055. 聖なる祈り方
聖なる祈り方
2022年9月28日
HeartDwellersの皆様、神様の祝福が神様の甘い平安と共に皆様にあるようにお祈りいたします。 アーメン。
私たちの共同体で学ぶことの一つは、祈る時に私たちの考えや行動の速度をゆっくりすることです。 霊的に考えることと見ることに注意を払い、非常に神経を集中することです。 ゆっくり進むリーダーについて行きながら、自分の速度をゆっくりすることが、ある人には少しぎこちなく感じるかもしれません。 今日、私は主に祈りを捧げましたが、主はこの問題についてすぐに話してくださいました。
「ありがとう。ありがとう。 この部屋にいるみんなが深い祈りに入ることを学ぶのにそれほど時間は長くかからないだろう。 最初は少しぎこちないかもしれないが、慣れる時が来るだろうし、その時は祈りが本当に美しく意味のあるものになるだろう。 このようなことに文句をつけず、皆のために聖なる手本をセットすると考えてほしい。 これがあなたたちの中で誰かを苦しめるなら申し訳ない。 しかし、これが私が望む祈りの手本だ。」
その時、私はある幻を見ましたが、イエス様がベッドのそばでひざまずいて祈る姿でした。 私はイエス様がそのように祈るとは思いませんが、この場面は続けておっしゃる内容と関連した意味を持っていたのでした。
イエス様はおっしゃいました。 「私は祈り一つ一つを大切にする姿と、その祈りの内容について注意深い考えで祈りを捧げる手本を見て、祈りについて学んだ。 私の母と聖ヨセフ、二人はどのように祈りを捧げるべきかについて敬虔な手本を私に見せてくれた。 私たちは必ずしもひざまずいて祈る必要はなかった。 しかし、神様に対するすべての求める意味は確かに心に吸収しながら捧げた。 決して急がず、非常に尊敬と敬意を表しながら祈った。 このように私たちの祈りは深く入ることができた。 あなたたちもこうしてほしい。 愛するHeartDwellersよ、あなたたちが祈る時あなたたちが言う内容を心に吸収する方法を学んでほしい。 そうすれば、それがあなたたちの魂を変え、新しくするだろう。」
「あなたたちがこのように祈る模範を備え、あなたたちのこのような姿がここを訪ねる人々だけでなく、全世界に祈る手本になることを願う。 あなたたちが時間を割いて祈りを捧げる一瞬一瞬の時間は、あなたたちが全能な神様にすべての集中と注意を払い、最も深い尊敬と敬意を表しながら話す、非常に重要な瞬間だということを宣言することだ。 このような生活態度を備えるには学ぶべきことがたくさんある。 特に正しい心を持つことが非常に重要だ。 このようなことは、すべての人に自然に形成されるわけではない。 だから、このような態度を備えていく時、あなたたちが感じるぎこちなさについて、慌てたり恥ずかしがったりしないでほしい。 このようなことを学ぶには時間がかかるものだ。」
「世の中の速度は非常に速い。 ときには狂乱的でもある。 そのため、このような聖なる祈りの場に進む時、最初にはすべてが遅く感じられるのがぎこちなく感じられるだろう。 しかし、あなたたちの心が正しく、謙虚な心を持っていて、従順にしようとし、学ぼうとする心があり、教えられるような態度を持っていれば、あなたたちは非常に早く適応することになるだろう。 秘訣は何も個人的な指摘として受け入れないことだ。 どんな指示も個人的な指摘だと考えず、ぎこちなくて不便といえども謙った心で従うことを願う。 しばらく時間が経てば、このような祈りの姿があなたたちに第2の本性として定着できるようになり、このような問題で心の中で葛藤することもなくなるだろう。」
「さて、私はRosary祈りでそれぞれの神秘を視覚化することについて話したい。 私はあなたたち全員に豊かな想像力をプレゼントした。 その想像力は私が聖なることにさせ、あなたたちを天上の領域に導き、私の本性との美しい親密さを経験させてあげる。 あなたたちがこのような想像力を通じて、Rosary祈りの神秘に対する場面を作り出すことには、問題になることは一つもない。 あなたたちが天国に来てみると、そのような想像力がどれほど現実的かを確認することになるだろう。 本当にあなたたちが何かを想像すれば、それが直ちに目の前で現実になるからだ。 あなたたちは皆私と共にする共同創作者たちだ。 これは私に象って作られた存在に与えられるもう一つの贈り物なのだ。」
「いつか分かるだろうが、あなたたちの創造能力は幅広くて非常に驚くべきものだ。 多くの人がこの創造的能力を自分の肉体的欲求を満たすために使うが、それは罪につながる可能性がある。 しかし、正しい方法で使えば、聖なることに導いていく。 なぜなら、その想像と創造の能力があなたたちに、聖なることや、聖なる場面や、聖なる事件を経験するよう視覚化して導き、私の現実と私の世界に、あなたたちをもっと近づけてくれるからだ。 もう一度あなたたちに言うが、聖なることを想像することは問題ない。 あなたたちが聖なる想像力を持つように創造されたが、この想像力はまことの目的のために存在するのだ。 だからあなたたちが祈る時、この想像力を使ってほしい。」
この時、私はイエス様に聞いてみました。 「祈りをする時、私たちが想像力を用いてイメージを作る時、それがイエス様が作って見せてくださるものか、私たちが作り出したイメージなのか、どのように区別できるのか。」
「とても良い質問だ。 言葉であれイメージであれ、私が何かを作ってあなたたちの前に見せれば、多くの場合、それがあなたたちが置かれている状況から見ると、少しおかしいと感じるだろう。 このようなことがあなたたちの心の中に浮かぶ時、ほとんどの場合、それは知識の言葉あるいは非常に深い理解に導いていく。 あなたたちが誰かのために祈っている時、あなたたちの考えの中に少しつじつまが合わないと感じるイメージが浮かんだら、それにもっと注意を払ってほしい。 多くの場合、このイメージはあなたたちの考えが作り出したものではない場合が多い。 しかし、より確実な分別のためには、このようなことが聖霊さまから来るのか、悪魔から来るのかを分別しなければならない。 しかし、あなたたちの考えの流れに合って、期待しているものをあなたたちが見ることになれば、それはあなたたちの考えが作り出したものである可能性が高い。」
「あなたたちが祈る時、あるものについてかすめるように見える時があるだろう。 その時、それをつかんで黙想すれば、その幻の残りの部分がより明確に見えるだろう。 あなたたちが文を書き、その文を通してあなたたちの心を私に注ぎ込む時、あなたたちはいつもぽつりぽつり休みながら文を書いたほうが良い。 そうしてこそ私があなたたちに応答できるからだ。 あなたたちがある単語を聞いたり、ある文章の始まりを聞き始めたら、あるいはある考えに導いていく感じを受けたなら、それを書き始めて、その考えが導くままにどこになってもついて行ってほしい。 そのような場合はほとんど、私があなたたちに話し始め、あなたたちに答える方式だからだ。 慌てないで、ためらわずにすべてを書き留めてほしい。 そして、その声が終わった後、その内容についてあなたたちは分別をしてほしい。」
「あなたたちがその声を聞いた瞬間、無視したり、はたいたりしないでほしい。 ずっとあなたたちの考えと言葉を続けることをしないでほしい。 どうかそうしないでほしい。 その単語と考えが最後まで続くように許してほしい。 そして、私がいつもあなたたちに教えてきたことは、実によって見分けよ、ということだ。 もしその内容があなたたちを矯正する内容なら、あなたたちは罪悪感を感じることになるだろう。 しかし、その中でもあなたたちはあなたたちに話す私の優しさと愛を感じるだろう。」
「許してくれれば、私はあなたたちが私の声を聞く方法を教えてあげる。 最初にしなければならないことは、ぎこちなかったり当惑したり、たまには苦痛になることもあるとしても、心を落ち着かせ、ゆっくりゆっくり考えと言葉に対してより多くの時間を費やすべきだということだ。 これが必ず置かなければならない基礎基盤だからだ。 私の声を聞くには、時間がかかり、また、あなたたちが私にとってとても大切だということを知る信頼感が必要だ。 あなたたちが私にとってとても大切なので、私があなたたち一人一人と、あまりにも話したがっているという事実に対する、信頼と確信があなたたちの中に定着する必要があるのだ。」
「私があなたたちをここに呼んだのは、あなたたちの人生が思索的で修道士のような人生を生きろと呼んだのだ。 これは以前とは違う形の人生、より繊細で静かな人生、あなたたちの知能を脇に置き、考えの絶え間ない回転を差し置いて、私にだけ集中し、最大限の静けさの中にあなたたちを置く人生だ。 そうしてこそ、あなたたちは祈る時、私の声を認識できるようになる。 本当に、私の声は静かにささやく声だ。 この微細な声はあなたたちの心の中で静かに呼吸できる部屋を必要とする。 決して世の中的な考えが果てしなくあちこちにぶつかる慌ただしい気持ちでは聞けないのだ。 あなたたちは今、この声とこの部屋に招かれている。 少し時間がかかるだろう。 しかし、急がないでほしい。 しかし、何よりも、あなたたちが私の声をはっきり聞くことが、あなたたちにとってどれくらいの大きさの価値があるか考えてみなさい。」
「私の愛しい花嫁たちよ、私があなたたちと一緒にいる。 私はプレゼントを持ってきた。 あなたたちが受け取りたいなら、もらえるプレゼントだ。 最初はぎこちなくても、その中に非難されるようなものはない。 これは急がないことを学ぶ過程でもある。」