コンテンツにスキップ

407. コミュニティの暮らしと自分だけのために生きる人たち

コミュニティの暮らしと自分だけのために生きる人たち

2015年11月15日

良い朝です、皆さん。主の平和と喜びが、今日皆さんと共にあります。私に素敵な手作り石鹸とキャンディーを送ってくださった愛らしい方々に、感謝を伝えたいです。お二人が送ってくださいました。それらが混ざっていて、誰が何をくださったのかは分からなかったですが、少し時間を取って、このことについて感謝をお伝えしたいです。それは本当に祝福で、私たちもそれを他の人たちとも分かち合いました。ローズマリーの香りがする炒ったナッツは、本当に素晴らしいものでした!ありがとうございます、皆さん!

今から話す一つの出来事と、主が今日私たちに話そうとしておられることが、偶然同時に発生した出来事だとは思いません。レイチェルは、私たちの向かいの家に住んでいて、引っ越さなければならなかった姉妹です。 今、彼女には暖房が必要です。

彼女は、非常に困難な状況にあります。彼女が転倒して、肩の複数箇所が折れました。肩は再びくっつきましたが、回復は依然として遅い状態です。彼女は療養施設に留まることを拒否しました。そして、彼女は自分が住んでいた丘の上にある移動式住宅に戻りたいと願いました。私たちは、彼女に十分な暖房をしてあげようと努めています。皆、彼女のために共に祈ってくださるよう願います。彼女に十分な暖房が供給されるように、私たちはできることをする必要があるようです。

私が祈りながら主を待っていた時、主はコミュニティについて話したいと思われました。主は話し始められました。

「あなたたちみんなは、この世に目的を持って生まれた。あなたたち各人は、他の人が持たない、自分だけの才能と特性を持って生まれた。あなたたちはそれを知らないのか。誰もが完全に互いと同じではないことを知らないのか。あなたたちがそれぞれ異なることが、私にはどれほど喜ばしいか分からない。そして、あなたたちがそれぞれの能力で互いの必要を満たすことで一つになる時、私がどれほど喜ばしいか知っているか。」

聖書にも、このように記されています。(コリントの信徒への手紙二 8章13~15節) 他の人々には樂をさせて、あなたがたに苦勞をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」と書いてあるとおりです。

「この世は、とても孤独な場所だ。あなたたちが私に属しているという証拠の一部は、あなたたちができるどの場所でも、善い行いをすることだ。これを通じて、全ての人々が、あなたたちが私のものだと知るだろう。私が誰も諦めないということをあなたが語り、あなたもいかなる人も諦めず私のように行動する時、これによってあなたが正しいことを示す。」

「私の花嫁たちよ。私は、あなたたちの周りに、あなたたちが出会えるような人々を置いた。しかし、あなたたちの社会は、あまりにも個人的な利害関係にばかり陥っている。あなたたちが、あなたたちの周りにいる人々に必要なものが何かを私に尋ね、私の霊の声に非常に細かく耳を傾けない限り、あなたたちもこのような個人的利害関係という固い幕を取り払うことができない地点に到達する。」

「これは、利他心と従順、そして忍耐に関する訓練だ。あなたたちの個人的な利益から目を逸らし、他の人々の必要を満たすために時間を割くことは、私の弟子たちの特性の一つだ。あなたたちの社会が、どれほど薄っぺらいか分からない。そして、人々を孤立させるための敵の陰謀がどれほど狡猾か、分からない。そうだ。サタンは、弱く孤独な人々を孤立させるための操作に非常に長けている。敵たちは、そのような者たちを希望がないと感じさせて、彼らを私から引き離して、食い尽くす。」

「しかし、『あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい』と記された御言葉の通り、兄弟に対する愛と憐れみの心によって、あなたたちが彼らの必要を満たそうとするならば、あなたたちは私に代わって行動している、それ以上のことをしているのだ。」

(マタイによる福音書 25章31~32節) 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて來るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、

ここで少し、皆さんの中で、どれほど多くの方が羊と山羊の違いを知っておられるか分かりません。私たちが羊とアンゴラ山羊を飼っていた時、私たちは彼らについていくつかのことを気づくことができます。山羊は非常に攻撃的です。山羊たちは、食べ物、穀物、そしてアルファルファ(植物の一種)の前では非常に攻撃的なので、もしできることなら、羊を頭で突くでしょう。山羊たちは非常に攻撃的ですが、羊たちは温順で、ためらい、容易に後ろに下がる傾向があります。

(マタイによる福音書 25章33~40節) 羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

「さて、この時点で、私はあなたたちに、あなたたちの周りにいる人々の状態を振り返る課題を与える。彼らがあなたたちの兄弟であろうと姉妹であろうと、母親であろうと父親であろうと、隣人であろうと学校の同級生であろうと、だ。私は、あなたたちが自分たちのやり方を離れて、彼らに善を行ってほしい。今この瞬間、あなたたちは天国で自分たちがどう見えるかについて、ほとんど知らない。天国で、あなたたちのすべての行いのうち、自己利益を追求する動機から行ったことは、服が剥ぎ取られるように、消えるだろう。その時、あなたたちに残るのは、兄弟に対する愛と、他の人を思って行った行為だけだ。ここで少し立ち止まって、私が言うことをとても鮮明に描き出せるだろうか。絶対的な必要によるものではなく、あなた自身とあなた自身の欲望のために行ったすべてのことは、あなたたちから取り除かれるだろう。そのすべてのことの利益は、そのように消えるだろう。」

「これが、結婚披露宴の客が宴から追い出される理由だ。簡潔に言えば、彼は自分自身のために生きていて、弁解の余地がないということだ。」

「だけど、主よ、それは行いによって義とされるということじゃないですか。」

「ある意味で、あなたはそう言えるだろう。だけど、覚えておいてほしい。私は救いや義認について話しているのではない。救いと義認は、信仰に依って決まる。ここで私は、序列と地位に関して話している。天国には、多くの層と次元がある。天国には、いわゆる『外の暗い場所』と呼ばれる場所がある。そこは、救いは受けたけれど、世で何も行わなかった人々のために用意された場所だ。これは、当然の論理ではないだろうか。クレア。私を信じてほしい。これが正義であり、正しさだ。あなたたちが私にもっと似てくるほど、あなたたちは私の栄光の玉座に近づくことができるだろう。」

「だけど、主よ、外の暗い場所では歯ぎしりがあるだろうと、おっしゃいませんでしたか。」

「そうだ、確かにそうなるだろう。あなたたちの人生での利己心に対する自覚を目の当たりにすることは、最初はとても苦痛だろう。これは、あなたたちが避けたり隠れたりできる性質のものではない。これは天国で、すべての人にとって非常に明白になるだろう。誰でも自分だけのために生きた人たちは、自分たちの裸の状態を見ていない。それゆえに、これは最初に、彼らにとって非常に衝撃的だろう。私の愛する者たちよ。あなたたちが人生で善い行いをする良い習慣を積み重ねていくなら、あなたたちは自分たちの裸の状態について、盲目になっている人々の状態を告発している。あなたたちがより長く苦痛を耐え忍び、おおらかに憐れみを施すほど、彼らはますます心に刺されることになるだろう。クレア、私が何度もあなたに、自らの心に刺される時間を与えたので、私はあなたがこれを感じていることを知っている。」

「世の中は、めちゃくちゃだ、クレア。人々から褒め言葉を受けるほど、これは天国で恥となる。だけど、他の人たちのために時間とエネルギーを使うこと、まるで世間の目から見ると、時間とエネルギーを無駄にしたように見えるようなことが、天国では褒め言葉を受けることになるだろう。人間の良心は、ひどく変形している。だから、不適切に成長してきた人々が善と悪を区別するためには、ただ私の恵みを通してのみ可能だ。」

「あなたたちは私の被造物の中で最も精巧な存在だ。私の民よ。あなたたちが私にもっと似てくるほど、天国でのあなたたちの報いは大きい。私は、あなたたちに知的な能力、理性、そして自由意志を与えた。あなたたちが他の人たちにもっと関心を持つほど、今も、来るべきことにも、あなたたちに対する私の関心と報いはより大きいだろう。その才能を持って、前に進んでほしい。私の愛する者たちよ。最後まで勝利のために走る人たちのために、冠が待っている。」

「私はすぐに行くだろう。あなたたちに残された時間を最大限に活用してほしい。」

私はここで、二つのコメントを紹介したいです。一つは私が定期的なリスナーにしたもので、もう一つは、ある定期的なリスナーが「証人」として、イエス様がここで教えられた外の暗い場所について語ったものです。

J-Manに対する私の回答:ここは、救いは受けたけれど、他の人たちのために何も行わなかった人たちが、行く天国の場所です。Jesse duPlantisの体が天国へ引き上げられた時、彼がこれを見ました。人々は、そこが天国だったので喜んでいましたが、彼らは自分たちの利己心が自分自身にどのような影響を与えたかを知らなかったので、それを調整するための困難な期間が必要でした。彼らがそこから抜け出せるかどうかは、分かりません。私が知っていることは、皆さんにお話ししたことがすべてです。

Dhalinのコメント:「外の暗い場所」に関するこの教えはChuck Misslerの教えと一致します。Chuck Missler、「外の暗い場所」がすなわち地獄を意味するものではないと言っていました。このような教えが他の場所で説かれているのを、ここで初めて見ます。コイノニア・ハウスにあったある動画資料、千年王国神殿に関するものの中で、Missler博士は、聖書で言われる「外の暗い場所」は、神殿から遠く離れた場所だと話していました。そして、「泣きながら歯ぎしりがあるだろう」という表現は極度に失望した状態を表す伝統的なユダヤ人の表現で、多くの人が地獄での苦痛によるものだと誤解していると言っていましたね。彼は、地獄を描写する時、地獄は常に「火の池」と表現されていて、問題のこの箇所では、いかなる「池」も言及されていないので、これは地獄を指しているものではないと話していました。クレアの教えは、この事実を裏付けています。ついに、これを言及するもう一人の人を知ることができて、嬉しいです。