402. あなたたちの忍耐が私を助ける
あなたたちの忍耐が私を助ける
2015年11月10日
私たちの主イエス様の祝福と平安が、今日皆さんと共にありますようにお祈りいたします。今日お伝えするメッセージは、私が好きなメッセージではないと告白しなければなりません。本当に私が好きではないメッセージです。なぜなら、悪いニュースや、それと同じようなものを含んでいるメッセージだからです。本当に難しいです。海外で発生している出来事に関する話もあります。今晩私は、主の御言葉を聞くためにつらい時間を過ごしました。時々主は、とても黙っていらっしゃって、静かです。
礼拝後私は、主にお話ししました。「主よ、ここにいらっしゃるのは分かっています。しかし、主の御言葉が聞けません。どうか、イエス様、私たちにお話しになることはありませんか?」
「私の愛する者よ、私はいつもあなたと共にここにいる。いつも。」
主がこのようにお答えになった時、主の声はか弱く、力がありませんでした。明確でもなく、私の目の前にすぐに迫ってきませんでした。私はその御言葉を聞こうと近づき、主にお答えしました。そして信仰をもって言いました。
「分かります。」
「しかし信仰以上のものが必要だ。私は私の腕であなたを包んでいる。クレア。そして私は、かつてないほど強く、あなたを私の心臓の中に抱いている。しかしあなたは私をいつも見られない。私はあなたから私を隠している。」
それで私は言いました。「お願いします、主よ、これ以上隠さずに、主の御言葉を聞くことを切に熱望する私たちに、今晩少しお話しください。」
主がお話しになり始めました。「私の子たちよ、長い忍耐と忍耐力は、容易に実現しない。これは、あなたたちの肉体的な本性を克服しようとする、持続的な努力と警戒という代償を払わなければならない。世の中では、あなたたちは待つことや忍耐することに慣れていない。多くのものがあなたたちに即座に提供され、一時的な満足を与える。ファストフードから麻薬、互いに献身されていない関係での性行為、クレジットカードで物を買うことに至るまでだ。今買って、後で支払うという方式だ。」
「このどれもが徳を積むことに役立たない。むしろこれらは、焦燥感と、人間に存在する可能な限りのすべての欲求を満たそうとする、強迫的な本性を増大させるだけだ。メリーゴーランドのようにぐるぐると回り続ける満足の悪循環を断ち切ることは、簡単なことではない。これは、絶え間ない努力を必要とする。しかし疲労は、あなたたちの決断力を弱め、強迫的な衝動を強化させる。」
「大衆社会で人々が精神疾患と見なす現象の多くは、純粋に即座に欲求が満たされる社会で育った結果だ。しかもテレビでさえ、あなたたちがより早い結果を期待するように、あなたたちの心を操っている。過去には、通常数ヶ月から数年かかっていたことが、わずか数時間のうちに、目の前で完璧に実現することをあなたたちが期待するように作ってきたのだ。これはあなたたちの意識の中に、このように即席で人生を生きられるという観念を植え付ける。もちろん、これは30代になった大人たちでさえ、いまだに思春期の子供のように考え、判断するようにさせる、深刻な問題を招く。」
「数多くの深刻な過ちが次の世代に大きな影響を与える。そしてあなたたちの子どもたちは、このような生き方の結果になってしまう。だから私が介入して、あなたたちが健康的で分別のある生活を回復するように、助けなければならない。あなたたちの人生の他の側面を促進させるトラックに戻るように、私が介入しなければならない。種をまき、耕作し、収穫し、安息する生活のトラックが回復するようにだ。それぞれの段階は、数ヶ月の時間がかかり、順序がある。ここでこれらすべてを説明するには、あまりにも複雑なことだ。このようにだけ話しておくことにしよう。地球における太陽と月の公転周期は、あなたたちがバランスの取れた生活をうまく送れるようにするために、慎重に計画されたものだ。」
「人間は、技術を使用することによって、このような見方を変えてしまった。だからあなたたちは、種をまくべき時に収穫し、安息をとるべき時に耕作するようになった。そして、我慢強くなく、勝手にある周期から別の周期へと飛び越えている。要点は長い忍耐、忍耐力、節制が破壊され、これは人間の理性的な推論を通して、最終的には魂の究極的な喪失をもたらす、罪深い決定を下すことを可能にしたということだ。」
「このチャンネルを視聴するほとんどの人たちは、すべてのことには時間が必要であることを認識しているが、それにもかかわらず、あなたたちの中には、あまりにもせっかちで自分自身を落胆させている人もいる。私は、物事が成就するようにするために、あなたたちが自分自身に許した時間よりも、はるかに多くの時間を許す。私は、あなたたちがどれほど深く、このような不自然なリズムの塹壕の中に閉じ込められているかを知っているし、あなたたちを正しい道へと導くことは、多くの時間を要する長いプロジェクトだということを理解している。あなたたちもまたあなたたち自身をよく理解してほしい。」
「あなたたちが毎日経験する絶望のほとんどは、あなたたち自身に対する不満と関連している。万事がただ短時間で起こるわけではない。私はあなたたちに、罪を犯せる全面的な許可を与えているのではない。あなたたちの人生が、なぜそれほどまでに絶望的で、変化が遅いのかについての答えを与えているのだ。野望の霊もまた考慮しなければならない。完璧主義と対になった野望は、あなたたちが継続的に限界を超えさせることで、あなたたちの決心、自尊心、自制心を低下させる。あなたたちの限界を超えるということは、あなたたちの献身的な努力にもかかわらず、結局失敗することになるということだ。時が経てば経つほど、これはあなたたちのライフスタイルとなり、あなたたちの決断は遅くなり始める。まさにこれが、あなたたちを絶望させる、最も効果的な方法となる。」
「だから私は昨日、あなたに長い忍耐と強迫と衝動に関するイメージをあなたたちに見せたのだ。亀とウサギの話だ。今日私は、あなたたちがこの二つの性格の中であなたたち自身を見つけ、事あるごとにあなたたちが神様の知恵を適用する作業を開始してほしい。サタンはこの時間の原理を利用するのが非常に賢く、あなたたちに対して、心配、不安、そしてせかそうとする気持ちを誘発する。」
主が語られた時、私はエゼキエルと私が経験したことを思い出しました。そして、「ああ、私の人生にもあったことです」と同意しました。
私は、アメリカで全てがだめになる前に、南米へ逃げなければならないと感じたことを覚えています。それは、認められた預言者による預言の言葉と、牧師たちからの招待によるものでした。そして、私たちは南米のコロンビアへ行くことになりました。今から約20年ほど前のことです。しかし、これは逃亡行為であり、時間の無駄だったと判明しました。なぜなら、肝心の祖国では何も起こらなかったからです。それは、おそらく当時の神様の恵みだったのでしょう。しかし、主はとにかくそのことを使って、私たちはコロンビア全土で働きをすることができました。結婚当初、私たち夫婦は別の場所へ急いで引っ越さなければならないような緊迫感を何度も感じましたが、それが間違ったスタートだったようです。
主は続けて言われました。「あなたたちは、あなたたちの人生がどれほど多くの他のキリスト教徒の人生と同じであるかに驚くだろう。私の民よ、このような失敗を恥じないでほしい。決してかたきがあなたたちを当惑させて、恥をかかせることを許さないでほしい。あなたたちが行動を取った後、その後の災いを変化させたのは、まさしく祈りであり、あなたたちがそう考えることができるようにしたのは、あなたたちの信仰だった。たとえ世の中があなたたちのそのような考えのためにあなたたちを軽蔑し、馬鹿にするとしても、恥じることは全くない。」
「私がここで述べているのは、あなたたちに残された時間がほとんどないと思って、あなたたちが人生の過程で不可欠な人生の決定を延期したことだ。待つことと行動することの間には、微妙な均衡がある。もしあなたたちが私の声に耳を傾けるなら、あなたたちは時と場合を知ることになるだろう。それが突然変わることもありうるのだが、あなたたちは昨年6月にもこのようなことがあったことを知っているだろう。今、数十万もの人々がイスラム教からキリスト教へ改宗している。もしその時、花嫁が携挙で召し上げられていたとしたら、これらの魂は滅ぼされていたことだろう。」
ここで、数日前、エゼキエルが受けた幻を分かち合おうと思います。
見える限りの遠くまで全てが、長く長い絶壁でした。その絶壁の間に、深く広い断崖があり、多くの人々もいました。見える限りの遠くまで全てが、男と女、子供たちでした。そこには、深い穴へと続く絶壁があり、赤く朱色の炎、黒い炎、煙が噴き出していました。その深い穴は、いくつかの岩盤と異なる層を持っていて、最も恐ろしい怪物のような悪魔たちが様々な方法で人々を引き裂き、拷問していました。到底表現できない恐怖の場所でした。それは、私の心に恐ろしい場面を残し、私は二日二晩これを振り払うことができませんでした。
三日目、私はこの二日間で見た幻による恐れと不安で目を覚ました。その時、主は同じ場面で深い穴の端を見せてくれました。大きな人間の手と腕が上から降りてきて深い穴の端を打ち、人々がこれ以上遠くへ逃げられないようにしました。そして、私は今年の8月に殉教した緊急救助を支援する隊員たちを見ました。(カリスママガジン)11人の殉教者でした。8人の男性と2人の女性、そして12歳の少年でした。私は彼らを楽園で見ました。彼らは棕櫚の枝を振り大いに喜ぶ天国の魂たちの肩の上で、盛大に祝われていました。
場面は深い穴にいる群衆たちに変わりました。人々は方向を変えて、反対側にある大きく輝く十字架の方へ走っていました。その時、主は介入して、私に言いました。「あなたがこれらのことを読み、聞き、想像したことは、本当に比べようがないほど恐ろしいものだ。しかし、私は真実であり、私の保護が殉教した魂たちと共にあったことを覚えてほしい。このように大きく驚くべき苦痛と煩悶、拷問と死の瞬間にも、私が彼らをすでに持ち上げていた。そして、彼らの輝く魂は、歓喜と天国の祝福に包まれていた。私の顔の前で、彼らは何も感じず、闘わず、何もせず、ただ私と私の名に栄光を帰した。彼らの目は天国に向かい、そこにはすでに集まっている、強く力強い無数の私の証人たちを見つめていた。」
ISは数千人の人々を集めて、これらの人々を強姦し、首をはね、十字架につけました。何人かの証人たちによると、これらの残虐なことが彼らの肉体に加えられている間も、これらの殉教者たちは群衆に向かって、人生をイエス様に捧げるようにと頼み続け、天を見上げて微笑みながら、「イエス様、イエス様、イエス様!」と言ったそうです。
イエス様は続けて言いました。「これが、知られていない、実に数多くの者たちが改宗している理由だ。より大きな絵と、より大きな知恵がある。」
エゼキエルは続けました。私はここで、主が与えてくださったイザヤ書35章4節の御言葉を引用しようと思います。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が來られる。神は來て、あなたたちを救われる。」
本当に美しいです。私はこの箇所全体を調べてみました。(イザヤ書 35章3~5節) 弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が來られる。神は來て、あなたたちを救われる。」 そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。
ワオ!どれほど多くの人々が回心し、目が開かれることになるでしょうか。
(イザヤ書 35章6~9節) そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり、乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは、葦やパピルスの茂るところとなる。そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ、愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず、獣が上って來て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み
そして私は再び、棕櫚の枝を振るうその殉教者たち、歓喜の中で彼らの勝利を祝う群衆の幻を見ました。
(イザヤ書 35章10節) 主に贖われた人々は帰って來る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと樂しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。
その後、エゼキエルは聖霊から教えを受けるため祈り、私の聖書を無作為に開きました。エリヤを天国へ導いていく火の戦車に関する御言葉でした。
(列王記下 2章11節) 彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。
美しいです。本当に美しいです。私がこれを終えようとした時、主は再び言われました。
「そうだ。6月にことが延期されたのには、かなりの理由があるのだ。それもとても素晴らしい理由なのだ。あなたたちの忍耐と辛抱によって、数十万の人々が回心し、彼らの人生を私に捧げているのだ。私の愛する者たちよ、しかし、私の刈り入れはまだ終わったのではない。数えきれないほどの魂たちが、私の元に戻ってきているのだ。あなたたちもこの刈り入れに一緒に参加しているのだ。なぜなら、あなたたちは祈り、忍耐、そして辛抱を通して、私の願いが叶うよう私を支え、擁護しているからだ。だから、遅れることによって疲れないでほしい。これもまた天国であなたたちの報いに加えられることを知ってほしい。」