コンテンツにスキップ

405. 私はあなたと共に踊り歌うことを喜ぶ

私はあなたと共に踊り歌うことを喜ぶ

2015年11月13日

私たちの主の祝福と尊い愛が私たちと共にあります。今夜は本当に美しいメッセージがあります。もし後ろからいびきの音が聞こえたら、それは山に住むライオンのような私の猫ユダです。彼はいびきをかくのが好きです。彼をベッドに寝かせられませんでした。ユダは私たちと共にスタジオで眠るのが好きです。

礼拝後、私は主を待ちました。最近私は本当に主が恋しかったです。私が主のメッセージを受け取ることに忠実であろうとしたため、主はそのように甘い方法では現れてくださっていませんでした。本当に主と踊ったり、霊の中で私が見られ、実際に感じられるような方法ででした。最近主はそう現れず、私は本当にその方法が恋しかったです。しかし主が私にそのような姿を隠されたとしても、その恵みが依然として他の魂たちに宿っていることを知っています。本当に主を見るべき魂たちにです。私は主がそれを苦難として用いていると知っています。言い換えれば、シモンの十字架のようにです。だから私は忍耐しようと努めます。しかし結局私は今夜泣き叫び始めました。主があまりにも恋しかったからです。

私が待っている時、私はこの声を聞きました。「驚くべきだ。」 ああ、この言葉は二、三度繰り返されました。「驚くべきだ、驚くべきだ。」

そして主は語り始めました。

「これはあなたと私の献身的な花嫁たちがいかに驚くべき存在であるかについてだ。ただ驚くべきだ。このような賛美の歌詞のようにだ。『驚くべき、助言者、平和の君、私の素晴らしい姿を反映している。』あなたたち皆は助けが必要な者たちにとって父であり母だ。Terry MacAlmonが私の花嫁たちに様々な形で現れる素晴らしい属性を歌った。」

「あなたたちが誰かと時間を過ごす時、彼らを考える時、彼らと共に生きる時、あなたたちはただ彼らと同じように似ていく。それが私が驚くべきだと言った理由だ。私の花嫁たちの属性は彼らの心の家、彼らの幕屋に誰が住んでいるかを示す。だから本当にあなたたち一人ひとりがそれぞれ受けた召しに従って、様々な方法で私を反映している。素晴らしいではないか?星がちりばめられた様々な宝石のようにだ。私にとってこれは本当に驚くべきことだ。」

「この巨大な人類の集団の中にここに少し、あそこに少し光が存在する。彼らは互いに遠く離れているが、時には小さな星団のように互いを励まし、協力している。このチャンネルであなたたちがそうしているようにだ。」

「しかし私が人類を眺める時、人類はほぼ全てが暗闇だ。彼らは依然として霊的に死んだ者たちの道を歩んでいる。おお、数え切れないほど多くの人々が死んだ者の道を歩んでいる。そして私は光を見つけることを切望している。そして光となることを切望する者たちの中に私が入って完全に住まうと、彼らは自分の周りにいる全ての人々にとって祝福となる。だから私は『驚くべきだ』と言う。それが私が聖書に記されている通りあなたたちに向かって私が歌う理由だ。」

(ゼファニヤ書 3章17節) お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び樂しみ、愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって樂しまれる。

はい、主よ。私が歌う歌を主が歌われるのを何度も聞きました。主が私に直接歌い返してくださるのではありません。私自身がそんなに素晴らしいとは信じられません。

「なぜそうではないと言うのだ?私は彼らを信じている。あなたが私に向かって成し遂げた発展によって私があなたによって歌っているではないか?私はあなたによって歌うことが嬉しい。クレア。私を疑わないでほしい。」

「すみません、主よ。」

「おお、疑いは私が私の花嫁たちに伝えたい数多くの驚くべきことを阻んでしまう。謙遜を装おうとすることは無益なことだ。その魂がどんなに警戒しようとも、高慢は常にやって来るものだ。何かがあなたを圧倒するまでは、あなた自身が謙遜になることについてあまり心配しない方がいい。」

「私はあなたが私の観点から歌う時それを本当に好きだ。あなたが他の人々に私の優しさを伝えたいその歌を私は愛している。そうだ。そのような歌は私にとってとてもとても特別だ。」

「痛い、主よ。痛いところを突かれます。」

「知っている。」

私は沈黙しました。私の心は痛み、涙が目を覆い始めました。歌を歌い、音楽をすることがあまりにも恋しかったからです。そしてもちろん主は私の心を読みました。

主がささやきました。「クレア、まだ時が来ていない。しかし私は約束しよう。あなたの時が来るだろう。」

私は泣き始めました。私は音楽があまりにも恋しかったです。人里離れた山の、小さくて可愛らしいスタジオ、谷が見える場所で生きることが私の望む暮らしでした。祈りの生活を送り、音楽を作曲し、青々と飾られたシダ植物でいっぱいのうっそうとした谷と山並みをハイキングしながら、というものでした。はい、私は本当に夢を持っています。たとえその夢を叶えられないかもしれないけれど、私は今YouTubeでしていることを愛しています。実際私の心には依然としてまだ実現していない夢があるため、私は自分自身を騙しているのかもしれません。

「おお、そうだ。私の愛する者よ。私もあなたの夢を知っているし、あなたは誰がその夢の主であるかを知っている。あなたが想像するその何一つもただあなただけのものではない。私たちはあまりにも近いからだ。私はそのような夢をあなたの未来のために植え付けた。そのことが実現するまでには少し時間が残っている。携挙はその夢たちに全く影響を与えない。それゆえ携挙に関する考えはやめてほしい。あなたたち皆だ、私の花嫁たちよ。」

「あなたが実行する前に、あなたがどう反応するか私がすでに知っていることをあなたは知っているのだ。そうではないか?だから、私があなたがたの夢を邪魔する携挙に関するすべての考えは、やめてほしいのだ。なぜなら、私はあなたがたが何を考えているのか知っているからだ。」

「はい、私はそれにほとんど慣れています。私は時々主をだまそうとしますが、それは不可能なのだと知っています。」

「私の愛する配偶者よ。あなたはそのスタジオを見た。そうだ、あなたはそれについて夢を持っている、クレア。そして、これは私の夢と同じだ。まったく同じだ。岩の上から荒々しい谷を見下ろす家だ。青い木の枝の上で鳥たちがさえずり鳴く、そんな高さにある家だ。あなたの好きなすべての生き物があなたの窓の外にいる。大きな鹿と小さな鹿、ライオンと熊が皆で天恵の環境そのままを楽しく享受している。そうだ、私の愛する者よ、その夢は現実だ。もしその夢が遅れるなら、待ちなさい。」

(ハバクク書 2章3節) 定められた時のために、もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず來る、遅れることはない。

「主よ、私がここで聖書の御言葉を引用するのを非難する人たちがいるのを、ご存じですよね。彼らは聖書が書かれた時、主は別のことを言われたのだと私を非難します。」

「何だと?私が繰り返して話すことが許されないだと?おお、あなたは必ず彼らに言ってほしい!私は天国にいらっしゃる私の父なる神様から繰り返して話すことを許されたのだ。とにかく、私が望むだけだ。」

私は笑いながら言いました。「もし彼らが私を信じなければ、どうしますか?」

「うむ、それなら彼らにとっては大きな不幸だ。なぜなら、私は私の民を励ますために御言葉を多く引用するからだ。彼らは信仰成長の機会を逃しているのだ。」

「主は面白い方です。」

「私は真剣に話している。私が聖書以外に個人的なレベルで彼らに話すことができない、ということ自体が彼らにとっては大きな損失なのだ。私はあらゆる時代を通じて私のすべての民にこう語りかけてきた。」

「主よ、それではこの部分はどう解釈すればいいですか?」

(ペトロの手紙二 1章20節) 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。

「聖書のその残りの部分を読んでほしい。」

(ペトロの手紙二 1章21節) なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。

「さあ、見なさい。私は今、あなたに個人的にこれを話しているのだ。この御言葉は私から出た、生きているものなのだ。私が言ったように、私は繰り返して話すことを許されたのだ。」

私はくすくす笑ってしまいました。

「おお、クレア。私は人々が私を箱の中に閉じ込めることにうんざりしているのだ。私が人間の宗教と人の見解に従って操作されることに反対する理由がここにある。たいていその意見は、何らかの利益を守るために使われる。これは常に紙の箱の中の閉ざされた場所で終わるのだ。行き止まりだ。しかし、私が戻れば、私は純粋な本質的信仰を回復させるだろうし、操作は許されないだろう。残念だが、あなたはあなたに反対する者たちからの沈黙と平和を見るまで待たなければならない。」

「待つだけの価値があることですよ、主よ!」

「しかし、それまで私を信頼してほしい、クレア。たとえ天国の小さな部分が遅れるとしても、私はあなたのためにそれを建てるためにこれを心に留めている。」

「さて、先ほどの話に戻ろう、私の花嫁たちよ。私はあなたたちに向かって歌を歌っているのだ。そうだ、優しく、そして喜んで歌っている。この暗闇の海のような人類の中で、あなたたちは丘の上に建てられた灯台のような存在なのだ。世の残りの人々が自分たちが得られる物質的な所有によって喜び浮かれる間、あなたたちは私を得たことによって喜んでほしい。これが私をどれほど喜ばせるかあなたたちは知っているか?」

「私の愛する者たちよ。住宅でいっぱいの谷を見下ろしていると想像してほしい。しかしその村に明かりが一つもないと考えてほしい。その谷へ歩いて入り、一軒一軒の家とテントを見て回ったけれど、ただ暗闇しかないと想像してほしい。あなたが歩き続ける時、光がなく、あなたの心が痛む。それでも、一軒一軒通り過ぎる度に、暗闇しかないのだ。その時、あなたが小さな小屋に着き、その中に一人の人がろうそくの光の前に座って聖書を見て、一人で神様がどれほど素晴らしいかを考えているとしよう。そのようにして、私がついにその人を見つけたら、あなたは私が何をすると思うか?」

「入って一緒に食事をなさるでしょうね?」

「そうだ!私は喜んでその家のドアをノックし、『入ってもいいか?』と尋ねるだろう。すると彼が喜んで答えるだろう。『お待ちしておりました、主よ!』」

「しかしこのように想像してほしい。ランプの明かりの前で勉強している人たちがいたとしよう。私は彼らに大声で言う。『あなたたちが私の御言葉を学び、私があなたたちにしたことによって私に感謝しているのを見て、私はとても嬉しいのだ。私たちは話すことができるだろうか?私があなたたちに向かって歌を歌ってもいいだろうか?私があなたたちと一緒に踊ることができるだろうか?これは聖書に記録されているのだ。』」

「しかし彼らが顔をしかめて言うには、『神様は人とそのようなことはなさいません。イエス様の御名によって命じる、霊媒の霊は退け!』と言って私の目の前でドアをバタンと閉めてしまったら。」

(ゼファニヤ書 3章17節) お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び樂しみ、愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって樂しまれる。」

「しかし、私はゼファニヤ書3章17節で、『主はお前のゆえに喜び樂しみ』と言ったのだ。これは文字通り、『踊り、飛び上がり、喜びによって、くるくる回ること』なのだ。私はあなたによる喜びで、歓声を上げ、踊るだろう!」

「クレア、あなたは私が拒絶されたときの気持ちを理解できるだろうか。さらに深刻な問題は、この誤解している魂から、間違った教えが流れ出し、他の人たちが自由に私と共にいるのを妨げる。そして、このようなことをする私の権利を擁護しようとする者たちが、迫害を受ける。まさにあなたのようにだ。それゆえ、私の御言葉を研究するだけでなく、私を招いて祝う者たちを見つけたとき、おお、これは私にとって驚くべき、驚くべきことだ。」

「私がようやく主の言葉を理解したようです、主よ。」

「これが私があなたに言うことの全てだ。私の愛する者よ。あなたが今していることを続けてほしい。あなたは私に大きな喜びをもたらした。そして、このチャンネルで私の声に耳を傾けた花嫁たちもまた、あまりにも『驚くべきだ』。なぜなら、私は私を追い出した者たちよりも、私の声に耳を傾けた花嫁たちの中に、私がより満たされるように住むことができるようになったからだ。」