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375. おおらかさは知識より多くなくてはならない

おおらかさは知識より多くなくてはならない

2015年7月21日

主の心に耳を傾けながら、今朝、私と一緒にいてくださった皆さんに感謝いたします。今回のメッセージは、私にとって少し驚くべきものでした。私は期待しておりませんでしたし、また、主が私たちのチャンネルで誰について話されているのか、よく分かりません。しかし、これは確実に必要なことでしょう。そうではなければ、主は時間をかけてこのように語られなかったでしょうから。さて、本題に入ります。

「かつてないほど多くのことを学んだにもかかわらず、真理の知識に決して到達できなかったこの世代の人々に対して、私は言うべきことがたくさんある。あなたたちの知識は成長し、繁栄したが、その知識が兄弟愛よりも高められているという事実が、私を悩ませているのだ。私は、あなたたちのおおらかさと慈悲が、あなたたちの知識よりも多くあることを願う。しかし、知識と学びに囚われたあなたたちの考えが、あなたたちに何の余裕も与えていないのだ。知識は廃れるだろうし、異言も止むだろうが、愛は永遠に消え去ることはないだろう。」

「あなたたちの中の多くの人々がより深い関係を願っているが、学びと『ちゃんとしろ』への強迫観念があなたたちを妨げているのだ。人生の道であなたたちが出会うほとんどの人々は、温かい抱擁と優しい手触りを必要としている。『ちゃんとしろ』は、人々を力強く突き飛ばして倒すのだ。それは人々を立ち上がらせることができないのだ。それは、慰めたり包み込んだりすることではない。それは彼らを倒れさせることであり、彼らの関心の焦点をほとんど即座に彼らの間違っている点に集中させる。それは彼らを私の臨在へと招く上で何の役にも立たないのだ。実際、この律法主義と『ちゃんとしろ』は、実際に人々を私から離れさせて遠くに押しやっているのだ。これは二つの側面で行われる。第一に、もしあなたたちが誰かに正しく直さなければならないと思って指摘したことがあるならば、それによって指摘されたその問題に対して、自分の不足と不適切さへの感覚が生じるということだ。第二に、権威主義的な神様のイメージを、さらに心の中に持つようにさせるということだ。私は、神様についてこのようなイメージが人々に生じないことを願うが、結局、人々はこのような神様から逃げ出すことになるのだ。これがすなわち宗教の霊であり、表面的には変装しているが、結局、真理に立ち向かっているのだ。」

「おお、主よ。私はこの罪を犯しております!」

「しかし、あなたはすでに多くのことを学んだ。私は私の大使たちに第一に、最も重要なこととして願うことがあるが、それは全ての人類に優しい恋人となってほしいと願う。私は私の花嫁たちが人々に近づき、この上ない尊敬と栄誉をもって彼らに接することを願う。私はあなたたち一人一人の中に住んでいる。彼らの中に私の臨在があることを認識することを学んでほしい、そうすればあなたたちが境界を越えることがなくなるだろう。あなたたちが私の人々のうちの最も小さい一人を見る時、彼に対して天使たちが持っている栄誉を見るだけであれば、人々に接する時、私があなたたちに望む尊敬と栄誉が何かを理解するだろう。人々の内面は柔らかいのだ。彼らが生まれてから死ぬまで、数字が与えられ、守るべき規則が与えられる。価値が下がり、非難され、所属する集団に与えられた仕事をこなすように躾けられるのだ。取るに足らない存在だと感じさせるのだ。私があなたたちを私の大使となるように召した時、あなたたちが魂への私の愛の良い模範となり、共に歩み、共に助けながら、一人一人の人々に彼らの栄誉を示す役割を果たすことを願う。」

「人々は、他の人々の考えを持って自分の考えを満たすことに囚われる傾向があるのだ。私は、あなたたちが私の考えを彼らに満たすことを願う。あなたたちが何を得られるだろうかという考えではなく、あなたたちが何を与えることができるだろうかという考えなのだ。あなた自身をどのように証明するのかに関することではなく、あなたたちが他の人をどのように擁護し、代弁するのかに関することなのだ。優しさと栄誉は、個人的な人間関係で最も重要な二種類の要素なのだ。この栄誉をもって接することは、十字架と一人一人のために私が犠牲にしたことについて、大声で叫ぶ叫びと同じなのだ。あなたたちが互いに栄誉をもって接する時、あなたたちは相手の魂を高めることになり、それは私が彼らの代価を支払い、十字架で犠牲になった時、彼らを高めた方法と同じなのだ。もしあなたたちが彼らの間違いや、彼らが誤解していることを指摘しながら、持続的に彼らを直そうとするときに、あなたたちは私が十字架で支払った代価の価値を下げているのだ。」

ここで私は少し休むことを願いました。そして、私はこの問題についてまさに罪悪感を感じておりました。そして、この問題のために、主は私のために働いておられたのです。

「私は、人々に彼らがどれほど尊い存在かを知ることを願うのだ。あなたたちは彼らに、彼らがどれほど不足した存在かを教えているのだ。私は、あなたたちの教えよりもはるかに多く、あなたたちの愛があることを願う。生まれてから死ぬまで、教えは人間を伝染病のように汚染した。ほとんど終わりなく、このようにされたのだ。しかし、彼らが失ったものは、愛、肯定、親切、栄誉なのだ。」

「私の花嫁たちよ、あなたたちは他の魂たちと隣で共に歩むために、自分の名誉と『ちゃんとしろ』への挑戦を手放すことができると思うか?」

この瞬間、私はこのように申し上げました。「主よ、これは何に関するものなのですか?私が他の人に君臨して罪を犯したのでしょうか?」

「違う、クレア。私は、ある人々の傾向、つまり、『ちゃんとしろ』が必要だから、常に彼らの兄弟たちを正しく直そうとする人々の傾向について話しているのだ。ここのこのチャンネルを聞いている人々の中に、私が伝えようと努めている愛と柔和さについてのメッセージを理解できない人々がいるのだ。やみくもに教えつけることを好んで行う人々がいるのだが、彼らの教えが終わった後には、人々は元気をなくし、打ちひしがれているのだ。」

「おお、私はそうしています。主よ、私を助けてください。どうか二度とそうしないように助けてください。」

「私は、それらが止まってほしいと願う。私は、あなたたちが他の人と関係を築く時に、絶対的に最も重要な第一に持つべきものが、『愛』であってほしいと願う。『ちゃんとしろ』は、私の目から見ると、あなたたちの価値を落とすことになってしまう。」

「『愛するようになること』は、あなたたちを私に似たものにする。そして、『愛するようになること』は、すでに数えきれないほどの挫折で苦しみ、諦めようとしている人たちを立ち上がらせ、高める働きをする。私は、苦しむ人たちが、自分たちがいかに重要な存在であるかについて、悟ってほしいと願う。これは、彼らが賢いからでも、彼らの優れた何かがあるからでもなく、彼らがまさに私が彼らのために死んだ高貴な人間であるという事実だからだ。私は自分の体と血を捧げ、その代償を支払った。これが彼らをいと高くし、王族の地位に至らせた。」

「このチャンネルにいるあなたたち皆は、互いに愛し合うよう訓練されており、真理を堅く守っている。真理を超えて、死力を尽くすべきことなど、決してあってはならない。むしろ、どんな種類の権威主義的なボタンも押さないように、非常に注意深く、礼儀正しく、巧みに行動することによって、真理が明らかにされるべきだ。力や権威を使うことによって、あるいは人より一歩先んじることによって、この真理のメッセージから注意をそらし、人々を私から引き離し、遠くへ追いやる結果となる。そうなると、あなたたちは、共にいることが喜びに満ちたクリスチャンになるのではなく、共にいることが厄介な存在になってしまう。」

「ここには、少しばかりスキルが必要だ。全ては、謙遜とおおらかさに関連している。もしこの謙遜とおおらかさがあなたたちの心の中心に根付いていないのならば、あなたたちは、私が魂たちを神の国へ連れてこようとする私の努力の妨げとなるだけだ。」

「私は夫と妻に関して語りたい。あなたたちの中で、妻たちが夫たちよりも、私とずっと深い関係を結んでいる。私が妻たちに与えていないものがいくつかあるが、それは妻たちが夫の領域と権威の下に属するように造られたからだ。そうだ。夫の働きの一部は、妻を導くことだ。霊的に見ると、妻よりも夫がはるかに劣っていたとしても、夫の働きは、私が夫に武装させて導くことを求めている。これは、夫が私を愛そうと愛すまいと、あるいは私を知っていようといまいと、そのようになっている。しかし、妻であるあなたたちは、そのような夫を軽んじる傾向がある。クレアは、このような態度をとっていた自分が、どれほど大きな代償を支払う必要があったかについて、あなたたちに教えてくれるだろう。」

そうです。私は夫を全て失うほどの代償を支払う必要がありました。彼はほとんど死んでいました。主が本当に私を癒してくださったのです。

「あなたがあなたの夫と共に成し遂げた霊的な飛躍について、分かち合ってほしいと願う。しかし、あなたがとった方法は、人々を自ら責める気持ちに陥らせる。なぜなら、彼らはこのような知恵も持たず、その知恵を得る時間やエネルギーも持たないからだ。あなたはこの問題をどう解決するのか?知恵は、あなたが話すことによって説明されるのではなく、あなたがどう生きるかによって説明される。「神は愛だ」と言うことができる。しかし、この上なく完全な一つの方法は、謙遜で従順であり、助けとなる行動を通して、「神は愛だ」ということを説明することだ。」

「真理はこうだ。あなたたちが私により近づけば近づくほど、あなたたちは私によって多くのことを学ぶことになり、あなたたちの夫たちには、より優しく、柔和に接するようになるだろう。夫が日曜日に教会に行かないからといって夫を軽んじれば、それだけ夫は私からさらに遠く離れてしまう。あなたたち妻たちの愛と、罪ではない全てのことに対する柔和な従順を行うことによって、夫は導かれてくるべきだ。男たちの本性的な役割は、多くの力や勢力にさらされて、自分を強くし、立ち向かわなければならないことだ。職場で生き残るために、こうしなければならない。女たちの本性的な役割は、養育し、慰め、助け、家庭を率先して共に世話することだ。だから、夫は家に避難して、身を隠し、休むのだ。家庭は、夫が心からくつろいで休める場所でなければならず、一日中、荒々しい性格の世とぶつかって帰ってきた夫が、自分が求める姿に戻れる場所でなければならない。このような状況にいる夫に要求を加え、あれこれ直そうとする妻とあなたたちは、離婚のための調味料をふりかけるようにし、その夫に神を嫌がらせる結果を招く。甘い愛の魂から出る香りが、夫を妻へと導くという事実を覚えてほしい。妻は、夫のための慰めと安息の源だ。」

「妻は、夫を敬い、夫のために待機している。妻は、夫の良い点を確認し、夫の苛立ちにも耐える。妻のこのような愛の香りと静かな忍耐が、夫を神様へと導くのだ。夫は、自分の妻が何か違うということを知るようになる。彼女は世とは違うと知るようになる。彼女の行動とライフスタイルには、確かに何か違うものがあると知るようになる。世は、触れれば傷つき、押しつけてくるが、彼女にはそのような世の荒々しさがないと知るようになる。彼女は、慰め、安心させ、心配を取り除き、強く、仕え、常に助ける。結局、このような点が夫を私へと導く。夫は、彼女を見ながらこう思う。『妻のあの能力、自信、確信、内面の美しさは、どこから来るのだろうか?』夫は、妻の内面に、彼が望む何かを見る。そしてそれが結局、私へと向かう扉を開くことになる。」

「私の愛する者たちよ、私が言いたいことの全てはこれだ。あなたたちが知っていることと、あなたたちがいかに聖なるかを通して、魂たちを私のもとへ連れてこようと努力するのをやめてほしい。その代わりに、私の愛で人々の心の扉を開いてほしい。そうすれば、私がそこへ入り、そこに住むだろう。」

「私の目にはあまりにも高貴な霊、消え去ることのない優しさと穏やかな霊、そして心の内にある隠された内なる人の模範に沿って生きられる恵みによって、あなたたちを今祝福する。この御言葉を記憶しておいてほしい。」

(コリントの信徒への手紙一 13章2節) たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。

「結論として、互いに優しく、そして親しく接してほしい。栄誉をもって互いを尊重してほしい。兄弟のような愛情をもって互いを愛してほしい。栄誉を示す点で、互いに優ってほしい。利己的な野心や欺瞞からは何もするべきではない。常に謙遜をもって、自分自身よりも相手の方をはるかに重要だと考えてほしい。」