333. 罪悪感が生命の水を阻む
罪悪感が生命の水を阻む
2015年12月8日
Heartdwellersの皆さん、主が私たちとともにおられます。今日、主は罪悪感について、特に私たちが罪を犯した時に感じる罪悪感について、話したいと願っておられます。
数か月前、私は黙想動画『My Child You Are Forgiven』を作成しましたが、今日、主は私にその動画を見るように促されました。天からの召しに応える花嫁として、私たちには天の召しにふさわしくない、性格的な欠点や悪い習慣があり、それゆえに多くの困難を経験しています。黒い豹が再び現れ、私は疲れ果て、どうやってこの獣の首を絞めればいいのか分かりません。
罪悪感が内側から湧き上がる命の水を妨げたり、さらには汚染させたりするために、敵が用いる戦術であることは知っています。赦しについての黙想の間、私はクリスタルのように澄んだ水の中に、罪の曇った影が流れ落ちていくのを見ました。自分の欲望の性質が、神を最も喜ばせることと相反するとき、私は自分のしたいことをしてしまう傾向があり、また、主への私の愛が自分への愛ほど強くないときに、私はまだ自分のしたいことをしてしまうことに、気づきました。主が私に、より良いとおっしゃったこと、つまり、もっと霊的なものを追い求め、肉に従うのを少なくするようにとの、アドバイスに従っていないようです。
ガラテヤの信徒への手紙5章16~18節、24節の御言葉です。
「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。
キリスト․イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。」
私たち全員が内なる戦いを持っています。そして、私たち全員が、高慢と批判という罪によって滅ぼされないように、そのような罪に陥ったとき、主はすぐにそれらを私たちに明らかにしてくださいます。
私たち自身の欲望に囚われているとき、私たちは自分自身を否定するほど、主への愛が強くないという罪悪感と、後悔の束を抱えることになります。その束はダムを形成し始め、流れを塞ぐために木を倒すビーバーのように、その束は私たちの内側を流れる命の水の流れを塞ぐ、ダムを形成し始めます。
イエス様は、赦しについての黙想の映像を通して、私を導かれました。主は、私が本当に赦されていることを知り、その赦しを受け入れることを望まれました。しかし、私がまだ再び罪を犯さないほど、強くないことを知っているので、どうやってその赦しを受け入れられるか、よく分かりませんでした。私の繰り返される罪を、どうすればいいですか?私たちのチャンネルを訪れてくださる多くの方々も、繰り返される罪との戦いを、とても正直に書いてくださったので、主は私のこの弱点をつかって、皆さんもこの問題をどう対処すればいいのかを、学んでいただけるでしょう。
主は、多くのことが許されているとおっしゃいましたが、許されているすべてが、私たちのための神の完全な御心でもなくて、私たちにとって適切なことでもないので、私はそれを罪だと思っています。
私は主にこう言いました。「主よ、私が罪を犯し続けるなら、どうやって私を赦すことができますか?私の肉の性質が嫌です。」
主は答えられました。「クレア、しかし、すべてが赦されている。今、あなたは自由ではなく、罪悪感に縛られている。今夜、あなたを自由にしたかった。」
「でも、吐いた物を、また食べに戻っていく犬のように振る舞っているのに、どうやって私を自由にすることができますか?」
「吐いた物を食べることも、長く続けていると嫌になるものだ。しかし、あなたが自分を赦さないなら、あなたは鎖に繋がれている。そして、あなたの内側から湧き上がってくる澄んだものが、罪の残骸によって塞がれてしまう。その鎖と残骸を取り除いてほしい。」
「主よ、そうしたいのですが、私に与えられた御言葉はすべて、私の弱点を指し示しています。罪悪感を感じることしかできない御言葉ばかりです。私を自由にする御言葉をくださいませんか?」ここで私は泣き始めました。
そして、私は聖書の約束を開き、次の御言葉を受け取りました。
「わたしは背く彼らをいやし、喜んで彼らを愛する。まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。」ホセア書14章4節。
「わたしたちの主イエス․キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。」テサロニケの信徒への手紙二2章16~17節。
「遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。」エレミヤ書31章3節。
「しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、
罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、あなたがたの救われたのは恵みによるのです。
キリスト․イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
こうして、神は、キリスト․イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、來るべき世に現そうとされたのです。」
エフェソの信徒への手紙2章4~7節。
主はこう続けられました。「これらの御言葉があなたを説得できないなら、何もあなたを説得できないだろう。罪を犯す傾向を心配しないでほしい。罪を犯す傾向を心配し、それと戦うことに集中するよりも、罪の提案自体から、思考を完全に別の方向に向けるほうがよいだろう。トピックを完全に切り替えてほしい。他のことに集中し、罪を刺激する悪魔を満足させず、悪魔を宙に浮かせておいてほしい。」
「あなたが罪と格闘するためにその角を掴む瞬間、あなたの思考の焦点は私から離れ、あなたを圧倒する罪へと移ってしまう。むしろ、私を見つめ、私があなたの魂の中で始めた業を完成させると、告白してほしい。そうすれば、私たちは勝利するだろう。言い換えれば、罪との瞬間的な戦いよりも、私に、そして私があなたを癒すという約束に、より多くの注意を払ってほしい。」
「罪の欲望が湧き上がったとき、断食や肉の欲望を節制する献げ物を私に差し出し、こう言いなさい。『イエス様、私は、この誘惑に従わないことを決めました。地獄の果てにいる一人の魂のために、この断食と節制の献げ物を差し上げます。彼らがあなたの愛と救いを受けることができますように。あなたを愛する心でこの選択をし、また、あなたがこのことを喜ばれることを知っているので、この選択をします。』」
「すると、罪の誘惑はすぐに消え去り、消える速さに驚くだろう。誘惑であなたを、激しく打ちのめしていた敵の攻撃を止めるだろう。そして、あなたが魂のために祈ったので、一人の魂が悔い改めを感じたとき、あなたを誘惑していた悪魔たちはサタンによって責められ、首を絞められるだろう。そして、サタンはその悪魔たちにこう言うだろう。『行って、拷問する他の者を探せ、あの者は危険すぎる。』あるいは『あの者が弱ったときを待って。 その時、再び行って誘惑すれば必ず倒れるだろう。』」
「愛する者たちよ、私が言ったことを試してみてほしい。どれほどうまく機能するか確認できるだろう。拷問を加える対象となる者が十分にいる。彼らは攻撃されたとき、悪魔たちに目を向けることも、武器を振り回すこともできない者たちだ。」
「クレア、あなたが罪を犯すとき、私も悲しい。私たち二人とも痛みを感じる。ああ、クレア、あなたの心を完全にしたい。しかし、これは一晩で成し遂げられるものではない。あなたは人々の手本とならなければならないことを、覚えておいてほしい。それでもなお、あなたには弱点がある。私はそれらも使うのだ。」
「問題は、罪悪感の嫌な臭いが残っていて、命の水が豊かに湧き上がるのを妨げ、数滴しか流れなくなることだ。あなたは命の水が豊かに流れることを望むか、それとも少しずつ数滴ずつ流れることを望むか?」
「ああ、主よ、御心が分かりました。」
「あなたが理解したことはわかる。それを理解してくれて私は嬉しい。覚えておいてほしい。罪の誘惑があったとき、罪悪感を心に抱くことは、働きを妨げる。今、あなたはもっと高い霊的な流れで動くことができるのだ。この道を一緒に歩もう。」
「私の愛する花嫁たちよ、あなた方にも同じ原理が当てはまる。あなた方はもっと多くの霊を望むか?もしそうなら、もっと肉の欲望を十字架につけてほしい。あなた方一人でそうするのではなく、あなた方の人生に害を及ぼすものを、私が霊感によって示すときがあるだろう。そのとき、その欲望を十字架につけてほしい。あなた方が私のガイドに従うことに忠実なら、頂上に到達するにはそれほど時間はかからないだろう。私の愛する花嫁クレアが、何年も荒野をさまよわなければならなかった時間ほどは、かからないだろう。」
「そう、クレアは何年も戦った。そして、あなた方の中にも、罪の誘惑と何年も戦ってきた人がいるだろう。あなた方全員が、それぞれ異なる問題を抱えている。あるいは、少し異なるバージョンの問題を抱えているのだ。これらは、あなた方の完成のために許されていることだ。」
「ヤコブが言ったことを黙想してみてほしい。『わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。』ヤコブの手紙1章2~4節。
「だから、自制と節制の練習には意味があるのだ。私の恵みによって、あなた方は天に昇る。私は、あなた方を、私があなた方のために用意した王座へと、高く、高く引き上げる。あなた方の考えを知っている。『しかし主よ、私は王座は気にしません。』そうだ、私はあなた方の考えを知っている。しかし、あなた方は正義と義を追い求め、病人を癒し、貧しい人々に食べ物や服を提供し、無知な人々を教えようと努力しなかったか?」
「そうだ、あなた方はそうしてきた。あなた方は私に結婚の贈り物をしたくないのか?あなた方は私を非常に幸せにしたくないのか?私の言っていることが分かるか?このような献身は、あなた方をより大きな権威へと導き、神の国のために、より多くの良い業をするための、特権を与えてくれるのだ。花嫁は花婿の繁栄と幸せを世話する者だ、ということを知らないのか?」
「だから、私を幸せにしてほしい。罪悪感と非難の軛を捨て去りなさい。小さな自己満足を捨て去りなさい。そのような自己満足を満たす前には、敵がそれを軽く見るように囁くが、自己満足を満たした後には、あなた方をハンマーで打ち据え、罪悪感に苛まれるようにするのだ。そのような誘惑の罠から抜け出してほしい。そのような提案をする悪魔たちが、何の成果も得られずに宙に浮かぶようにしてほしい。」
「あなた方を愛している。私があなた方と共におることを覚えておいてほしい。罪の誘惑があったとき、それを提案する悪魔たちを宙に吊るしておきなさい。その節制と断食の献げ物によって、失われた魂のために祈ってほしい。祈ってくれる人がいない魂のために、危機に瀕している魂のために、あなた方が差し出す、自己の意志を曲げる献げ物を私に差し出してほしい。」