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074. 分裂させるための敵の布陣

分裂させるための敵の布陣

2022年11月22日

主が皆さんを祝福し守って下さいます。

Heart Dwellersの皆さん、一ヶ月の中でもこの時期は闇の勢力が私たちをさらに苦しめる時のようです。 毎月21日、22日、23日にそうだと思います。 最近、私たちは皆、試しを受けていると感じますね。

レマカードを通じて、主は私にこう言ってくださいました。 「サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。」 もちろん、この後半は次のような言葉もあります。 「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」 ここに本当に分裂を起こそうとする呪いがかかっています。 私たちはもちろんそれを望んでいませんし、そうもなりません。 私たちは連合と兄弟愛を祝福し、また祝福し、また祝福します。

エスゲルはこう言いました。 「このコミュニティは危険にさらされている。」そしてエリザベスはこう答えました。「私もそうだと信じています。」

主はこう言いました。

「恐れるな。 私があなたたちに話したように、私があなたたちを愛したように、あなたたちがお互いに愛し合えば、この試しも通過するだろう。 あらゆる種類の共同体がこのような時期を経験する。 ある共同体は生き残り、ある共同体は生き残れない。 すべてが愛と謙遜に関するものだ。 これが私が今私の教会で行なっていることだ。 私は私の心臓に従う共同体を立ち上がらせている。 ここの共同体はその一つだ。 あなたたちはこの試しをパスすることになるだろう。 ただ、あなたたちが敵のふるいにかけられていることをはっきりと認識してほしい。 そのため、皆がお互いに敵がどのように働くか認識する必要がある。 お互いに対して攻撃的な態度を持つことを拒否してほしい。 ここに大きな秘密がある。」

主がおっしゃったこの言葉、「あなたたちが敵のふるいにかけられていることをはっきりと認識してほしい」という意味は、もし私たちが何らかの葛藤が起こりうる状況を見れば、それが私たちに配置された敵の任務であることに気づき、その問題を起こした人が原因ではなく、その問題の背後に布陣した悪魔たちに気づくことを願うことです。 だから悪魔たちが任務を遂行する時、私たちはある人に飛びつかず、悪魔に飛びつかなければなりません。 人に攻撃的な態度を取ることを断り、むしろその人を愛し許し続けていくのです。

私は今日、本当に自分のくちばしをひねってしまう事件を経験しました。 挑戦的で難しく、予期せぬ反対と予期せぬ反応を経験しました。 重要な役割をする人からそのような反応を受けましたが、私は本当に腹が立ちました。 私はめったに怒らないのですが、それで私はそれが敵からの攻撃であることがわかりました。 私は本当に怒ったので、主に尋ねた時、主は私の傲慢があってそのように腹が立つのだと言ってくださいました。 私は実際、そんなに怒る必要はありませんでした。 怒らなくて、その問題をうまく処理できることでした。 それで私は主に言いました。 「主よ、私はこの怒りを望んでいません。 どうか私からこの怒りを取り除いてください。」その次に何が起こったのか見当がつきますか? そうです。主が私の心の中から怒りを取り除いて下さいました。 その次に、私は文章を書く働きをしなければならず、他の人に様々なことを明確にしなければならないことをしました。 時間が少しかかることでしたね。

そして今日、また別の状況が発生しました。 私たちは山から降りて村に行く時に私に知らせるようにする内容を皆に伝えましたが、そうしてこそ私たちが保護のための祈りができるからです。 ところが一人が私たちに知らせずに山を下りて村に行きました。 そして、私はあまり良くない反応をしました。

皆さんは理解できますか? 山の中で過ごすということは、 私たちの周りに人が何人いて、何かが発生した時、誰が何を扱えるのかを知る必要があります。 しかし、私はこのような考えから少し行き過ぎました。 それから思いました。 「正直、大きな問題じゃないじゃん。 なぜ私は怒るの?」そして、私は自分の中に傲慢さがあることに気づきました。 「なんで私に言わないの?」「なんで私に聞かないの?」という考えの傲慢さがありました。 謙遜への長い祈りがあったからこそ、私はこの傲慢さに気付くことができました。 「主よ、人々が私に知らせない時、私が幸せを感じられる恩恵を与えてください。」このような願いや考えを読み上げるように、祈り続けることが謙遜に対する長い祈りでした。 「何かを私に知らせてくれなかった時、私が除け者にされた時、私が無視された時、幸せになるように助けてください」、というような考えを主は私に吹き込んでくださいました。 そして私は思いました。 「私は本当に傲慢さを望んでいません。 「どうかこの傲慢さが私から消えるように助けてください。」本当に私がこの傲慢さを認識できるということはとても良いことでした。 なぜなら本当に私は傲慢さを持っていたからです。 かつては、私がいつもこのように自分の傲慢さに気づいたわけではありませんでした。 しかし、今回はこの傲慢が現れた時、私の中に確かに傲慢があるということを悟り、主に祈ることができました。

主は、この分裂を引き起こす呪いについて話し続けました。 ちなみに、イエス様が彼らという表現を使う時、その意味は敵、呪い、悪魔を意味することです。

「彼らは怒りと葛藤を引き起こすために遣わされるのだ。 善い意思を持つところ、愛と謙遜と従順がとどまるところには、怒りと葛藤のようなものは存在できない。 この二つの造り上げるもの、愛と謙遜があなたたちを武装させて保護するということをあなたたちが理解し始めている。」

主のおっしゃることは、もし私たちが愛と謙遜の中を歩いていけば、何も私たちを突き破ることができないという意味です。 私は主にこう言いました。 「そうですね。 主よ 私が怒るように刺激する圧力を感じた時、その事実を感じました。」

「まさにそれだ。 愛でその怒りの火矢を消滅させ、その人のために擁護し、望ましくない状況が展開されても一歩後ろに下がって人々を祝福するのだ。」

それで私は自分の怒りに陥る代わりに、人々を祝福するように神様からいただいたアイデア、つまり外食や動物園に行くようなものを考えました。 実際、彼らは特別な必要を持っていました。 それで私がそのように怒る代わりに寛大な心で行動をした時、私の心は平和になりました。

「平和が正しいことをしたということを見分けられる方法だ。 家族の価値と必要のために、この共同体が柔軟に対処しなければならない優先順位の再調整のようなものが本当に必要だ。 家族を持つ人たちは子供のいないシングルの人たちと違う点がある。 私の霊があなたと一緒にいるから、あなたが求めばいつもあなたをガイドしてあげるだろう。 このような状況が発生すれば、時間を作って私たちの答えを求めてほしい。 そして状況に戻り、その答えを実践すればよい。」

ちなみに神様が「私たち」とおっしゃる時は、御父、息子のイエス、聖霊様を意味します。

イエス様は続けておっしゃってくださいました。「サタンはこのような状況にどう取り扱うべきかよく分からない。 しかし、彼はこのような状況をどのように設定し、どのように不和を起こすかを知っている。 サタンは結局私に大きな利益をもたらすのだが、あなたたちを倒して分裂させようと状況を設定するが、そのすべての状況をあなたたちがどのようにうまく対処しなければならないのか、私が訓練させることのできる機会として使うからだ。 暗い面からあなたたちが何を得られるかを学んでいるところだ。 これらの技術を学び、どのようにこれらの技術を扱うべきかを学ぶことだ。」

「愛はすべてに勝つ。 酔っ払ったローマ兵が私に腹いせをした。 彼も私の愛によって征服された。 ある問題が深刻でない時は、抵抗や反対が最も少ない方向に進み、問題が深刻な時は、愛を適用し、忍耐して善い意思を持って、相手に最高の利益を見つけてほしい。 愛に対抗する掟はない。愛がすべてに勝つ。 誰かがあなたたちの右頬を叩いたら、左頬も回して、あなたたちの敵のために祈ってほしい。 あなたたちが祈らなければならない敵は多く、また多くなっている。 良い知らせがあれば、彼らがあなたたちの愛の行動を見守っているということであり、あなたたちの行動について疑問を抱き始め、彼ら自分の人生で霊的に選択することに対して幸せになるという事実だ。」

「彼らは歩くだろうし、疲れないだろう。 彼らは走り、気絶もしないだろう。 あなたたちが見るように、彼らは非常に弱い者たちだ。 弱い魂には子供の手袋のようなものが良い役割をする。 あなたもこの事実を知っていることを私は知っている。 何も個人的な関係ではなく、すべてのことの背後にある本当の敵を見分けてほしい。 私たちはますますそこに近づいている。」