるだろう?」

「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」コリントの信徒への手紙二9章6~7節。

「私の霊の動きは、あなたがたが私に深く入りこめる、自由を与えるためのものであって、あれこれについて夜も昼も争うためのものではない。あなたがたがその無駄な争いに巻き込まれると、あなたがたは私のために効果的に動くことができない。だから、そのような争いに陥らないよう注意してほしい。その瞬間の恵みと共に動くことだ。」

「自分を捨てる過程で、宗教の霊が入り込まないようにしてほしい。あなたがたが私のために世を捨て、より多くの犠牲を捧げられるようになるなら、それについて誇りや虚栄心を心に抱かないでほしい。それはただ恵みがより多く役割を果たすからだ。そして、自分を捨てることに失敗したら、落胆しないでほしい。それはただあなたがたの限界を超えて進んだ場合だろう。安心できる場所に戻って、再び始めることを願う。肉体を捨てることが身に付くまでには、時間がかかる。これは継続的な作業だ。天国では、あなたがたを邪魔したり、気が散ったりさせる肉体はない。すべてがあなたがたの霊の支配下に置かれるだろう。これがあなたがたが渇望しているものではないか?」

「はい、確かにそれを望んでいます。」

「では今は、あなたがたが愛で私に差し出すすべての小さなものについて、私が感謝し、認めていることを知ってほしい。ああ、私はあなたがたの愛にどれほど感謝しているか分からない。」

「ある人たちにとって、断食と節制が偶像になったり、自分がどれほど聖なるかを人に見せる手段になったりする。そうすると、彼らは自分たちがしたすべての善行を消滅させ、より悪い罪、高慢に陥る。あなたもこの誤りに陥らないよう、戦わなければならなかったことを私は知っている。自分を捨てるときにそのような高慢に陥るのは、強力な錯覚になる。しかし、クレア、私があなたを救うことに、忠実でなかったか?私は私の前に立つあなたの姿をあなたに見せた。」

「ああ、主よ、あなたは本当に親切でした。本当に、あなたはその部分で、私が深刻な罪に陥るかもしれなかったのに、救ってくださいました。まだ私はあなたの優しい手に形づくられ、聖別されていることを知っています。しかし、私が自分を捨てるときに、高慢に陥る罪を私に示してくださいました。あなたが私を置かれたこの非常に低い場所を、私ははるかに好みます。ここはとても安全で暖かく、他の人々の聖なるさまを見て喜ぶことができ、嫉妬しません。高慢という脅威も受けず、むしろ特別な恵みがあると感じます。主よ、あなたは私の働きのために、優れた魂をたくさん与えてくださいました。圧倒的な驚きが私を満たしています。人々がこのチャンネルに来て聞くのは、あなたのためだけであることを私はよく知っています。ああ、この低い場所がどれほど安全で、単純であるかを感じています。」

時々、高慢が私の中で現れ始めると、私はそれを感じることができ、その時、私の考えの歩みが弱くなり、私は自分を清めてくださるよう主に懇願します。「どうか、主よ、この高慢がより深まらないように、私の心をより痛く刺さないように、私を清めてください。」

主はお話し続けてくださいました。「私は常に、あなたと私のすべての花嫁たちが、自発的に行動している姿を見守っている。常にだ。だから、あなたは高慢が生じるときにそれを素早く感じるのだ。なぜなら、私がその罪悪感を、あなたの心から簡単に消し去らないからだ。あなたたちが恵みの座にいたのに、完全な落とし穴に落ちることは、一瞬にして起こり得る。しかし、他人を裁く頭をもたないよう、あなたがたが警戒して努力するなら、あなたがたは安全だろう。」

「クレア、あなたと私のHeartDwellersたちを励ましたい。ゆっくりと進み、両端の振れ幅をよく認識することだ。一方の端には高慢があり、もう一方の端には罪責感がある。そのどちらにも捕らわれないでほしい。あなたがたができることを喜んで私に与えることだ。後でより多くの恵みを持って、以前は差し出さなかったものたちを、喜んで差し出すことができるだろう。私のうちにある者たちには罪責感はない。」

「主よ、最後に伺いたいことがあります。私たちが取り返しのつかない地点に、近づいているという主のお言葉について、皆が気にかけています。」

「そうだ、しるしがその中にある。そうだ、私が言ったことは事実だ。事態はますます悪化しており、私はそれを許している。以前、私はあなたがたに言った、裁きをこれ以上、遅らせることができない時が来ると。クレア、私たちは、その時間に近づいている。」

「主よ、この地での生活が終わっていくということが、あまり理解できません。主よ、私をお赦しください。私は、私たちにまだしばらくの時間が残されていると感じています。例えば5年くらいという感じが深くします。あなたは数か月とおっしゃいましたが、私の奥深くでは、数年になるような気がします。」

「まだ正確な日付は決まっていないが、ご覧のとおり、物事は終わりに向かって動き始めている。私が毎日見ている悲惨な光景は、あなたがたの理解の範疇を超えている。しかし、これを心に留めておいてほしい。私は慈悲深い。恐ろしい拷問が行われるとき、多くの人々がその拷問に遭わず、自分の身体から抜け出して、その状況を見ている。私がその魂を身体から引き抜いたからだ。その魂たちは、自分の身体に与えられるものたちを見て、私に感謝し、私に自分自身を捧げる。彼らの後には、傷つき、落胆させるものが残るが。」

「あなたがたの大統領は利口な男で、狡猾な嘘つきだ。今やあなたがたの国はシリア人たちを受け入れている。彼らが受けた非人間的な扱いのためにそうしている。しかし、そのことが、この国にさらに多くのテロの勢力を隠しておくための、トロイの木馬に過ぎないことを理解してほしい。間もなく、彼らは行動を起こすだろう。これもまた、この国に対する避けられない裁きへの前進だ。」

「私の花嫁たちよ、私はもうすぐ行くだろう。偽りの平和に騙されないでほしい。安堵しないでほしい。慈悲の時は終わろうとしている。あなたがたの国と世界のためにたくさん、そして熱心に祈ることだ。このチャンネルでISISの犠牲者たちのために、祈ってくれた人たちの関心と涙を見て、私は非常に感動した。本当に感動して涙を流した。私は約束する、あなたがたの祈りが多くの人々を救った。あなたがたの祈りは父の御座に達し、父は罪のない者たちを守るために天使たちを送られた。すべての栄光と賛美が全能の父にあるだろう。」

この時、私はヨハネの福音書12章27~28節の御言葉が思い浮かびました。

今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために來たのだ。

父よ、御名の栄光を現してください。すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」