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454. 苦難、霊の世界で実際に起こること

苦難、霊の世界で実際に起こること

2016年7月4日

私たち皆の親愛なる主が、私たちと共におられますようお祈りいたします。私たちがいることで、主が慰めを受け、喜んでおられると信じております。主の懐に宿っておられる皆さん、主は皆さんを祝福なさいます。

すぐに、主のメッセージに入ります。礼拝後、私は主にこのように尋ねました。「おお、あまりにも大切な私の主よ、今日私たちにくださるあなたの心はどのようなものでしょうか?」

「私の子供たちよ、あなたたちが背負っていく十字架には、幾重にも重なった十字架が重なっている。ある時は、ただあなたたち自身のためだけの十字架を、背負っていくことを、私が許す。これは少し軽い十字架だ。しかし、ある時には、実際には非常に多くの場合、特に今のような時に、複数の十字架を重ねて背負うことになる。あなたたち全員は、互いに兄弟姉妹であり、同じ聖霊の波に乗って動いている。」

「一人の魂が、あまりにも大きな苦痛の中にいて、これ以上ベッドから起き上がれないのを、私が見るとき、私はその苦痛の一部を取り、その周囲の人々に分け与え、その苦痛の荷を共に背負うようにする。あなたたちにも、その荷が追加でさらに課されるのだ。そうすることで、苦痛を負っていた魂は、その荷を減らされ、人生に対するそれ以上の希望や情熱が全て失われてしまう状況を避けることができる。真にそうだ。あなたたちも、これと同じように涙の幕屋を通過する時があるのだ。しかし、このような苦痛が永遠に続くわけではない。あなたたちが私を持つとき、このような苦痛は消える。あなたたちが耐えられるだけの十字架を背負い、ついて来るのに十分な方法を、私は常に探し出す。」

「誰も祈ってくれない魂たちが世の中には存在する。その魂のために、私は一部分を取り、その友人と親戚に分け与える。周囲の人々にとっては、それが不便なものとなり、全く楽しくないものとなる。あなたたちにとって世の中は、このようなものだ。」

「これこそが、『私があなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛しなさい』と強調する理由だ。兄弟を愛する姿とは、他の人の荷物に対して『はい』と答え、背負うことだ。これは、あなたたちの栄光となるものであり、このような愛が全ての理解を超越するものであり、クリスチャンとして行う上での最高潮の美しさなのだ。言い換えれば、私があなたたちのために苦難を受けたように、あなたたちも喜んで他の人のために苦難を受けるのだ。あなたたちが私の法を破ることで行なった全ての罪悪を、私が赦すために苦難を受けたように、あなたたちも喜んで他の人のために苦難を受けるのだ。私があなたたちを愛するその愛が、あなたたちがあなたたちの兄弟を愛するその愛へと繋がる、このビジョンがどれほど美しいものか、言い尽くすことができない。これは、天にいる天使たちにとっても驚くべき不思議なことであり、地上に生きる魂たちにとっても不思議なことだ。自らを犠牲にし、他の人を愛するこの姿を人々が見て、その愛がどのような結果を生むかを見たとき、人々は本当に不思議に思うだろう。ああ、美しく、そして麗しい、兄弟愛の驚きよ。」

「このような荷物には、非常に多くの種類がある。私は、あなたたちがこれらに気づくことを望む。生きていれば、時間や資源が大きく再調整される、時間的な遅延のようなことが起こることがある。子供が病気になったり、家族や親戚が病気になったり、愛する動物が病気になったりする時に、そうだ。体に病が生じると、様々な種類の、多様な次元のことが動き出す。病気の人を世話するための不便さ、予期せぬ追加の時間と資源が、十字架のような大きな荷物のように近づいてくる。この時、どんな十字架よりも最も苦痛な十字架は、愛する者の痛みを見て経験する感情的な十字架なのだ。苦痛と苦労の悲劇的なこの感情こそが、あなたたちが背負うことになる最も重い十字架なのだ。」

「私は、容易にこのような荷物を許さない。成熟とアガペーの愛のための鍛錬の旅路において、このような荷物は他の全ての荷物の上に置く。この荷物は、一方では機会となる。私がその魂を創造したときに望んでいた姿へと成長していくとき、その魂にとって本当に必要な瞬間に、この荷物が機会として使われる。世の中は、あらゆる種類の偽りの言葉をあなたたちに語る。特に、苦痛のない幸福な人生を語るが、これは嘘だ。そのようなものは存在しない。全ての人は、各々十字架を背負って進んでいる。あなたたちがそれを見るか見ないかに関わらず、事実がそうだ。人が私と共におらず、私と私の意志を知らないなら、その人は苦難の目的を決して理解しない。ただ、その苦難は何かに対する刑罰としか思わないのだ。」

「これは単純な真理だ。苦難は、一人の魂に、本当に重要なことに焦点を合わせるように教える。苦痛を経験している魂は、幸福と健康がどれほど重要かを悟るようになり、それ以外の人生で無邪気にふざける全てのことは、ぼやけて消えていく。もしあなたたちが、このような肉体の病による苦痛の中にいたとしても、あなたたちが捧げられる最も偉大な贈り物が、その苦痛の中に隠されている。あなたたちが病気で苦痛の中にいるとき、命はあなたたちから多く失われる。この時、私はその命を捉えて、他の魂を祝福することに用いる。あなたたちが私に何も残さず、あなたたちの人生を全て捧げることを決心したのなら、あなたたちはこのような種類の苦難を経験することになるだろう。」

「私が満たされた人生をあなたたちに話したとき、それはこの世の物で満たされることを言ったのではない。私の臨在の満たされることと、私の内に宿る命の喜びの満たされることを言ったのだ。」

「理解できるか。自分を捨て、十字架を負って私に従うようにと、私があなたたちに言った時、私はあなたたち自身に合った、独特の十字架を与えたのであり、その十字架を背負う選択権をあなたたちに与えたのだ。この十字架は、あなたたちに向けられた誹謗中傷であるかもしれないし、あなたたちがした善い行いに対して、誰かが感謝しないことかもしれない。この十字架は、あなたたちの車が故障して生じる不便さであるかもしれないし、銀行で融資を受けようとしたが、拒否されるケースかもしれない。他の人の偽りの言葉によって、困難な状況に陥ることかもしれないし、あなたを本当に嫌っている誰かが、あなたの名を汚そうと試みることかもしれないのだ。この十字架は、休暇や家族旅行に出かけようとしているのに、他の人のため、あるいはその人のために、延期しなければならない状況であるかもしれないのだ。」

「他の人の意図と意志によって、あなたたちの意図と意志が挫折させられる、そのどんなことも、すべてこの十字架の苦難に用いられるのだ。あなたたちをさらに成熟させ、さらに兄弟愛の姿へと形づくっていくのだ。」

「このような過程で、あなたたちが経験する不便さを、私は他の魂に向けられた愛の献げ物として受け取るのだ。この過程での生きて動く霊的エネルギーの運動力と活力について、あなたたちが理解することを望む。あなたたちが何か生産的なものを期待するある日を過ごしている途中で、突然、消耗し、足を引きずるようになる時、その時、誰かが近づいてきて、このように言う場合がある。『今日、私はとても気分がいいです。ついに心から望んでいたことが実現したのですから。』この時、あなたたちは私の法が互いに交差して、実現されたことを目撃することになるのだ。あなたたちの損失を私が取って、他の人に祝福を注ぐのだ。あなたたちが犠牲を負うことによって、他の人が祝福を受けることになるのだ。このようなことは、夫と妻の間で最も多く目撃されるだろう。クレア、あなたとエゼキエルの間で起こったことを、分かち合えるか。」

ああ、主よ、そのようにいたします。これは本当に驚くべき事実です。私はエゼキエルとの間で、このようなことをどれほど多く経験したか分かりません。決して偶然に起こったことではなく、確かに目で確認できる領域で起こることであることを、告白することになります。

スペインのある山で暮らし、働きをしていた時のことを覚えています。エゼキエルは何日もの間、通りで働きをするために出かけており、私は息子と一緒にその山に留まっていました。水タンクに水が入らなければならないのに、パイプの水が凍って、水が流れない状況が発生しました。私たちはそのパイプを分離して、氷を取り除き、乾かしてから使わなければなりませんでしたね。水を受け取る度に、そのようにしなければなりませんでした。山から流れ来る水がパイプを通して家へ入る長いパイプを、そのように火で溶かす過程を経なければ、羊や馬たちに水を与えることはできませんでした。その時、私は座り込んで、涙を流しながら泣いたことを覚えています。そのことはあまりにも大変なことだったからです。

しかし、エゼキエルが家に戻ってきて、私たちに働きの素晴らしい実と、救いの素晴らしい突破、そして多くの魂が救いを受けた話をして、自分の生涯で経験したことのない、驚くほど実り多い旅であったと話しました。その時、私と息子は互いを見つめ合って、笑いました。その一週間は、私たちにとって呆れるほど大きな苦難があったからなのです。

聖書にこのような御言葉があります。(コロサイの信徒への手紙 1章24節) 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。 (新共同訳聖書、シラ2章1節、4~6節)子よ、主に仕えるつもりなら、自らを試練に向けて備えよ。身にふりかかる艱難は、すべて甘受せよ。たとえ屈辱を受けても、我慢せよ。金は火で精錬され、人は屈辱のかまどで陶冶され、神に受け入れられる。病気のときも貧しいときも、主に依り頼め。主を信頼せよ。そうすれば必ず助けてくださる。お前の歩む道を一筋にして、主に望みを置け。

イエス様が言葉を続けられました。「動物たちのために水を供給する、すなわち命のために不可欠なものを運ぶ苦難をあなたは経験したのだ。他の人の場合、かなり前にあった関節痛が、突然再発することかもしれない。ある人の場合は、間もなく完了することになっていたプロジェクトが、突然変更されることかもしれない。また、ある人々にとっては、家をきれいにする必要があるのに、時間が取れず、汚れたまま過ごさなければならないケースかもしれない。ある場合には、あなたたちの空間を他の人が無秩序にし、めちゃくちゃにしてしまったことを耐え忍ばなければならないことかもしれないのだ。」

「このようなことが起こる時、世の別の場所では、このようなことが起こる。骨と皮ばかりに痩せ細った、かわいそうな一人の子供が、数週間飢えた後に、初めて食事をする状況がある。あるいは、一つの家族がISISから逃げる状況がある。あなたたちが経験する不便さと遅延は、その家族が殺害されるのを避けられるようにする恵みとなりうる。」

「ああ、私の愛する子供たちよ、これを理解できないか。あなたたちにとって、このようなことが小さなことのように見えるかもしれないが、他の人にとっては、命を救うことであるかもしれないのだ。私がこの事実をあなたたちに話す理由は、あなたたちが喜んで与える者となり、あなたたちの人生で経験するすべての不便さが、特別な目的を持っていることを信じ、信頼するようにという意図で話しているのだ。あなたたちに与えられたすべての十字架は、魂を救う上で非常に重要な意味を持っている。天国ですべてのことが明らかにされるその日をあなたたちが迎えるまでは、決してこれらの事実について完全に理解することはできないだろう。しかし、私がこのようなあなたたちの不便さと苦難を許すことによって、私が非常に非常に善いことを成し遂げようとしているということについては、あなたたちが信頼することができるだろう。」

「不当に見える苦難も、これと同じ意味を持っている。胸が張り裂けそうになるほど痛く、ひどい貧困の中で生まれた魂、食べる物など見つけるのが難しくて土を食べ、その胃を壊す魂がいる。正常な機能が期待できない、麻薬中毒の家庭に生まれる子どもたちがいる。ごくわずかな割合で、かろうじて生存したとしても、街の強盗たちの凄惨な生活と、不法な麻薬にさらされた環境で育つ魂たち。私はすでに、これらのことについて話したことがある。ある魂は、自分が生まれる前に、ある選択をするようになり、その選択と共に生き、死ぬことになる。幼くして死ぬことも、その選択と関連している。このようなことは、天国でこそ完全に理解されるだろう。しかし、私がこのような事実をあなたたちと分かち合う理由は、あなたたちが決して、いかなる慰めも伝えられない他の人々の苦痛に対し、落胆しないだろうという希望を私が持っているからだ。」

「私の子供たちよ、すべてのものには目的がある。すべての個々人の人生の中で起こるすべての小さなことには、特別な目的とダイナミックな力が存在する。」

「あなたたちが何らかの不便さや犠牲に遭うとき、あなたたちがそれを、落ち着きと忍耐力を持って耐え忍んでいるならば、あなたたちは働きをしているのだ。この事実を話すために、今まで長く説明したのだ。注意を払い、集中力の高い状態で、霊的な自覚を保ちながら行う働きを、あなたたちがしているのだ。あなたたちが経験する不便さは、ただの単純な不便さではないのだ。他の人の苦痛を減らしてくれる、必要不可欠な働きをしているのだ。」

「あなたたちが病気ならば、それは単純な痛みではない。これは、慈悲を施す私の働きをするのだ。そして、これを通して他の魂は慰めを受け、人生の希望を再び回復するようになる。また、どん底から抜け出して立ち上がるようになり、私の中で命を見つけ、新しくされることを意味しているのだ。あなたたちが背負っている十字架について、新しく、新鮮な天からの視点を、あなたたちが理解してほしい。あなたたちが私に、あなたたちのすべてを喜んで捧げたため、他の魂が人生の道を見つけることを知り、これについてあなたたちが喜んでほしい。これこそが、真の意味での『自分を捨て、十字架を背負って私についてきてほしい。』ということなのだ。」

「今、私はあなたたちを呼ぶ。この贈り物に向かって進むように呼ぶ。なぜなら、あなたたちは私が再び行く前に、非常に危険な時代に生きているからだ。この時代は、悪は善となり、善は悪となってしまった時代なのだ。この時代は、闇が奇怪なほど巨大化して全地を覆い、もはや何も理にかなったものが見つけられなくなってしまったのだ。この時代は、新しい魂が生まれても、最も卑劣で卑しい環境の中に入っていくしかない時であり、すべての人間の尊厳は失われてしまった時代なのだ。」

「あなたたちは、闇を照らす私の手に掲げられたたいまつ、すなわち世の光であるだけでなく、私が世に遣わした治療薬なのだ。癒し、理解、答え、私の愛を込めた器、そして愛という最も強力な処方箋なのだ。私があなたたちを天に引き上げる前である、この最後の時間帯に、あなたたちがこの事実を認識してほしい。あなたたちが経験することになる、数多くの種類の試しの最中でも、あなたたちが平安の中にいてほしい。数多くの種類の反対があなたたちにあるだろう。物事やあらゆるものが、とんでもなく進んでいくだろう。どうか、このことを記憶してほしい。あなたたちがなしたすべての善い行いが、その日に完全に報いを受けるだろう。そして、あなたたちに向けられたこれらのすべての試しと反対は、その一つ一つがすべて私にとって意味を持っている。」

「この試しの時代に、私の忍耐と寛容を、あなたたちに今、祝福として油を注ぐ。必ず記憶してほしい。あなたたちが受ける試しと苦難は、私に捧げられる喜びの機会なのだ。このようなことによって、あなたたちの心の中に苦い根が育たないでほしい。疲れたり、落胆したりしないでほしい。このようなこと一つ一つが働きであり、非常に困難な働きなのだ。そして、天国であなたたちが決して、その報いを失うことはないだろう。」