086. あなたは私を失望させた
あなたは私を失望させた
2022年11月7日
愛するHeart Dwellersの皆さん、最近私は主への愛の火を失ったような気がします。 私は主と一緒にもっと深いところに入りたいです。 私がこれまで見えなかった私の人生の中にある欠点と罪を見たいし、それらを私の心の中から取り除きたいです。 しかし、このわざを私一人ではできないのが確実なので、助けてくださる主を私は必要としています。
私は主に助けてくださいと頼みました。 私が時間を無駄にして進むべき道から外れていることに気づいたからです。 軌道から外れるということは本当に恐ろしい散漫さですね。 私は本当に幸せではありませんでした。 それで主のところに行って浪費した時間と軌道を外れたことに対して本当に申し訳ないと言いました。 「どうか私を赦してください。 私はこんなふうに生きたくないです。 どうか私に変えてください。 本当に私は愚かな女です。 あなたを傷つけたことを心から申し訳ありません。 本当にごめんなさい。」
日曜日には共同体のすべての人々が集まり、その時、私たち皆はそれぞれレマカードを選んで主の意思を確認し、互いに分かち合う時間を持ちます。 私が受け取ったレマカードは「あなたは私を失望させた」でした。 ああ、主よ、本当に私はひざまずくほど深いショックを受けました。 そして、「ダメ、ああ、本当にダメ! 主よ、あなたはとても善いです。 どうか私がこんなに不注意になってはいけないのに.. 本当に後悔しています。」
主がおっしゃってくださいました。 「クレア、あなたは祈りもせず、私と一緒に聖餐もしなかった。 これがあなたが転んだ理由の一つだ。」
主の言葉は事実です。 私は最近とても忙しかったです。 私の忙しい仕事よりも、私はまず主を優先順位に置くべきでしたが、私はそうしませんでした。
「はい、主よ、私もそう思います。 そして、私はあれこれ言い訳をして、敵を非難しました。」
「もちろん、敵にも責任がある。 しかし、あなたは私との時間を一緒に過ごさないことで、あなた自身を弱めた。 「応じなければならないことがこんなに多いのに、私がどうやって祈りの時間を持てばいいのか分からない」と言うあなたの考えを私は聞いていた。
主はここで私の個人的な祈りの時間について話しています。 私が主のメッセージを書き取ることは、私の個人的な祈りの時間と異なるものです。 主のメッセージを書き取るときは、ほとんどの場合、非常に速く、そしてはっきりと私に言って下さいます。 しかし、私が個人的に主と共にいながら、静かに主の前にとどまり、主と近くにいる時間について話しているのです。 私は最近、そのような時間をほとんど持っていません。
主はまたおっしゃっていました。 「私の愛するクレア、あなたを赦す。 私にとって最も痛いのは、あなたが私の腕の中に来ないことだ。 まるで私が存在しないかのように私に接し、「忙しすぎるから静かに座って私を待つのは退屈じゃないか」という考えが私を傷つける。」
「私の愛よ、あなたがどこから私から離れたの? 私が一緒にいるだけの価値がないと思うほど、あなたの心が冷たくなったのは、どういうことだ?」
「主よ、私に言ってください。 私もそのように考えるのがとても怖いです。 こんな無関心がどこから来るんですか。 本当にひどい無関心です。」
私は台所でコーヒーのためにお湯を沸かしていたのですが、こんなことが聞こえたようです。 「それは小さなものだ。」
皆さん、私は時々、まるで主が私の脇腹をぎゅっと突いたり、肩をトントンしながら何かを言っているようなことを感じたりします。 「私のためにこれをしてくれる?」その時、私は知らないふりをして無視することがありますが、それが無関心で、利己主義で、傲慢で、何か深い主とのつながりを断ち切ることになり、私はますます薄くなり、ますます自分自身に夢中になっていくようになるようです。
ここで罪は何でしょうか。冷たさと無関心、聖霊様の導きを些細に思うのではないでしょうか? その導きが小さいものでも大きいものでも関係なく、嬉しい気持ちで従順をしたらどうだったでしょうか?
私はこう祈りました。 「主よ、どうか私にどんな種類の呪いがかかっているのか、その名前があれば教えてください。 確かに、それは推測の霊でしょう。」
しかし、私が主から聞いたのは怠惰、無関心、怠慢でした。 神様の霊によって導かれることを喜びで反応する代わりに、もしその導きがその状況で少し不便に感じられたら、知らないふりをして差し置いて注意を払わない行動です。 これはまるで私が主の望むことを本当に気にしないことを意味し、私がしていたことがより良いのでそのまま行くということを意味するのです。
ここの共同体の中でも私がある人にちょっと手伝ってほしいと頼む時がありますが、私の言葉を無視して助けることを断る場合があります。 すると、私は説明して、なぜ助けることが重要なのかを話すことがあります。 すると「私が手伝います」と嬉しく言う場合もあり、「助ける時間がありません。 私がしていることがもっと重要なんですよ」と言う場合もあります。
もう私ははっきり理解しました。 私が同じことを私の大切な救い主にしたんです。
私がそのような行動をする時、私の表情を見て、「私は今私のことがとても忙しいのであなたを助けられません」という私の冷たいイントネーションの声を聞く神様。 ああ、本当に悲劇ですね。 本当にひどいです。
「どうか私をこの深い泥沼から救い出してください、主よ。 私が変わるように私をちょっと手伝ってください。 主はとても愛らしく温柔で、能力に満ちて、慈悲深いです。 私は本当にあなたに罪を犯しました。 私が主にしたこんな姿が恥ずかしいです。 聖ヨセフ、聖母様、イエス様。 どうか私を変えてください。 私はあまりにも欠けています。」
主はとても優しく話し始めました。
「あなたが見たあなた自身の姿は現代教会でよく見える姿であり、問題だ。 記録されているんじゃないか。 終わりの時に多くの人の愛が冷えるだろう。 私の愛よ、まさにこれがあなたが戦っている問題だ。 これらすべてがあなたのせいだけではないが、それでもあなたはそれを変える洞察力と力を持っている。 だからあなたとの親密な時間を持つことを私が望んでいるのだ。 私の甘い花嫁であるあなたの中に燃える心を回復させるために、あなたとロマンスの時間を持ちたい。 この愛の火を起こすためには多くの要素が存在する。」
「ほとんどのクリスチャンは、私を愛できる自分のキャパシティーよりも低いレベルで動いている。 世の中が様々な活動と心を引くもので誘惑する。 彼らの心を得るために、私がどうやってこんな世の中と競争して勝つことができるだろうか。 私は勝てない。 それで世の中がその引っ張る力を失ってしまうまで、そして堂々巡りのような競走を全て終えるまで、私は待つしかない。 過去にあなたもそうだった。 そして今も相変わらず何かがあなたの心の中を刺激すれば、そのような姿になったりする。 手芸とかキノコについて調べる時とか、他にも敵があなたに与えられたことをできないようにしたり、私とのつながりを断ち切るために送る散漫な攻撃がある時に堂々巡りの中に入ってしまったりする。 残念ながら非常に多くの場合、敵の攻撃は効果を発揮する。」
「主よ、どうしてこの世をこんなに美しく造ったんですか? こんなに美しいものをどうやって私たちが見過ごすことができるんですか?」
「あなたがその美しさを見れば、それにハマらずに私に誉めて礼拝を捧げることができる。 その魅力に溺れてはならない。 これは練習と訓練が少し必要だ。 いつも美しいものを見ると、創造主を振り返り、自分自身を創造主に捧げなければならない。 私の愛よ、あなたが戦うこの問題は、すべての人に共通の問題だ。 私はこの問題をよく知っている。 私に再び焦点を当てて、私に戻ってきて感謝の気持ちを現してくれたことに本当に感謝している。 私の創造には多くの多様な反応があり、不思議さと喜びの多くのレベルが存在する。」
「しかし、私を渇望し、私に飢えた者たちは、そのような被造物に溺れない。 ある楽しいものがあるとき、一人の魂がそれを抱きしめることを喜びながら、またその楽しみから飛び出すこと、それで罠にかからないこと、これは一つの訓練だ。 罠にかかったら祈って救われることを願いなさい。 そうすればあなたたちは助けをもらうことになるだろう。 あなたは捕らえられた者たちを自由に導くためにここにいる。 彼らが捕まったところで、あなたたちも捕まるようにここにいるのではない。」
「私の子たちよ、この世が与える嬉しいこと、あなたたちの体が感じる喜びをもっとあきらめればあきらめるほど、より多くの私の霊で満たすだろうし、あなたたちと共に受ける親密さはより一層深まるだろう。 あなたたちがこの世でひばりのように自由になり、あちこちを飛び回ることを願う。 この世の市民ではなく、より偉大なことのために使命を受けた旅人として生きていくことを願う。 世の中が与える美しさや興味深いものにとらわれることを許せば、精神的な感覚は鈍くなり、救い主への焦点を失うことになるだろう。 世の中に対するこのような愛着からあなたたちを切り離せば離すほど、より多くの私を持つようになるだろう。 世の中に対して休むことがない彷徨いながら漂う魂、楽しみ、また次の楽しいものを探し回る魂を私は私の霊で満たすことができない。 私はあなたたちのすべてを持たなければならない。 だからあなたたちは私が着たように着て、私が生きるように生きるものだ。」
「私と同じ姿で生きている時も、不満はあなたたちの中に染み込むことができる。 エジプトの食べ物を渇望させることができるだろう。 精神的なものだけを渇望し、あなたたちを私に近づけないようにする全てのものを投げつける習慣があなたにつくまでには時間が必要だ。試行錯誤の過程を経て、このような習慣が身につき、あなたたちの心を注意深く観察する訓練、どんなことがあなたたちの心に簡単にくっつくのかを調べる訓練を通して行われる。 最初はあなたたちの肉体的な感覚を鈍らせているように感じるかもしれない。 しかし、すぐ慣れるにつれて習慣になり、あなたたちの道を混乱させることを避けることができるだろう。」
「愛する主よ、それは努力する価値があると思います。 私も最初あなただけを探すことに私の心を動かした時、何度も私は転びました。 しかし、あなたの姿を私に表しましたし、私たちが一緒に過ごした時間を考えると、私は十分に私の人生が与える楽しさを無くし続ける価値があると思いましたね。」
「傲慢と独立心がそのような人生を得させるのに敵になる。 謙虚さと従順さはあなたをより強くし、より多くの天からの贈り物をもたらし、私をより深く愛するようにします。 このような人生を送るのは犠牲を払う努力だ。 しかし、決して後悔しない人生になるだろう。」
「小さいキツネに気をつけてほしい。 私のために何かをしてくれとそっと知らせる時、あなたたちが私を無視して通り過ぎるのが小さなキツネだ。 私の意思に従えば従うほど、あるいはあなたを通して私をさらけ出す時、その意思に従えば従うほど、あなたは私によく似て行くだろう。 聖なることは天国に向かうはしごを登るようなことだ。 一つのステップは次のステップにつながり、あなたたちをもっと天国に近づける。 しかし逆に、無関心で自分の意志で行うすべての行動は、あなたたちを一歩下げ、地面に近づける。 あなたたちがすべての機会を使って上に上がらなければならない理由をよく説明してくれる。 登っていくと、あなたたちはある階に出会うことになるだろう。 そこでもっと犠牲にしたいという願望があれば、あなたたちは平安を感じるだろう。 一方、ある犠牲が求められるが、あなたたちがそれをやり遂げるだけの準備ができていなければ、私とのより深い親密さの機会は失われることになる。」
「この問題に対する答えはこうだ。 続けて上に上がり、何も私の要請に断らないのだ。 そうすればあなたたちは私のすべてを持つことになるだろう。 あなたたちはとても早く良くなるだろうし、あなたたちが始めた地点を振り返ると、本当に幸せを感じるだろう。 クレア、ぶどう畑を台無しにする小さなキツネ、小さなものに気をつけてほしい。 あなたが捧げるすべての犠牲を私は聖なる瓶に集め、それを極めて純潔な愛を変えている。 この道にあなたは一人ではない。 私がすべての瞬間、あなたを助ける。 小さなことから私にだけ従うことを願う。 そうすればあなたの中に平安が大きいだろう。」