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490. 誠実さ

誠実さ

2015年7月27日

「わたしの器の中で、わたしが最も価値あると見るものの一つは、誠実さだ。真理が行くところには、振動がある。非常に小さな振動だが、力がある。『真理はそれ自体で油注ぎを伴う』という言葉は、事実だ。あなたたちが真理を語る時、振動波は一人の魂の心の奥深くへと入っていく。そこで根を下ろし、決して去らず、その人の一部となる。」

「わたしのすべての器が、飾り気なく誠実になることを望む。しかし、これには支払うべき費用が伴う。幼い頃からあなたたちは、弱点を隠し、強く完璧な印象を与えるように教えられてきた。その心は柔らかく、傷つきやすい存在でありながら、このような自分を守るために飾り気を作り、厚い壁を築くように育てられてきた。これがこの社会の生存方式だ。このような生存方式は、この地における神の国とは何ら関係がない。あなたたちは欠点の多い人間であり、神ではない。あなたたちが欠点を隠すなら、あなたたち自身と他の人たちの霊的成熟の機会を、断ち切ってしまうことになる。」

「欠点が公開された時、欠点は手術台で治療されなければならない。その欠点に対して、他の人たちは耐え難く感じるだろう。その欠点が、引き続き傷を与える可能性があるからだ。わたしは、その欠点を公に解決していく。そしてあなたたちも同じようにすることを望む。人々の間で、強固な結合がない時、あなたたちは島のようになり、隠され、暗く、恥ずかしく、曖昧で、閉ざされてしまう。この状態が、現在の世の中の社会の姿だ。天国はそうではない。天国では、すべての考えが公開され、すべての人たちに見せられる。同情が満ちていて、何かが足りない人を慰めるために、おおらかさと慈悲が押し寄せる場所だから、そうなのだ。」

「主よ、私が天国を考える時、私たちは何ら欠点がないものだと思っていましたが、違いますか。」

「そうではない。足りない点が存在する。天国であなたたちは、継続的に成長すべき領域を持つだろう。理解と深さにおいて、継続的に成長するだろう。あなたたちが決して持つことがなくなるのは、罪だ。」

「主よ、理解するのが少し難しいです。なぜなら私はいつも、天国では私たちが完全になると聞いていたからです。」

この言葉を言った後、私は諸国を癒す命の川が記憶によみがえりました。ですから、明らかに天国で足りないものがあるのだろうと思いました。そこにまさに癒しが必要なのだと知ったのです。

「わたしの愛する者たちよ、天国では、あなたが質問しようとする時、すべての知識が知らされるだろう。しかし、知恵は得られる属性がある。知恵を開発するには、時間と経験が必要だ。この地では、知恵が本当に多く不足している。それぞれの魂は、より多くの理解と愛のために、無限の能力を持つ。この領域は、求めによって幾層にもわたって、大きく開かれるだろう。求めは、一人の魂が何かについて渇望を感じる時に発生する。天国でこの求めと渇望は、常に愛と癒しと関連している。天国のすべては、愛をその根本的な動機として成し遂げられる。」

「機械や建築とエネルギーのようなものはどうですか。」

「そのようなものが存在する。そのようなものたちでさえも、命を豊かにし、支援し、改善するための動機を持って始まる。これらも愛から流れ出る贈り物なのだ。」

主がこのお言葉をおっしゃった時、私の心の中に一つの御言葉が思い浮かびました。(コリントの信徒への手紙一 13章8節) 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、

「愛は、尊い価値を持つ粒子だ。他のすべてのものは、愛に従属する付随的なものだ。天国の動機と天国を維持する力は愛だ。愛をその根源に置かないものは、そのどんなものも天国では発生しない。科学者たちが分離し、捉えようと努めるその粒子こそ、愛なのだ。科学者たちにわたしは言う。『愛は、決して捉えることはできない。なぜなら、愛は神に属するものであり、神は決して捕らえられないからだ。あなたたちは、あなたたちの時間を無駄にしているだけだ。』わたしは、そのようにデザインしたのだ。天地創造の時から、人間の自由意志が堕落することをわたしは知っていたし、ついに今のレベルまで落ちることを知っていたので、このようにデザインしたのだ。」

「再び、誠実さと透明さと弱さへと戻ろう。このチャンネルであなたたちに望むのは、公開性だ。実際にこれは安全だ。無条件の愛を実践に移すことなのだ。公に、一人の人が自分の欠点を告白することができる。これは理解と癒しと結合なのだ。孤立させたり、疎外させたりすることではない。」

「孤立は、人々を気が狂うところまで追い込む。世の中とのつながりの糸を断ち切り、自分の欠点は全く公開されず、癒されもしなくなる。二重の人生を送ることなのだ。他の人に受け入れられるものだけを見せ、他のものは心の中に隠して生きていく。この両面が互いに和解をする時、あなたたちは癒され、完全になる。この両面が互いに分離すれば、これが病となり、成長の妨げとなる。あなたたちは成長できなくなり、前に進むこともできなくなる。あなたは、自分の暗い面を隠しながら、自分を引きずっていくことになる。実際に存在する、これらのことに、あなたたちは向き合い、何ら不足なく起こらなければならない。このような二重の人生は、絶え間なく疲弊させるだけだ。あなたたち自身が存在することと、そのために働くことが、はるかに簡単な道なのだ。」

「このチャンネルでわたしが目標とするのは、魂たちがここへ来て、自分の欠点と自由に戦うことが許され、咎められることなくその問題について努力することだ。そこはまさに愛があふれる場所であり、互いに栄養を与え、強固にする場所なのだ。足を引きずり、弱い者を慰め、世話をする親切な魂たちを見るのは、どれほど愛らしいか分からない。このようなおおらかな慈悲の姿が実際のものとなった姿、これが天国の姿なのだ。まさにこの地にそのような天国が臨むのだ。天国を訪れたすべての人たちは、すべての考えが皆に完璧に見られるという事実を知っている。あなたも天国を経験したように、困難があるところには皆が駆け寄って慰める。」

はい、わたしは天国でそのような経験をしました。わたしは、ある聖なる人たちの家族と一緒に夕食に招かれました。彼らはわたしの考えでは1800年代の人たちのようでした。神様に100%献身された聖なる生活を送っていた人たちでした。私たち全員が食卓を囲んで座っていた時、一人の女性が入って来ました。わたしは彼女の文章を書く腕前に大きな畏敬の念を抱いていました。彼女はイエス様の向かいに座り、わたしはイエス様の左側に座っていました。わたしは嫉妬心を覚えました。部屋にいたすべての人たちが食べるのを止めました。そしてわたしが嫉妬したその女性は立ち上がってわたしのところへ来て、わたしを抱きしめました。すべての人たちがわたしを慰めてくださいました。自分たちも地上で生きていた時、嫉妬を経験しましたが、ここ天国ではそのような感情はもう存在しないと慰めてくださいました。

「そうだ。まさにそれだ。わたしが言いたいのは、まさにそれなのだ。嫉妬は恐ろしいほどにゆがんだ醜い感情だ。その根源から多くの罪が生じる。誰も嫉妬したいとは思わない。だがこのような否定的な感情を持つあなたを非難する代わりに、皆があなたのそばに来て、あなたを慰め、自分たちがその罪と戦ったことについて告白するのだ。」

「もしすべての人たちが自分の欠点を互いに告白し、癒やしの祈りを受けたなら、この地上では病は存在しないだろう。この地上での当然あるべき人生のあり方をわたしはこのようにデザインしたのだ。だが自我と高慢、そして貪欲のために、人たちはこのような生き方を覆い隠してしまい、罪にまみれた隠れた生活を送っている。」