041. 聖書はどこから来たのか
聖書はどこから来たのか
2022年6月29日
主よ、教会がまことの福音に根を下ろし、信実を維持するように助けてください。 私たちが福音から離れたり大まかに輪郭だけ描かないように神様の力で私たちを助けてください。 アーメン
クレアの言葉です。
愛するHeartDwellersの皆さん、私たちが誤解なくはっきり分かってほしいです。 皆さんはHeartDwellersが初代教会、すなわち西暦300年間信じていた福音を私たちも信じているという事実をご存知でしょう。 ここには女性でしの役割も含まれます。 しかし、今日の信仰と初代教会の信仰の間には混乱も存在しています。 最近私は聖母様に尋ねました。 「聖母様はカトリック信者ですか?」 聖母様は答えてくださいました。 「そうではない。 私はクリスチャンだ。」私が言いたかったのはカトリック信者がすなわちクリスチャンだということでしたが、聖母様はそのように考えていないようでした。 それで私たちがどのように聖書を持つようになったのかもう少し理解してほしい と考えて、このテーマを分かち合いたいと思います。
愛する皆さん、 初代教会初期には新約聖書がありませんでした。 福音を書いて手紙を書いた使徒たちの権威だけが存在しました。 ところで、ある人がこのように話すことを考えてみましょう。 「私は聖書だけを信じている。 どんな人もどんな宗教も信じない。」 このような人々は聖書を正典化した権威を逃して考え、その権威が人を通じて神様の御言ばが宣言されるということを逃して考え、その権威がイエス様が息吹のように吹き込んで下さる聖霊様の人々と共に働いていたということ、そしてその継承者とも共に働いているということを逃して考えるようです。 この時代には共産主義と資本主義が初代教会の姿に浸透し、教会の基礎を破壊することに熱心に努力しているということを難なく見分けることができるでしょう。 しかし、イエス様がペトロにおっしゃった言葉を覚えましょう。 「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」
本当に第二次世界大戦の時には教会が地下に隠れていきました。 今も中国では発覚せずに活動している地下の司教たちと長老たちがたくさんいます。 彼らはイエス様が弟子たちに与えた権威を継承している弟子たちです。 初代教会と一貫性を保ちながら聖職授任を通じて受け継がれてきたのです。 それで私はただ聖書だけを信じると言いながら、神様の真理を受け継いで保護している人々に与えられた権威は断る姿を見せたりもします。
「イエス様、この辺で私の説明を終えてイエス様に言っていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
イエス様が話し始めました。
「そうだ。あなたが言ったことが真実だ。 私はサタンが始めた戦いを作りたくもなく、奨励したくもない。 一人の解釈が他人の解釈と戦うこと、あるいはある教団の解釈と戦うこと、このような戦いのことだ。 真理は心が穏やかで謙虚な者のために存在する。 反抗的な態度を避け、ただ真理だけを探す者のために真理が存在するのだ。 基礎的な信仰が依然としてそびえ立っている中でも、サタンは人々が互いを対立させて戦わせることを非常によく成し遂げた。 それで真理を理解する人の数があまりにも少なくなってしまうほど、サタンはこのわざを成功的にやり遂げた。 それで、このメッセージは、真理だけを追求する者のためのものであり、すなわち個人的な意見や自分の考えを傲慢に取っている態度のようなものを持っていない人々のためのものだ。」
「私は決して私の教会を混乱の中に置いて去ったことがない。 パウロが私から個人的な啓示を受けた時も、ペトロのところに行って私が教えてあげたことについて話した。」
(ガラテヤの信徒への手紙2章2節)エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。
(ペトロの手紙二1章20~21節) 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。
「ここで聖霊に導かれて神からの言葉を語った人々は誰だろうか。 私を継承する人々、弟子たち、先に人が死んだ時に継承を受け継ぐ人々だ。 それで私の教会は依然として立っていて、陰府の力が勝てなかったのだ。 しかし、サタンによって始まり、供給された傲慢と無知は教会に勝った。 私の子たちよ、聖書の教えに従うと言いながら、私の心のいきざしと手で基礎を置いて養育してきた、私の体である教会の真の権威に対しては無視する、この時代の説教者たちにだまされないことを願う。 サタンが論争し、力で押っ付けて勝ち取る方式の政治的な教会を掌握しているため、この時代は見た目と違って本当に危険だが、私の名前で呼ばれた私の民、すなわち聖書の教えに従って暮らし、私の教会の法を守る人々は丈夫に残るだろうし、そびえたつだろう。 この選択を受けた者たちは私の声を認識し、私の教会での私の権威に気づく。 しかし、私の教会を冷やかす外にいる人々は依然として聖書を信じると言うだろうが、聖書と共にある私の教会の権威に対しては断るだろう。 だから、彼らは私の教会ではないわけだ。 だが、彼らは私が私の全力を尽くして愛する割れた兄弟であり、依然として私の体の一部だ。」
これがイエス様のメッセージの終わりです。
尊い皆様に、神様の祝福がありますように。 皆さんに神様の愛と平安がいっぱいになることをお願いいたします。