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406. 主の内に純粋な生活

主の内に純粋な生活

2015年11月14日

主は皆さんとともにいらっしゃいます。主はエゼキエルに、豊かな生活についての美しい教訓をお与えになりました。世ではなく、イエス様に従う豊かな生活。これはエゼキエルの文章から直接引用したもので、皆さんにこれを読み聞かせながら、今日のメッセージを始めたいと思います。

「こんにちは、主よ。今日、私が少し眠れるようにしてくださって、ありがとうございます。私には本当に睡眠が必要でした。今朝、私たちの時間は本当に楽しかったです。私がこんなふうに文章を書くのは本当に久しぶりですね。これで、主の御声を聞いて分別することが少し楽になったようです。」

「なぜなんだろう?」

「よく分かりません。おそらく、私が主の御声を聞きたかったからではないでしょうか?」

「そうだ。多くの魂が私を訪れるが、私が彼らのためにそこにいるという事実を信じる者は多くない。」

「私は主を信頼する人々がとても多いと思っていました。偉大な信仰を持つ魂がたくさんいるのではないでしょうか?」

「プログラムや動画であなたが見たものはとても説得力があるが、私がここで言っているのははるかに崇高な本質に関するものだ。実際に魂の奥底にあるものだ。」

「この御言葉を聞いて、私は少し不安になりました。私の魂は真にどこへ向かっているのでしょうか?」

「あなたの魂は進行形だ。ほとんどの人がそうだ。ただ、私はあなたの努力を見ていて、あなたが努力する姿によってとても喜んでいる。私が求めているのは、まさにこれなのだ。ここにあなたの真の姿が映る鏡がある。恐れや不安、高慢や自尊心のような、どんな外見であろうと関係なく、あなたが真に誰であるかという絶対的な真理がそこには根ざしている。あなたも聞いたことがあるだろう?謙遜は全てに対する真理だ。ぴったりの言葉だ。」

「実際にあなたの魂の状態をあなたが見るのはとても難しいことだ。だが、時が経つにつれて、多くのことが明らかになる。幼い子どもが言葉とその意味を理解し始めたときから、その子どもは、自分が見て、感じて聞く全てのことを記録するようになる。まるで磁石が鉄粉を引き寄せて、鉄粉をかぶるかのようにだ。子どもはこれらのことを自分の親たちに見せ始め、親たちはとても誇りに思い、喜びながら駆けつける。そして録音機やカメラを持ってきて貴重な瞬間を記録するものだ。全ての人は、初めて聞いた単語が合わさって、このような小さな音が生み出されるのを聞くことになるのだが、これは本当に驚くべき経験だ。本当に驚かざるを得ない経験なのだ。」

「私はあなたたちがその時期に与えられる特別な贈り物を大切にし、愛らしい喜びを経験できるように、この幼い頃の時期を創造した。だが、このような乳幼児期とよちよち歩きの時期が終わると、単語が形を成し、意味を持ち始める。あなたはこの全てのことが、あまりにも明白で、ただ日常的なことだと考えていることを私は知っている。だが、忍耐して私の論理についてきてほしい。まさにここに私が言いたい核心がある。」

「少しこれを考えてほしい。さて、子どもは莫大な量の情報を吸収し、認知能力が向上するのと同時に、自尊心も育っていく。あなたはあなたよりはるかに大きな誰かが、あなたを厳しく見つめ、厳しく『だめ、だめ、いけない、悪い子だ、いけない!』と言うまでは、決して『悪い』という概念を知らない。この瞬間、あなたの純粋で無垢な小さな心は驚き、衝撃を受けることになる。初めてあなたは、混乱、傷つき、苦痛を感じるようになるのだ。その後、痛いほどの視線や硬直した声はあなたを恐れさせ、あなたたちはこの全てのことを『悪い』という単語と結びつけるようになる。あなたたちがどのような親、どのような兄弟、どのような家族に出会い、感じるかによって、その恐ろしい概念が永遠に脳裏に刻み込まれることになる。あなたたちの小さな心と精神、感情、そして、しかもあなたの魂にまでだ。」

「さて、あなたが簡単にこれらの要因をたどっていくと、あなたは、いかに多くのものがあなたにまとわりついていたかを知ることになる。これらのものは、あなたの本当の、深い内面にまとわりついている。あなたが健康な環境、多くの愛と支えに満たされた場所で育つのか、それとも愛のない環境によって、家族の中で自分自身を守ることを学ばなければならなかったのかによって、あなたは、あなたに対する他の人々の行動に基づいて、あなた自身についての考えを形成し、育ち始める。多くの愛と養育を受けて育った魂たちは、実際の自分の姿よりも自分自身をより大きく考える。一方、そうでない人々、つまり、ひどい扱いを受けて育った者たちは、誇張され、高められた生存感覚を素早く形成していく。」

「私はこの全てを総合し、あなたに介入して、真にあなたが誰であるか、あなたの魂の奥底に何があるかを見せようとしている。私があなたを初めてあなたとして創造した、まさにその時の『あなた』のことだ。私はその鏡だ。そして私は、私の全心をもって、あなたが私にとってどれほど美しく、大切であるかを示したい。あなたの本来の姿から、その全ての恥と咎めを剥がし取ることが、私の最大の願いだ。その全ての呪いを消し去り、私の純粋な愛の心から出た、生きている真理の御言葉、純粋な命と光に変えたいと願っている。私があなたを創造した時と同じ純粋な愛。あなたが私の内にある時と同じ純粋な愛へと変化させたいと願っている。だから、罪悪感はもう十分だ。」

(ヨハネによる福音書 10章10節) わたしが來たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。