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124. サン・ダミアノの十字架

サン・ダミアノの十字架

2023年3月3日

エゼキエルが見た夢についてお話しします。

彼らは塹壕を掘っていましたが、私はそこにいました。ベルギーとは思えない場所でしたが、過去なのか、現在なのか、未来なのか分かりません。

彼らは塹壕の端に民間人、家族、つまり母、父、子供たちを並べ、無差別射撃をしました。 撃たれた人々はあらかじめ掘った穴の中に落ち、何かで覆いました。 私は冬のレインコートのような長くて広いレインコートを着ていました。 私が見た一人の男性が撃たれたとき、私は彼の子供たちと妻を私のレインコートの中に包み込み、彼らがすでに見た以上のものを見られないように覆う以外に何をすべきか分かりませんでした。

祝福された聖母様が来られ、その妻と子供たちを抱いていた私の冬のレインコートの上に聖母様のマントで包んでくださいました。 子供たちは幼く、7歳、8歳、9歳でした。 その後、神様が来られ、聖母様のマントの周りに包んでくださり、私たちは聖母様のマントに包まれました。

「どうか、主よ、この子供たちがこのことを思い出させないでください。子供たちの記憶を遮断してください、感情を遮断してください、何かを遮断してください!」としか考えられませんでした。 とても恐ろしいことであり、これからもこのような状況が続くでしょうが、ロシアと国境を接している国々では、このようなことはよくあるでしょう。

ナチスもこんなことをしましたが、歴史は繰り返されるようですね。 人を殺すのはイルミナティでした。私が見たその男は中上流階級の家庭のようで、銀行員か何かそういう職業を持っていたのかもしれません。 40代くらいで、子供たちはとても若かったです。

もう一つの幻は、十字架で血を流している主を見ました。 主は本当に血を流していました。 サン・ダミアノの十字架でした。フランチェスコの十字架です。主は本当に血を流されたのですが、本当にたくさん流されたのですが、脇腹から血が噴き出すのを見ました。 その血は空中に浮かんでいる黄金の聖杯の中に入りました。 主は私たちが今夜、主の血潮を崇める時間を持つことを望まれ、少なくとも1時間は祈ることを望まれました。

私がそこに留まり、戻ろうとした時、聖杯が私の目の前に空中に浮かんでいて、十字架が私の目の前にありました。本当に温かい人の血が流れていました。 そしてその聖杯は、決して満たされない聖杯のようでした。 主は最後の最後の審判が下されるまで、魂を決して、決して、決して、決して、決して、あきらめず、地獄の深淵から魂を救い出すために、最後の百万分の一秒まで骨の髄まで与えられ、魂を救って下さるようでした。 最後の最後まで手を伸ばし、魂をひったくるということです。