386. 私はあなたたちの慈悲と憐れみを望む
私はあなたたちの慈悲と憐れみを望む
2015年9月20日
愛する皆さん、今日も主は私たちとともにおられます。今日の礼拝は、いつもと少し違いました。ここにいるコオロギの声に、完全に魅了されました。その声は、とても美しかったです。今晩もやはり、いつもと同じように11時頃に夕食を食べていました。それが私の日常だからです。暗闇が濃くなった時刻、大きなポプラの木の下に座って、コオロギの歌声のリズムに合わせて休んでいました。おお、その声は、とても美しかったです。私はそこで、本当に甘い休息を取りました。
その瞬間、主が私とともにおられることを知り、霊の目を開けてみると、そこに主が私を優しく見つめながら立っておられました。主は、私が持っている食べ物を指差しながら、**「夕食を食べなさい」**と言われました。食べ物には全く興味がなくなりましたが、私の心は主の胸にもたれかかりたがりました。主は、私の近くに寄ってきて椅子に座られ、私は主の胸で休みながら、真に主が誰であるのかを考え始めました。主は世を維持させ、私に命を与える方です。その時、私はその現実にあまりにも圧倒され、主が作られた万物の中で単なる一点のような私とともにおられるために、喜んで時間を割いてくださったという事実に、とても恍惚としました。
「だが、クレア、私は確かに一人の人間だ。」
そうです。主はまた人間でいらっしゃいますが、それは理解しがたいことです。人間でいらっしゃいますが、宇宙を創造し今も維持していらっしゃる方、また多くの他の世を知っていらっしゃる方なのですね。ですが、どのようにそれを調和させて維持していらっしゃるのか、本当に不思議です。私の人間的な考えでは、到底理解することができません。私は主の存在についての甘く、かつ強烈な思索に深く沈んでいきました。
「私の愛する者よ。あなたが全く完全に理解できないことがある。しかし、私の愛の豊かさから、あなたが常に分かち合うものがある。これは記録されている、『私たちは彼によって生き、動き、存在しているのだ。』それにもかかわらず、私の愛する花嫁よ、私の存在は絶えずあなたに溢れ続けている。あなたたちすべてに対する私の愛は、本当に限界もなく、終わりもないので、その愛の波はあなたたちが必要とするすべてのものに絶えることなく豊かだろう。あなたたちがもし器を空にして、私の憐れみの泉へと近づいて来るなら、私が必ず満たしてあげるだろう。」
「おお、主よ、私の器を空にするよう助けてください。」
「『計り知れない』という言葉は、私のために存在する。」
「そうです、私は何も見ることができません。そして、誰もその呼称を取ることはできません。主よ、最近、主の裁きについての考えが浮かび続けていて、とても恐ろしいです。」
「私の憐れみは裁きに打ち勝つ。あなたたちがもっと多く憐れみを施すほど、より少なく裁きを恐れるだろう。特に毎日私の憐れみを施す者たちからは、私の怒りを引き下げるだろう。」
「私の子供たちよ、憐れみがどれほど重要であるかを知るべきだ。裁きが私の本性なのではなく、憐れみが私の本性だ。しかし、人間の心がとても頑ななので、世が維持されるために裁きが必要だった。だが、覚えてほしい。私は十字架にかけられることで裁きを受け、それによってその血の恵みの下にあるあなたたちは、決して咎められることはないだろう。それにもかかわらず、人間は愚かさの道を進み続けている。このために、あなたたちがどれほど他の人々を批判あるいは咎めないかに応じて、私の憐れみを施すだろう。」
「あなたたちがもし一生涯、苛酷で君臨したのなら、裁きはあまりにも恐ろしいだろう。だが、あなたたちが憤慨し、恨みが深い事柄に暴力を振るう代わりに憐れみを抱くなら、あなたたちに私の憐れみがあるだろう。」
「だが、誰も肉の欲を満たすために私の憐れみを求めてはいけない。これは決して容認されないだろう。私はすべてのことにおいて、あなたたちの器の弱さを知っているので、それに応じて行うだろう。あなたたちの一部は、私と私の兄弟、そして姉妹のために多くのものを差し出した。また、他の何人かはあまりにも利己的で、あなたの兄弟や姉妹たちに施さなかった。」
「主よ、私がそうだったことは知っています。」
「そうだ、だが、あなたは学んだ。それにもかかわらず、さらに知るべきことが多く、利己主義について、もっともっとたくさん悟るべきだろう。私は誰が憐れみを施すことで栄光を享受するのか、見守りながら待っている。」
「私は確かにそのことで批判を受けるでしょう。主は神様であり、全能なので、誰にどのような報いが与えられるかをすでに知っていらっしゃいます。」
「しかし、私は競走が好きだ。この競走は、あなたたちが慕い求める栄光のためではなく、私への愛と私にとって大切なもののためのものであることを、心に留めるべきだ。私はこの競走を大きな喜びをもって見守りながら、あなたたちが転ぶ時には、私の天使たちが常に捕らえて立ち上がらせ、最後まで走り抜けることができるよう助けている。私はあなたたちすべてが憐れみをもって私の心を捕らえ、憐れみ深い私の父に似ることを願う。」
「主よ、ほとんどの人々は、主がイスラエル人たちに向けて、すべての男、女、子供、そして動物までも殺すよう命じられたことを記憶しているため、憐れみ深い神様に似るようにというその命令に、異議を唱えます。」
「人が自分の知識で見るものと、全能な私が見るものとは全く違う。」
「しかし、主よ、人々はそれを知りません。」
「あなたはなぜ、私が肉体をまとい、彼らの代わりに十字架で死んだと思うのか?」
「主の真の性質を証明するため、つまり私たちへの主の真の愛を示すためではありませんか?」
「そうだ。以前にあなたたちに言ったように、その日に私が見たものを、あなたたちには見ることができない。あなたたちはまた、山崩れ、津波、そして地震を通して、とてもとても幼い子供たちの命をなぜ奪ったのかも知らない。私の憐れみには、あまりにも多様な側面があり、あなたたちにはそれも測ることができない。あまりにも多様な側面なのだ。しかし、十字架を深く考える時に、あなたたちはすべての被造物たち、しかも動物たちに対する私の愛の深さまでも理解することになるだろう。私は彼らが地球で苦しむのを見守るよりも、私と共にここにいてほしいと思う。第三世界の幼い子供たちや赤ん坊たちが、あなたたちの地球よりも私と共にここにいてほしいと思う。」
「私は幼い魂たちに多くのことを約束した。あなたたちが知っているように、人間の霊もやはり精神を持っているが、この霊に属する精神は、たいてい魂の認識から断絶されている。それゆえ、一人の魂が完全な闇の中にいるように見える時でさえも、彼らの潜在意識の中に私の愛に対する認識が存在する。そして、彼らの心の奥深くで、彼らの霊は私の愛を探している。あなたもそうだったように、隅々まで探索し、私を探そうと努めるのだ。」
「しかし、私が以前に言ったように、私がこの地に送った魂たちと交わした確かな約束がある。そうだ。確かな約束があるのだ。そして、その魂たちは、私が彼らのところへ行くまで定められた過程を歩む。」
「しかし、主よ、この地で主を知る機会さえ持てなかった、救われていない者たちはどうするのですか?」
「私が執り行うやり方は、あなたたちのやり方よりもはるかに水準が高く、一人の魂と交わした私の関係は、あなたたちが考えるよりもはるかに深遠だ。魂を失うことになる最も深刻な状況は、彼らが自由な意志で罪を犯そうと選択した場合だ。私はあなたたちに良心を与え、各魂の良心を通して働く。これが私が彼らを導くやり方だ。時が熟した時に、私が自分を現し示すだろう。私の愛する者よ、天には驚くべきことが多くあるだろう。」
その後、私は若干の長い静寂の後、主に言いました。「主よ、他に何かお話しになりたいことはありますか?」
「ある。とてもとても多くある。あなたたち全員に言いたいことで満たすことができるが、その中でも最も重要なことを言おう。」
「慈悲、憐れみ。そうだ、慈悲なのだ。電話で商品を売る人たちにも、慈悲深くてほしい。」
「ああ、だめです!彼らにはだめです!」
「そうしなくてはならない。彼らに憐れみを施してほしい。郵便配達員に憐れみを施してほしい。あなたの隣人と、隣人が飼っている不快な犬たちにも憐れみを施してほしい。しかもコヨーテにさえも、慈悲深く接してほしい。ガソリンスタンドで列に並んで待つ人々に憐れみを、薬局で待つ人々に憐れみを、食料品店にいる人々に憐れみを、あなたの後ろをこっそり探り、窓を閉めて歩き回るあなたの夫にも憐れみを。憐れみ、憐れみ、憐れみ。」
「それでは、このような憐れみはどのような姿で現れるだろうか?不平がなく、顔をしかめず、睨みつけて息を荒げるような姿であってほしくない。あなたが忙しいからといって、老人を飛び越えて先へ行くのではなく、むしろ彼が通り過ぎるまで、微笑みながら待つことだ。」
「しかし、憐れみが最も必要とされる場所は、あなたたちを傷つける者たち、しかもとても深く傷つけた者たちに必要だ。多くの場合、彼らは自分たちがしたことを知らない。彼らは邪悪な言葉を吐き出すことに、まったく注意を払わない。だが、私が選び、遣わしたあなたたちは、傷つける言葉を準備している肉的な獣の姿を超越して、そのような獣のような習性は静かに捨てて、その代わりに私の憐れみを吸い込んでほしい。そうだ、私の憐れみを吸い込んでほしい。深くさらに深く憐れみの息吹を吸い込んでほしい。」
「心を刺す言葉であなたの母親を傷つけた時を思い出してほしい。割り込みをした時を思い出してほしい。駐車するためのスペースをめぐって、誰かを突き飛ばした時を思い出してほしい。こっそり浮気をした時を思い出してほしい。このすべての悪い事を思い出すと、あなたが肉体を制御し、私に完全に屈服するのに役立つだろう。そして、判断するのが当然の場所に憐れみを施してほしい。」
「私の花嫁たちよ、あなたたちの愛と忍耐で世間を驚かせてほしい。あなたたちの柔和な性格の深さに、世間が当惑するようにしてほしい。事実を言わせようと、あなたたちの両手で人々の首でも絞めることができる状況で、世間のやり方ではなく、尊敬をもって接してほしい。あなたたちがそのような醜さを投げ捨てる時、私が新しい命、新しい恵みをあなたたちの弱い体中に吹き込んであげる。私もまた、あなたたちに憐れみを施すだろう。」
「私の民一人ひとりがすべての人々に施す憐れみを世間が目の当たりにし、私の深い愛を知ったなら、世間はもはやサタンの手に奴隷にされることはないだろう。人々は束縛が解かれ、自由を得て、神の王国に入ることを哀願するだろう。」
「人々がこのような癒しが彼らに可能だということを知ったなら、彼らは駐車場で出会ったあるクリスチャンの祈りを受けるために、列に並んででも待つだろう。私が今、誇張しているのではない。私の民を通して私が世間に現れるその日には、私の民が真に私の姿を人々の前に示すだろう。その日には、人々から受けた拒絶と憎しみによって、ほとんど地獄のような心で生きていた人々が、癒しを受けようと遠い距離を這い上がってくるだろう。」
「おお、憐れみについて、そしてどれほど私の民が憐れみを行うことを望んでいるかについて、私が話したいことがあまりにも多くある。これを額に刻み込んでほしい。そして、あなたたちの手に『憐れみ』と刻印を押してほしい。それから家を出て、あなたたちが出会うすべての人々に憐れみを施してほしい。その後、また戻って来て、私にあなたの気持ち、その一日がどうだったか、あなたたちにどんな事が起こったか話してくれないだろうか?行って、これが何を意味するのか学んでほしい。」
(マタイによる福音書 9章13節) 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが來たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
「そしてあなたたちがかつてそうだったように、彼らもそうだ。だから彼らに優しく近づき、私の憐れみを施してほしい。この私の言葉に耳を傾けるあなたたちに、どれほど多くの祝福があるか分からない。」
「私の民よ、私はあなたたちを愛している。今行って、私があなたたちを愛したように、まだ私を知らない人たちを愛してほしい。私はあなたたちと共にいる。あなたたちの怒りのままにしたいと思う、まさにその誘惑の瞬間に私を呼んでほしい。『イエス様、助けてください!』そうすれば、私は助けるだろう。」