383. あなた自身を愛した後に、あなたの兄弟を愛せる
あなた自身を愛した後に、あなたの兄弟を愛せる
2015年9月2日
主の比類ない愛と知恵が私たちと共におられます。今夜、主が私にどれほど美しい教えを与えてくださったことでしょう。後日、雲の上で主にお会いする、その日のために、主の花嫁をより忠実に準備させておられるという確信を、拭い去ることができません。御言葉を伝える前に、多くの聖徒たちが手紙を送ってくださいました。これについて、本当に感謝の言葉を伝えます。一つお願いしたいことは、手紙を送る際にメールアドレスを残してくださいということです。そうすれば、私たちが皆さんにお返事する方が楽になりますから。ありがとうございます。エゼキエルの要請です。さあ、今から御言葉を伝える時間です。本当に美しい御言葉です!
これは今夜の礼拝中に始まりました。私の目の前に、非常に濃い青色の渦巻き状の雲が見え、まるで竜巻の中心部を見下ろしているようでした。そして、その中心から黒い翼を持つ生命体たちが現れ始めました。黒い翼が付いた生命体たちです。まるで雲のような姿でした。そしてすぐに、その群れは私たちの遥か上空を飛び回り始めました。それがCERN(欧州原子核共同研究所)を意味するのか、私が見た、あの見慣れない次元の穴とそこから悪霊たちが出てきたことなのかは分かりませんが、あまりにも驚くべきことでした。それらは本当に、あまりにも、ひどく嫌悪感を覚えました。それは明らかに「雲」でした。それらは木に止まりました。まるで、怪物の石像のような、汚い悪魔のような姿です。あるいは、先史時代の巨大な鳥のようにも見えました。リック・ジョイナーもこれと同じものを見たと話していました。私はこれがリック・ジョイナーの本に出ていた、彼が自分の夢で見たと語っていた光景と関連があると思います。その群れは人々の頭上を飛び回り、汚物を排泄し始めました。彼らは、殺されて地に横たわっている、今にも破裂しそうなほどに腫れ上がった白い馬を食い荒らしました。
私が礼拝に入った時、主がこれを見せ、このすべての光景を書き留めることを望まれました。主はおっしゃいました。
「その生命体たちはコウモリやワシのような動物であり、これらの獣たちは暗闇の中で生きていて、死んだものを食べる。死んだ白馬は、他のキリスト教徒たちの偽りの言葉によって殺されたキリスト教徒たちを意味する。この生命体たちは、どこに降りても死を排泄する。彼らが地に降り立つためには、そこには必ず罪悪があるべきだ。あなたに向けてであれ、他の人に向けてであれ、悪口、策略、中傷、非難のような罪悪がある場所に降りる。だからこそ、私が私の花嫁の口から中傷と非難が出ないように非常に努力しているのだ。私はそれらが私の花嫁の上に降りることを望まない。」
「私の子供たちよ、あなたたちは自分たちの誤った行動によって、この不潔なものたちに門を開け、それらを招き入れている。サタンは、あなたたち自身への不満を通じて罪悪の場所を作り、彼らが降り立つ場所を虎視眈々と狙っているのだ。これが、私を礼拝することが非常に重要な、もう一つの理由だ。私を礼拝する時、私があなたたちと共にいて、あなたたちを花嫁としての美しさと純潔さを回復させる。そして、礼拝はあなたたちに、私が望む通りに成長させる力を供給するのだ。」
「あなたたちが自ら自分を貶める時、あなたたちはこの邪悪なものが降りる場所を作ってやるのだ。これがまさに、サタンがあなたたちを貶めるために、昼夜を問わず偽りの霊たちを送る理由なのだ。これは、あなたたちに、その生命体たちが降り立つ場所を準備させるのだ。そして、ひとたびそれらがあなたの上に排泄し始めると、あなたたちは他人を判断し、貶め始める。あなたたちは、『あなた自身』が何者であるかを耐えられないため、悲痛さと幻滅を感じながら、他人の欠点を発見する機会ばかり探し回る、不具の者になってしまうのだ。」
「これがとんでもなく聞こえるか?私の花嫁よ、周りを見回してほしい。どれほど多くの不幸な人々が、他の人々の過ちを探すのに忙しいか、見えないか?彼らには悲痛さと失望が満ちている。あの生命体たちが彼らに不幸を排泄すると、彼らもまた、他の人に不幸を伝えるのだ。この悪循環は続くだろう。」
「私はあなたたちに命を与えに来た。豊かな命をだ。神様の王国は、正しく、平和と喜びにあふれる場所だ。このような清いものを楽しみながら、同時に、もう一方で不潔なものを持つことはできない。これが、あなたたちが私の臨在の中に入って来る時、私があなたたちを清める理由なのだ。また、あなたたち自身の健康のためにも、これは不可欠だ。私があなたたちを満たした後、あなたたちが触るすべてのものは美しくなり、新しい命で満たされるだろう。だから、孤独で傷つき、見捨てられた者たちがあなたにやって来たら、私の油注ぎが彼らを癒やし始めるだろう。一人の魂の価値は、その魂と引き換えにした私の十字架の苦しみだ。他の何でもなく、まさに私の十字架の苦しみ。だから、あなたたちの目に最もひどい者が、私にとっては私の命と引き換えにするほど大切だ。」
「したがって、私の愛の大使となるため、あなたたちは、あなたたち自身を愛し、ありのままの自分自身と平安でなければならない。そして、あなたたち自身ではないものとも平安でなければならない。あなたたちが置かれている場所、私があなたたちを連れて行く場所、そしてあなたたちが行かない場所とも平安でなければならない。あなたたちの魂には、どんな病気もあってはならず、自己嫌悪や自己卑下もあってはならない。」
「よく聞いてほしい。謙遜と自己嫌悪は違う。自分自身を嫌悪しながら、どうして他人を愛せるだろうか?あなたが悔い改めさせ、罪と悪を拒否させるのは、あなたたちに対する私の愛だ。」
(ローマの信徒への手紙 2章4節) あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
皆さん、ここで、この聖句をお伝えします。流れが多少途切れる可能性もあると分かっていますが、私が聖句を引用しないことについて、非難する方々がいらっしゃいました。その方々は、御言葉を十分に知らないため、主が与えた御言葉に正確な聖句が示されていない場合、それを把握できないようで、そう思われるようです。主は、御言葉をお伝えになる際、しばしば聖書を引用なさいますが、正確な聖句の箇所をお教えくださらないため、多くの方がこれを認識できません。だから、私が少し立ち止まって、聖句の箇所をお伝えいたします。理解してください。ありがとうございます。
「あなたたちが罪と悪を憎むのは、良いことだ。しかし、あなたたちがどうして私が愛するものを憎むことができるだろうか。私は、あなたたちを愛している!それなら、どうしてあなたたち自身を憎むことができるだろうか。そんなことはできない。そうしてはならない。それは、私の意志ではない。私が、あなたたちが自らを憎むことを望んだのなら、私は、あなたたちに永遠の命を与えるために、この地に来なかっただろう。むしろ、永遠の断罪をもたらしただろう。」
「そして、聖書にも書かれているではないか。(ヨハネによる福音書 3章16節) 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
「どうして悪と判断され、憎まれるものを救い、贖うことができるだろうか。私は、あなたたちを愛している!私は、罪悪を憎む。私が、あなたたちに愛を示したから、あなたたちが、私を愛するようになったのだ。あなたたちもまた、罪悪を憎み、悔い改め、罪悪の生き方から出て、聖なる生き方となって、私を喜ばせている。私が、どうしてあなたたちの本性に、このような変化をもたらしただろうか。あなたたちへの私の愛を示すことによって、可能になったのだ。」
「恐れによって生じた従順は、愛による従順に及ばない。私は、あなたたちが全てを始める時、自ら選んで、私を愛することを望む。私が、人間の姿でこの地に来て、無条件の愛と許しの生き方をするまでは、あなたたちの悔い改めの動機は、恐れだった。そのような恐れが、どれほど長く続くというのだろうか。ただ、それよりも大きな恐れが、あなたを襲う時までだ。言い換えれば、常にもっと恐ろしいものは、あるものだ。常に、もっと美しい人がいるものなのと同じようにだ。」
「では、解決策は何だろうか。あなたたちの愛を私に引き寄せてほしい。では、私が、どうやってあなたたちの愛を引き寄せようか。あなたたちを恐れさせてか。もちろん、そうではない!私は、あなたたちを愛することによって、そうする。私たちが互いに愛し合うその愛の中で、あなたたちは、人生の、ある地点に到達することになる。あなたたちの人生の何かが、私へのあなたたちの愛を証明できないものである時、それは、もはやあなたたちにとっても、何の価値もないということを、明確にすることになるその地点だ。その地点に到達すれば、あなたたちは、肉体は殺せるが、霊については、何もできない者たちに対する恐れが、消えることになる。あなたたちの心は、初代キリスト教徒たちがそうであったように、喜んで、あなたたちの肉体をライオンの餌として差し出すのと同じような、私への愛で輝くだろう。」
「私の花嫁よ、結局、あなたたちは、私があなたたちを愛するように、あなたたち自身を愛するようになる。あなたたちは、あなたたちの中に宿る私を見ることになるだろう。あなたたちの中に宿る私の臨在の中で、喜びと平安を見出すだろう。そして、あなたたちは、その愛を汚すどんなものでも、拒絶するようになるだろう。書かれているではないか。(ヨハネによる福音書 14章23節) 『わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。』あなたたちは、罪悪を憎むだろうが、私が永遠に宿ることを選んだ場所、つまり、あなたたちの心を、愛するようになるだろう。私が、全てを新しく、美しくするだろう。私は、あなたたちが父なる神様から受けた純潔を回復するだろう。あなたたちが、どうして父なる神様の本質を愛さないことができるだろうか。神様を愛すれば、その方が創造した全てを愛するようになる。あなたたち自身を含めてだ。あなたたちは、罪悪を憎み、軽蔑するだろうし、それがあなたたちの人生に入ってくることを拒否するだろう。しかし、あなたたち自身を憎み、軽蔑したりはしないだろう!」
「見たか、私の花嫁よ。あなたたちは、私にとって、あまりにも美しい!そうだ、あなたたちは美しい!私が、全てを回復した。聖書に書かれているではないか。(コロサイの信徒への手紙 1章19~22節) 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。」
「私が、どうしてこんなに詳しく話すのか、分かるか。私の中で変化したあなたたちの姿を愛するように、説得しているのだ。あなたたち自身を愛する時にこそ、初めてあなたの兄弟を愛することができるからだ。これは、私の言葉だ。(マタイによる福音書 22章37~40節) イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
「私の花嫁よ、あなたたちは今、必ず始めるべきだ。朝、私の微笑みと愛を受け取り始めてほしい。(コリントの信徒への手紙二 10章5節) 神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ」
「そうだ、私の微笑みをあなたたちの胸に刻んでほしい。あなたたちに対する私の愛と支えが、あなたたちの全身からあふれ出てほしい。これで人々はあなたたちについて知るだろう。あなたたちの中に命の泉があることを知るようになるだろう。私があなたたちの心の中で高められるなら、私がすべての人々を私のもとに引き寄せるだろう。そうだ、あなたたちは私の愛の大使であり、愛の特使なのだ。私の光を暗くする咎めるような痕跡はあってはならない。(マタイによる福音書 5章16節) そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
「今、あなたたちを祝福する。私の微笑みが永遠にあなたたちを照らすことを覚えていてほしい。毎日私を訪ねてきて、私の喜びをあなたたちの魂に受け入れてほしい。」