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411. 不信の放水門を開けよ

不信の放水門を開けよ

2015年11月21日

私たちの主イエス様の祝福と平和が、あなたたちと共にあります。このメッセージは放水門に関するものです。放水門は、水路や小川のようなものの水の流れをせき止めるために使われます。放水門を建てると、水が逆流し始めます。洪水防止門も同じ原理です。主は、このようなたとえを通して、私たちが主のために人々に近づく際に、対処すべきことの一つについて説明なさいます。主がくださったメッセージです。

「ああ、主よ、今朝は心がとても苦しく乱れています。スペインとその向こうの地域の、人里離れた砂漠地帯の人々が、孤立していて、ラジオを通してのみコミュニケーションができるそうです。そこに私の心が集中します。主よ、私を導き、主が私に行かせたいと願われる場所へと導いてください。彼らのことで私の心が痛みます。」

私が見たのは、砂漠の真ん中に孤立した村でした。そこの住民たちは、残りの地域社会から完全に孤立したまま生活していました。私は、その孤独に深い同情を感じました。

「そうだ、あなたは孤立した人々に対する私の心を読み取ったのだ。彼らの信仰は、攻撃され、非難されやすいものだ。彼らには希望がなく、罪と深刻な麻薬やアルコール中毒に囲まれている。ああ、彼らに希望のメッセージを伝えてほしいと、私がどれほど待ち望んでいることか!私は彼らを捨てていないし、彼らは私に見捨てられたり、忘れられたりもしていない。むしろ、私の心臓は毎日毎日さらに強く鼓動していて、彼らが信仰を維持できるよう、数え切れないほどの恵みを注ぎ込んでいる。そして私は、私の民が彼らのために働くよう呼んでいるのだ。」

「田舎で暮らすことは、非常に破壊的になりうる。それ自体が一連の弱点を持っているのだが、ほとんどは孤立と孤独だ。安全でなく、疑わしいこのような地域には、キリスト教の福音放送さえ届かない場合がある。」

「私の忠実な民よ。何も持たず、教会から離れて罪悪感を抱き、混乱し、不満を感じている魂を探してほしい。彼らは、答えのない問いを抱えて去っていった。今、彼らの多くは、他のキリストを信じる者たちとの関係、私の愛との関係、そして私との関係において、私のもとへ来た。彼らは、最初に私と共に享受していたことと比べ、今、自分たちがどのあたりに立っているのかについて、より多くの疑問を抱いているのだ。」

「兄弟たちの集まりに行くことを諦めた、非常に多くの人々の肩の上に、罪悪感のくびきが置かれ、彼らを押しつぶしているのだ。簡潔に言えば、彼らは食べることができず成長できていないし、癒されることもなく育つこともできていないのだ。彼らは心の奥底から、教会に行くことはただ虚しく、人間を喜ばせるだけの行事に過ぎないと感じているのだ。しかし、それが私の臨在、つまり彼らの命の中に宿る私のダイナミックな臨在を否定するものではないのだ。私は、より大きなやり方で彼らと共にいるのだ。しかし、彼らの大半は、私と共に祈る時間を持たないことで、重い責めるくびきを負っているのだ。彼らは、礼拝が単なる会社の仕事と似ていると考えて、それを避けているのだ。そして彼らは、彼らの祈りが私に聞かれたり、応答されないという偽りの考えに騙されているのだ。そのため、彼らは他の人々のための祈りの重荷を負うことも避けているのだ。」

「あなたたちは、サタンがこのような魂の中にどれほど深く入り込み、悪だくみをしているか、わかるか。致命的な無関心が潜んでいるのだ。彼らは、交わることに失敗したし、私を知り、仕えることについても同様に失敗したと感じている。そのため、彼らは無力感を感じているのだ。私があなたたちに世話をするように言った者たちが、まさにこのような者たちなのだ。彼らはどこにでもいるのだ。そうだ、彼らは隣の家にもいるし、あなたたちがよく行く仕事場にもいる。彼らは、事実上、自分自身について諦めていて、『どうすれば神様の恵みを元通りにできるだろうか』という渇望を抱き続けていながらも、それを抑えようと努力しているのだ。」

「彼らの障害は、偽りの罪悪感だ。教会にいる人々のやり方が、彼らの必要を満たせなかったため、彼らは自分に何か問題があると思い込むように導かれてきたのだ。もちろん、彼らは教会と牧師たちの過ちを見つけることもできるだろう。しかし、合理化している心の裏側で、彼らの心の奥底では、彼らは信仰に対する幻滅、しかも私に対する幻滅までも感じているのだ。」

「彼らは、群れをなして教会から離れていっているのだ。なぜか?なぜなら、私が彼らの目を開き、彼らが教会で感じる虚無を見させたからだ。日曜日に教会へ行き、そこで私に会うのではないのだ。それよりも正確に言えば、私を連れて教会へ行き、そこで私を礼拝するのだ。ほとんどの人々は、この事実を悟らない。そして、もし私がその礼拝と教えに油を注がなければ、彼らは失望したままで教会を去っていくのだ。簡単に言えば、彼らは親密さを渇望しているのだ。神様との親密さは、教えられなければならないものだが、いかなる教会も人々にその親密さを与えることはできない。まさにその場所に、私があなたたちを遣わすのだ。私との親密さを教えるのだ。分別を教えるのだ。謙遜を教えるのだ。彼らが私を渇望するよりも、私が彼らの関心をより多く渇望しているという事実を教えるのだ。私が彼らを知っていて、彼らが立っているまさにその場所で、私が彼らを心から愛している。」

「私の民よ、私に門を開けて、私と和解しよう。」

「あなたたちの中の多くの人が、私との関係を持つためにそれぞれの道を築いた。あなたたちは私の臨在を感じ、私の喜びを感じる。そして、私が喜ばないことも、あなたたちの周りで感じる。私があなたたちを愛し、あなたたちと話していることを、あなたたちは知っている。あなたたちは私の声を聞いているのだ。あなたたちの中で、より多くの人が、私があなたたちとコミュニケーションを取るために、メガホンを使わないことを悟る必要がある。私の声は、あなたたちの心を少しずつ揺り動かし、かき混ぜていく。いったんあなたたちが心の中の不信のダムの門を取り除けば、その声は川のように流れ込むことができる。これを記録しておくことは、その恵みが流れ込み続け、また流れ込み、さらに流れ込むことができるように維持する、重要な方法だ。私があなたたちとゆうに1時間ほどは話せることを、あなたたちは知らないのか?私は毎日、あなたたちに話す、新鮮で新しいものを持っているのだ。」

「あなたたちの中で、聖書や『聖書の約束』のような敬虔な書物から私が油を注いだ読み物を使う者たち。私が適切な御言葉を与えると信じて祈った後に書物を開く者たち。あなたたちは、間違いなく私があなたたちと共にいることを知っている。私は、あなたたちが聖書を開いたり、敬虔な書物を開いたりする度に、それを証明した。これは本当にあなたたちを驚かせたことだろう。私もまた驚く。私があなたたちに話すことによってではなく、不信を打ち破り、命の源である私を頼るあなたたちによって、私もまた驚くのだ。」

主が語られた時、私は自分にこう言いました。『私はそうじゃないのに。』ですよね、主よ?」

「その通りだ。私の愛する者よ。私は、ほぼ確実にあなたに話しているのだ。あなたはほぼ毎日、私に会うためにやってきて、こう思わないか?『主は今日、私に話してくださるだろうか?』私がそれを毎回証明し、また証明する時、私は豊かな知恵をあなたと分かち合うために、まさにここにあなたと共にいるのだ。しかし、あなたが自分自身でふさわしいと感じる時ではない。油を注がれたと感じる時でもない。私の霊が非常に満たされていると感じる時でもない。私を不快にさせる何かをしたと感じる時でもない。そういったことには、私があなたに毎日話したいという望みは全く関係ないのだ。」

「クレア、いったんあなたが不信のダムの門を打ち破れば、いったんあなたが最初の数節の御言葉を受け取るならば、そうすれば、この全ての命の御言葉は、あなたから溢れ出てあふれるだろう。なぜなら、私があなたのうちに生きていて、私がまさに全ての命と全ての知恵の源だからだ。」

「したがって、魂を回復させ、私のもとへ導くあなたの働きの中で、最も重要な部分は、そういった不信のダムの門を開くことだ。私が見る、彼らの価値を確信させる必要がある。彼らの人生は、非常にユニークで重要な目的があることを確信させる必要がある。私は彼らが用いられることを望む程度まで、彼らを使うのだ。」

「もし彼らが母親なら、私は彼らが夫と子供たちを愛し、子供たちが当然進むべき道へと導けるよう、彼らを使う。もし彼らが企業家なら、私は彼らが出会う実業家たちの前で、彼らが証人としての人生を送れるように機会を与える。彼らが成熟していくにつれて、私もまた彼らの前に、忠実さと正直さへの挑戦を与える状況をもたらす。これは通常、彼らに多くの犠牲を要求する。これら全てのそれぞれの小さなシナリオの中で、信仰が展開し、育っていくのだ。依然として成長を最も阻害する障害は、彼らの心の奥底にある自分自身に対する考え、そして彼らが私の弟子としての資格がないという、偽りの考えだ。まさにこれが、彼らと私の親密さを遮る。」

「これは、なんと信仰を殺す毒素なのだろう!私は、あなたたちに資格があるから呼んだのではなく、十字架上での私の献げ物を信じさせるために呼んだのだ。私が神殿の垂れ幕を裂き、至聖所を現した時、私の恵みはすでにあなたたちにとって十分だった。あなたたちが私と交わり、親睦を交わす資格が十分になったのだ。これは大きな挑戦だ。世間が継続的にあなたたちの価値を貶めるだけでなく、敵があなたたちの思考を妨害し、鉄の棒でできた罪悪感のくびきを強化させているからだ。この罪悪感のくびきは、永遠に彼らの頭の中の思考を追いかけ、彼らが祈る時に私に正直に話すのを妨げる。そして、まさにこれが、私があなたたちと出会う秘密の場所を閉ざしてしまうダムの門となる。」

「ダムの門を開けてほしい。私のしもべたちよ、あなたたちは召しを受け、選ばれたのだ。そうだ。主の道を用意してほしい。ダムの門を開けて、全ての人々が私の甘く柔らかな愛の中で、私と和解するようにしてほしい。ただ、彼らのありのままの姿で、私と和解するようにしてほしい。」