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370. 私から火で精錬された金を求めよ

私から火で精錬された金を求めよ

2015年5月6日

「主よ、今夜はどんな御言葉を話してくださるのですか。」

「あなた自身が死ぬことについて話したい。これは、今の時代にはあまり正しいと思われない考えだけど、私が言っただろう?一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままだ。だが、死ねば多くの実を結ぶと。」

(ヨハネによる福音書 12章24~25節) はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

「人々は多くのことをしているが、彼らはただ安全区域に自分たちを包むことだけをしている。彼らが住みたい場所に住み、すべてのことを自分が好きなように選択する。そしてこのため、数えきれないほど多くの人が道に迷い、孤独な道を歩んでいて、真の目的もなく生きている。ただ、その状態で進み続けている。結局、肉の喜びのために生きているのだ。」

「敵は、彼らが好きなことと嫌いなことで魂を囲むために肉体を使う。どこに住むか、何をするか、どんな服を着るか、どう着こなすか、どう安全に過ごすかといったようなことなのだ。しかし、私は言う。あなたたちは雀のように生きるべきだ!肉体から自由になるため、霊に従って生きるため、私の意志に従って生きていくため、あなたたちはそうすべきだ。あなたたちが周りを見回してほしい。肉体の快適さを追って生きる人々を見たとき、彼らが挫折と不幸の中にいることを知るだろう。内面の何かが死んでいるのだ。命の火花は死に、肉体の好きなことと嫌いなことによって何重にも積み重なって、埋もれている。」

「人生は冒険だ。人が私のために生きる時、その人生は新しい経験で満たされる。」

「主が、私たちを去ろうとしているかのように聞こえます。」

「違う、まだ違う。私があなたたちに対して私の心に抱くその感動を、あなたは知っている。」

「そうです、主よ。私が日々経験するそのもがき、特にあの行事が終わった今日、私が経験するもがきを、主はご存じです。」

「そうだ。あなたは私のために生きている、クレア。あなたは、あなたが住む場所を選ばなかった。私が選んだのだ。そして、あなたは従順だった。あなたが他の選択肢を提示してきても、毎回あなたは私が望むことを選んだ。これが、まさにあなたの内面が生きている理由なのだ。もしあなたがあなた自身のために生きていたなら、うーん、あなたはそれについては知りたくないだろう。」

「私自身のために生きていたなら、今頃老人ホームにいるでしょうか。」

「たぶんな。」

「もしあなたがそうしていたなら、間違いなくあなたは道に迷った気分になっていただろう。私の花嫁たちよ、あなたたちがあなたたち自身のために生きれば、あなたたちはあなたたちに対する私の計画を台無しにするし、私があなたたちと共にいたかったことを制限することになる。あなたたちが住む場所は、あなたたちの人生のための私の計画にとって、非常に重要なのだ。あなたたちの人生にどのような変化があるのか、あなたたちには知る術がない。あなたたちは、ただ薄っぺらな表面を見ているに過ぎない。天気、仕事の機会、親戚たち、その地の文化や外観のようなものなのだ。」

「しかし、私はその場所があなたたちの霊的生活にふさわしい場所かどうかを見る。あなたたちが成長し、他の人に向かって進み、霊的に成長する機会を得るため、また他の人たちの人生に良い影響を与えられる場所として、その場所が適切かを私は考慮する。その場所が、あなたたちの人生のための私の計画と真に合致する場所なのかを考慮する。」

「私も知っています、主よ。私は、人々が自分が気に入った場所に住むと言うのを聞くと、衝撃を受けます。私も以前はそうでしたし、本当にさまよっていました。それにもかかわらず、結局主は私に良いものを与えてくださいました。」

「そうだ、私はすべての環境を成長の機会に活用できる。しかし、私はあなたたちが最も早く成長し発展できる場所に、あなたたちを置きたいのだ。このようにするためには、あなたたちが個人的に好きなことと嫌いなことから、あなたたちを切り離す必要がある。」

「はい、私たちがバス旅行に行った際、私はアイオワのひどい冬と、フロリダの蒸し暑い夏を覚えています。ああ、主は私たちの肉体を試されたのは明らかです。」

「また、これは私の器たちを栄えあるものにするのに必要だ。私が導く場所に、私が導く時にそのまま従う柔軟さと、自発的な心が必要なのだ。霊の中に生きる人生には、非常に多くの豊かさがある。しかし、肉体のために生きる人生には、あまりにも多くの空虚さがある。」

「私の子供たちよ、私があなたたちのために準備した、これほど素晴らしいことを持っているんだけど、あなたたちの住まいを自ら選ぶあなたたちの頑固さが、私の手を縛るのだ。物事が進むのを待つこと、あなたたちの視野を広げること、そしてあなたたちの理解が深まることは、互いに繋がっているのだ。あなたたちが従順のくびきの下に来さえすれば、このすべての繋がったことが、現実のものとなるのだ。」

「一人の人が、一つの家、一つの土地、一つの都市、一つの国に縛られているべき理由はない。喜んで霊のために生き、私が送る場所に喜んで行こうとする人たちのために、世は多くの機会を開いた興味深い場所なのだ。」

私は、私が新しいことや異なることに対する恐れを乗り越える点で、主を失望させてしまったことを知っています。私は今日に至るまで、オランダの「ユース・ウィズ・ア・ミッション」に行かなかったことを後悔しています。

「そうだ、しかし私がまた来ただろう、違うか?私は常にあなたの人生と共に働いてきた。そして、現在あなたが居る場所は、私が居てほしいと願う場所だ。しかし、あまりにも多くの人々が過去に縛られていて、親しみやすく快適なものに縛られているため、私が彼らの人生のために計画したことから、ずっと離れてしまっている。」

(エレミヤ書 29章11節) わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将來と希望を与えるものである。

「あなたたちは私を信頼するだろうか?私をあなたたちの神として認め、他の神を置かないだろうか?私の計画があなたたちの計画をはるかに凌駕することを認めるだろうか?私に不可能なことはないことを認めるだろうか?あなたたちの人生で私を信頼できると認めるだろうか?」

「私があなたたちを導く人生、命に満ちた人生を生きるには、あなたたちがこのような問題について、私とともに解決しなければならない。」

「ああ、主よ、私たちがこの地で長く留まるようですね。」

「この言葉はあなたの後に続く者たちと、今、この言葉を聞きながら、彼らの人生の中で今とは完全に違う何かをすべきだと感じている者たちのためのものだ。」

「私はここ天国に座り、未来を見通すビジョンを抱いて、地上のわが子らの可能性を見てきた。私は、わが子らに完璧に当てはまるすべての場所を見たが、これらの場所が彼らの心の中に決して根付くことができず、私が彼らを遣わそうとしていた場所を、彼らが探すために私に求めもしなかった。」

「私はあなたたちに人生と力と目的を与えた。希望と前に進む意志も与えた。どうか私を見ないふりをしてほしい。あなたたちが私を見つけるまで、私を求めてほしい。私があなたたちにいてほしいと願う場所がどこなのかを確実に知ることを、あなたたちの人生の最優先事項としてほしい。あなたたちすべての計画と夢を保留し、私を求めてほしい。私があなたたちをどこへ行くよう呼んだのか、疑いなくわかるようになるまで、私を求めてほしい。あなたたちは決して後悔しないだろう。」

「あの計画も、この計画も、まったく正しく進んでいる感じがしないとき、心が落ち着かないときに、注意を払って私を見てほしい。あなたたちを干渉し、阻止しているのは私の霊なのだ。これは私があなたたちのために、より良いもの、より良いタイミングを持っているからだ。」

「あなたたちが私に仕えるとき、あなたたちの人生はもはやあなたたちのものではない。しかし、ほとんどの人は、私の内に住んでいると言いながら、二種類の軌道で生きようと試みる。一つは彼らが望む生き方だ。もう一つは、彼らが望むことを基本前提とし、それが許される状況下で私が望むことだ。つまり、彼らは自分たちの意志と道を私に完全に任せず、両方を妥協しながら、より幸せになり、より満たされることを期待する。だが、彼らの計画と意志を完全に放棄しない限り、彼らが幸せになり、満たされることは決してない。」

「あなたたちの一部は、まだ親の期待に従って生きている。一部は、社会や職業上の経歴と繁栄を自分たちの目標とし、その状況下で、彼らが選んだものが私の意志だと考えている。しかし、彼らは真理からあまりにも遠く離れており、もし私が彼らに真理を明らかにするなら、彼らは衝撃を受けるだろう。だが、彼らが必死にすがっているその人生のプロセスが、彼らを平凡さと不幸の中へと導くだろうという事実を私は知っている。結局、それが自分たちが望んでいたものではないということを知るまでは、私はただ待つのみだ。悲しいことに、その時までに、彼らの人生の半分以上が消耗され、彼らの体には病が訪れる。」

「私はあなたたちの益のためにこのようなことを言っているのだ。わが子らよ。妥協しない信仰と明瞭さをもって、私と私の意志を選んでほしい。私を求め、私を待ち望んでほしい。あなたたちの計画を手放し、あなたたちの肉親の親たちは、ただ自分たちの人生だけを導くようにさせ、あなたたちは私に従ってほしい。」

「あなたたちの親を敬い、従順であるということがどのような意味なのか、多くの者が混同している。親を敬い、従順であるという意味が、あなたたちの親があなたたちの人生において、私の場所に取って代わり、あなたたちの人生がどうあるべきかを指示させる、という意味ではない。あなたたちの親の長きにわたる年月を敬い、あなたたちができる限りの力を尽くして助け、親の誕生日をともに祝い、あなたたちのすべての行いにおいて、あなたたちの親を尊敬と敬意をもって扱ってほしい。しかし、彼らにあなたたちの人生の舵は、決して与えてはならない。人生の舵は私、ただ私だけのためのものだ。」

「記録されていないか?」 (マタイによる福音書 10章37節) わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。

その時、主は私にラオデキヤ教会を急に思い起こさせました。ラオデキヤ教会は生ぬるい教会であり、彼らの魂の内なる火が、完全に消滅するまで安楽さと与えられた状況に安住していた教会だと、私は考えました。

(ヨハネの黙示録 3章17~19節) あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。

「私は今、あなたたちが自分を捨て去る勇気を持つように祝福する。あなたたちの十字架を背負い、私に従ってほしい。」